「私も手をあわせてよいかな?」母の墓前で手を合わせる娘に、慎之譲は声をかけた。
「慎之譲さま。なぜこちらへ?」「や。ちょっと涼みに・・・」墓地に涼みにとは、滑稽な言い訳である。
幼少の頃、慎之譲はよく娘をいじめっ子から守ってあげた。
墓を掘り返す子供と、噂の絶えなかった娘。しかも、それは事実であった。
娘は毎日のようにこの墓地に何かを埋めては、またそれを掘り返していた。一体何をしていたのか。
それを思わぬでもないが、慎之譲の中では瑣末な問題に過ぎない。慎之譲は今も、初恋のこの娘に想いを寄せ続けている。
ふと目に留まった、墓石に彫られた命日に、慎之譲は首を傾げた。
「はて。私とあなたは同じ歳のはず。今は元和二年で、母上の亡くなられた年が…」
「月日が合わぬと?」娘の妖美な瞳に覗き込まれて、慎之譲は眩暈すら覚える。
「ある晩の事です。一軒の飴屋にひとりの女がやってきました」娘は唐突に、物語をはじめた。

女は主人に「飴を下さい」と一文銭を差し出します。主人はこんな夜分にと怪しみますが、女が悲しそうに頼むので飴を売ってやりました。
ところが。翌晩もその次の日も、女はやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出すのです。銭はちゃんと払うのだからと、主人は女を受け入れます。
そして、六日目の夜。「今夜が最後です。銭がもうないのです」と、女は一文銭を置いて、寂しそうに店を出て行きました。
外から泣き止まぬ赤子の鳴き声。それをあやす、女の子守唄。主人は一体何が起こっているのかと、歌の聞こえる方へと足を運びます。
やがて辿り着いたのは寺の墓地。埋葬されたばかりの、新しい墓の前。声はふと、そこで途切れるのでした。
翌朝、住職と役人立ち会いのもと、その墓を掘り返してみると、棺の中で女の亡骸に抱かれた赤ん坊が、飴をしゃぶっていました。
亡くなった妊婦が、埋葬後に赤ん坊を産んでいたのです。棺の中に入れておいた六道銭は、使い果たされて無くなっていました。
「子供を育てるために幽霊となって飴を買いに来たのか・・・」飴屋の主人は赤ん坊を墓穴から救い出しながら言いました。
「この子はお前のかわりに、私が立派に育てるからな」そう言うと、それまで天を仰いでいた母の亡骸が、頷くように頭をがくりと落としました。
その赤ん坊は、飴屋の主人に引き取られ。・・・今はこうして、しあわせに暮らしているのでした。

娘の話に唖然とする慎之譲。我に返り、ふとあることに気がつく。
「まさか・・・。あの頃、あなたが地に埋めていたのは、六文銭。また母が訪ねてきてくれるようにと・・・」
「でも決まって、銭は地に残っておりました」娘は遠い目をして言った。
「人は母を『飴買い幽霊』と呼びます。だけど、私にとってその人は、お母さんなのです。
死して尚私を守ってくれた。たった一人の―」
そこで、娘ははっとして言葉を止めた。慎之譲の頬を伝う、涙。
「そうか。会いたかったのだな・・・。どうしても、会いたかったのだな!」
その涙に触れたとき。娘は一瞬、母の腕に抱かれた気がした。