※動物の世話、ということでわずかに下の世話の描写があります。  が、スカトロ好きな方には失笑されてしまう程度のもので、直接的な描写は全くありません。  それでも「おりんりんはトイレに何か行かないよ」な方は読まない方がお互いのため。  その頃の地霊殿に棲んでいたのは私と妹以外では、くたびれてヒトガタも取れなくなってしまったか、そもそもヒトガタを取れるほどの妖力を持たない半端なペットばかりでした。半端と言うと言葉は悪いのですが、私の手を煩わせるでもなく、かといって釜の調整を任せるような知能があるでもなく、本来の意味でのペットである、という意味です。  おかげで同じ種でもない限り、新しいペットの世話をするのは私しかいませんでした。  その頃すでに妹こいしの放浪癖は、妹を私の目の届かないところへ追い遣っていました。食材などはペット達がどこからともなく調達してくれたので、飢えさせることも飢えることもなかったのですけれど。  今でもそうですが、私は困っている動物達を見捨てることができない性質です。ですから、黒い仔猫が捨てられていたのを私が見捨てられるわけもありませんでした。  後に「燐」と呼ぶことになる火焔猫です。  彼女に名前を授けたのは、燐がヒトガタを取ることができるようになった時のことですが、面倒ですので燐と呼ばせてもらいましょう。  それは、私が地霊殿から三日ぶりに出かけようとした時でした。  もし私が出かける必要がないほどペット達が有能であったら、燐と出会う機会はなかったのかもしれません。その点を燐は他のペット達に感謝すべきでしょう。  燐を見つけたのは、地獄街道側道の道祖神の傍らでした。  燐から初めて読んだ心は、幼かったのと弱っていたのとの相乗効果で薄ぼんやりとしたものでしたが、助けを求めていたのは確かでした。  燐は後に火車となるほどですから、仔猫であった当事から幽かといえども妖力を感じさせていました。  ですが、生命力という意味では、もはや風前の灯であったのでしょう。私をわずかに見ると助けを求めるように鳴こうとしたのですが、その泣き声は私に届くことなくそのまま動かなくなってしまったのです。  私は燐を抱えて、地霊殿に必死で駆け戻りました。この時以来、あんなに全力で走った記憶がありません。私が長距離を走った最後の機会だった気がします。今では何かあれば燐が私の代わりに走ってくれますし。  地霊殿にペットは掃いて捨てるほどいましたが、何の因果か猫の類はいませんでした。  ですが、そこはヒトガタを取れなくても、動物としては長命な者達のこと、助言には事欠かなかったのが救いでした。  水分を長い間摂っていなかったようでしたので、まずは水を与えようとしたのです。  ですが人用の容器で水を与えるわけにもいきませんし、皿に水を満たして置きましたが、燐は自分で水を飲む元気もありませんでした。燐の体は一刻を争う状態でした。  地上のように動物専門の医師でもいれば良かったのですが、地獄にはそのような気の効いた職種の方はいらっしゃいません。  私が助けるか、自然に任せるかの二択でした。そして後者を選べるわけもありませんでした。  私は水で満たされた皿を手にとって、水を口に含みました。そして燐に口を合わせて、少しずつ燐の負担にならない程度に燐の口を湿らせていきました。  燐が初めてちゃんとした鳴き声を上げた時には、安心で肩の力が抜けました。  そんな私の――私は床に座り込んで燐の世話をしていたのですが――私の膝頭を一舐めすると、燐は自分から皿の水を舐め始めました。  私はそんな燐の様子を、燐の背中を撫でながら傍で眺めていました。  燐は生まれてすぐに親元を離れたようです。  それが捨てられたからなのか、親、もしくは飼い主に不慮の災禍があったのかを知る術はすでにありません。  後に燐の心を誘導して心を読ませてもらったときにも、その事情を知ることはできませんでした。だから燐にそのことを語ることもなく、燐から直接聞かれるまでは黙っていようと思います。  とは言え、話せることは道祖神の傍で拾った、だけなのですが。  親が妖怪であったのか、猫であったのかも知る由もありません。  燐が生まれながらにして妖力を持っていたのですから、少なくとも片親はそれなりの長寿な猫か妖怪であったのでしょう。もしくは燐があそこにいたのも、それらの理由が関係していたのかもしれません。  ともかく妖力を持っているということは、ある程度の力があるということです。  その力のお陰でもあったのでしょう、一旦回復し始めると早いものでした。猫ではありませんが、他のペットが手配してくれた様々な動物に乳母をしてもらうことで燐は元気になってきました。  今の燐もかわいいのですが――本人には言いませんよ――あの頃の燐もかわいかったですね。  よろよろと立ち上がろうとしてこてんと転ぶところとか、しかもその後鳴いて私を呼ぶんですよ。心が読めると、このような時はありがたいですよね。  でも他のペット達にあまり手伝うと本人の成長を妨げると言われましたので、私にできたことは燐の傍で励ますことくらいでした。  それでも燐が初めて第一歩を踏み出した時は思わず抱え上げてしまいました。燐にしてあげた初めての高い高いでしたね。  火車になって空を飛べるようになっても、私より体が大きくなったというのに、高い高いしてくださいと未だに言ってくるのには閉口してしまうのですが。  次の問題はトイレでした。  いや燐は良い子でしたので躾をするのは楽だったのです。  もっとそれ以前の問題です。  やはり猫には猫のお乳を上げるべきだったのでしょう、犬やら山羊やら白澤やらのお乳を上げていたせいか、しばらくすると燐の様子がおかしくなってきたのです。  だんだんと食が細り、苦しい苦しいと私に訴えかけてくるのです。  私には何が苦しいのか分かりませんでした。ですから私にできるのは精々、毎日体をマッサージしてあげるくらいでした。  そしてその状態が数日続くと、拾ってきた時ほどではありませんでしたが、ぐったりとし始めたのです。  色々な病気を疑うのですが、病気では私に手を出せる余地はありませんし、ほかのペットに尋ねてみますが、皆、猫の病気など知るはずもありません。  私はただ部屋をぐるぐると、回ることくらいでした。  私が部屋からいなくなると切なそうな泣き声で私のことを呼ぶので、私は燐から離れることができませんでしたが、ただ苦しい、苦しいと訴えてくる燐と一緒にいるのは辛い体験でした。  