平成10年 8月 2日作成 (c) Yoshihiko Hara

 この頃、毎日のように頭に浮かぶのは「それにつけても金の欲しさよ。」である。

 のっけから貧乏くさい文言で申し訳ないが、キーをたたいているこの瞬間も、件の文言が頭の中を駆け巡っているような気がしている。

 なに、貧乏生活にキれて、とうとう禁断の消費者金融やら何やらに手を出した挙げ句、利子さえ返せなくなって嘆いているとか、そういったせっぱ詰まったレベルで金子を欲しているわけではないので、あんまり親身に取り合ってもらう話ではないのかもしれない。

第九号

 まあ、出たばっかりのはずのボーナスが、生活費やら何やらの穴埋めで、買いたかったものが一つとて入手できないうちに、一切合切影も形もなくなったもので拗ね捻ねしているだけの話である。

 当然の話だが、欲しいときに欲しいだけ金が無いというのは辛い話だ。

 「金は天下のまわりもの。」いつかはこの懐にだって入って来る日もあるさねと、つぱって見せるのは簡単な話だが、愛しの同居猫達に買ってやりたい帆立の刺し身代が工面できない日には、やっぱり嘆きが止まらない。

 え、「金・金と、あさましいったらありゃしない。」と言われる貴方、それは貴方が恵まれる生活をしていて、お金なんて物がなくても安穏と暮らせる環境に居るからこそ言える台詞。

 金が無ければ折角家に早く帰れて愛猫達のご機嫌を取れるチャンスが来ても、おいしい御土産一つ用意できず、日頃の生活で困っていることを解決してくれそうな人がやってきても、困りごとの解決を依頼することすら出来ない。これがこの世の中というものの本性なのだから。

 そんなせちがらい生き方をしているのは「おまえくらいのものだ。」そう言われるなら聞いていただきたい。静岡県小笠郡大須賀町に伝わる晴明塚誕生の由来をだ。

 千余年も昔のこと、あるとき荒波で聞こえた大須賀の地に、陰陽師として名高い安倍晴明が訪れた。

 波の害に苦しめられていた村人たちは、津波と波の音封じをしてもらえないものかと晴明に訴えた。

 すると晴明は、津波封じに金三百、波の音封じに金五百を要求した。

 村人たちは苦心惨澹の思い出金を工面したが、どうにも金三百しか集まらなかった。

 とにかく津波封じだけでもと言う村人たちの乞いに応じて、晴明は小豆色の小石を積み上げて塚を作り祈祷を行なった。

 これ以後、他の村々が波にさらわれたときも、この地だけは塚より陸側へ波が入ることは無かった。しかし金の工面が付かず音を消してもらえなかったため、今でも遠州灘一帯では、荒れた波の音がそこここに響き渡っているのである。

 安倍晴明のような陰陽師ですら、「金の切れ目が縁の切れ目。」と言うか祈祷の切れ目というか、動いてくれないのが世のあり方なのだから、金々と、金子を欲しがって何を悪いといわれようか。

 もっとも、欲しがったからと言って、どこかから湧き出してきてくれるものでもなく、考えてみれば侘しさがつのるだけとも言える訳だが。

(塚の入り口に由来の説明板がある)