大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2012年2月)

................................................................................................................................................................
□2012年2月29日(水) 北京日記 その4


土鉢バイキング@到家賞

 朝から档案館。いくつか重要な発見があり。点と点がつながり線に。「みられている」を意識する研究からの脱却を目指そう。お昼は「到家賞」の土鉢バイキング。料理ごとに値段があり、お盆にのせて最後にお会計。ものすごく味が良い。

コメントトップ



□2012年2月28日(火) 北京日記 その3


丸亀製麺@朝陽門

 朝から档案館へ。昨日の二次会が響き、恥ずかしながら遅刻。もうさ38歳だし、まぁ無理は良くない。淡々と行こう。昼休み、「戦友」と一緒に華普のフードコートで昼食にしようテクテク歩いていると、何とあの「丸亀製麺」が出店準備中。熊本にもバンバン出店しているが、丸亀恐るべし。档案調査は東北日本人管理委員会関係档案の確認作業を進めた。


東来順飯庄@前門

 夕食は前門にある「東来順飯庄」へ。しゃぶしゃぶの老舗である。いかにもかつての「国営」という雰囲気。いまも「国営」(?)。大の男が3人で鱈腹食べて飲んで500元。高いんだか、安いんだかだんだん物価の基準がわからなくなってきた。宿に戻り、ノンアルコールの燕京ビールを飲みながら、原稿の執筆を続ける。

 体調は回復傾向。

コメントトップ



□2012年2月27日(月) 北京日記 その2

 朝から档案館へ。今回は「外交部档案調査の戦友」が同じ日程で档案館入りするのでありがたい。ずっとひとりでひたすら入力作業というのは精神的にまいるものだ。それにしても「本気(マジ)」の入力作業組が随分と増えてきている。10名近くが一心不乱に入力作業をしているような状況。

 初日は先週から書き進めている廖承志論文に使う関連档案の「批示」の再確認作業。特に1952年から53年の部分。詳しくは書けないが「どうも匂う」のである。「消されている」のでは...なんてね。まぁPDFだから「消しゴム」で簡単に消せるもんね。初めからわかっていることではあるが

 夜は在京の著名ジャーナリスト氏らと会食。やはりどうしても話は秋の党大会をにらんだものに。現状分析は仕事ではないが大変な勉強になる。お忙しいなか、二次会までお付き合いくださった。 

コメントトップ



□2012年2月26日(日) 北京日記 その1


ラウンジ@福岡国際空港

 数々の仕事を終え、ようやく史料調査に出発。とはいえスケジュールをやりくしても出られるのはわずか1週間。合計27時間の格闘。体調を崩してることもあり、最悪の気分で出発。

 福岡空港国際線ターミナルのANAラウンジは1月末で閉鎖されたとのことだったので、出発までどこで時間を潰そうかと心配していたが、中国国際航空(スターアライアンス)はとりあえずJALの「さくらラウンジ」に吸収されたようだ。反対側に「ラウンジ福岡」(カードラウンジ?)というのができたらしいが、今回はとりあえずこちらを利用してみた。

 うっ狭い...。ソファーがぎゅうぎゅうに配置されており、奥の方には身体を斜めにしなければ進めない。写真のとおり、多くの航空会社が「乗り入れ」ているため、雑多な空間になってしまっている。ゆったりくつろぐといった雰囲気ではない。

 もっとも、出発前のラウンジの外はもっとごちゃごちゃでひどく雑多な感じになってしまうので、そこから離脱できるだけでも良いのかもしれない。ただ、しばらく日本を離れる前にはプレミアム・モルツかエビスの生ビールが飲みたいのだが...。あるのは缶ビールのみ。


香辣紅焼牛肉刀削麺@恒基商城美食城

 いつものようにリムジンバス(16元)で北京車站前まで。渋滞のため、ホテル到着は8時半近くになる。体調が万全でないせいか、あまり食欲もないので(帰国直後人間ドックがあるので、少し身体のバランスを整えているということもある)、ホテル隣接の地下フードコートで簡単に済ませる。

 とりあえず「刀削麺」を食べる。日本でも中国でも食べるものはあまり変わらない...。もっとも、羽田空港のは850円(750円+大盛100円)だが、こちらは食べきれないほど麺が入って14元(180円)と激安(これでも随分値上がりしたが)。

