スチュワーデスになろう。    

きっかけ 5 − (20071月5日)

(追記)

 

後に私はスチュワーデスになりました。

飛行機の中から幾度となく、ヒマラヤ山脈や

アラスカのマッキンレー山やヨーロッパアルプスや

大きな川や海や陸や空の大自然を見る度に、

「植村さん、また一人でどこかに行っているんだろうな。」

とよく考えていたものです。

 

植村さんの数多くの冒険はダイナミックでかつ慎重で用意周到なものでした。

その植村さんがアラスカのマッキンレー山で消息を絶ってしまいました。

各国のテレビが連日このニュースを伝えていました。

世界中の人々の、見つかって欲しいという願いも悲しく

ついに消息を絶ったままになってしまったのです。

連日テレビでも繰り返し伝えるこの悲しく残念なニュースを

私はドイツで見ていました。

凍て付く2月のことでした。

 

彼は偉大な冒険家でしたが、私にとっては

広い世界を見るためのドアを開けてくれた人だったのです。

できることならば、あの尽きることのない冒険談をもう一度聞いてみたいと思いますが、

残念なことに今となってはそれはできないことです。

私だけでなく、彼を知るすべての人はいつまでも心の中に、

彼のあのやさしく人懐こい笑顔を覚えていることでしょう。

植村直己さんはとても素朴で大らかな人でした。

(きっかけ 完)

     

 

きっかけ 4 − (20061225日)

植村直己さんの言う「アマゾンから帰ってきたばかり」とは、

自分で作ったイカダでたった一人でアマゾン川の川下りをした冒険です。

彼はできたてホヤホヤのアマゾン川の冒険談を毎日私に話してくれました。

この頃は植村さんもまだ少し暇だったようです。

日本を出発してからブラジルに着くまで、そこからアマゾン川に移動し、

自分でイカダを作った話、ジャングルのこと、現地の人々の話し、

ピラニアが出る話、そしてアマゾン川の大きさや・・・・・・

話は尽きませんでした。

この冒険談は後に本として出版され彼は一躍有名になりました。

この後も彼は世界中で多くの単独冒険を果たして日本だけではなく

世界でも有名な冒険家になりました。

アマゾン川の話の後は彼が単独登頂した世界中の山の話。

植村さんは山や川冒険談だけではなく、それまでに訪れた多くの外国のこと、

目にした自然、出会った人々を通して思ったことや感じた事も

こと細かく、尽きることなく、そしておもしろく話してくれました。

植村さんの話はそのまま世界の大きさでした。

ダイナミックな彼の話を目を輝かせて聞いていた私。

そんなある日「スチュワーデスなら外国に行けますよ。」と植村さん。

「あっ、そうかもしれない。世界の広さを見るにはスチュワーデス・・・・・。」

二度目だ、スチュワーデスになれって言われたの。

ここで私はやっと「スチュワーデス、いいかも。」と考えるキッカケになりました。

植村さんに背中を押されたようなものです。

結局毎日植村直己さんの冒険談を聞きながらひと夏が過ぎたのでした。

なんとまあ大した仕事もせずに楽しく収穫の多いアルバイトだったことでしょう。

(続く)

 

きっかけ (3) − (20061218日)

この素朴な男(ひと)はまた次の日もやって来ました。

同じような時間に同じように私の前に座ったので、

「エヴェレストに行くのですか。」と私が聞くと「いや、行かないッス、

数日前にアマゾンから帰って来たばっかりッスから。」と彼。

(山じゃなくて河?)

