アイネスフウジン

各新聞には若手ジョッキーの特集が組まれている。

人気の馬には、横山典弘、武豊、岡潤一郎と20歳そこそこの若いジョッキー。

この3人のうち誰が勝ってもダービーの最年少記録になる。

でも、誰もがちょっと花形ジョッキーよりも・・・という気持があったんだろうね。

皐月賞でうまく逃げることができなかったアイネスフウジン。

朝日杯を勝っているアイネスは人気を少し落としていた。

10年たった今でもはっきり覚えている。

まだ秋になると枯れてしまう芝だったターフ。

その若い芽が黄緑色に快晴の陽を浴びてキラキラしていた。

アイネスはその芝を蹴り上げ、先頭を走っている。

当時、競馬を始めて1年に満たない私は逃げ馬は絶対に不利だと思っていた。

ホクトヘリオスの追い込みに魅せられていたし・・・。

坂にかかってもアイネスの脚は止まらない。

武のハクタイセイも岡のユートジョージも出て来る気配がない。

ライアンがすごい勢いで突っ込んでくる。

それでもアイネスは誰も前にやることはなかった。

テレビ中継はアイネスフウジンを連呼し、ゴールと同時に中野騎手がアップになった。

「アイネスフウジン、中野栄治!若者には負けてられないっ!!」

まさに、アナウンサーの言葉どおりの顔つきだった。

掲示板には赤いレコードの文字。

ウイニングランをするダービー馬とダービージョッキーを湛える歓声は

伝説の『ナカノコール』に変わった。

体を壊し、引退の危機もあった中野騎手。

「返し馬の段階で、今日は勝てると信じていた」とのこと。

このレースを最後に屈腱炎で引退してしまったアイネスフウジン。

ダービーですべての力を使っちゃったのかなぁ。

でも、アイネスのレコードはトウカイテイオーにもナリタブライアンにも

破られていないんだよ。

初めて見たダービー馬は強く印象に残るというけれど、

私の中の最強ダービー馬はアイネスフウジンです。

その頃は、発走前の手拍子も歓声もないダービーでした。