視力を失ってから、私は人の助けなしでは外へ出ることができなくなってしまった。

このままずっと家に引きこもって居たかった。
けれど、夫や周りの応援もあって、私は彼に手を引いてもらい、毎朝バスで会社へ通うことになった。
こうして私は、職場への現場復帰を果たす。そんなある日、夫は私に突然こう切り出してきた。「明日からは別々に家を出よう」

私は夫に食ってかかった。全盲の人間が一人で外を歩くことがどれだけ恐ろしいことか、あなたにはわかってないんだ!と。
しかし、本当はそれだけが怒りの理由ではなかった。私は、この人が自分の側から離れてゆくのが怖かったのだ。
私はもう一人で生きて行く自信がなくて、口では人でなしと叫んではいたものの
心の中ではお願いだから私を捨てないでと泣きじゃくっていた。
夫は折れなかった。「これからは別々に家を出る」
意を決した声に圧され、私は唇を咬むしかなかった。

軍人の夫は、その軍服がよく似合う美形で、女性たちの人気の的だった。
私はそんな彼と結ばれたことに感謝してもし尽くせない至福を感じていた。
それが今は、その事が大きな不安になってしまっている。
私よりいい女なんてまわりにいくらでも居る。
生活の足手まといとなった私と共に居る理由なんて彼にはないのではないか。
愛人を作られたらどうしよう。離婚したいと言われたらどうしよう。声をかけてもらえなくなったら…。
私の中で、夫が急に遠い人になってしまった。

それから半年が経った。私はどうにか一人で出歩くことを覚え、知っている場所へは大概一人でも行けるようになった。
夫が手をひいてくれることは殆どなくなってしまったけれど、私の心配は杞憂に終わり、彼の優しさは今も変わらない。
そんなある日。出勤に使ういつものバス停で、いつもの運転手さんが、私にこう話しかけてきた。
「羨ましいねぇ。愛されてるってのはどんな気分だい?」
私はわけがわからなかった。「え?何のこと?」

「だからさ、毎朝ここまで君を送って来て、このバスに向かって敬礼してゆく軍人さんだよ。あんたの旦那さんなんだろう?」