屋根裏
Present BY Kasumi Yahagi




「子猫におかえり」

団地のエレベータホールで、同級生の女の子とばったり出会った。
彼女はかわいい子猫を抱いていた。
わぁ、かわいいねと、抱かせてもらったが最後
「それ!あんたがなんとかしなさいよ!!」
と、彼女はそこから走り去ってしまった。
私は突然のことに呆気にとられ、それから、彼女の代わりに
飼主を探さねばならなくなった自分の立場に気がついた。
私は子猫を抱いて、何件か友達の家をまわった。

どこへ行ってもうちでは飼えないとあしらわれた。当然だろう。
この地区はペット禁止の団地ばかりで、私の友達もみんなそこに住んでいる。
しかし、当時の私はそこまで頭が回らなかった。

途方にくれた私は、私に猫を押しつけて走り去った彼女の家へ行った。
彼女もまた、私と同じ団地に住んでる。
ここのところは記憶が曖昧なのだが、本人が出たか、その親が出たものか、
母親の後ろに、彼女が立っていたような気もする。
「うちでは飼えないのよ」と、あっけなく戸を閉められた。
そしてまた、私は子猫と共に町を徘徊した。
更に七、八件はまわったと思う。
どうしてこんなことになってしまったのだろうと、考えながら歩いた事をおぼえている。

行先を失った私は、もう一度、今度は言い分を持って、彼女の家に向かった。
人に責任を押し付けて、自分は逃げ去るなんてひどいではないか。
そう一喝するつもりだった。
ところが、何度インターフォンを鳴らしても、誰も出てくれない。
家の明りはついていた。

何時くらいだったのだろう。
空はもう暗くて、霧雨が降り出していた。
私は、もうこの近所では見つけられないであろうことを悟り、隣の地区まで雨の中を歩いた。
途中、抱いていた子猫が私の腕の中で尿を催した。私はどんどんみじめな気持になっていく。
歩いているあいだ中、子猫はミャアミャアと、ひっきりなしに鳴いていた。

一軒家の友達のうちで例の如く断られた私は、一緒に引き取り手を探してほしいと、彼に縋った。
その友達と私は、あまり一緒に遊んだことがなかった。
にも関らず、彼は一時間近く、四方八方に電話をかけて飼手を探してくれた。
多分、私のあまりにみすぼらしい姿に同情したのかもしれない。
そこの家は17時を過ぎたら、友達を家にいれないという決まりがあったので
その間、私は彼の家の前で雨にうたれながら子猫と一緒に吉報を待った。

引き取り手は見つからなかった。
外はもう真っ暗で、隣町からまた子猫を抱いてトボトボと家に向かう。
しかし、家には帰れない。この子を連れては家に入れない。
「もう帰る場所など無い」と、子供ながらにそんなことを考える。
そして私達は、自分の家の向かいとなる、隣のマンションの、
備え付け外階段の、軒下へもぐりこんだ。
今の私には座るにも狭い場所だ(この間、ちょっと入ってみようと思ったがダメだった)。
私はここから子猫と一緒に、向かいのマンションの10階に灯る自分の家の明りを見つめた。
僕はしばらく、ここでこの子猫と暮らすことになるかも知れないと、放浪の日々を本気で考えた。
子供と言うのは、よくわからない現実の社会より、自分の世界に生き方を考える。

しばらくして、その団地の駐車場から、家に向かう父の姿を見つけた。
「おとうさん!」
私は、そこから大声で父を呼んだ。
思わず呼んでしまった、と言った方が正しいだろうか。
父は父で、びっくりしたことだろう。
自分の息子がこんな時間にこんなところで、子猫を抱いてうずくまっているのだ。
「猫は置いてきなさい」父は言った。
私は子猫を手放し、父の元へ走った。
その間、一度も子猫の方を振り向かなかった。
それが、この子猫との最後となった。
この時、私は始めて泣いた。

私は父が嫌いだった。(断っておくと、今は仲良くやっている)
父は教鞭を取っており、そのせいか(どうかはわからないが)とても厳しかったからだ。
勉強勉強とそればかり言うし、私のランドセルを漁っては、プリントの一つ一つを問いただす。
夏休みの計画表を、軍隊の規律のように執行させようとする(できるわけがない)。
漫画を持っていると破り捨てられたし、テレビは一切見せてくれない。第一よく殴られた。
理不尽な暴力はなかったが、ある時は殴られたこねかみが痛んで眠れず苦しんだこともあった。
子供の頭で、ささやかな抵抗を幾つ試みたことかわからない。

その父が、私を叱らなかった。
何も聞かず、父は私の肩にそっと手を置いた。
叱責を覚悟していた私は、びっくりして父を見上げた。
父は雨に目を細めながら、暗くなった空を見上げていた。
今でも夢のように思う。
あの時、父は何を思っていたのだろう。

次の日、階段下へ置去りにした子猫を探しに行った。
当然、居なくなっていた。
いつまでも同じ所にいるわけがない。
それがわからなかったわけではないけれど、私は探さずにはいられなかった。
ぼくのことを待っているかも知れない。
どこかで倒れて、道端に横たわっているかも知れない。





私は今、一人暮しをしています。
今の家に入居してすぐ、ベランダに一匹の野良猫が住みつくようになりました。
やはり猫だけに気まぐれな奴で、追うと逃げるくせに、こちらが逃げると追ってきます。
寝ているときにちょっかいを出すと、すぐ爪を立てます。
顎の下をなでてやると、やめたとき「やめちゃうの?」と、かわいい目で心理攻撃です。
車でどこかへでかけようとすると、ボンネットの上で「あたしの車を持って行くニャ!」と抵抗します。
この間は袴(居合の胴衣)をカジったりして、もう大喧嘩です。えぇ、猫と。
「お前、前世犬だろっ!」と言うと、向こうもカチンときたらしく「ふぎゃー」って言い返します。
大体、私の方があやまってしまいます。

そんな猫さんと暮らしはじめてしばらく。
ふと私は、ベランダで眠っている彼女にそっと言うのです。

おかえりなさい。
今まで、どこへいっていたんだい?
会いたかったんだよ。