『二十歳の絆 〜Progress〜』

99.2.17 UP


「私たち、婚約したの」
いまから一ヶ月前の事だ。
ヒカリに呼び出された喫茶店で、アスカは二人からこう切り出されて絶句してしまった。
嬉しそうに報告するヒカリと、照れくさそうにそっぽを向くトウジ。
見ると、ヒカリの左手の薬指にはダイヤの指輪が輝いていた。
「あんたたち、いつの間に……式はいつなのよ?」
「いや、すぐ結婚するワケやないねん」
「トウジがね、大学を卒業したら一緒に暮らそうって言ってくれてね…」
「一応お互いの親んとこに挨拶に行ってん。もう俺らも付合い長いしな。けじめ、ちゅうんかな」
「トウジってば、”俺、お前の作った味噌汁好きやし”って言っちゃってね」
「あっ、アホウ!そんな事言わんでもいいねやんか。なんで女ちゅうのはこう余計な事をベラベラと……」
赤くなりながら言いあっている二人を、アスカは呆れ顔で見ていた。
「で、話ってなんなのよ、まさかのろけ話を聞かせるためにわざわざ呼んだんじゃないでしょうね?」
冷ややかなアスカの言葉に、二人は、改まって話を切り出した。
「それでね、この事をみんなに報告する場があると良いなあって、そう思って……」
「そう、俺は別にええんやけど、こいつがどうしてもって…げほっ」
トウジの脇腹に肘鉄を食らわせながら、ヒカリはアスカに”お願い”の視線を送る。
「アスカにしか頼めないのよ、こういうこと。私たちのことも初めから知ってるしね。ぜひ引き受けて欲しいの」
「……あんたたち、アタシが断れないって分かっててやってんでしょ」
「じゃ、引き受けてくれるのね!ありがとう、アスカ!!」
アスカの手を取って思いっきり握手するヒカリ。
「すまんな、惣流。こいつのために引き受けてくれて」
「もう、そんな水臭いこと言いっこなしよ。このアスカ様にドーンと任せなさい!」
「本当にありがとうね、アスカ」
交渉成立と言う訳で、3人は簡単な打ち合わせをして、席を立った。
店を出る間際、アスカはヒカリにちょっとした疑問をぶつけた。
「しかし、何でわざわざそんなことする気になったわけ?」
ヒカリは、トウジに聞こえないようにアスカに耳打ちした。
「こうすれば、もう引っ込みが付かなくなるじゃない?退路を断つ、ってやつよ」
涼やかに微笑むヒカリに、アスカは複雑な心境だった。


 親友が結婚する。もちろん先の話だが、嬉しさのほかに、アスカはほんの少し寂しさを感じた。
それと同時に全く別の、もう一つの感情も抱いた。
店を後にすることになった際、椅子から立ちあがろうとするトウジに、ヒカリが手を貸した。
あまりにもその姿が自然で。
呼吸をするように、ヒカリは寄り添い、トウジを支えて二人で歩き出した。
彼らの間に着実に築き上げられた”時間”を見せつけられたようだった。
支えあい歩く二人は、それが当然のように、何の違和感もなく風景に溶け込んでいた。
二人が付きあい出したのは、確か中学2年生の時だった。あの”事故”のあと、ヒカリから告白したのだ。
それから5年。
(この二人は着実に想いを深め合っているのに、確かな絆を結んでるのに、アタシとシンジは……)
アタシとシンジは、何?
答えは、ない。少なくとも自分で納得できる答えは出ていない。
自分達の5年間は何だったのだろうか。アスカは猛烈な焦りに襲われた。
(……はっきりしなくちゃ、いけない)
心の奥深く、アスカは決意を固めていた。