私はそんな燐から目を逸らすように、窓から外の光景を眺めていました。視線の先には庭、庭と言っても当時は手入れをする余裕も無く私の腰くらいまで草が生い茂っていたのですが、そこで草を食んでいるペットを見ていました。  そのペットは馬で、無心に草を食べていました。私の心に飛んでくる想いも、  草 草 草 草 草 草 草 草 と言った感じでした。  その短調な思考が逆に燐のことで磨り減った私の神経を和らげる効果があった気がします。けれども燐が苦しそうに鳴き声を上げると私の燐の体をマッサージしてあげました。マッサージをするとしばらくは楽そうにするのですが、またしばらくすると苦しいと訴えかけてくるのです。  私は途方に暮れて、庭の馬の食事を見るという作業に戻りました。  草 草 草 草 草 草 草  ねえ、燐の苦しみを少しで良いから貰ってくれないかしら。私はそんな不毛な考えを頭に浮かべますが、相手はさとりでもなんでもないので、ただ草を食み続けるだけでした。  そしてそのペットの短調な思考に変化がありました。  草 出す 草 出す 出す 出す 出す  ペットのお尻から、ぼたりぼたりと草むらに塊が落ちていきます。そしてそれで私はようやく気付くことができました。燐が最後にトイレをしたのはいつのことだったか、そのことに。  指折り数えますが、はっきりとした日数は分かりませんでした。けれど、少なくとも三日は出していないのは確かでした。  それから私はペット、犬、に聞いて回りました。犬は猫と同じくらい飼われることの多い動物、そしてあるペットが猫の子育てを少し見たことがあったようでした。私はそのペットに教わったことを燐に施したのでした。  まずは濡れた布巾で燐の肛門を綺麗にしました。後で知ったことですが、それだけでも十分でもっとしてあげれば出たようなのですが、私はあくまでもペットに聞いた通りのことを実践したのです。  私はゆっくりと燐のお尻に顔を近づけていきました。  私は唾液で湿らせた舌で燐の肛門を舐めました。それがペットに教わった方法です。  燐が僅かに鳴くのが聞こえましたが、燐に出してもらうことが先決でした。  舌が何度燐の肛門を行き来したでしょうか。  燐を押さえていた手を伝わって、燐のお腹が動くのが分かりました。私は燐から素早く身を翻しました。 「すっきり」  燐の心の声は、それまで聞こえてきた心の中で、一番はっきりした声でした。  地獄街道でパルスィさんと出合ったのは全くの偶然でした。  この方も珍しい方で「さとり妖怪なのに人に気を使えるなんて妬ましい」と思いながらも、至って普通に私と話してくださる変わった方です。  そして彼女と話していて、猫のお通じ対策が聞けたのは僥倖でした。 「バター、そういうのもあるのですね」私ははたと膝を打ちました。  パルスィさんが言うには、バターをあげることで猫のお通じが良くなるそうなのです。  パルスィさんは和食派なのでバターの持ち合わせはなかったそうなのですが、知り合いが持っているそうなので案内していただくことになりました。  燐を拾った直後でしたので、ある程度の刺激がある生活ではありましたが、我が目を疑うまでの出来事は久々でした。  そのパルスィさんの知り合いの家に向かいますと、パルスィさんは「お邪魔します」ではなく「ただいま」と入っていくではありませんか。私は表札を確認しますが、そこには水橋ではなく別の苗字が書かれています。 「パルスィおかえり、今ちょうどご飯できたところだから」  そう言ってパルスィさんを迎えた彼女の手には湯気を立てているフライパン、香る焦げたバターの芳香、焦げた魚の香り。彼女が作っていたのはムニエルでした。  バターを頂きに伺ったのですから、当人がバターを使った料理をしていることに不審な点はありません。  鬼の四天王とも呼ばれる方が、エプロンを付けて、でなければですが。 「勇儀、お客さんだから今日は三人分お願いね」 「あ、う、うん……」  四天王の一角は、こそこそとキッチンに戻っていきました。  いつの間にか私も一緒に食事をすることになっていました。  そして勇儀さんの準備していた魚は二枚しかなかったようです。  確かに私は小食ですので、三枚に下ろしたものの更に半分でも構いませんでした。  ですが、私の分の片割れ、半分にしたのが勇儀さん、そして一枚そのままで供されたのはパルスィさんの膳の方に並んでいます。  何か私の中のイメージがいろいろと崩れていきます。  勇儀さんとは何度か宴会で会ったことがあるはずなのですが、☆が並んだエプロンを付けてパルスィさんにご飯を装っているとは思いませんでした。  パルスィさんはパルスィさんで、それを当然のこととして受け止めていますし。  まさか私を驚かせようとしているのではないかと思い、心を読んでも私を謀っているわけではありませんでした。二人ともそれを当然の日常の一コマとしていたのです。  地霊殿での食事はこいしがいないことが多いので、面倒ですので材料を全部鍋に入れて煮込んだスープ程度で済ませることが多いのです。ですが、そんな適当な食事ばかりしているということを割り引いても、勇儀さんの作った料理はとても美味しいものでした。  パルスィさんの頬についたご飯粒を取って口に運ぶ勇儀さんを横目に、私は味噌汁を啜ります。 「パルスィの頬の味がするなあ」  これは勇儀さんの心の声ではありません、物理的な空気の振動で私に伝えられた勇儀さんの声です。 「馬鹿言わないの」パルスィさんは勇儀さんをいなしますが、心の中ではもっと頬にご飯粒を付けようかなとかそんな思いを巡らせています。  この空間での長時間の呼吸は危険そうですので、多少無作法ですが、お二人の食事が終わる前に、本題を切り出したのでした。  勇儀さんは今度は鬼らしい態度で快諾してくれました。  台所から持ち出してきたのは一包みのバターと、そして勇儀さんが焼いたという洋菓子でした。 「私の分はあるの?」「はいはい、パルスィの分もあるから」  そんな二人にお礼を言い、私は星熊邸を後にしました。  まあ、お似合いなのではないでしょうか。  私に手を振る勇儀さんに、パルスィさんが抱きついて自分の方を向かせてました。  パルスィ 勇儀 パルスィ 勇儀  お互いを呼ぶ心の声を背中に受けながら、地霊殿への帰途を辿りました。お邪魔虫はさっさと退散するに限ります。  