旅路の果てに  むかしむかし、あるところに、で始まるような昔の話、一匹の兎がいました。別にひとりぼっちだったわけではありませんが、群れるのが嫌いなのか、苦手なのかはともかく、いつも一人で悪さをするばかりで、仲間達はそんな彼女をどんどん遠巻きに見るようになるばかりでした。  でも当の本人はそんなことを気にする様子もなく、仲間から妖怪から人間から騙くらかして、食べ物を頂いたり、遊び道具にしてみたり、それなりに面白楽しく毎日を暮らしておりました。  そんな彼女の悪戯もだんだん手に負えなくなってきました。そして本人もどうにもこうにも止められなくなっていたのです。ただ悪戯するだけでなく、その後の一言で相手が怒るのを楽しむようになってしまいました。  でもそんな悪戯が何もなく、長続きするわけもありません。海を渡ろうとわにを騙くらかすのに成功した彼女は、あと少しと言うところで思わず、騙くらかしていたことを漏らしてしまいました。おかげで彼女はわにに皮をひんむかれて、浜辺に捨てられてしまいました。  それでも彼女の仲間達は助けに行こうとはしません。彼女に何か悪戯をされたことがない兎は居ませんでしたし、これがいい薬になると思っていました。  そこに昔、彼女に騙された人間の兄弟が通りかかりました。彼女はあまりにも騙しすぎて、兄弟達のことは覚えていませんでしたが、騙された当人達には忘れることはできません。 「海の水の中で一日過ごすといいぞ」  兄弟達はそう言い残して、去っていきました。  久々の人の暖かい気持ちにを感じて、涙をこぼしながら、海の中で一日を過ごしました。体が熱くなっても、痛みが酷くなっても、兄弟を信じて耐えました。ですが、次の日には痛みがひどくなって熱まで出て寝込んでしまいました。  彼女は泣きました。騙された事に気づいてさめざめと泣きました。  泣いていると一人の男が通りかかり、心配そうに彼女の様子を覗き込みました。彼の顔は昨日、通りかかって嘘を教えた兄弟に良く似ていました。 「そんなに泣いてどうしたんだい」  痛みと熱で警戒心を忘れてしまった彼女は、今までのことを正直に話しました。 「それじゃ、ああするといいな」  彼の言う方法はとても信じられない方法でした。しかも話を聞くと彼はあの兄弟達の一人だと言うではありませんか。  とても彼を信じることのできない彼女は、かたくなに首を振って彼の言う方法を試そうとしません。ですが、彼女がこのままでは死んでしまうと思った彼は、彼女を無理にでも治療しようとし腕を掴んで連れて行こうとしました。  次の瞬間、彼の腕から一筋の血が流れました。彼女が思わず彼の腕をひっかいてしまったのです。見た目はそうではなくとも彼女とて妖怪の一匹。彼女の爪ではミミズ腫れでは済みません。 「ほら、治療しにいこう」  それでも彼は、僅かに顔を痛みに歪ませながら、笑って手を差し伸ばします。  腕に怪我をした男が、怪我をした妖怪の手を引いて歩いて行きます。着いた先は蒲の原。そこで男は妖怪のために蒲で寝床を作りました。 「さぁ、そこに寝て」  彼女は彼の言うとおりに、蒲の上に寝ます。今まで痛くて寝ることもできなかったのが、しばらくすると痛みが引いていきます。 「今はお休み」  彼にそう言われて彼女は静かに寝息を立て始めました。  彼女が目を覚ますと周りは既に暗くなっていました。  それでも彼はまだそばに座って看てくれていました。 「調子はどうだい?」  彼女は少し良くなったと素直に伝えました。 「でも無理はしちゃいけないよ。まだまだ、治っていないんだから」 と、彼女をもう一度寝かしつけました。  その時、彼女が昼間につけた傷が痛むのか、彼は微かに声を漏らしました。  彼女は横になりながら彼に尋ねました。この蒲は人にも効くの、と。 「人間も妖怪でも、ここで十日も過ごせば、死に掛けだったのが空でも飛べるようになるよ」  それを聞くと、彼女は俯いて、自分の隣を指さします。  彼はしばらく黙っていた後、「いいのかい」と聞くと、彼女は黙って頷きました。  男の傷はそう深いものではなかったので一日もすると治り、彼女の傷も五日ほど経つと大分良くなってきました。あの間、彼がご飯の準備から、色々としてくれました。  その間、彼は自分の話をしました。兄弟と一緒に旅していたこと。旅の目的。兄弟にいろいろ押しつけられているうちにはぐれてしまったこと。  話を聞いているうちに彼と彼の兄弟に悪戯をしたことがあるのを思い出した彼女は、彼に泣きながら謝りました。そんな彼女の様子を見て、彼は彼女の頭の撫でながら言いました。 