白い記憶

 
雪が、降っている。
 
 
柱時計が、ボーン、ボーン、ボーンと三回鳴った。
その音で目が醒めた。ストーブを背にして、いつの間にかうたた寝をしていたようだ。
ストーブがじんわりとした熱を放射している所為で、肌を刺す寒たい外気もここには届かない。部屋の隅に追いやられて、窓ガラスに水滴を張りつかせるだけだ。
ちろちろと燃える焔に炙られて背中が少し熱い。体制を入れ替えてまたストーブの前の床に横たわる。
暖まった絨毯の上で、座布団を枕にごろ寝。上気した頬の温かさが心地よい。まどろみの続きを再び味わうため、そっと瞼を閉じる。
窓の外は、いつの間にか雪。鉛色の空から、止めど無くあとからあとから舞い落ちる、白い綿雪。
冬には珍しく風が凪いでいる所為で、その緩やかな軌道を乱すこともなく整然と地上に落ちてくる。
 
・・・・・・静か。
 
雪の静寂は、他のどんな静けさとも明らかに異なる。
空から音もなく降り積もる雪が、全てのものを白く覆い尽くし包みこんで、外界からこの家を切り離してしまう。
家の中には雪のように無音と言う『音』が降り積もって、この部屋の空間を埋めつくし、あらゆるものの輪郭をはっきりと浮かび上がらせる。
外の木立も、周りの家々も、この部屋の中も、雪と静けさに包まれてその形を私にはっきりと意識させる。
ストーブが放射する熱線も、中で燃え盛る小さな焔も、部屋の隅でうずくまっている冷気も、ストーブの上の薬缶がたてる水蒸気も、降りしきる雪の結晶も、みんなみんな。
窓の外の真っ白な景色から目を逸らし、瞼を閉じると、世界は今輪郭の浮かび上がったこの部屋の中だけのような気がしてくる。
外にはただ降りしきる雪と鉛色の空があるだけ。
雪に埋もれたこの空間だけが、私の全て。
もしかしたらそれで充分なのかもしれない。
―――― あとはただ、近づいてくるやさしい足音の主が居れば。
「こんな所でうたた寝はやめなさい。風邪を引くよ」
苦笑いしながら寝転がっている私を見下ろす。
「・・・・・・だって、気持ち良いんだもの」
「もうすぐ嫁に行く人がだらしがない、ってまたお義母さんに怒られるよ」
「あなたもここに来たら、私がどんなに幸せな気分か分かるわ」
手招きをすると、やれやれ、困った人だ、と彼は笑って、私のすぐ傍らに手を付いた。
そして私の隣に寄り沿うようにして横たわる。
そっと差し出す腕を枕にして、彼の胸に顔を埋め、大きく息を吸い込んだ。彼の匂い。心地よい。
二人の掌を重ねる。
指を絡めあい、しっかりと握り締める。
静けさが、二人の輪郭を際立たせる。彼の体温も、私の薬指に輝く婚約指輪も。
「確かに、幸せな暖かさだね」
「でしょう?」
しんしんと降る雪。
「幸せ?」
彼が訊ねる。とても優しい、幼い笑顔。
「とっても」
彼の背に腕を回し、力いっぱい抱きしめる。
「大好きよ・・・・・・あなた」
 
 
 
 
 
目覚めた時、私の身体には先刻まで見ていた夢の中の感触がはっきりと残っていた。
それは初めての経験だったので、本部に行った際に司令に報告をした。
先日の機体相互互換試験後から、ほんの微かな変調を感じていたこと。
今朝夢の中で、全く体験したことのない感覚を非常にリアルに感じたこと。
過ごしたことのない筈の冬の寒さ。ストーブの熱気。見たこともない筈の雪の光景。
そして、重ねた掌の温もり。
夢の中の出来事を話し終えると、碇司令は泣いた。
ユイと婚約した冬に、実家に挨拶に行った時の事だ、と言った。
泣き暮れる司令を後に、部屋を出た。
 
 
 
それは、事故で消失したユイ博士の記憶だったのだろうか。
死んだ後さえ、この身体に宿る記憶。
消え去ってもなお、この遺伝子に残る温もり。
胸が潰れそうなほどの幸福感。
 
わたしにはないもの。
 
私は、知ることが出来るのだろうか。
私は、手に入れることが出来るのだろうか。
私がこの地上から消え去っても、私が「私」でなくなっても、この身体に、この魂に刻み付けられた、そんな、
 
永遠の、一瞬。
 
 
 
 
「涙・・・・・初めてなのに、知っている気がする」
 
私の望みは・・・・・・きっと・・・・・・
 

END

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