§ 矢葉木霞の大人な居合道講座 §





【はじめに】

 かすみです。
 最近、居合道八段の超偉い先生が気になるので、彼に近しいという人に
 「私のことをどう思うか」と聞いてもらったのですが
 要するに八段はかすみを知らないし、興味もないとのことでした。

【居合の起源】

 居合の起源は、相手の唇がプルプル震えるまで問い詰めていくと、安土桃山時代にあるようだ。
 戦場で武器を落としたり、壊されたり、マラソン大会で「一緒にゴールまで走ろう」と言った友達に
 裏切られたりした人が、咄嗟に腰から刀を抜いて敵に応じるための術(すべ)だったみたいだ。
 平行して見出されているもう一つの説は、この時すでに居合術を具現化し、実用していた忍者の刀法。
 相手にひっそり近づいて、出会いざまに抜刀する。
 こんなこと士道を重んじる武士にはできないから、日光江戸村から不採用通知が届くんだ。
 ちなみに、忍法ムササビの術は全治3ヶ月だからやめた方がいいと、かすみの友達が体をはって教えてくれた。
 つまりかすみが言いたいのは、ハットリくんと服部栄養専門学校は無関係であり、議題にすべきではないという事だ。

 そういうわけで、林崎甚助重信というエライ人がこの刀法を“居合”という名前の元に体系化させた。
 居合を武道として取りまとめた最初の人という意味で、この人は居合の祖と呼ばれているんだ。
 とにかくいい感じでまとまっちゃったんだよ。

【居合の服装】

 居合のユニフォームは残念ながら全身タイツではなく袴なんだ。
 袴は立合いにおいて、相手に足さばきを読まれないための、おばあちゃんの知恵だって。
 初めてこれをはいたときは、スカートはいているみたいにお尻がすーすーして居た堪れない気持になった。
 そっちに目覚めたらどうしようと、みな人知れずドキドキしているにちがいないさ。

【居合の技】

 今日に言われる居合技には「制定」と「古流」の二種類があるんだ。
 「制定」は全日本剣道連盟が昭和になってから作ったもので、剣道型が混じっている。
 「古流」は代々その流派で受け継がれてきた、昔宛らの実戦型居合術なんだ。
 でも「珈琲」と「珈琲飲料」はこれまた違う飲み物だから一緒にしちゃダメだよ。

 古流には各流派に伝わっている居合技において、初伝、中伝、奥伝という枠付けがあり
 技の難易度も上がっていくんだ。
 あと、流派によっては秘伝というのがあるんだけれど、これは秘伝なだけに秘密だって。
 ヒ・ミ・ツ♪って、かすみの唇に人差し指を軽くあてがう90過ぎの達人を想像すると
 居ても立ってもいられなくなるよね。それを思うと、綺麗なおねーさんに早く八段とか取ってもらいたい。

 昇段試験に出るのは「制定居合」が主となる。
 制定居合には現在十二本の型があり、あの料理評論家のコメントは今のところ3パターンしかないんだ。
 だからまず、多くは制定居合十二本を稽古し、そこで基本的なことを理解してから
 実践型である古流を学ぶという所がほとんどみたいだよ。
 また、流派によっては全日本剣道連盟に加盟せず、内輪で代々の古流のみを教えている所もある。
 そういう所では、無論何年稽古しても段位はなく、その後いくら110番してもミニスカポリスは来ないんだ。
 霞美も以前はそういう所にいたんだけれど、その時はすでに珈琲が大好きでした。
 それにしても、今年のブルーマウンテンは酸味がちょっと強くないですか?

 上に述べた様に、居合技は流派によって多種多様。
 “水鴎流”には左手で刀を抜く技があったり、“英信流”は相手の両腕を薙ぎ払ったり
 嬉しそうな課長の顔にアツアツのお好み焼きを押しつけたりと、実に様々なんだ。
 それらは今尚もって、各流派や女性社員の集う給湯室で口伝され続けているもの。
 かすみの会社の後輩さんに、武田流居合術をやっていたという子がいたので、早速口伝してもらおうと
 飲みに誘ったんだけれど、彼は酔っ払うと「マジっすか?」しか言わないからほとほと困り果てた。

【剣道と居合の違いは?】

 剣道は闘うことを前提としているので、お互い剣を抜きあって戦う姿勢を十分に取る。
 これを「立合い」と呼ぶんだけれど、居合はそれに対し「居合わせる」と言って、相手と出会ってから
 刀を抜き合わせるまでの剣術なんだ。つまり、居合はお互いが居合わせた時点から既に勝負が
 始まっているということ。ある意味、史上最強の片想いが始まるんだ。
 優しさだけじゃ生きていけない。でも優しい人が好きって感じかな。西ティモール風に言うと。