皿に置く、水を飲ませようとした時と言い、それで上手くいった試しがありません。  この時も皿の上に置いたバターの香りを嗅ぐだけで、燐はバターに口を付けようとはしません。  私だって皿にバターだけ無造作に置かれていたら、食べる気にはありません。蒸かした馬鈴薯に添えてあるのでしたら別ですが。ああ、でもやっぱり醤油、なければ塩でも良いのですが、それが一緒にあると良いですね。  馬鈴薯の土の香りと動物性のバターの香り、そして大豆の醤油の香り、それが渾然一体となって……。  話が逸れましたね。 「ほら、食べなさい。でないとまた苦しい思いをしますよ」  燐に勧めますが、燐は「イヤイヤ」と思うだけで、バターに口をつける素振りを見せません。  何度それを繰り返したことでしょう、私は諦めて椅子に座りました。私は燐の傍にバターを置いた皿を放って、勇儀さんにもらった焼き菓子の袋を開けました。  確かマドレーヌとか言われてるお菓子だった気がします。当事の私は緑茶を嗜む習慣しかなかったのですが、それ以降紅茶も嗜むようになったのです。紅茶の淹れ方も勇儀さん直伝ですよ。  その日は緑茶でマドレーヌを頂きました。あれはあれでおいしい組み合わせです。  私がマドレーヌを平らげて、緑茶の余韻を楽しんでいると、いつの間にか傍に燐が寄ってきていました。  指を伸ばして、燐の顎を撫で摩りました。  燐は私の愛撫を受け入れてくれていましたが、何かの香りを嗅いでいました。そして燐はその香りの元を舐め始めました。  それは私の指、すぐ前までマドレーヌを食べるのに使っていた手でした。  燐が私の指を舐めているのを見ていて、バターを燐に食べさせられるかもと思いついた方法がありました。  私は燐を抱きかかえて、燐に指を舐めさせました。 「……さまのゆびおいしい」心の声が聞こえてきました。そしてその声に自分の名前を教えていなかったことに気付かされて、翌日から私の名前を教え始めたのです。  それはともかくバターの話ですね。  私は床に座り込んで、燐を抱え込みます。傍には燐が口を付けなかったバターがそのまま置いてあります。  膝の上では燐が私の指を舐め続けていました。  私は左手で燐を押さえつけて、右手を燐の口から引き離していました。もし左手で捕まえていなかったら、燐は私の膝の上から飛び降りて、私の右手を追いかけていったでしょうね。  私が右手の指にバターを押し付け、バターを塗りつけました。 「ゆびおいしそう、ゆびおいしそう」 「はい、たくさん食べるんですよ」  燐にお乳をあげることはできませんでしたが、私にとってはこの行為がそれでした。授乳行為というやつです。燐はおいしそうに私の指に付いたバターを舐め取っていきます。 「おいしい、おいしい」燐の心の声が飛び込んできますので、私はもう一度指にバターを付けて、燐の口に運びました。  仔猫ながら燐の舌が私の指先をなぞるたびに、私はその感触を我慢しなければなりませんでした。  私はそもそも敏感な方で、こいしが後ろに忍び寄ってきて、いきなりくすぐってくるのには今でも慣れないのです。  指先はくすぐったくはないのですが、敏感な部位であることは確かでした。  そこまで指先を舐められるような経験はありませんでしたので、私も燐に舐めさせるのに夢中になってしまったのでした。  ええ、燐に関しては、それ以降はほとんど手は掛かりませんでしたね。すぐに狩りをするようになりましたし、よく懐いてくれました。今日も出かける前に、猫の姿ではなく人の姿でですが、私の頬を舐めてくれましたし。 「好き好き、さとり様、大好き」そう言ってくれるのは嬉しいのですが、私は飼い主としては失格だと思うのですよね。仔猫の頃以降は燐以外のペットも更に増えて、余り燐の世話をできていませんし。  たまに一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり、一緒にご飯を食べたり、一緒に散歩をする程度ですよ。その度に「さとり様、大好き」と思われるのですが、私がその思いに相応しい飼い主とは思えないのです。  どうかしましたか、溜息などをついて? 「これだからさとり妖怪は疎くて困る」? さてどういうことでしょうか? ********************************  あたいのさとり様との思い出は熱烈なベーゼで始まったんだよ!  息も絶え絶えなあたいに口移しで命の水を飲ませてくれたんだ。  後で聞いたらさとり様は、キスを他の人としたことがないって言うの。だからさとり様のファーストキスの相手はあたいさ。  さとり様のキスは情熱的でねえ、長くて長くて、あたいは窒息するかと思ったんだよ。  でもさとり様とキスをするたびに、あたいの体に力が湧いて来たんだ。  だから私がさとり様を求めると、さとり様は更にキスをしてくれたんだ。さとり様も恥ずかしくなったのか、途中で皿に水を継ぎ足してそっちを飲めって言うんだよ、ひどいと思わない?  まあ、それでもさとり様が優しい視線ですすめてくれたから、私は仕方なく皿から舐めたのさ。  その後、さとり様は私を毛布に来るんで、あたいの寝顔を視姦して下さったのさ。  あたいに今の元気があったら、さとり様の胸に飛び込むところだけど、当事のあたいはそこまで元気じゃなかったからねぇ。さとり様の夜通しの視姦で我慢したよ。  それにしてもさとり様の唇の柔らかさは今でも忘れられないね。  さとり様に羞恥プレイをさせられたことは何度もあるけど、一番はあの時だね。  さとり様に全部見られながらアナル舐めだなんて、恥ずかしくて失禁を我慢するのに精一杯だったよ。  今でも思い出すだけで濡れちゃうってもんで。  さとり様に太ももを押さえつけられて、私の恥ずかしいところは全部さとり様に見られてるんだ。それだけでもいっちゃいそうなのに、さとり様のアナル舐めだなんて。  さとり様も前よりアナルが先だなんてマニアックだよね。  しかも……、その後一部始終見られちゃったんだよ。恍惚としちゃって身動きとれなかったね。  それが何日も続いちゃうと、それがないと物足りないと思っちゃうんだ。うん、ちょっとお手洗いに行きたいけど、まださとり様とのプレイ、話し足りないし、我慢するよ。  数日後にはバター犬ならぬ、バター猫プレイだよ。さすがさとり様、憧れるわよね。  さとり様、自分の体にバターを塗りつけて、あたいに舐めるよう迫ってくるだなんて、我慢できるわけないって。  