拝啓

碇 シンジ 様

 残暑のきつい毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?
サードインパクト後の世界に徐々に四季が戻ってきて、時候の挨拶というものも、また使われるようになりましたね。
お元気ですか?
突然の手紙、さぞ驚かれたことでしょう。10年ぶりの連絡が、いきなりこんな手紙なんですものね。
けれども、どうしても筆を執りたくなってしまったのです。私の我が儘も今だ健在というところでしょうか。
―――― あれから、もう10年が過ぎてしまったのですね。
2015年という年が、私たちにとって決して忘れる事の出来ないものであるように、2017年もまた、私の中では忘れる事の出来ない一年となっています。
あの、熱に浮かされたような、中学3年生の日々が、今も鮮明に脳裏に焼き付いています。
私たちの最後の夏が・・・・・・



百の昼、千の夜
【T】
A.D.2017




 書きたいことがあって筆を執ったはずなのに、いざとなると、何から書き始めたものか思案に暮れてしまいます。
そうですね、貴方と再会した頃のことから書き綴ってみることにしましょう。
そう、中学生生活最後の夏です。
中学生といっても、それまでエヴァに乗ることに明け暮れてばかりいた私にとっては、中学3年生にして初めて学生らしい毎日を迎えたというのが実感でした。
あの頃、そこにいた誰もが、程度の差はあれ、サードインパクトのせいで心に傷を負っていたに違いありません。皆が傷ついて、皆が悲しんだ。一人の例外もなく。そんな状況だから、だからこそあの頃の私達は、明るく、快活で、そして優しかった。
それは15歳という若さがそうさせていたのかもしれないし、生命が本来持つ快復の力なのかもしれません。
私も貴方も、そんな周囲の優しさに支えられ、癒されて、少しずつ、ほんの少しずつ傷を塞いでこられたように感じます。今から思い返せば、毎日が五月の新緑のような、瑞々しさに溢れていた気もします。
訓練も、実験も、使徒との戦いもない、あるのは学校とクラブと勉強とおしゃべりと寄り道と・・・
最初の内こそギクシャクした空気が流れていたけれど、すぐに私たちは以前のような間柄に戻りましたね。よくクラスメイトに「夫婦げんか」なんて冷やかされていた事を懐かしく思い出します。
……いえ、本当は、以前の二人のように振舞おうと、私が懸命に貴方に接していたのだと思います。
貴方が好きだったから。
私はやっぱり、貴方に惹かれていました。
もう随分と時間が経っている筈なのに、この一行を書いた今、やっぱり手が震えてしまいました。
あの当時は、素直になることが、自分の心を曝け出すことが怖くて、はっきりと言葉にしたことは無かったけれど、確かに私は貴方に恋をしていました。
そう……、色々な経緯があったとは言え、貴方は私にとって一番近い存在であったことには間違いなかったのですから。
EVAのこと、使徒のこと、NERVのこと、加持さんやミサトのこと、サードインパクトのこと。鮮烈な、凝縮された数ヶ月間。それを共有してきた人は貴方だけでした。
この人は、私と同じ傷を持っている。そして私と同じように、まだ心の傷に苦しみ、この毎日に戸惑っている。そう思うと貴方と私の間柄は、とても特別なもののように感じました。
急激な環境の変化に、当時の私は少なからず戸惑いを覚えていました。人の心はそう簡単に切り替わるものではありません。勿論、そんなことは絶対顔には出すまいと決めていましたが。
だから、復学した教室で貴方の姿を見つけたときは、心の中で安堵のため息をついたものです。
当時、たまに、教室の窓を見ながら、ぼーっとしていましたよね?トウジ君やケンスケ君に何を見ているのか訊かれても、いつもお茶を濁した返事をしていましたね。
私は知っていました。貴方は、そこにあった綾波レイの机を見ていたことを。
折々に、ほんのひと時悲しい目をしていたことも知っていました。独り、放課後の屋上で涙を流していたのも、知っています。綾波レイの為に泣いていたのだということは、勘付いていました。誰にも気付かれないように、周囲には悟られないように、独り彼女のことを想って悲しんでいる貴方を、私は知っていました。
あの赤い瞳の少女の影を、貴方はまだ追い続けて、追い続けようとして、追いかけられないその現実に傷ついて、涙している。
そんな貴方の姿を見て、私も胸が苦しかった。身近な人を失うことの苦しみは、私も良く分かっています。何とか貴方の悲しみを慰めてあげたかった。力になりたいと思った。貴方のために何かしたいと、心から思っていました。
そして、貴方が周囲にひた隠しにしている苦悩が何なのか、私だけがそれを知っていることが、密かな優越感を生んでいました。
この人の心が分かるのは私だけ。そんな想いが積み重なっていきました。
だから、「元気で勝気なアスカ」であろうとしました。しっかり者で、明るくて、頼れる存在。そうすることで、貴方が私を頼ってきてくれるのではないか、私に、その秘めている苦しみを打ち明けてくれるのではないかと考えていました。
私はシンジの一番の理解者になりたい、いやなれるはずだ、シンジのことをきっと誰より解ってあげられる、あの時の私はそう信じていました。