 そして、居合は剣道と違って必ずしも争いとなることを前提としていない。
 でも、街で知らないおじさんに「勝負だカカロット−ーー!」とケンカを売られたら、この範疇ではないってこと。
 そこのところは、合気道と同じ理念と言っていいかな。これについては、後述しますね。

 相手が思い留まり刀を止めたら、こちらも刀を引く。
 あっ!さくっ、とか、みね討ちのつもりが思いっきり刃のほうでいってしまったは心外だよ。
 居合はそのあたりの精神論も剣で表現しなくちゃいけないから奥が深いんだ。
 一曲も唄わせてもらえなかったとか、こんな気持ちのままじゃどこへも行けやしないという人にもおすすめだ。

 また、剣を抜いたときはどちらかが死んでいるので、時代劇のように派手に斬り合うことを前提としない。
 これら全てが「目だ!目を狙うでござるよ!!」とか「居合は鞘のうち」と呼ばれる所以だよ。

【居合の試合って本当に斬り合うの?】

 有効面を斬ったり突いたり、先に五本先取した方の勝ち。
 この際、二人がお互いを同時に突いた場合は両方に得点が与えられることになっている。
 なぜ相打ちがあるかと言うと、決闘と言うのは自分の名誉を守るために行うので、相手に血を流させたら
 それで終わりという概念があって、それ故に自分も血を流したら相打ちで決着というケースがありえたんだ。
 だから、エペ(フェンシング)には相打ちの判定があるんだよ。
 それじゃ、そろそろ居合の試合について語りに入ろうと思うよ。

 居合は日本刀を使用するので、実際に斬りあったりするとちょっと問題があるみたいなんだ。
 だからそれはやめて、各々が「型」を見せ合うというのが、今日の居合の試合方式。
 審判はその技を見て、自分好みの美少年に旗をあげるって寸法さ。半分嘘だけどね。
 正しく、無理なく、綺麗に技を見せた方に旗をあげる。それで、勝ち負けを決める。
 だから、居合の試合に限っては「どちらが強いか」という極論を持たないと言っていいと思う。
 今はルールも改正されたようで、負けた方が服を一枚脱がなきゃならないなんてことないみたいだよ。

【居合の精神論】

 居合は相手を想うという精神より、ダンスやゴルフというよりは、華道や茶道に近いものがあるんだ。
 この三道が「残心」という考え方を大切にしているところも、大きな共通点と言える。
 残心。要するに、その時折の気持を残すということが重要なんだ。
 「考える」ではなくて「心に留める」が大事。ちょっと微妙だけれど、そういうことなんだ。
 どれくらい微妙なのかと言うと、かすみの作るサラダはサラダと言うより生野菜って感じな微妙さだよ。

 この考え方は禅とよく似ていることから、居合は「動禅」とも呼ばれている。
 「動禅」とは、動きながらにして自分と向い合うという意味。
 また、動かずに自分と向い合うのが「座禅」だ。
 自分と向い合うと言っても、ファーストキスの相手を鏡の中の自分にするってことではないよ。
 居合と宗教(禅)に直接的な係わり合いはないけれど、そんな日はまるで高僧になったような優越感に
 ひたることができるから、夜中楽しくなって笑いが止まらなくなるんだ。
 つまりは切なさ炸裂だ。

 居合に似ていると言われる武道に合気道があるけれど、それはとても的を得ているとかすみは思う。
 居合道と合気道は“こちらから敵を倒す”という発想にない。
 つまり、どちらも闘うことを前提としていない武道なんだ。眼は笑ってなくてもだよ。
 空手や柔道でいう“無敵”とは、広義に「どんな脅威にも屈しない強さ」を言うところが多いけれど
 合気道や居合道で言う“無敵”とは「敵を作らないこと」と、そう理解してもらってもいいと思う。
 細かい解釈は人それぞれだけど、かすみが思うに、敵を作らないということは誰も憎まないということ。
 それは、人を許すということだと思う。

 あの程度の岩登りで「ファイト!一発!」とはおこがましい、とか
 たかだか冷蔵庫のスイカを盗み食いしたくらいでこの空気はなんだ、とか
 一生かけてもドーナツの真中を空洞にした奴を見つけて「オマエのせいでコッチはどんだけ損したか!」と
 胸ぐらを掴んだりするのはイケナイないってことだYO。




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