I Know

99.1.19 UP

知っているわ。ずっと…………


一体何時だったんだろう。初めてあの男の視線を感じたのは。
「リッちゃん、こっちいらっしゃい」
何度目かの、母さんの研究室。
いつも一人でモニターと向かい合っている母さん。部屋に誰かが訪ねてくる事はまずない。
ほとんど家に戻らない母さんと水入らずの時間を過ごすのにはちょうど良かった。母さんも、私が行く時は邪魔が入らないようにしているようだ。
なのに、今日は違った。
「紹介しますわ。娘のリツコよ」
私は、ちょっと頭を下げた。
「ほう、赤木くんに似ているな。将来はきっと美人になるだろうな」
嫌な感じ。じろっと私を一瞥したその男に、私はそんな印象を抱いた。
冷たい目。私を見下ろす視線。口元は笑っているけど、ちっとも笑ってなんかいない。
「もうすぐ中学生ですのよ。道理で私も年を取る筈よね」
いつもと違う母さん。私の知らない顔。私が見たことのない笑い。
どうしてそんなに嬉しそうなの?どうしてそんなにはしゃいでいるの?
嫌な感じ。
母さんも、あの男も。


久しぶりに母さんの研究室に行く事になった。参観日のお知らせを持って。無理なのは分かっているけれど。
でも母さんに中学校の制服を見せてあげるつもりだったから、丁度いい。
セキュリティを通って、研究室へ直通のエレベーターを待っていた。
チン、チン、チン……チン。
エレベーターのドアが開いた。そこに、あの男がいた。
「……こんにちは」
「赤木くんのお嬢さんか」
私をじろりと見る。嫌な視線。私のことを探るような……
エレベーターのドアが閉じた。小さな箱の中を重苦しい沈黙が支配する。
チン、チン、チン……
自分の靴のつま先を見つめながら、はやくエレベーターが地階へつくことばかり考えていた。
はやく、はやく、はやく……
「君は、お母さんが好きかい?」
突然の問いかけに、思考が中断された。
「…はい、好きです」
男はエレベーターの階数表示に視線を合わせたまま、にやりと笑った。
「そうか」
しばらく思惑の読み取れない横顔を見つめていたが、私はまたつま先に視線を戻した。


今日もまた地下の研究室へ向かう。今回は一ヶ月ぶりだ。ここしばらくというもの、母さんと会うのはいつも地下の研究室だ。
母さんの話してくれる研究は非常に興味深かったし、世界でも最先端の研究をしている母さんを誇りに思っている。
一緒にいる時間が短くても、母さんのことを恨めしく思ったことはない。
でも、あの男といる母さんは嫌い。
あの男と話している時、母さんは華やいで見える。
嫌。どうしようもない嫌悪感が胸に湧き上がる。
あの男のために笑顔を作る母さんを、許せないと思う。
何故、母さんはそんなに楽しそうなの?
あんな男なのに。母さんと会っているときでも、母さんの事見ていないのよ。
あの男は、母さんといるときでも、廊下ですれ違うときでも、必ず私の事を見る。いつも見ている。
視線を感じる。私を見つめる、あの視線。気持ち悪い。
嫌な男。
嫌な母さん。


「大人って、不潔だわ」
そうね、大人は汚いわ。
でも私たちだって大人になるのよ。汚れた大人に。
そうしないと生きていけないから。
「いっつも自分の事ばっかり。子どもの気持ちなんてちっとも考えてくれないんだよ」
でも、それは仕方のない事。だって母さんは私ではないから。
赤木ナオコという人間だから。
母さんの人生だもの。母さんの使いたいように使えばいい。
私だって、私のしたいように生きる。母さんとは違う人間だから。
私は、私のやり方で生きていくの。母さんと同じ道に進んでも、母さんと同じ人生にはならないわ。
「わたし、あんな親になんか、絶対ならない」
そうね、母さんのようにはならないわ、絶対。
あんな男に惚れるような女には。


「そうか、リツコ君も大学に入学したか」
「はい。先日はご丁寧にお祝いをありがとうございました」
「赤木くんと同じ専攻だそうだね」
「ええ、出来れば母と同じ分野の研究に従事したいと思っています」
「そうか、それは赤木くんも喜ぶだろう。お母さんが顔負けの学者になるかもしれんな」
「そうですね、そんな事が出来ればですけれど」
冬月副所長と話している間も、後ろであの男がこっちを見ている。
いつもの視線。
母さんは分かってないのかしら。いつも私が見られていることを。
「赤木くんの若い頃にそっくりだな、碇」
「ああ、そうですね。良く似ている」
でも、違うわ。
母さんとは違う。あなたのこと、なんとも思ってないのよ?私。
私は知っているんだもの。あなたがひどい男だってこと。
母さんの事、なんとも思ってないんでしょ?
もう子どもじゃないわ。あなたの視線で分かるのよ。
冷たい目。遠くを見ている。母さんじゃない人を見ている。母さんの前でも。
冷たい男。ひどい男。嫌な男。
知っているわ。ずっと前から。
知っているわ。ずっと見られていたから。


「好きなようにすればいいでしょう!!あの時みたいに」
私の同意が必要だというの?
そうよ、無理やり抱いたくせに。私の合意でやったとでも言うの?
私が望んだとでも言うの?母さんのように。
ずっと、私のこと見ていたくせに。

私を?
――――――いえ、知ってるわ。

ずっと見ていたのは私だってこと。
いつも見られていたのはあなただってこと。
そうよ、もう分かっていたわ。前から。ずっと。
ほんとは知っていたの。分かっていたの。
無理やり抱かせたのは、私。
視線を送っていたのは、私。
見ていたのは……………私。
好きだったのは…………
知っているわ。ずっと…………

END

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