オリンピック、フィギュアスケート女子シングル。演技終了直後、リングの中央で人一倍涙を流した選手がいた。
結果を聞く前にこれだけ涙するのは、どういうわけか。ミスのない演技に対する達成感か。メダルへの確信か。
人々がその理由を知ったのは、大会後日のことだった。
IOC(国際オリンピック委員会)は、カナダ代表ユリア・ザワツキー選手の母親が
競技前日に急死したことを発表。追悼の意を表明した。
オリンピックという大舞台で、彼女がとてつもないものを背負っていたとを知り、世界は驚愕した。
しかも、彼女は評論家の辛辣な予想を裏切り、難しいジャンプを次々に成功させ、銅メダル獲得の快挙を成し遂げたのだった。

ユリアは選手村で母の死を伝えられた。死因は突然の心臓発作。
競技を続行するべきか、棄権して母の元へ駆けつけるべきか。
一睡もせず、泣と苦悩の末に彼女が選んだ道は、競技の続行。
彼女にそのことを決断させたのは、かつての母の言葉だった。

『お前は行かなきゃいけないよ』

ユリアはカナダマニトバ州の片田舎で、四人兄弟の末っ子として生まれた。
父親は早くに他界。兄弟たちは勤勉だった父に倣い、経済界の一役者になろうと次々に家を飛び出していった。
やがて、家に残ったのは母とユリアのふたりだけとなった。「お前を見ていると、なんだかホッとするよ」
母にそんなことを言われてしまうほどに、ユリアは心優しく、控えめで、おとなしい少女だった。
そんなユリアにも特技があった。それがスケートだ。ユリアは地元のフィギュアスケート大会で優勝し、新たな自分を発見する。
「何もないと思っていた私にも、特技があったんだ!」そのことが嬉しくて、ユリアはスケートに夢中になった。

16歳になったユリアに転機が訪れる。
有名なスケートのコーチがユリアの才能を見込み、彼女を養子にしてもよいと名乗り出たのである。
通常、一流のフィギュアスケーターになるには、年に一千万円以上のお金がかかる。
ユリアの家ではとても無理な話で、これはまたとないチャンスだった。
しかし、その矢先のことだった。母が脳梗塞で倒れたのだ。
母は一命は取りとめたものの、左半身にいくらかの麻痺を残してしまった。
病院のベッドで横になる母の手を握りながら、ユリアは考えた。
夢を取るか、ママを取るか。
そんなの決まっている。ユリアは言った。
「ママ、大丈夫よ。ずっと私がそばにいるからね。絶対にママをひとりぼっちになんかしないからね」
娘の言葉を聞いて、母は目に喜色を浮かべた。
しかし、急に厳しい顔つきになり、窓に顔を背け、涙を隠して言うのだった。
「いいや。お前は行かなきゃいけないよ」

そうして彼女は、ここまで来た。
ユリアは母に与えられた翼を羽ばたかせ、氷上に舞い降りる。
そして、静かに始まるピアノの音色にのせて、踊り始めるのだった。