 誰かのために。
どんなことであれ、そう思う気持ちは、自らの事をも励まし、救ってくれるのではないでしょうか。貴方を笑顔にしたいと思う数々の行動は、私にも笑顔を与えてくれました。
一生懸命に私が寄り添ううちに、私たちの間は、少しずつ近づいていきましたね。ふざけ合い、ケンカして、宿題を一緒にやって、放課後の委員会に一緒に出て、一緒に通学して、お昼を食べて、帰って……下らないことから始まって、私たちは本当に沢山の時間を共有しました。
その甲斐あってか、貴方は少しずつ、あの気弱そうな、優しい笑顔を取り戻していきましたね。私は、貴方のその笑顔を消さないよう、慎重に慎重に、彼女の話題を避けながら、会話を積み重ねていきました。そのくらい、脆くて壊れやすい、当時の貴方の笑顔でした。
一日も早く、笑顔の絶えないシンジになってほしい。そして、居なくなった彼女を想って涙することが無いように、独りで悲しむことの無いようになってほしい。
あの子のことは早く忘れて、
今を生きて欲しい。
今を共に過ごす私を見て欲しい。
そう祈りながら毎日を過ごしていたように思います。
あの日を覚えていますか?
私が、貴方に「もしかして、ファーストのこと考えてるんでしょ」と訊いたのを。
昼休みの屋上。あれは初夏の頃だったでしょうか。なるべく平静を装って、さり気無く質問したつもりでしたが、握った手は震えが止まりませんでした。
貴方は、黙ったまま、右手を握ったり開いたりしていた。
「……もう、みんな諦めちゃってるのに、シンジはまだアイツを待ってるの?」
やっとの思いで、この言葉を喉から搾り出しました。ものすごく、怖い質問でした。
貴方の笑顔を奪うかもしれない質問だったのは分かっていました。触れてはいけないのかもしれない。何度も考え、迷いました。
でも、ここに踏み込まない限り、きっと、貴方の心に触れられない。私は綾波レイに、シンジの過去に勝てない。
彼女の影を気にしながらシンジと向き合うことに、私は疑問と苛立ちを覚えはじめていました。だから、私たちの間で慎重に築いてきたものが壊れるのを覚悟して、訊きました。
貴方が心の奥底に隠している彼女に、私は触れてみたかったのです。
「僕は、諦めないよ。まだ、諦めたりしない」
貴方は確かこう返事をした。そう覚えています。
私は、その返事を聞きながら、ああ、踏み込めたんだ、と安堵と喜びを感じていました。
私はシンジの心の中に一歩踏み込めたんだ、この人は私が綾波レイを語ることを許してくれたんだ。拒まずに受け入れて、言葉を返してくれた。
綾波レイのことさえ、共有できるようになったのだと。
「シンジが諦めたくないなら、それでいいんじゃないの」
とても自然に、この言葉が出てきました。それは、私が貴方にとって心許せる存在になった、その余裕からだったのでしょう。シンジの心に残る綾波レイ、彼女の存在を私は乗り越えられる、きっと、そう思いました。
いつの日か、私の存在が、貴方の心の中の、そして私の中の綾波レイを消し去る時が来るに違いないと。
それから私達は並んで座ったまま、暫く無言で佇んでいましたね。 
でも、言葉は無くても二人の間に確かに存在する絆がある。確かに流れる想いがある。私はそう感じて、気持ちが高揚していったのを覚えています。
私たちは誰よりも近くにいる。
いつまでも傍にいられる。
誰よりも解りあえる。
だって、同じ傷跡を持っているのだから。
そう思っていました。