「私は別に恨みには思っていないし、きっと私の兄弟もあんなことをして、気が済んだろう。むしろ兄弟に代わって私が謝らなければいけないくらいだ。すまなかった、こんなひどいことをして」  彼女はもっと泣き止みませんでしたが、彼は優しく一晩中慰めてくれました。  次の日、彼女はもう平気だからと言って彼を送り出すことにしました。彼にはやらないといけないことがあったからです。  それでも彼はもう少し様子を見たほうがと言いましたが、彼女は首を縦には振らず、とうとう彼は根負けしてしまいました。  彼と出会った場所まで送ります。ここから彼は兄弟の後を追うことになります。  ここまで来るのに楽しそうに喋っていた二人の会話が止まります。 「それじゃ、行くよ。体には気をつけて、悪戯はほどほどにするんだよ」  彼女が頷くと、彼が思いついたように言います。 「そういえばこんなに一緒にいたのに、お互いに名前を知らないままだったね。私の名はオオナムヂ。君の名前は?」  彼女は口篭ってしまいました。彼女は兎は兎、兎の間で呼ぶような名前はありますが、人に言っても通じない名前です。 「言えないのかい?」  彼女は服の裾を握り締めて頷きます。 「そうかい、分かったよ。じゃ、元気でね。体を大切にするんだよ」  彼は彼女の頭を撫でた後、笑顔で兄弟の後を追う旅に戻っていきました。  彼女は泣きました、彼に名乗ることもできない自分に。彼の中で自分はただの兎として覚えられてしまうのが怖くて。それでも彼女は彼の幸せを祈りました。祈りながら泣きました。その日はずっと泣きました。  彼女は仲間の元に戻ってきました。昔のように悪戯する事もなく、日々ぼんやりと暮らす彼女に近寄る兎はいませんでした。  最初のうちは。  ある日、彼女が蒲の原で泣いていると、一匹の兎がこっそりとやってきました。彼女は涙を拭うと何もなかったように仲間の所に戻ろうとします。  すると兎は彼女を抱きしめてくれました。  彼女はまた泣き始めました、悲しい理由、悲しい気持ちを吐き出しながら。  兎は黙って聞いてくれました。  彼女は泣き止むと、急に恥ずかしくなったのか、走って逃げてしまいました。そんな彼女の後姿を兎は微笑んで見ていました。  それから一月ほど経ったある日、兎達のもとに一匹の傷ついた兎が運び込まれて来ました。  一匹でいるところを、野良妖怪に襲われてしまったらしく、みんなもう手の施しようもなくただ泣くばかりでした。  彼女が近寄って見ると、それはあの慰めに来てくれた兎でした。  彼女は泣くばかりの仲間を尻目に、傷ついた兎を背負いました。  背負われた兎が痛そうに声を上げると、みんなが非難の声を上げます。  それでも彼女は、絶対に彼女を助けるわ、と言って、仲間のもとを去りました。  彼女の目的地はもちろん蒲の原です。彼女はそこで彼にしてもらったことを思い出しながら、彼女の手当てをしました。  すると、二匹の兎が、手伝えることないかな、とやってきてくれました。  彼女は嬉しさに破顔した後に、真剣な顔に戻り、二匹に指示を出します。  一匹には寝床作りを手伝ってもらいました。  もう一匹には綺麗な水を用意してもらいました。  自分一匹では無理だったと、傷ついた兎を寝床に寝かしつけてから、そう思い始めました。  彼女は手伝いに来てくれた二匹に頭を下げてお礼を言いました。そんなことをされるどころか、そんな彼女を見るのは初めてだった二匹は一瞬戸惑いましたが、照れくさそうに、当然のことをしただけ、だよと言いました。  夜になっても、傷ついた兎は苦しそうにしていました。看ている三匹はやれることはやってしまい、後は祈ることしかできませんでした。  するとまた二匹の兎が来てくれました。夜も更けてきて、手伝いに来てくれた二匹はもう半分夢の中でした。彼女たちを近くに寝かせておいて、新しく来てくれた二匹と一緒に祈りました。  彼女は朝日で目を覚ましました。  いつの間にか寝てしまっていたようです。  傷ついた兎を寝かせておいた寝床を見ると、空になっていました。手伝いに来てくれていた四匹もいません。悪い想像が頭をよぎります。  彼女が思わず泣きそうになると、いなくなっていた四匹に引きずられるようにして、あの兎が連れてこられました。  もう大丈夫と言いながら、引きずられていました。怪我はもちろん治りきってはいませんが、とりあえずは大丈夫そうです。  彼女は怒りました。泣きながら、笑いながら。  五匹がかりで蒲の布団に寝かしつけます。  