「で、あなたは誰?」と聞くと「植村です。」と少しはにかんだ様な笑顔で答えた。

その植村さんもちょっと暇そうでした。

暇人同士で話が始まりました。

と言っても植村さんが話し役で、私はもっぱら聞き役です。

以来植村さんは毎日私のところにやって来ました。

植村さんの話はとてもおもしろくて、続き物のドラマのようでした。

ところで、植村さんがなぜ私のことを知っていたのかというと、

もともと植村さんと私の兄とはよく知っている仲間だったのです。

そしてこの植村さんとは、あの冒険家の植村直己さんなのです。

この頃はまだ一般的には有名ではありませんでしたが、

「一人で世界の高峰に単独登頂しているすごいヤツ」ということで

山仲間には既にかなり知られた存在でした。

(続く)

         

 

きっかけ (2 − (20061211)

数年後のある学生時代の夏休み、私は日本山岳会でアルバイトをしていました。

エヴェレスト登山隊が結成され、日本出発までの準備段階で必要な

関係国の政府や外国人とのやり取りの翻訳や通訳が私の仕事です。

その仕事は私一人でした。

広い部屋の片隅にダブルベット程もある机がポツンと一つ。

これが私の机。

広い部屋に時折山男(登山家)達が出入りするだけ。

たまに頼まれる英語関係の事さえ処理すれば

私は何をやっていてもよかったのです。

実際にはかなり暇でした。

勉強をしたり、本を読んだり、音楽を聴いていたり、

とにかくそこに居ればよかったのです。

楽と言えばかなり楽、恵まれていると言えばかなりのものですが

暇というのも結構大変。

家にいればできることはたくさんあるのにこんな所で

一人だと時間がなかなか過ぎていかないのです。

こんなアルバイトを始めて数日後のお昼過ぎ、

一人の小柄な男性がこの部屋に入って来ました。

ドアからスタスタッと歩いて来て大きな机をはさんで私の前に座りました。

そして「こんなところで何しているの?」と声を掛けてきたのです。

私が自分のアルバイトをザッと説明すると今度は、

「名前はなんていうの?」と続けてきました。

「宮崎です。」と答えると、「あァ、宮崎先輩の妹さんね。」と彼・・・・・。

(何だ、知ってる人?)。何か聞こうと思っているうちに、

彼はそれだけ言って直ぐに出て行ってしまったのです。

この小柄な男性、朴訥としていて都会的とは程遠く、

その上真っ黒に日焼けしていて顔の皮がむけている。

でもやさしそうな笑顔が人なつこい。

誰なの、この男(ひと)?

(続く)

 

 

きっかけ (1) − (2006124)

皆さんはいつごろフライトアテンダントになりたいと思い始めたのでしょうか。

そのキッカケはどんなものだったのでしょう。

私は長年フライトアテンダント志望の若い人達に接してきて

いろいろなキッカケを聞いてきました。

少し前の年代の人達だと、スチュワーデスを扱ったテレビドラマの

影響を受けた人がたくさんいました。

その他に多いのは、子供の頃に初めて乗った飛行機の

スチュワーデスさんがとてもやさしくてあこがれてしまった。

または、海外旅行で利用した機内で気分が悪くなり、

その時の客室乗務員さんの親切な対応が印象深く、

自分もそのような客室乗務員になりたいと思うようになった。

更に、毎日色々な人に会えておもしろそうだから。

なかには、本音で言うと有名人や芸能人に会えそうだから、なんて人も時々います。

他にもいろいろな理由があるようですが、私はどうだったのでしょう。

実は私は、スチュュワーデスになる直前までスチュワーデスになりたいとは

ほとんど考えていなかったのです。

スチュワーデスになってからは、なって良かったなと思いましたけれど。

昔はスチュワーデスなんて文字通り雲の上の存在、高値の花と思われていたのです。

遠い存在だと思っていました。

ところが高校三年生のある日、私は担任の先生からわざわざ職員室に呼ばれて、

「将来はスチュワーデスになりなさい。」と突然に言われたのです。

その時はビックリしてキョトンとしていた私です。

英語は一生懸命勉強していましたが・・・・・

他に何か根拠でもあったのでしょうか。

それから何度も何度も「将来はスチュワーデスになりなさい。」と

先生から繰り返し言われました。

それでも実は、私は余り洗脳(?)もされずにそのまま高校を卒業して進学してしまいました。

その当時はほとんど意識していませんでしたが、

後で考えてみると、そのことも少しは影響があったかもしれません。

(続く)