 15歳という年頃には、純粋さと全くの思い込みと、それを疑わずにつき進めるだけの情熱が備わっているのでしょう。
丁度その頃の貴方は、背がぐっと伸びて、手も肩幅も大きくなって、日焼けした顔には、それまでの中性的な幼さは影をひそめ、男の子らしい精悍さが滲み出ていました。
伸びやかに成長する肉体と同じように、精神も変容したように私には感じられました。
少年期を脱し、以前の線の細い、どこか頑なな印象が薄れ、急速に凛々しさを増す貴方の姿に、それまでには無かった「男の人」の力強さを感じて、どきどきしました。
恋、ということをはっきり意識したら、もう止まりませんでした。私の気持ちはどんどん加速していきました。
それと同時に、私たちの仲も急速に接近していったように思います。
私の気持ちに気付いている、そんな雰囲気が貴方にはあったけれど、あの頃の貴方は私に優しかった。私も貴方に優しかった。お互いに相手を「特別」だと意識していました。それはとても心地よくて、少しくすぐったくて、切なくて、熱っぽい気持ちでした。
私の心が貴方に触れて、その熱が貴方の心をほんの少し熱くする。そうして二人して微熱に犯されたまま、毎日が過ぎていく。
二人の視線がふと重なる時、会話の途切れた一時、肩の触れ合う一瞬、胸を締め付けられるようなときめきに、私はこの上ない幸福感を感じていました。
覚えているでしょうか?ショッピングモールに文化祭のための買出しに行った事を。
どういう経緯で二人だけで行くことになったのか、記憶も曖昧なのですが(多分トウジ君とヒカリのせいではないかと思います)、あの日私は朝5時に起きて、着ていく洋服を迷い、髪形を何度も整え、リップを何度も何度も塗りなおしました。
二人だけでの買い物に、最初は戸惑っていた貴方も、そのうち私にあのやさしい笑顔で微笑みかけてくれましたね。
私は、普段と変わらないようにしなくてはと思う余り、いつもよりも数倍のテンションで、店内をグルグル歩き回っていました。
正直な話、貴方に会うまで同世代の男の子と話す機会など皆無に等しかったのです。思えば、私にとってこれが初めての「まともな」デートでした。浮かれ上がっていたのも無理は無いと、そう思っていただけるでしょうか?
帰り道、大量の荷物の所為にして、買い物袋を持つお互いの手の甲が触れ合ったまま二人でバスを待っていた、あの時の胸の高鳴りを、今でも憶えています。
私が作ってきたお弁当でお昼を一緒に食べ、二人で放課後に寄り道をして、家に帰るとメールをする。二人だけで出かける休日が重なるようになると、貴方はよく笑うようになりました。
私はそれが嬉しかった。この人を癒すことが出来るのは私なんだ、そう思えることがとても幸せに感じました。それがまた私の想いに拍車をかけます。
あっという間の夏休みを過ぎた頃には、ひとり心に期していました。
進路指導のあった日の帰り道、自然と進路の話になって、貴方が「一緒の高校に行こうか」と言ってくれた時、それは確信に変わりました。
もうこの人は過去を吹っ切って、私との未来を選んでくれたんだ。もう、ひとり彼女のことを思って泣いたりしなくなったのだ。
ずっとシンジの傍にいられる。二人で同じ時間を共有していける。私はこれからもシンジと一緒なんだ。そんな思いで頭の中が一杯になって、貴方の瞳を見つめながら、私はただただ頷くだけでした。
その日は家に帰ってからずっと、どこの高校に行くかを考えていました。こんなに幸せな気分で高校を選ぶということがあっていいものだろうかと思いました。様々な高校のホームページを検索しながら、シンジとの高校生活はどんな毎日なんだろう、高校を卒業した後も同じ大学へ行くのだろうか、そして、その頃には、私たちは付き合っているのだろうか、もっと先の未来、もしかすると二人で暮らしていたりするのだろうか。そんなことを夢想していました。
想いを告白して付き合い始める、その直前の二人と云うもの程、心ときめくものはないのかも知れません。友達以上恋人未満、とはよく言いますが、その関係こそ最も楽しく、心弾む恋愛の醍醐味なのでしょう。
学校帰りのファーストフード店で、4時間も5時間も話し続けて、それからまた電話して、夜中まで話して。何を話すかといえば、今日あった授業の話とか、読んだ漫画のこととか、テレビの番組のことだとか、どうでもいいことばかりなのに、毎日毎日飽きもせず、ただ声を聞くだけで楽しかった。
本当に楽しかった。
幸せだった。