四匹に聞くと、傷ついていたはずの兎は朝日の昇る前に目を覚まして日課の朝ごはんを作りに戻っていたそうです。  実は全員寝てしまっていて、昨日の昼からずっと寝ていた傷ついた兎が最初に目を覚ましてしまったようでした。  自分も寝てしまったので、みんな怒るに怒れません。みんな、笑ってるからいいか、ということに落ち着いてしまいました。  そんなことがあって、いつの間にか彼女が兎たちの『かしら』になりました。一の子分はもちろんあの傷の癒えた兎です。  そして野良妖怪に襲われたりしないように、みんなが安心して暮らせる地を探す旅にでることになりました。  いい場所が見つかっても先住者がいたり、一面毒の鈴蘭畑だったり、向日葵畑だったり、噂を聞いて行ってみると隙間から放り出されたり、なかなかうまく行きません。  それでも彼女たちは諦めませんでした。  そうして終の住処として見つけたのが、竹林の中のお屋敷でした。昔は人が住んでいた様子はあるのですが、かなりの年月空き家になっていたようでした。でもなんとか暮らせる状態まで直せそうでした。幸い修繕の材料は周りにたくさんあります。  みんなで樵になって、竹を切り倒します。一の子分に修繕は任せて、かしらの彼女は竹を使って妖怪が近づかないように罠を仕掛けていきます。  一の子分に任せすぎて、派閥争いが起きそうになったりしましたが、一の子分にそのつもりがないので、一日で解決したり、なんだかんだあって兎達の住処の完成です。  ですが、そんな兎達の生活も長くは続きませんでした。  我が物顔で人間二人が上がりこんできたのです。彼女が一生懸命作った罠はまったく役に立ちませんでした。兎達は懸命に反撃しましたが手も足も出ません。  かしらとして、攻めて一矢報いよう、その気概で侵入者と向かい合う彼女でしたが、最初は彼女らしく、口先三寸で油断させ罠にしかけようとします。  ですが、侵入者の従者っぽい方が全てを看破してしまいます。  仕方なく弾幕を展開します。が、仲間が軽くあしらわれる相手にどこまで食い下がれるでしょうか。  彼女の弾幕が広範囲に展開されます。まずは牽制です。相手も合わせて牽制するように弾幕を展開してきます。しかし、弾幕を展開してるのは従者っぽい方だけです。どうやら主人の方は完全に従者に任せる気のようです。  彼女はとにかく派手に弾幕を撒き散らします。 「そんな疎な弾幕でどうしようというのかしら」  従者の弾幕は同じ撒き散らすでも、彼女の撒き散らすとは密度が全然違います。  彼女は紙一重で避けていきますが、だんだん放つ弾幕の量が減っていき、しまいには避けるので精一杯という状況に追い込まれてしまいました。  それでも彼女は避け続けます。たまに、弾幕を放ちますが、従者は動きもせずに、その軌道を見切ってしまいます。  そしてため息をつきながら言いました。 「あの状況から、歯向かってくるんだから、何か勝算でもあるのかと思っていたのだけれど、時間稼ぎにしか…」  そう言った瞬間、従者は後ろに控える筈の主人の方を振り返りました。  そこに見えたのは一の子分に刃物を突きつけられる主人の姿でした。 「これを狙っていたのね…」  と、従者は弾幕を展開していた腕をおろします。展開されていた弾幕が次々と泡のように消えていきます。  そんな従者を見て、彼女はにやりと笑います。  でも内心では震えていました。  正直、無策だったのは秘密です。 「弾幕勝負に刃物とは無粋ね」  状況を把握していないような、侵入者の親玉の台詞に、彼女も一の子分も呆れました。 「それでどうするの?」  もちろん兎達の要求は、侵入者二人に出て行ってもらって、そっとしておいてもらうことでした。 「あなた方が勝ったらその条件呑んであげるわ、でもこの状況をどうにかできたら、私たちの勝ちね」 「ひ、姫っ」  従者が主人を呼ぶのと、主人が動くのは同時でした。  一の子分の持つ、刃物が主人の体に突き刺さります。  思わず一の子分が刃物を放すと、主人の体が刃物と一緒にゆっくりと崩れ落ちました。  彼女も、一の子分も、ようやく起き上がって見ていた兎達も呆然としています。こんな結末は誰も想像していませんでした。ただ一人従者を除いて。  倒れこんでいた主人の体が動きます。  苦しがっているとか今際の際という動きではありません。  兎の一人は後に言いました。未来から過去に戻っているような動きだった、と。  ゆっくりと起き上がる主人。それを抱き起こす従者。 「これで私達の勝ち」  兎達はただ座り込むだけでした。  