 玄関ドアの前で、レイはもう30分以上待たされていた。
さすがに待ちくたびれて、もう一度ノックしようとした時、勢い良くドアが開いた。
「ごっめ〜ん!!いや〜急に来るもんだからさあ。ま、ちょ〜っち汚いけど上がって上がって」
ミサトが頭を掻きながらレイを家の中に招き入れた。
「今度から、来る時は前の日に連絡してね」
あれだけ待たせておいてどこを掃除したのか皆目分からない部屋の中で、インスタントコーヒーの入ったマグカップをレイに勧める。
「で、何?レイから訪ねてくるなんて、珍しいこともあるもんね」
「……実は、今度碇くんと映画を見に行くことになって…」
途端に、ミサトは目を輝かせて、レイのほうに身を乗り出してきた。
「なぁにぃ、そうなの!そーゆー事になってたのお!!!いっや〜、シンちゃんもやるようになったじゃない!お姉さん感慨深いわあ……で、何時なの?デートって」
「………デート、ではないと思う。多分」
手許のマグカップに視線を落として呟く。
「え〜、シンジ君と2人だけで行くんでしょう?立派なデートじゃないのよ」
「そんな事は言っていなかったし、それに、デートは恋人がするものなのでしょう?」
「う〜ん、そうとも限らないけど……」
「碇くんが、私をデートに誘うわけないもの」
ミサトは、そんなレイを見て苦笑する。
(こういう事はまだまだ分からないのね。二十歳なんだか、中学生なんだか)
「レイは、シンジ君のことどう思ってるの」
「……分からない」
「シンちゃんのこと、嫌い?」
「嫌いではないけど……」
「じゃあ、好きなんでしょう?」
碇くんを、好き?
(…………考えたこと、なかった)
「……ずっと一緒にいたい、とは思う。でも………」
レイは困惑した表情を浮かべて、ミサトを見上げた。
「わからないの。初めてなんです、こんな気持ち」
好き。
相手に好意を持つこと。心惹かれること。胸が苦しくなること。その人を想って、涙を流すこと。眠れない夜を過ごすこと。
碇くんと一緒にいると、安心する。楽しくなる。暖かい気持ちになる。心地よい安堵感に包まれる。
これは、好きという感情なのだろうか?
好き。もっと激しいもののような気がする。もっと苦しいもののような気がする。
(私は、碇くんが好きなの?それとも違うの?……この気持ちは一体何なの?)
迷子の子犬のような顔をして物思いに沈むレイを見て、ミサトはふと懐かしさを感じ、胸が痛くなった。
(こんな頃あったな、私にも。初めてあの人に会った頃、だったかな)
忘れられない男の顔を思い出し、目の前のレイにその頃の自分を重ねて、ミサトは目頭を少し熱くした。
自分にはきっともう二度とないその戸惑いが、羨ましく思えたのだ。
尤も、自分はこんな風に他人の前で悩みだすような無防備な所はなかったと、ミサトは再び苦笑した。
「さあさあ、レイ。そんな顔してちゃ、折角の可愛いお顔が台無しよ。今日はどうして来たの?」
ミサトの明るい声に、はっと我に返り、ややためらった後、レイは顔から火が出る思いで告げた。
「今日は、男の人と出かけるのは初めてなので、葛城さんにどうしたら良いか聞こうと思って」
「私に?」
「……おしゃれ、とかした方が良いんでしょうか?」
頬を染めながら聞いてくるレイ。
「……そっか、じゃあ、ミサトサンが魔法をかけてあげよう!」
「魔法?」
「そうよ、とびっきりの魔法をね!まかせなさいって、シンジ君をびっくりさせてやるわ〜」
そう言うと、ミサトは急にバタバタと動き回り始めた。
こんなに弾んだ気持ちになるのは久しぶりだわ、と思いながら。


 抱えきれない程大きな荷物を持ってレイがミサトの家を出たのは、もうすっかり日も暮れた頃だった。
夜空を見上げながら、レイは先刻から自分の中で膨らんでいく問いの答えを捜していた。

私は、碇くんを好きなの?
好きって、どんな気持ちなの?
そして、
――― 碇くんは、私を好きなの?

レイの中に沸き起こる問い。
いくら考えてみても、答えが見つけられない。
鞄の中から、シンジに貰ったチケットを取り出して眺めてみる。
(何かが、分かりそうな気がする。この日……)
何故かそんな予感がして、レイは夜空に浮かぶ月に向かって祈った。
(どうか、いい1日でありますように)




[ 感想のメールはこちらへ ]