 だから私は、ひとり舞い上がってしまって、貴方が心の奥底に何を抱えていたのか、見えなくなってしまったのでしょう。



 きっかけは、1冊の本でした。
秋も深まった放課後の夕暮れでした。貴方が教室の机の上に忘れていったのを、私が見つけたのです。その時、題名を覚えました。学校の図書室の蔵書を示すシールが、夕日を浴びてキラキラと光っていました。
好きな人が読んでいる本を、私も一緒に読みたい、そんな誰でも思うようなことです。何となく、貴方が読むにしては変わった選択だとも感じました。
内緒で借りて後で驚かせるつもりで、貴方が返した頃を見計らって、図書室に借りに行きました。
図書室のカウンターで貸し出し手続きを取り、裏表紙を開いて、貸出者名の記入カードを見ました。勿論、一番下に貴方の名前がありました。
そして、何気なく裏側を見て、私の瞳は一点に釘付けになりました。
「綾波 レイ」
貸出者カードの一番上に、その名前がありました。
頭から冷水を浴びせられた気分でした。
余りにも長いことカウンターの前に立ち尽くしている私を訝しんで図書委員の子が声を掛けるまで、私はただその名前を見続けていました。
我に返るとすぐに、これは、偶然なんだ、と思いました。出来の悪い偶然。たまたま、私だけがこの偶然に気付いて、ちょっとびっくりしただけ。そう思いました。
借りてしまったものは仕方ない、家に帰ってその本を紐解いてみました。つい数時間前までは楽しい思い付きだったはずなのに、後味の悪さがいつまでも残りました。
何のことはない、ただ一度の偶然の一致に過ぎない。自分に言い聞かせその本を閉じはしたけれど、最近シンジはよく図書館に通っている、と思い当たりました。確かに以前はそんなことしていなかったのに、つい1ヶ月程前から足繁く通い、本を借りている。本を読むことが似合う人だからそれまでは気に留めてはいなかったけれど。
飲み下せない塊が喉の奥に詰まったまま、私は貴方の借りてくる本の背表紙に目を這わせるようになり、それらの本の名前を覚えていきました。
それでも、その本を借りに図書室に行くことはありませんでした。ただの考え過ぎ、思い過ごしだろうし、受験も近づいてきている中、そんなことを取り沙汰しても仕方ないと考えていました。
そう、受験が迫っている中、急に図書館に通いだす事も不自然ではないし、気分転換に本を読んでも不自然では無いはずです。きっとシンジだって、受験勉強に一生懸命なはず。だって二人で一緒の高校に通うと約束したのだから。どんな事よりも貴方と一緒の3年間が懸かっている受験を最優先したい、そうも思いました。
確かめるのが、怖かった。
色々理由を付けてみても、本当は、そうだったのでしょう。
そしてそのまま日々が過ぎ去って欲しかった。
けれど、私は見てしまった。
あの日、貴方が屋上でひとり本を読む姿を。
そして、本を閉じた瞬間の、あの表情を。
北風に吹かれて前髪をなびかせ、暮れ始めた空に視線を向けた貴方の顔は、それは、
誰かを想う顔。誰かを偲ぶ顔。誰かを、悲しむ顔。誰かを、愛おしむ顔。
私には向けられたことの無い、その笑顔。
私と同じ、恋する顔。
自分の足元から、音を立てて何かが崩れていきました。
気付いたら、私は泣きながら家路を走っていました。夕日が赤くて、涙が後から後から湧いてきて、声を上げながら走っていました。
綾波レイが、突如として私の中に甦りました。それまではすっかり忘れたつもりで居たのに。
あの人は、本の中に綾波レイを探していたんだ。ファーストの読んだ本を通じて、あの子に会っていたのだ。
受験が、私たちの未来の為の高校受験が目前なのに、本の中の綾波レイに、あの人は心奪われていた!!
そう考え出すと、急にいろんな事が疑わしく思われました。
最近電話する時間が減った事。私に決して本の感想を言わない事。
本当は、全然関係なかったのかもしれません。思い込みが過ぎたのだとも思います。でも、止まらなかった。貴方が綾波レイを未だに追っていることは、私には途轍もないショックだったのです。
貴方のことをひとつ疑うたびに、綾波レイが甦っていく。
華奢な後姿が、白い手が、青い髪が、貴方を疑うたびに心の底から這い出してくる。
あの赤い瞳が、はっきり心に浮かんでくる。
そして、私の深部でその像を鮮明に結んでいく彼女に、恋心は追い詰められていきました。
既に走り出してしまっていた気持ちに、急ブレーキは掛かりませんでした。横滑りして、大きく軌道を外れだしました。
貴方はさしたる変化も無く、ただ静かに本を読むだけ。それが逸脱に拍車を掛けました。
こんなに忸怩たる思いで毎日を疑いと嫉妬と落胆に費やしている私に比べて、貴方の何と長閑な事か。私のこの苦しい胸中を、果たして分っているのか。何を思ってその笑顔を私に向けているのか。
訊くのは怖い、かといって知らん振りを決め込むには私は幼すぎました。結局同じ処をぐるぐる廻って、廻りながら自分を暗い渦の底に追い込んでいる。
そして心乱されれば乱されるほど、あの赤い瞳が射抜くように見つめてくるのです。