しかもあたいが舐めるたびに、さとり様、少し上気した顔で、さあ、舐めて、舐めて、と言わんばかりに、バターを自分の体に塗りつけるんだよ。  さっきも言っただけど、あたいがもっと元気だったらさとり様の胸に飛び込んでいたね。  そしてさとり様の体から舐めとったバターを、さとり様の顔にもう一度塗りつけて舐めたかったよ。  あぁ、顔をバターで汚されたさとり様、そして全身に塗り広げられたバターをあたいが舐め取るんだ。  まだ幼かったあたいは夢中でさとり様の肌の味を求めたのさね。  幼かったから、深い意味は分からなかったけど、それでもあたいはさとり様を舐め続けたんだ。そしてバターがなくなる度にさとり様はバターを新たに足してあたいを誘ってきた。  さとり様もあたいが舐めるたびに声を上げそうになるのを我慢していて、あたいはそれを見て舌が止まらなくて……。  うん、ごめん、あたい我慢できないからトイレいってくるね。  えっとこの話の続きはまた今度ね。さとり様の素晴らしさは何度喋っても話し足りないんだ。 「ええ、是非。幻想郷縁起のためには必要なお話だと思いますので」 ********************************  おや、阿求さん、燐はどこへ行きましたか?  そうですか、トイレですか、って何ですか、阿求さん、その妄想は。  どうして私が燐に組み伏せられて全身を舐められているんですか、今すぐ止めてくださいっ、忘れてください。  って忘れられない? ちょ、ちょっと待ってください。  貴方は次の世代に一部の記憶を引き継ぐんですよね。つまり貴方の頭の中で膨張している妄想も?  そうですか、分かりました。  え、笑顔が怖い? 何を言ってるのですか。私は妖怪、人間を怖がらせるのが本分です。  人間便利なもので、ある程度のショックで他の記憶を追いやることができるのです。  さあ、阿求さん、全てがどうでも良くなるようなトラウマを……。全ての記憶が上書きされるようなトラウマを貴方に差し上げましょう。次の代の稗田の子が生まれてきたことを後悔するようなトラウマをですね……  って空、こいし離しなさい……、離しなさいっ……!  後生だから、後生だから……!  阿求さん、忘れるのです、でないと! でないと……!  憶えていたのはこいしと空に引き摺られるように地霊殿に連れ帰られて、薬を飲まさるまでで、気付いたときには自分のベッドでした。時計の針はまだ一日の四半も過ぎていない時間を指していました。  着替えさせてもくれなかったようで、服は皺がついてしまっています。  隣で寝息を立てているのは燐、今日はこいしも空もいないようですね。  昨日の事を思い出すと自動的に阿求さんの考えていた事も思い出してしまいます。  燐に組み伏せられて、身動きの取れない私の体を燐の舌が這い回っていく。私は口では抗いつつも、体は……。 「どこの三文小説ですか」私の荒げた声に燐が一瞬反応しましたが、目を覚ます様子はありません。  溜息をつきつつ、三つ編みを下ろした燐の頭を撫でると、「さとり様ぁ」そんな甘えた寝言が聞こえてきます。  私の能力では、無意識の産物である夢までは読むことはできません。だから燐がどんな夢を見ているか、私のチカラでは分かりません。むしろこいしの領分です。  それでも、燐の夢の中で、燐の傍にいるのは私なのだろうと確信してしまうのは自惚れでしょうか。  私は布団を被り直すと、燐の胸に顔を埋めます。  飼い主の私より育っているのは多少癪ですが、この枕があるとぐっすり眠れるのです。こいしも癪なことですが、私より豊満ですが、私の妹というだけあって、そこまでではありません。  空は燐より大きいので窒息してしまうかと思うくらい息苦しいのです。  そんな理由で私の枕はいつも燐の胸と決めているのです。  こいしが朝ごはん作ってくれてるといいのですが、そう思いながら二度目の眠りに就きます。 「さとり様、大好きですー」  燐の寝言と共に。  二度目に目覚めたのは、もはや昼でした。  地底では時間は分かりにくいのですが、時計を見るまでもなく体内時計でいつもの起きる時間より四時間は遅れたことは体感できました。  是非曲直庁との会合でもない限り、時間を気にする必要がない生活とは言え、最低限の習慣は守るようにしていたのですが。  私の枕、燐は既に布団から抜け出していて、少し寂寥感がないでもないのです。  起き上がって四肢を延ばすと、関節の目覚める音が響いてきます。完全に皺になった服を脱ぎ捨てて、下着は換えずに、服だけを着替えているとキッチンから物音が聞こえてきます。  キッチンでは、燐がエプロンを付けて料理をしていました。黒猫のあしらわれた緋色のエプロンは燐のお気に入りです。去年私がプレゼントしたものですが、よほど気に入っているのでしょう、それから私の食事の準備を何かしらしてくれるようになりました。 「さとり様おはようございますっ」 「おはよう、燐」  燐の心と言葉と両方から挨拶が飛んできます。  まるで私が起きてくることをさとっていたかのように、出来立てのパンと目玉焼き、スープ、サラダとが並んでます。  私は燐に礼を言うと、その燐の手料理に――こいしの料理を温めただけでも――手をつけました。  燐はもう既に食事を終えていたのでしょう、私の向かいに座って、私の食事風景を見つめています。  だが燐の心を占めていたのは、私の食べている姿より、「さとり様、憶えていてくれてるのかな?」それ一色でした。  私はカレンダーに目をやります。  あぁ、ごめんね、燐、やっぱり私は駄目な飼い主。思い出したの今だったわ。  私が何も言わずに料理を平らげて紅茶を飲んでいると、燐も不安になってきたのでしょう。 「さとり様、忘れてるのかな。もし忘れられてたらどうしょう、自分から言うのは変かなぁ」  私に心を読まれていることが分かっていて燐はそんなことを考えています。それだけ想っていてくれたら、忘れたままでいられるわけがないでしょうに。  カップの紅茶を飲み干して溜息をつくと、口の中に紅茶の残り香が広がります。 「ねえ、燐」  その心地よい香りと共に、愛すべきペットの名前を呼びました。 「はいっ、さとり様」  燐は立ち上がって直立不動で私の言葉を待っています。そんな愛しい燐を私は誘いました。 「ほら、今日は燐がうちに地霊殿に来た記念日でしょう。