化 粧

99.11.20 up

 
初めて、化粧をした日の事を覚えている。
ひと揃え買い揃えると言う友人に付き合って、近くの化粧品店に行った。
来年から大学生なのだから、と母親からお金を渡されたのだと友人は笑った。
化粧品の心配をしてくれるような人物など、当時の私には誰もいなかった。
後ろで髪の毛をきちんと纏めて、爪先まで隙のない化粧を施した店員のお姉さんが、あれこれと説明をしながら友人の顔をメイクしていく。
友人を仕上げた店員さんが、あなたもどう?と笑い掛けた。
薦められるままに椅子に腰掛け、私も化粧してもらうことにした。
眉を整え、アイシャドウをし、アイラインを描き、マスカラを塗り、頬紅を刷き、口紅を塗る。
色とりどりの道具が、次々と現れては顔の上を通り過ぎていく。
頬や瞼を撫でる刷毛が、柔らかくて心地いい。
 
ずっと昔、まだ幼い頃に、鏡台の前で化粧をする母の姿を鏡越しにずっと見つめていたことを、思い出した。
鏡台の前にいる母は、いつもとはどこか違った顔をしていた。
 
はい、終わりましたよ、との声に、鏡の中を覗きこむ。
 
そこにあるのは、私の顔。
けれども、知らない顔。
 
急に、頬が熱くなった。恥かしい。
とにかく、気恥ずかしかった。すぐにでも口紅を拭って、化粧を落としたかった。
 
誰、これは。
鏡の中にいるのは、私じゃない。
 
店員さんと買う物について話している友人を置き去りにして、すぐにでも家に帰りたかった。
 
こんなの、私じゃない。
私じゃないよ。
 
とにかく、帰り道に知り合いに会わない事を必死に願った。
帰る間中、ずっと顔を伏せて歩いていた。
 
 
 
 
 
何時からだろう、化粧をする事が当たり前になったのは。
 
鏡を覗きこみながら、紅筆で口紅のラインを引いていく。
最初のうちはなかなか思うように輪郭が取れなくて、何度も何度も塗りなおしていた。
今は簡単に終わってしまう作業。
 
ひと筆動かすごとに、鏡の中の私の顔が変わっていく。
 
真っ赤な口紅を、きゅっと引く。
大人の顔。仕事の顔。上司の顔。勝気で明るくて気丈でいい女で優秀な、「葛城ミサト」
一つ一つを作り上げて、塗りこめて、描き上げて。
 
鏡の中の私は、誰?
昔見た、知らない私。
 
でも今は、これが私の顔。
 
 
 
 
鏡の前で、化粧を落とす。
そこにあるのは、素顔の私。
今まで装ってきた「葛城ミサト」を拭い落として、私に戻る。
泣き虫で寂しがりやでだらしなくて、弱い、私。
 
誰も知らない、私。
私しか知らない、私。
 
あなた以外には。
 
ここでだけは、私は素顔を晒す。
あなたの前だけは、全てを曝け出すことが出来るの。
 
ね、加持くん。

END

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