『部屋においで』

99.5.21 up



トゥルルル…トゥルルル…
「はい、綾波です」
午前0時。今日が過去に変わった瞬間、電話のベルが鳴った。
パジャマ姿で寛いでいたレイだが、深夜の電話に幾分緊張しながら受話器を取る。
だが、受話器の向こうから聞こえてくる声を聞いて、すぐに安堵のため息をついた。
『あ、綾波?遅くにゴメン、シンジです』
「何?」
ついつい綻んでしまう表情を悟られまいと、素っ気無い口調で返事をする。
『うん。実は今、本部から電話してるんだけど…』
就職してから、シンジは仕事に追われる毎日となった。
残業は当たり前。徹夜、休日出勤も珍しいことではない。ひどい時は一週間も家に帰れない事がある。
『今日さ、そっちに泊めて欲しいんだ』
この時間に職場から掛けてくると云うことは、多分そういうことだろうと予想はついていた。
『家に帰る気力ないんだよ。今日はホント疲れた』
レイの部屋の方が、シンジのアパートよりは本部に近い。
「…家に来ても、何もないわよ」
調度品の少ない部屋の中を見渡しながら答える。
余計な物がない分、部屋が散らからないので、突然の来訪にもうろたえる事はない。
『綾波の横で寝たいだけだもん』
「朝ご飯、ないわよ」
『綾波を食べるから、いい』
「……バカ」
大きくため息をひとつ。
「いいわよ」
『サンキュ!今から行くから30分後にはつくよ。じゃあね』
ガチャン!
電話は勢いよく切れた。シンジが大急ぎで職場を駆け出す姿が想像できて、ついクスリと笑ってしまう。
特に片付ける必要はないが、それでも部屋の中を見回して、あちこちと物を動かしたりしてみる。
そして、部屋の真ん中でチョコンと鎮座しているサボテンに目を遣る。
シンジがレイにプレゼントしたサボテン。
『僕の代わりに。綾波に悪い虫がつかないように、ね』
そんな事を言ってサボテンを置いていったシンジ。
真面目に言っている姿に、可笑しいやら呆れるやらだったが、そんな風に言われてしまっては、世話を焼く手にも力が入るというものだ。
「…今日は、来るって」
そっと水を遣りながら、サボテンに話しかける。
「疲れたって、言ってるのに、ね」
棘をツンツンと撫でて、そしてレイはほうっ、とため息をついた。
シンジが部屋に来るのは何回目なんだろう。
もう数が分からなくなる程、彼がこの部屋のドアをノックするのを待った。
でも、何度回数を重ねても、彼が来るまでの時間の、この何とも言えない気持ちは、初めてシンジを部屋に迎えた日と変わることはない。




ピンポーン
「どちら様ですか」
一応、インターホン越しに確かめる。
「碇です」
キーロックとチェーンを外し、ドアを開けると、シンジは崩れかかるようにレイに抱きついた。
「う〜、疲れたあ〜」
だらりと脱力した手を、何気なく腰に廻しながら、レイにもたれ掛かる。
他人に甘えることをしない、出来ないシンジが、レイの前でだけは子供のような態度を取る。
誰も知らないシンジの姿。他の人が見たら、どんな顔をすることだろう。
―――でも、いやじゃない。
むしろ、心地良くさえレイには感じられる。
「おかえりなさい、お疲れ様」
シンジの体の下から手を伸ばしてドアを閉じながら、何気なくレイが言う。
「ん、ただいま」
ふ、と軽く微笑みながらレイはシンジを玄関から部屋の中に招き入れる。
………ただいま、ね。
いつの間にか、気恥ずかしさを感じることなく、当たり前のように交わしている挨拶。
「シャワー浴びる?」
箪笥の中から男物のパジャマを出しながら、レイが訊ねる。
「いや、いい。もう寝る」
シンジのパジャマ。歯ブラシ。髭剃り。ワイシャツ。ネクタイ。
部屋の中にシンジの身の回りの物があることに、今はすっかり違和感を感じなくなった。
シンジと二人で過ごした時間の分だけ、この部屋に彼の物が置かれていく。
レイの日常の中に、少しずつ、確実にシンジの存在が根を張っていく。
二人の関係が、自分の中のシンジが、そしてシンジの中の自分が、それだけ確かなものになっていくようで。
レイにはそれが嬉しかった。



「ふう〜」
着替え終わったシンジが、ドサリとベットに倒れこんだ。
「さ、寝よ寝よ」
「久しぶりね、一緒に寝るの」
「でも、綾波は寝てると布団を全部持っていっちゃうからなあ」
「……じゃ、いい。あっちのソファで寝る」
枕を持って立ち去ろうとするレイ。
クンッ、と後方に引かれる抵抗を感じて、レイは後ろを振りかえった。
見ると、シンジがパジャマの裾を引っ張って、上目遣いにこちらを伺っていた。
「…一緒に、寝よ?」
……敵わないわね、まったく。
そのまま、ゆっくりとシンジの横に滑り込んだ。
静けさを取り戻した部屋の中に、クラシック音楽が微かに流れている。
シンジがクラシックを好んで聞くと知ってから、レイはクラシックのDVDを買い始めた。
最初はただの”箱”だったレイの部屋も、シンジがここで過ごす事が増えてから”部屋”へと変化していった。
調理器具、朝食のパンと牛乳、珈琲豆、プレステX……
最初はシンジのために。
ティーセット、写真立て、本棚……
そのうち、レイ自身のためのものが増えた。
揃いの食器、カウチソファ、ダイニングテーブル……
そして、二人のためのもの。
同じような年頃の女性の部屋と比べたら殺風景なのだろうが、今のレイの部屋には生活の息遣いが、暖かな体温が感じられる。
冷たい空気が漂っていた無機質なこの場所を、二人で過ごした時間が暖かな血の通ったものに変えた。
―――いつの日か、僕らの子供のためのものが、ここに加わるのだろうか。
ふと、そんな事をシンジは思う。
今は、口に出す事さえ憚られるが、でもいつか……
「電気消すわよ」
「ん、ああ…」
DVDデッキと照明の電源を切り、静寂が戻った部屋の中には、月明かりだけが優しく差し込んでいる。
「……ん〜」
ベッドの中でシンジはレイの華奢な背中に腕を廻し、胸元に顔を埋める。
「…レイ…」
首筋に唇を這わせ、パジャマのボタンを一つづつ外していく。
「やだ、碇くん…」
「食べるって言ったでしょ?」
「疲れているんじゃなかったの」
ささやかな抵抗を試みる。
「食べる分の体力は残してあるの」
「……もう…ぁっ……シン…」
続きの言葉は、シンジの唇によって遮られてしまった。




「いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
一足早く仕事に出掛けるシンジを送り出す。
「あの、さ」
ちょっと照れたような顔でこちらを見るシンジ。
「何?」
「首筋、キスマークついてるから気をつけてね」
首筋を押さえて、耳まで真っ赤になるレイ。
「また、来ていい?」
朝日の中微笑んで、レイはシンジにやさしく言った。
「うん、おいで。私の部屋に」

END

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