『二十歳の絆  〜Influence〜』

03.09.25 UP

 午後11時。傍らに置かれた麦茶のグラスを手に取り、喉に冷たい麦茶を流しこんで一息ついた。
『じゃあ、後はシンジが予約を入れて、それで準備はオッケーね』
「うん、分かった。10月10日の7時からでいいんだよね」
ノートパソコンのキーを叩きながら、シンジは受話器に向かって返事をした。
ミニコンポのスピーカーからジャズが流れ続けていた。FMラジオをBGM代わりにするのがシンジの最近のお気に入りであった。
「でもさあ、ビックリしたよ。あの二人が婚約したって聞いた時はさ」
夜の静けさは嫌いではない、むしろ心地良い。ただ一人、部屋で音楽に浸るのも悪くない。
昔は、孤独は罪の報いでしかなかったが、今は盗み飲む美酒のように、甘い。
『まったく、いきなり呼び出されたと思ったら、婚約しました、だもん。呆れちゃって何も言えないわよ』
回線の向こうから聞こえる陽気な彼女の声は、部屋を埋める怠惰なメロディーと重なり合い、何時しか艶やかなハーモニーを奏でていた。
同窓会の幹事になってからアスカと頻繁に電話をするようになった。それは一日の終わりの楽しみとさえなっていた。
彼女と話していると時の経つのが早く感じられた。会話のテンポも良いし話題も豊富で、彼女が高い知性と教養を備えている人物であることがよく分かる。
けれどこんなにも会話が心地良いのは、やはり相性の良さが有るようにシンジは思っていた。
「まあね。けど良かったよ。結構長い付き合いだったしね」
夜は女性をいつもよりも魅力的にする。何かの本で読んだ言葉だったか、シンジはそれを頭の片隅にちらりと浮かべた。
『それは確かに。何しろ中学からの付き合いよ、中学からの』
アスカと出会った頃に、トウジとヒカリも出会った。そして僕らは友情を育み、彼らは人生の伴侶となる。
人の巡り合わせの不思議に、シンジは少々感慨を覚えた。
「中学生で運命の人と出会ったんだねえ。ちょっと羨ましい気がするなあ」
不意に、真面目な声色になってアスカが呟いた。
『…シンジだって、もう出会ってるのかもしれないわよ』
運命の人。
瞬間、緋色の瞳が浮んだ。
「そ、そうかな?」
気を紛らわすように、シンジは明るい調子で答えた。
期待は膨らみすぎないほうがいい。調子に乗っていると、不用意な言葉で人を傷つけるから。
まだ胸中から出すには早い、そう思いまた胸の奥深くに彼女の面影を沈めた。
『どんな感じかな。出会った瞬間に分かるのかな。この人だって』
「どうなんだろうね。案外さ、この人だけはゴメンだ〜、なんて最悪の第一印象だったって人が、正解だったりしてね。」
『あはは、じゃあ…アタシはシンジだわ』
まずいと思った。
口調はふざけているのに、アスカの言葉に真剣な響きが混じっていたからだった。
咄嗟に冗談で返さなくてはと思ったが、喉元に懐刀を突きつけられたように感じて、二の句を継げなかった。
しまったと思ったが、既に遅かった。
受話器から気まずい沈黙が漂う。
(何で、そんな科白をいま……)
いや、分かっていたはずだ。シンジは頭を垂れた。そんなことはずっと昔から。ただ見ない振りを続けていただけだ。
どうする、どうする、どうする………
シンジは掌にじっとりと汗をかいていた。
このまま電話を切ってしまいたい、けれど、このまま会話を終わらせる訳にはいかない。
息を継ぐのさえ躊躇われる緊張感。
長い沈黙の後、アスカが意を決したように息を吸うのが、電話口から聞こえた。
『……シンジは、アタシが運命の人じゃ、イヤかな』
心臓が、どくんと大きく鳴った。
臓腑にズンとアスカの言葉が落ちた。
頭に心音が直接響いている。目は電話機の通話ランプから離れない。握った受話器は汗でぬるぬるとしていた。
「あ………」
自分で声が震えているのが分かった。
それを聞いて、急にアスカがふざけた調子で話し出した。
『なによう〜、アタシじゃ不満なワケ〜?このアスカ様と付き合いたいって男は捨てるほどいるのよー』
「あ、ああ…」
この場を取り繕うようなアスカの返事。シンジは彼女に従うことにした。
「アスカと付き合う男は、よっぽど打たれ強くないと耐えられないからなあ」
『あ〜ら、それはどういう意味かしらぁ?』
「いや、言葉通りの意味だよ」
『言ったわね、次に会った時に後悔するわよ〜』
「おいおい、勘弁してくれよ。僕は打たれ弱いんだからさ」
『慣れてるから平気でしょ?まあご飯奢りくらいで勘弁してあげるわよ』
「オーケイ、その位で済むならね」
『じゃあ、また今度。今の約束忘れないでよ〜、じゃね!』
「ああ、また。おやすみ」
『おやすみ〜』
受話器を置いて、シンジは長い長いため息を吐いた。
アスカは冗談で済ませるという選択をしてくれたようだ。
ああ、正直助かった、と頭に浮んだ途端、シンジは脱力感と深い疲労を覚えた。
「まいったな………」
頭を掻きながら、さっきの会話を反芻して、またため息を吐いた。
彼女の言葉が、腹に重く重く残っていた。
このまま、冗談で水に流してしまえるだろうか。
今まで通りに友達として接していけるだろうか。
―――心の何処かで、無理だという声が響いた。


 どうしよう。
アスカは、心の中でまた呟いた。
「どうしよう」
言葉に出してみた。どうする、アスカ、これから。
あそこで言うつもりはなかった。けれど、止めることが出来なかった。
目を閉じると、学生食堂で見かけたシンジとレイの姿が瞼に浮かんだ。
アスカには、それが一瞬トウジとヒカリのように見えたのだった。
堪らなかった。
それでも言葉にするつもりはなかったのに。
「―――どうしようもないか」
既に、気持ちは固まっているのだ。
「はっきりしなくちゃ…ね」
例え、今までのように話せなくなっても。
5年間の絆を断ち切るようになったとしても。
「私は、友達のまま終わりたくない……もの」




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