 あの日、貴方の家の前で待ち伏せして、私は結局何を訊きたかったのでしょう。今にして思えば、激情に任せて後先も考えずにと、恥じる心で一杯です。
ただ、貴方に、自分がこんなにも真剣なんだ、必死なんだと伝えたかっただけなのかもしれません。
きっと、あのときの私は今にも刃物で切りかかってきそうな、鬼気迫った目だったに違いありません。実際、貴方が話を訊かないというのならば己の手首の一つや二つ切っても構わないと、カッターナイフをポケットの中で握り締めていました。
尋常ならない様子の私に、さすがに貴方も表情が強張っていました。正直に言うと、少し溜飲の下がる思いでした。
何故、志望校を変えたのかと尋ねた私に、貴方はただ黙って立ち尽くしていましたね。きっと言葉を失わせたのは私の所為に違いないのです。
どうしてと食い下がる私に、ようやく貴方は重い口を開きました。
貴方は、国連防衛大学の付属校に行くんだ、あそこは全寮制で学費も掛からないし、国連に入るには一番の近道だから、などと抜かしました。
そんなことは初耳です。それに国連防衛大学なんて、要はUN軍の養成機関。私が思い描いていた高校生活とは百八十度違います。
私が、大切に大切に思っていた高校生活は、私たち二人の未来は、いったい貴方の中で何処にいってしまったのか。
ポケットの中のカッターナイフの冷たさが、辛うじて私の正気を保ってくれていました。
「綾波レイが、あの女が関係あるのね?」
途端に、貴方の顔に憤りが浮びました。
「・・・なんで、その名前が出てくるんだよ」
多分、どう言葉を返されても、私は自分を止められなかったでしょう。自分で自分を追い詰めて、追い込んで、もう限界まで心は張り詰めていました。
「…………僕は、僕はエヴァの謎を追いたいんだ。母さんや父さん達が本当に目指したものを追いかけたいんだ」
貴方の偽らざる心情だったのかもしれません。でも私には言い訳以外の何物でもありませんでした。
「シンジはまだあの女のことを捜したいのよ。UNに入って、あの女を地の果てまで捜したいのよ。私のことなんて放って、あの女をいつまでも未練たらしく追いかけたいのよ」
「………アスカなら分かってくれると思っていたのに」
一番聞きたくない一言でした。欺瞞に溢れた一言に聞こえました。
私は、悔しかった。情けなかった。怒っていた。そして悲しかった。傷ついていた。
だから、貴方を傷つけてもいいと思った。
その権利はあると、思ってしまった。
だから、つい口にしてしまった。
「あんたは、自分の父親と同じようにしたいのよ。父親と同じように、消えた女の幻を追って、周りをめちゃくちゃにして、それを何とも思わないんだわ。それとも、あの親父みたいに、あの女に母親を重ねてるのかしら?」
「それ以上言うな」
止めておけば良かったのに、私の口は心と裏腹に動き続けました。
「あんたは、あの最低な父親と同じに、とっくの昔に死んじゃってる亡霊に取り付かれているのよ」
「アスカ!止めろ!!」
「あんな、あんな化け物女に入れあげて!あんたバカよ!!あんたも、あんたの親父も大バカ野郎よ!!!」
「アスカ!!!!」
怒声と共に、頬に熱さを感じました。一呼吸後、打たれた痛みだと分かりました。
「自分が何を言ってるのか分かってるのか!?」
ものすごい形相で睨み付ける貴方の視線にぶつかったら、涙が滝のように溢れて、あっという間に視界が歪んでいきました。視界と一緒に私の体も心も歪んで、ぼやけて、ぐちゃぐちゃになりました。もう何を言っていいのか、何を言いたいのか、何も浮びませんでした。
言葉も無く、私はその場を走り去りました。
夕日が赤くて、周囲を紅に染め上げて、まるで綾波レイの瞳の中に居るようだと感じました。