誕生日おめでとう、燐」 「はい、さとり様」  燐は猫型に変化したと思うと、テーブルを飛び越えて、私の膝の上に飛び乗ってきました。しかもその瞬間に再びヒトガタに戻って。  さとり様、大好き。  そんなまっすぐな気持ちが私の心に飛び込んできます。  顔を擦り付けてくる燐を撫でながら、燐を拾った日の事を思い出します。あの日が私達にとっての燐の誕生日なのです。  燐の誕生日にはいつも二人で散歩することにしてます。  手を繋いで歩くのですが、私は燐が振り返らない限り燐の横顔と背中を見ながら歩きます。仔猫の頃から燐は私の一歩先を歩くのが常でした。それなのに少し私の歩みが遅れるときちんと待ってくれるのです。今日も私が歩みを少し遅らせると燐もそれに合わせて歩幅を小さくしてくれるのです。  さとり様の手、やっぱり柔らかいなあ。ずっと握っていたいなあ  燐のそんな気持ちは気恥ずかしいのですが、外で手を繋ぐのは毎年この日だけです。  コースも決まっていて、あの道祖神の前まで。あの日、燐が弱々しくうずくまっていたあの道祖神です。その道祖神にお参りして毎年の散歩の往路は終わりです。  道祖神にお参りする時にも、燐の心には、ここで拾われた、とかそういった考えは浮かんでこないようで、やはり自分がここで拾われたことはまだ知らないようです。  けれど自分に縁があるということは察しているのかもしれません。普段お地蔵さんなどにお祈りしない燐でも、ここでだけは手を合わせるのです。閻魔様には怒られそうですが、妖怪なのでそのようなものでしょう。  道祖神の前でしゃがみ込んでお祈りしている燐を見ながら、私も手を合わせる事にしました。  燐がこれからも元気で過ごしてくれますように。 「さとり様、昔みたいにだっこしてくださいよ♪」  帰り道に燐はまた無茶を言い出しました。心を読んでも本気でだっこして欲しいと思っているので、手に負えません。わずかに見上げる形になる燐に言い聞かせます。 「燐、何度も言っているでしょう。だっこは無理です。むしろ燐の方が大きいのだから、燐がだっこしてくれるか背負ってくれるべきでしょう。日頃の感謝を込めてですよ」 「え、良いんですか?」 「へ?」  私が心を読む前に私の足が地獄の土から離れてしまいます。  私と燐の顔が急激に近づいて、見上げる形で薄暗い地獄の空を眺めるはめになってしまいました。 「さとり様をだっこ♪」  私の体は燐の腕の中。燐が歌うように私の名前を呼んできます。  冗談で言ったのですが、燐はそうは受け取ってくれなかったようです。  私は暴れて燐の腕から下りようとしますが、燐がそれを許しません。  さとり様 小さくて 軽くて 柔らかくて いい香りがする 「燐や空が育ち過ぎなんですよ」 「さとり様のおかげですって。さとり様に育てていただいたのですから。ほら日頃の感謝ですよ」  そういえば昼間にこんな近距離で燐の顔を見るのは久しぶりかもしれません。 「落とさないように」そう言って、燐の首に腕を回します。こうしていれば立派に成長した燐の顔が良く見えます。  さとり様を落とすわけないじゃないですか  燐の心は言葉より雄弁に語りかけてきます。  大好きなさとり様なんですから  その一言に私は燐の顔が見れなくなってしまいました。  いくら飼い主とは言え、その真っ直ぐな好意には我慢できませんでした。  そう、その時点では私は「飼い主とペット」、私達の間の関係をそう定義していたのです。  地霊殿に近づくたびに、燐の心の叫びが大きくなってきます。  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  初めは控えめだった燐の心が、燐の歩みと共に少しずつ大きく、溢れ出してきたのです。  まだ地上にいた頃に聞いた音を思い出します。幼かったこいしを背負って燦燦とした陽光の下で聞いたのは、蝉の声。  地獄に来てからは蝉などいません。地獄に蝉がいたらさぞかし騒がしいでしょう。あれは突き抜けるような空の下で聞いたのだから耐えられたのだと思います。  燐の心の声は、まだ蝉の声の方が静かなのでは思うほどです。それはただ燐との距離が近いから、というだけではない気がします。燐の心の強さ、なのでしょう。  第三の眼を閉じない私には、その奔流を止める術はありません。  不快なものであるはずもなく、私の脈拍が速くなる程度の副作用があるだけなのですから。  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  さとり様大好き さとり様大好き さとり様大好き  最初の頃は燐もその感情を抑えようとしていました。ですがまるで堰に押し止められていた想いが、堰を押し流してしまうように燐と私はその感情に飲み込んでいったのです。  燐の首に回している腕の力を強くすると、燐の鼓動まで聞こえてきます。  さとり様柔らかい いい香り 大好き どうしよう  きっと心読まれてるよね でも我慢できないよ  昔抱きかかえてくれたのに最近は抱きかかえてくれなくて寂しい  でもこうしてさとり様を抱けてるから嬉しいな  こんなに柔らかいし 細いし でも柔らかいし  こうしてぎゅっとするとさとり様も抱きしめてくれるけどさとり様はあたいのことどう思ってるのかな  わがままばっかり言ってるから嫌いになったりしてないかな  でもさとり様優しいし  もしかして嫌いって言われたら、怖くて聞けない  ねえ、さとり様、あたいずっとさとり様のこと好きなんですよ  さとり様はお母さんみたいで  あたい本当のお母さんはしらないけれど、さとり様はお母さんだと思ってるんですよ  お母さんって優しいものなんですよね。