結局、一番上座に座るのは、侵入者の主人で、兎達は姫様と呼ばされることになってしまいました。その隣には従者、永琳様が座っています。  それに向かい合うように彼女、その後ろに他の兎達が座っています。兎達はみんなかすり傷ばかりで酷い怪我を負っているものはいませんでした。完敗です。  まず初めに姫様に手荒なことをしてごめんなさい、と謝られました。 「ここはもともと私が住んでいたの、それで久しぶりに戻ってきたらいきなりこんなことになってしまってね」  代表して彼女が、今までの兎側の事情を話します。最後に彼女は自分がかしらだから責任は取る、と言いました。 「その必要はないわ。むしろ貴方達の実力は分かったから、そうね、私に仕えなさい」  命令でした。でも、彼女は考えます。元侵入者達がいれば兎達は安全だと。彼女は後ろに居並ぶ兎達を見渡します。兎達は、お任せいたしやす、といった顔で語ってくれました。  彼女は、よろしくお願いします、と二人に頭を上げると、他の兎達も一斉に頭を下げました。 「ねえ、貴方達の名前は?」  その質問に兎達は首を振ります。私達は兎ですので、名乗る名前はありません、と彼女が答えます。 「貴方達って、もしかして因幡の兎?」  しばらく黙っていた永琳様が兎達に尋ねます。 「昔聞いたことがあってね、因幡の辺りに貴方達のような兎がいるって」  多分、その話は私達のことだと思います、と答えると、姫様が 「じゃ、あなた達はイナバね」 とあっさりと名前をつけます。兎達はイナバ達になってしまいました。  姫様はそれで満足したのか、屋敷の中を散歩に行ってしまいました。 「でも、みんながイナバってわけにもいかないわよね」  永琳様は苦笑して、立ち上がります。  『彼女』の前で座りなおして、永琳様は言いました。 「貴方の名前はこれからは『てゐ』よ」  てゐは思わず頭を下げてしまいました。  てゐ、てゐ、てゐ。  てゐが頭の中で、つぶやいている間にも、永琳様はイナバ一匹、一匹に名前を付けていきます。その間、ずっとてゐは頭を下げていました。  その夜、折角イナバ達が苦労して仕込んでおいた秘蔵酒を、姫様と永琳様が見つけて、飲みつくしてしまいました。そんな二人を寝かしつけて、てゐは縁側で満月を眺めていました。  てゐは旅に出る前の頃を思い出しています。 「私の名前はてゐです」  昔言えなかった言葉が思わず声に出てしまいます。  多分、あの彼はもうこの世にはいません。でも、ようやく言えました。 「私の名前はてゐです、ありがとうございました」  てゐは長年の重荷が下りたように感じました。  旅が終わったのは、この地にたどり着いた時でもなく、屋敷の修繕が終わったときでもなく、二人に名前をもらった時、本当に旅は終わったんだ、と、てゐは思いました。 「てゐ様、一献どうですか」  一の子分、改めて『ゐち』になった兎が、酒を片手にてゐの隣にやってきました。 「いいわね、でもどうしたの、そのお酒。確か全部飲まれちゃったんじゃなかったの」 「永琳様に最初に本数は数えられていたので、途中から水を混ぜて本数を水増ししといたんですよ」 「ははっ、さすが私の一の子分ね」 「何年一緒にいたと思ってるんですか」  乾杯。  満月を酒の肴に二人は杯を干しました。  なんとなくてゐが黙っていると、ゐちが口を開きました。 「私は今晩、ここを出て行きます」 「えっ」  思わずてゐは杯を庭に落としてしまいました。  ゐちはそれを拾いながら、言いました。 「私は、いくら不死で当時は敵だったとは言え、姫様を傷つけてしまいました」 「そんなことあの状況では仕方ないじゃない」 「そうかもしれません、でも、やっぱりこうゆうことはしっかりした方がいいと思うんです」 「でも、でも…、ここを探すことにしたのだって、貴方が怪我をしない場所を探すために…」 「すいません」 「謝らないでよ」  てゐの杯に酒を注ぎなおしながら、ゐちが言いました。 「実はですね、てゐ様の一の子分をずっとやってるうちに、私もかしらがやりたくなってきたんですよ」 「そんな理由言われると、だめって言えないじゃない」  てゐは杯に満たされた酒精を自分のなかに収めます。 「一の子分ですから、どういえばてゐ様を黙らせられるか分かってますよ」  てゐは楽しそうに笑って、ゐちに杯を出させます。 「今夜は一緒にいるのよ」 「はい」  てゐが酒を注ぐのをゐちは笑顔で見つめていました。 「姫様、永琳様ー」 「どうしたの、てゐ」 「外に見知らぬ兎が行き倒れてました」  今日も兎達は、仲間の為に働きます。  今日も兎達は、名づけ親の為に働きます。