指輪 〜Ring〜

「っ…ん。………ん…はぁ……ん」
声が、漏れる。
押さえられない。吐息と共に、切なげな呻きが唇からこぼれる。
恥ずかしい。
こんな声を上げているなんて。
どうして?
心が震える。体が震える。体の芯が、心の奥が、熱く痺れ、溶けていく。
ただ、彼の唇が指先をなぞるだけなのに。
ゆっくりと、ゆっくりと指の形を追っていく。優しく、そっと触れる、柔らかな彼の唇。
握られた手のひらから、触れる唇から、伝わる熱さ。彼の体温。
指の一本一本を丁寧に口付けしていく。
薬指に触れ、その付け根で一旦動きが止まる。
そこにあるのは、彼がくれた指輪。
ムーンストーンのあしらわれた、シルバーの指輪に軽く口付けする。
『指輪が欲しい』
最初にそう言ったのは、私のほうだった。


碇くんと”特別な関係”になって、数ヶ月が過ぎた。
私は、彼と”お付き合い”というものを始めてから、自分の望みばかりを言っているような気がする。
それは、初めて知る私。初めて知る心。私の胸の奥から、いままで知らなかった欲望が頭をもたげる。
「電話してもいい?」
「会いたい」
「手を繋いでもいい?」
「キスして欲しいの」
「抱きしめて欲しいの」
「一緒に、いて欲しいの」
自分の中に、次々湧きあがる欲望を、感情を、私は制御できない。
それは、激しい嵐のように、私を翻弄する。
彼は、そんな私の要望を受け入れてくれる。いつも。
「綾波がしたいようにしなよ」
「綾波がそうしたいなら、僕はそれでいいよ」
彼は、決して私を束縛しない。それを望まない。
それが彼の優しさだということは、よく分かっている。
でも、 それが私を不安にさせる。
たとえ身体を繋いでも、拭えない不安。
だって、自由など私には無かったから。
私を縛り付けるものしか、知らなかったから。
全てが、生死さえも、私の手の中に無かったから。
どうすればいいのか、わからない。

私の望むとおりにしていいの?
碇くんは、それで本当にいいの?
碇くんは、私に対して、何かを望まないの?
「会いたい」「触れたい」「一緒にいたい」とは思わないの?
私は、貴方の全てを望んでいる。
それは、いけないことなの?
それは、迷惑な事なの?
貴方は、私の全てを望まないの?
…………それは、私が好きじゃないから?

彼が私のことを愛している事も、大切にしてくれている事も、いやになるほど分かっている。
けれども、心の中に沸き起こる疑惑を、私は止められない。
もし、私が普通のヒトであったなら、いままでにも、恋愛の経験があったなら、こんなに惑う事も無いのだろうか。
それとも、碇くんが、私のことを束縛してくれたなら…………

……こんな事を言えば、彼が困ってしまうのは分かっている。
もしかしたら、私のことを嫌いになるかもしれない。
………もしかしたら……………
突然、不安になる。
怖い。
だって、彼以外に、私には何もないから。
怖いの、私。
彼を失う事が………とても、怖い。
怖い事なんて、なかったのに。
失うものなんて、なかったのに。
今は……怖いの。


だから、指輪が欲しい。
この薬指だけ、貴方の想いで束縛して欲しいの。
我が侭を、惑いを、不安を、輪の中に閉じ込めたいの。
この、御しきれない感情に、貴方が拘束具をつけて。


「あ、碇く、ん……」
「どうしたの?綾波」
悪戯ぽく微笑む彼。今度は、舌で指を丹念に舐めまわす。
口に薬指を含む。吸い上げ、舌を絡め、口中で私の指を弄ぶ。湿った音が耳に届く。
「あっ、あ……んっ」
そして、時折軽く噛む。
彼が歯を立てる度、背筋がぞくぞくと震える。
恥ずかしい。
ただ、指に口付けられているだけなのに。
体が震えるほど、声を上げるほど、感じてしまうなんて。
もう片方の手で、声が漏れないように口を塞ぐ。
彼がゆっくりと唇から指を引き抜く。唇と指を繋ぐ透明な糸。
「気持ちいいの?レイ」
彼の問いかけに、心臓が一層高鳴る。吐息が溢れる。
おもむろに彼の指が唇に触れ、そしてさっと表面を撫でた。
やがて、唇を割って口中に侵入してくる指。口の中を掻き回し、まさぐる。
碇君の指に、私の口が犯されている。
母乳にしゃぶり付く赤子のように、私は無心にそれを吸い、舌を絡める。
頬が燃えるように熱い。多分、とてもはしたない顔をしているに違いない。
「レイ」
碇くんが名前を呼ぶ。
「レイ」
私を呼ぶ。
………私を望んでいる。欲しがっている。
何よりも、私はその欲望に酔いしれる。その想いに、悦び感じる。
貴方に求められている。それが私の存在理由。

碇くんのくれた指輪が、私の薬指で、濡れた光を放っていた。

Fin

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