みんなに聞きました  お空も良くはしてくれるけど、さとり様とは違うんです  なんていうか、こうしてさとり様を抱き締めているだけで安心しちゃうんです  抱き締めるのも良いんですけど、抱き締められるのも好きなんです  でもさとり様はあたいのお姉ちゃんでもあるんですよ  小さい頃にあたいが遊ぶ時に、さとり様が見えないところで遊ぶのは嫌いだったんです  あたいがさとり様のお気に入りのお皿を割ってしまった時も、すごく怒った後に優しく慰めてくれましたよね  あたいは猫だから気まぐれで、まだヒトガタを取ることもできなかったころ、さとり様の手を煩わせてばっかりだったけど、さとり様はそれでも私と一緒に遊んでくれた  後で思えばこいしさまが放浪するようになって淋しかったのかもしれないけど、それでも嬉しかったの  でも昨日の宴会で、あたい、阿求さんにいつも思ってること喋っちゃって、それをさとり様に読まれちゃったんですよね  ずっと、さとり様に読まれないように我慢してたのに……  でもいいんです、これでさとり様大好きだって隠す必要がなくなったんですから  今までもさとり様大好きって言ってきたけど、さとり様の思ってる大好きと、あたいの思ってる大好き違うんですよね、多分  あたいが大好きって言うと、さとり様はあんなに優しく頭を撫でてくれるのに  あたい今まで逃げちゃってましたよね  あれはあたいが泣きそうになるのを隠すためなんですよ  だって、撫でてくれる手が優しすぎて大切にされてるんだなあ、って思うと一緒に、こいし様とかお空とかと同じ撫で方なんだもの  あたいはペットですけど、あたいはさとり様のペット以上のものになりたいんです  ようやく昨晩の阿求さんの溜息の意味が分かりました。初めて実感できました、自分の鈍さというものに。ここまで燐に想われてしまえば、その気持ちがどういった物であるのか私に伝わってきます。  私は燐の胸に顔を埋めたままで、燐の表情を見ることもできません。ですが燐の鼓動が燐の想いとともにどんどん早くなっているのは、直接頬に伝わってくるのです。燐もきっと私と似たような表情をしているのでしょう。なんといっても私のペットなんですから。  思い返せば、今まで何度燐に「大好き」と思われたことでしょう。何千回では足りず、何万回、何十万回でしょうか。その気持ち全てが私に積み重なって襲い掛かってきます。  燐の思考が途切れても、合間合間で聞こえてくるのは、私への好意。  これが人や年を経た妖怪でもあれば、屈曲した思考で私の胸へはここまでは飛び込んでこないでしょう。燐の心は私の胸を抉るように飛び込んできます。  ペットだからなのか、それともヒトガタを取れるようになって時間を経ていないからなのか、もしかしたらそれほど私を好きだとでも言うのでしょうか。  燐が私に拒否されるのではと不安に駆られるたびに、私の瞳も涙が滲みそうになります。燐が私を抱き締めるたびに、私の心拍数も上がります。  それにしても、どうして私が自分の体の柔らかさでこんな思いをしなければならないのでしょう。燐が私の体が柔らかいと想うたびに、くすぐったい想いに駆られてしまいます。  私の体臭が良い匂いだなんて、私は全くそんなことは露にも思わないのですが。むしろこうしていると燐の方が良い香りだと思うのですが。  私の鼻腔は燐の香りで一杯です。毎日体を洗わせているので、ちゃんと女の子の香りがします。獣の臭いなどではなく。  その香りで燐が仔猫の頃のことを思い出してしまいます。  燐の体を洗おうとしてお風呂に連れて行って、そして燐に手を引っかかれたんでした。私も驚きましたが、燐の怯えた顔が今でも忘れられません。  そのままお風呂から逃げ出して、その日は夕方まで姿を見せませんでしたね。  でもその後ちゃんと心で「ごめんなさい」って謝ってきたので許しましたが。それでも折を見て、お風呂に連れていったので、今となっては大の風呂好きになりましたね。  だからこんなに良い香りなんでしょうか。  どうして、さとり様、あたいの臭い嗅いでるのかな。もしかしてあたい臭い?  ど、どうしよう。朝ちゃんとお風呂入ったのに。さとり様と一緒にいるんだから精一杯体磨いたのに  さとり様綺麗好きだから、嫌われちゃうかも  今からお風呂に行くわけにいかないし、どうしよう……  そんなあせる燐が可愛くて、でもこれ以上心配させるのは可愛そうですよね。  私は燐の柔らかい胸に更に顔を埋めました。  これで私が嫌がっていないことは分かってくれるでしょう、燐。  分かってくれないのなら、もっと顔を埋めるしかないですね。もしくは深呼吸しましょうか。  さとり様がこんなにあたいの胸に……、さとり様可愛いかも  って、そんなこと思ってるってばれたら怒られちゃう、って遅いか  あたいの匂い嫌じゃないのかな、良かったー  さとり様可愛いなあ、どうしてこんなに可愛いんだろ、厳しいさとり様も大好きだけど、こうやって甘えてくれるのは嬉しいなあ  さとり様大好き  燐の方が可愛いですよ。私は心の中で呟きます。  燐もさとりだったら良かったのに、そう想わずにはいられませんでした。  それならこの口に出し損ねているこの気持ちも伝わるでしょうに。  ああ、もう家に着いちゃった  さとり様ともっと一緒にこうしていたかったのに  引き返したいけど、着いたのさとり様にばれちゃってるだろうし  燐の心に映ったのは、我が家、地霊殿の像。ありありと燐の未練が伝わってきます。 「さとり様、地霊殿に着きましたよ」 「燐、どうせなら私の部屋まで連れて行ってくれるかしら」  燐の腕の中が気持ちよくて、私はそんな我侭を言ってみました。今日くらいはもう少し甘えても良いでしょう。  私はその程度に思っていたのですが、燐にとってはその一言は地雷だったようでした。燐的「ペタフレア」だったのです。  そ、それってお持ち帰り、OKってことですか、さとり様  そうなんですね、そうなんですね、ようやくこの日がやってきました!  さとり様につりあう妖怪になれるように鍛錬に励んで幾星霜、遂に満願成就  こいし様、お空、見てて。あたいやってやるよ! でも覗きには来ないでね  さとり様もこんなにあたいの胸の顔を埋めたままで、恥ずかしいのをごまかしてたんですね  ようござんす、さとり様をこれ以上恥ずかしがらせるわけにはいきません  さあ、さとり様、行きましょう、あたい達の部屋に! 「ちょ……」私は燐を止めようとしましたが、燐は私にその暇を与えてくれません。燐は玄関を蹴破り、地霊殿の廊下を駆け抜けて行きます。  私は燐の誤解を解こうとしますが、結局私にその機会を与えられることはなかったのでした。私の口は跳ねる様に駆ける燐の胸の中でむごむご言うだけでした。 「さとり様とあたいの愛の巣に到着!」  燐がそう叫んだのは私の部屋でした。  確かに私の部屋ではあるのですが、燐の部屋になったことはないはずです。  ああ、でも最後に一緒に寝なかったのは何時の事だったでしょうか。  最近はお空も一緒に寝ることが多いけど、今はあたい一人  この部屋もさとり様も、あたいで独り占め  いや今日からずっとさとり様はあたいだけのものにするの  私の体が急に重力の統制下に置かれてしまいました。  