それっきり、貴方とは口を利かずに中学校を卒業しましたね。
視線さえ合わせなかった。
私は女子高に進み、貴方は付属高校に進み、それから今まで音信不通のまま。
当然ですよね。私は貴方の好意を信じずに、酷い言葉で貴方の心を踏みにじりました。
言い過ぎなのは分かっていました。でも私は、自分の悲しみで手一杯で、貴方を思い遣ることなど欠片も出来ませんでした。
本当は、貴方も私のことを好きでいてくれたのでしょう。私と共に時を送ろうと思ってくれていたのでしょう。
でも幼さ故に、私は結局綾波レイを想う貴方を許せなかった。貴方の過去を認められなかった。
いまさらだけど、本当に申し訳なかったと思います。ごめんなさい。本当にごめんなさい。
貴方が綾波レイのこと、ご両親のこと、大事に考えていること分かっていながら、なじってしまって。
自分のしでかした事ながら、なんて恥ずべき卑劣な行為なのかと、ずっと後悔の念を抱いてきました。



 あれからようやく10年たった訳です。
もう私も25歳です。幼い頃に思い描いていたような大人とは違いますが、それでも幾許かの山谷を越え、幾つかの恋をして、少しは大人になりました。
そして、もうすぐ結婚しようとしています。
きっと私は、この手紙を書いて、自分に問いたかったのです。
あの頃私の中に居た綾波レイに、問いかけてみたくなったのです。
私は、本当に人を愛することが出来るようになったのかと。
私は、本当に人を許すことが出来るようになったのかと。
綾波レイは、心を映す鏡。あの赤い瞳に、私は自分の醜い心、弱い心、人を信じきれない心を映して、脅えていたのでしょう。
貴方の気持ちを信じられなかったあの頃の私。
貴方の過去を受け入れることが出来なかったあの頃の私。
貴方をどんなに傷つけたか分からなかったあの頃の私。
自分の気持ちに振り回されて、貴方の本当の思いが見えなくなった私。
そんな私が作り出した、私の中の綾波レイ。
彼女に、問うてみたかったのです。
今度は大丈夫かと。もう、貴女に会うことはないのかと。貴女に脅えることはないのかと。
今度こそは、己心の綾波レイに負けないで、あの人の心を信じ抜けるのかと。

きっと、大丈夫。
そんな囁きが、今、聞こえた気がします。


 こうして書き終わってみると、結局自己満足の為に長々と筆を運んでいただけのようですね。
でも、10年ずっとモヤモヤしていたものがすっきりしました。
何だか、貴方には最初から最後まで私の我が儘につきあわせてしまったようです。これは打たれた頬のお返しということで勘弁してください。
式にはきっと来てくださいね、私のウェディング姿を見損ねるのは一生の損ですよ。
それは冗談ですが、私の幸せな姿を見に来てください。そして、私に幸せな姿を見せて下さい。
10年ぶりに皆で笑いあいましょう。
最後になりましたが、貴方の幸福を、祈っております。いつでも。

それでは。

敬具

大事な、大事な我が友へ

貴方の永遠の友人 惣流・アスカ・ラングレー

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