誤 算

99.1.17 UP 

こんなはずではなかった。
 
私は愛を信じない。
愛を知らないからだ。愛された事はない。愛した事もない。愛を見たこともない。
現に、今目の前でベッドから起き上がって服を着ているこの女も、愛などという言葉を口にしたことはない。
「六分儀君、あたしたちはギブアンドテイクよ。イーブンなの。お互い必要なものを与え合ってるだけ」
「お互い利用しあっている、とも言うな」
「もう、そんな表現しないのよ。夢が覚めちゃうわ」
「もう夢なぞ見る年でもあるまい?赤木くん」
女は笑いながら部屋を出ていった。
彼女は私の野望を気に入り、私は彼女の才能が欲しかった。
それだけだ。
私は愛を信じない。愛など存在しない。
 
「はじめまして」
どうという事はなかった。普通の女だ。
確かに美人ではある。優秀な研究者である事も認めるし、後ろ盾にある組織の力は大きい。
だが所詮はただの女だ。
そこら辺の奴らと同じように、愛だの恋だのいう目くらましにた易く騙され、私の言い成りに動く人形だ。
私に利用されるだけの存在。それ以上でも以下でもない。
 
「六分儀さん」
ユイが私を呼ぶ。
今日あった出来事を私に話す。今日誰に会った、何の授業を受けた、昼は何を食った、たわいもないことを嬉々として私に教える。
「楽しいか?」
「楽しいわ」
「何故?」
「六分儀さんと話しているから」
まるで中学生だ。そうかと思えば、
「私、あなたのこと見てると、子どもみたいって思うときがあるわ」
一体どこがそう見えるというのか。
おかしな女だ。一緒にいるとこっちのペースが乱される。
「わたし、六分儀さんのこと好きよ。不器用な人なのよね」
…わからん女だ。
 
「ゲンドウさん、お帰りなさい」
夕飯の支度をしながら、ユイが台所から声を掛ける。
今日はつまらんことでいやな思いをした。
あんなくだらん奴に屈辱を受けると、いささか私のプライドも傷つく。
「今日は疲れている?」
顔に出ていたか。
「今日は貴方の好きなものたくさん作ったわよ」
私の好物などいつの間に覚えたのだろう。
ビールを注ぎながら、ユイは、おいしい?と聞いてくる。
「……うむ、うまい」
「やあね、ほっぺにお弁当つけて。まったく子どもなんだから」
ふ、と笑ってしまった。子どもなのはユイの方だろうに。
さっきまでの疲れも、どこかへ行ってしまったようだ。
 
「ねえ、ゲンドウさん」
ユイが耳元で囁く。
「私たち、もうひとりぼっちじゃないわね…」
私の頭を、その細い腕が優しく抱きかかえる。
「私には貴方がいる。そして貴方には私」
白い指が、私の髪を梳く。ゆっくりと何度も。
「もう、寂しがらなくていいのよ。怖がらなくていいの…」
「私がいるわ」
ユイの肩にもたれながら、私は眼を閉じて彼女の言葉を聞いていた。
私は愛を信じなかった。
愛なぞ存在しないはずだった。
彼女は私に利用されるだけの存在だったはずだ。
だが、今の私は……
「……ユイ、愛してるよ」
 
こんなはずではなかった。
 
「あの人、あれでかわいい所があるんですのよ」
 

END

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