燐の腕の中から投げ出された私の体は、ベッドのスプリングを酷使して一回跳ねた後にベッドに横たわりました。  さとり様、大好きです  その燐のささやきは、心の声ではありませんでした。  私の上に覆いかぶさって来た燐が私の耳元で囁いてくるのです。  ずっと、好きでした、さとり様 「ずっと、好きでした、さとり様」  心の声と一緒に囁くのは止めて、燐。卑怯ですよ。  だってそんなに想われたら、拒否できるはずないじゃないですか。  熱い想いと共に語りかけてくる燐の顔を見ていると私の胸が波打つように体を震わせるます。 「キスしていいですか?」  キスしたい 駄目って言われたらどうしよう  燐の胸はそんな不安で押し潰されそうになっています。でもそんな不安なんか覚える必要はないのですよ。 「燐、そこは聞くんじゃなくて『キスしますよ』って言ってくれれば良いんですよ」私は燐のおでこに指を当てて、そう言いました。  その一言に燐の顔がほころび、心の中にも花が咲きました。心の中で花を咲かせるのは良いのですが、その中心に自分の姿があるのは気恥ずかしいので止めて欲しいのですが。  燐が顔を近づけてくるのに合わせて、私は二つの眼を閉じます。  それでも第三の眼は雄弁に全てを見せてくれるのです。  さとり様、大好き、です  しかもキスしていいだなんて、あたい幸せすぎます  さとり様も幸せにしますよ  さとり様の息が聞こえます  寝ているときのさとり様の息も可愛いですけど、今は格別ですね  ……あれ?  さとり様震えてる?  燐に思われて、私はようやく自分の手が震えていることに気付かされました。  燐は黙って私の手を握り締めてくれました。燐の心には何も映らない無意識の行動でした。私にとってはそれで十分でした。  私は燐の手を握り返して、燐に私の気持ちを伝えました。私の手はもう震えてませんよ、と。  さとり様  燐、私の可愛い燐。  燐とのキスです。初めて会った日以来ですね。 「さとり様、脱がしますよ」  キスが終わった後の燐の一言で私は思い出してしまいました。昨日は宴会から帰って来て、そのまま寝てしまい、起きてからも食事、燐と一緒の散歩と、最後に入浴したのが、一昨日の夜のことになります。  さすがにこれでは恥ずかしいです。お風呂が好きではない空のことを叱れなくなってしまいます。 「あのね、燐、先にお風呂入ってきていいかしら。その……」 「駄目です。嫌です。さとり様と離れたくありません」  燐……。 「さとり様の香りも臭いも全部感じたいんです。さとり様はいつでも綺麗ですから……。それに多少の汚れくらい私が毛づくろいで綺麗にして差し上げますから」 「で、でも、って、っ!」  ほらこんなにさとり様良い臭い 「や、止めなさいっ」燐が私の首筋を舐めながら、臭いを嗅いできます。  止めろって言われても止められないです  さとり様の体、マタタビより好きです。さとり様の香りを嗅いでると、頭がクラクラしてきて酔っちゃいそうです。というか酔っちゃってますよ  さとり様、暴れないで  あたいに任せてください、ほら手握りましょう。さとり様、そうです  さとり様の舐めても舐めても、美味しいまま、良い香りです  さとり様にバターを初めてもらった時の事を思い出しました  こんなに舐めさせてもらったのはあの時以来です。でもバターなんかなくてもあたいはさとり様を舐めてたかもしれません  さとり様、こんなに美味しいんですから  でも緊張してるさとり様も可愛いです  髪の香りも良い香りです。ずっとさとり様の香り、嗅いでいたいです  さとり様ったら、こんなに緊張しないでください  燐と一緒に寝ていて、燐の顔が私の首筋の辺りにあったことは何度もあります。  だから今と同じ状況は、今まで何度もあったはずなのです。  猫として燐に舐められたことはもっと多く、燐がヒトガタを取れるようになってからも、何度も舐めてきました。  ヒトガタを取れるようになった後に、ヒトガタでは舐めないように躾るのが大変でしたが。あの時の燐が悲しそうな顔を見せたときの罪悪感と言ったら。  ともかくこれは今までの同衾とは全く違います。燐の表情は今まで見たことのない表情です。  怖いとは思いませんでした。ですが恐ろしいと思わないでもありませんでした。燐が私を傷つけるとは微塵も思っていませんでした。今までの私達の関係が脱皮して新しい関係になることが、この感情を呼び起こしていたのでしょう。  そんな考えに溺れる私の体を良く慣れた感覚が包み込んできました。私は燐に抱きしめられているのです。いつもの様に燐の胸に顔を埋めて。  さとり様、どうですか?  私は燐の猫背気味の背中を掴んで、意思表示をします。燐となら大丈夫ですよ、と。  さとり様、これからいつでも抱きしめますから  今日からさとり様と絶対一緒に寝ます  こいし様やお空と一緒のベッドでも、さとり様の枕は私なんですから  燐の胸の中で頷くと、燐が頭を撫でてきました。  気恥ずかしいのですが良いものですね。確かに燐も空も私が撫でたときに、気持ちよさそうな表情をするのが良く分かります。  そろそろさとり様、いいですか?  何を?と私が問い返す前に、燐の指が私のスカートの中に潜り込んできました。  思わず燐を突き飛ばしそうになる自分を抑えて、燐の背中をしっかりと握りしめます。  さとり様に痛い思いさせないように気をつけないと  でも自分を抑えられるかな  あんまり自信ないです  痛かったら言ってくださいね  そんな不安になる燐の心の声と裏腹に、燐の指が私の下着の中に、ゆっくりと、優しく忍び込んできます。  さとり様のここ、お風呂の洗いっこでも、触らせてくれないここ、初めて触った……  恥ずかしいんですから当たり前ですよ、と言いたいのを飲み込みます。でも私は燐の体は隅々まで触ってますよ、仔猫の頃ですが。  私がそんな意味のない事を考えてる間にも、燐の指がゆっくりと私のあそこをまさぐってきます。  さとり様のここ、私のと形が違う  自分でするのとは大違い……  り、燐。私に自分の自慰の光景を流し込んでくるのは止めなさい!  さとり様、さとり様、大好きです  さとり様、そんなに弄らないで下さい  んっ、さとり様、そこが気持ちいいです  やっ、そんなに強く……  私が燐を組み伏せて攻め立てていくその光景、それは燐が妄想した光景。燐が私にいままで見せてくれなかった心、それが私に流れこんできます。  それが燐が感じた快感までを、私に擬似的に感じさせてくるのです。だから仕方ないのですっ。  さとり様のここ、急に濡れてきた。あたいの指で感じてくれたんですね  まるであたいの妄想の中のさとり様みたいです。あたいに攻められて、気持ちよくなって「燐様のペットになります」って言ってくれたさとり様みたい……  燐、待ちなさい、そんな妄想でも自慰をしたのですか。  燐の心の中では、私が首輪をしていました。そしてその首輪に付けられた鎖を握っているのはもちろん燐。  そしてその妄想の中で私は燐のあそこを舐めさせられていました。  燐は恍惚とした表情をしていましたが、その妄想の中の私は燐以上に恍惚とした表情をしていたのです。  ありえない光景である筈なのに、私の子宮が音を立ててその音に反応してしまった気がします。  燐に現実と妄想で攻め立てられてしまいます。  燐の指でかき混ぜられるたびに、燐の妄想の中の私も、燐にいやらしい事をされてしまいます。燐の妄想の中で私が胸を弄られると、現実の私も燐に胸をまさぐられるのです。  まるで三人、五人の燐に一緒にされているようで。  燐が違う妄想を展開するたびに、私の子宮が燐の妄想を求めて、滴りを漏らしてしまうのです。  さとり様、すごい、こんなにあたいで感じてくれるなんて  燐が想っている通りです。  私も自慰に耽ることはありましたが、こんなに感じることはありませんでした。  私にできるのは燐の服を噛み締めて、恥ずかしい声を燐に聞かせない、それが私のせめてもの矜持でした。飼い主、だった者、としてです。  さとり様の声聞きたい  もっとしてあげれば聞けるかな  止めなさい、と言いたかったのです。ですが、今口を開いたら、その言葉ではなく、恥ずかしくて人には聞かせられない声をあげてしまうことでしょう。自分でもこの我慢が無駄だと分かっていましたが。  燐の指が私の中を掻き回すたびに、私の中の感触が燐の心を通じて伝わってくるのです。その伝播は私の直接的な触覚からわずかに遅れるのです。そのズレが致命的でした。  一度燐に弄られるたびに、私は二度の快感を感じてしまうのです。自分の事なのに自分でない、自分でない事なのに自分のことのような。  そして燐の私を気持ち良くさせたいという気持ちと、私の乱れた姿を見たいという気持ち、それに私は翻弄されてしまったのです。  さとり様大好きです  もっと気持ちよくなってください  ずっとこうしたかったんです  だからさとり様に気持ちよくなって欲しいです  そんなさとり様が見たいんです  そして最後の一言。  さとり様、愛してます  ありふれた言葉でした。それでもその言葉は私の体に染み渡りました。  燐、私も愛してますよ。  その言葉を私は声にしたのか、心の中に留めてしまったのかは分かりませんでした。私は燐に抱きしめられたまま、絶頂に持ち上げられて、そのまま意識を失ってしまったのです。 「お姉ちゃん、晩御飯だよ」 「え?」  私が目を覚ますと、そこには妹の姿。  寝ぼけた脳が動き始めると、意識を失う直前までの記憶が黄泉還り、私は布団を引っ剥がして確認してしまいました。そんな私をこいしは奇異の瞳で見ていました。  もし私が意識を失った時の格好そのままでしたら、こいしに何と説明していたら良かったのでしょうか。 「大丈夫、お姉ちゃん? 体調悪いなら燐にご飯もってこさせるけど」  私はこいしの申し出を断り、ベッドから這い出ます。服は燐が着替えさせてくれたのでしょう、部屋着を身に着けていて、ベッドも燐との行為を感じさせるものは残っていません。  体調も微妙なだるさは感じますが、言葉にできない充実感で満ちています。他のさとりに心を読まれても、私の今の気持ちを十全に理解されることはないでしょう。この気持ちは私にしか分からないのです。 「変なお姉ちゃん。先に行ってるからね」  私の様子を訝しみながらもこいしが退室しました。  私は無意識のうちに自分の体を抱きしめていたのです。まるでそれで燐の体温が逃げていかないと言うかのように。  キッチンのテーブルの中央にはケーキが一つ。蝋燭は年齢分立てるわけにはいかないからでしょう、控えめに十本程度が立てられています。  こいしと空がいなかったのはこのケーキを調達するためだったのでしょうか。きっと作ったのは勇儀さんなのでしょう。漂ってくるクリームの香りは彼女お手製の香りがしてきます。  そして平素の地霊殿であれば出てこないであろう飾り立てられた料理の数々。  椅子にはこいし、空と、今日の主役の燐。燐の頭の上には紙で作られた円錐の帽子が載っています。空のお手製なのでしょうか、少し形が歪んでいますが。  空はともかく、燐は平然としています。数時間前まで肌を触れ合わせていたというのにです。  燐の心を読んでも、「さとり様はやくはやく!」という私を急き立てる声しか聞こえてきません。  あの出来事が夢か幻であったかのようです。  私が乾杯の音頭を取って、燐の誕生日パーティーが始まりました。  パーティー中、私は燐の心を読もうとしましたが、燐は敢えて考えていないのか、逢瀬の記憶を表層には出してきません。  それでも私への好意は伝わってきますので、私はそれで満足することにしました。  私が燐の事に没頭してしながらケーキを食べていたからでしょう。三人が私を注視する原因を作ってしまいました。  さとり様の頬にクリームついてる  さとり様の頬にクリームついてる  こいしも私の頬を見ています。こいしの心を読むことができれば燐と空と同じ思いが伝わってきたことでしょう。  私は頬を指で触りますが、逆だったようで「逆ですよ、さとり様」そんな空の声が聞こえてきます。  そして燐といえば……。  いつのまにか私の傍には燐の気配。その燐は私に心を読ませる隙を与えてくれませんでした。私の頬のクリームを舐めとって、そのまま私に口移しで、そのクリームを……。  燐とのキスはクリームの味でした。  空とこいしの驚きで拡げられた瞳が突き刺さってきます。燐の表情は彼女らしい悪戯色に染められていましたが、私に伝わってくるのは真情だけでした。 「さとり様、愛してますよ」 「私も愛してます」  妹やペットの前だと言うのに、私は何と言うことを口走ってしまったのでしょう。それでも私は言う機会を逃していたその言葉をようやく伝えることができたのです。