 珍しくビールも買わず、明日に備えてほぼ素面(しらふ)で早めの睡眠。いつもこんな生活ならば肝臓も喜ぶのだろうが...。

コメントトップ



□2012年2月25日(土) 最終講義


西先生@最終講義

 朝から『廖承志伝』の再確認。やはり微妙。どのように論稿に落とし込むか悩む。午後も引き続き悩む。夕方は西先生の最終講義。38年間の御奉職。私も今年で38歳。ほぼ私の人生と同じ時間。東アジア学科の第一期生はもちろん、商科大学時代の卒業生も馳せ参じての最終講義。やはり最後はこうでなければ。本当によかった。淋くんはじめ、みなさん、お疲れ様!

コメントトップ



□2012年2月24日(金) 研究モード その4

 档案調査を控えているため、終日重点調査対象の確認をする。今回は特に、中国外交部档案調査初期(2004年から2007年)に集めた档案史料の「請示過程」の再確認を行うのが目的。わずかだが「漏れ」があり、これを完全に確認するのが第一の仕事。

 あともうひとつ野心的な仕事の「準備」があるのだが、それはひ・み・つ...。

コメントトップ



□2012年2月23日(木) 研究モード その3

 今日は終日『廖承志傳』『廖承志伝』『廖承志与日本』などを読み込む。関連档案と比較しつつ読むと、これらの文献の記述をどこまで史実としてよいのが迷う部分が多い。どうも後二者については、中央档案館の档案にアクセスでもしていなければ記述できないであろう部分が多すぎる。

 とはいえ、筆者の経歴を考えるに、どうもそれは考えにくい。「伝記文学」として捉えるべきなのか。廖承志研究会を名乗っている以上、これについては改めてじっくり議論する機会を作らねばなるまい。史料批判は基本中の基本である。

コメントトップ



□2012年2月22日(水) 研究モード その2

 今日は終日「王稼祥」関連文献を読み込む。延安期の総政治部からソ連での病気療養、戦後東北局での城市工作部を経て、駐ソ大使へ。ようやく中連部のところまで。建国初期の統戦部と中連部の関係を見ると、結構、廖承志の動きも見えてくる。

 もとより廖承志は血筋からみても「統戦の闘士」であり、中連部へは「そこ」からの「調任」なのだが(中連部も統戦の一端だが)、特殊な「ファクタ―」が多いのでなかなか断言できない部分も多い(宋慶齢や周恩来との絡みもあるし)。まぁ普通の人には全く興味のないお話なのだろうが...。

コメントトップ



□2012年2月21日(火) 研究モード その1

 三週連続の東京出張が終わり、ようやくまとまった時間がとれる。とはいえまた日曜から北京出張なので、それまでにできることを進めておかなければ。

 まずは廖承志研究関係の論稿を書きすすめること。改めて水谷尚子先生の『「反日」以前』が偉業であったと再認識する。もっとも、建国初期中国の「廖承志弁公室」については、回想録や伝記などもいい加減な記述が多いので、これらを档案とつきあわせながら、どこまでを史実として確定してよいのかいろいろと悩みつつ情報を整理する(これがまた楽しい作業である)。

コメントトップ



□2012年2月20日(月) 東京日記 その2


からあげ弁当@多摩キャンパス

 午前から中央大学の多摩キャンパスへ。勝手知ったる中央図書館での資料調査と日中関係発展研究センターの研究会参加。やはり「からあげ弁当」に手が伸び、相変わらずのワンパターン。研究会は戦後日中関係の「不正常な状態」に関する報告。ようやくおぼろげながら問題点が見え始めてきた...。

コメントトップ



□2012年2月19日(日) 東京日記 その1


800年目の邂逅@増上寺

 基本的に「あまり冒険しないタイプ」というか、「一度気に入るととことん」というタイプなので、羽田に着くやいなや再び刀削坦々麺と相成る。値段の手頃感とモノレールに乗る「通り道にある」というのが習慣化の理由だろう

 東文研にて常任理事会。大規模学会の運営に間近で触れることができ(幹事が終わればもう参加することはないのだろうが...)、その苦労が並大抵のものでないことを実感。とにかく「滞納している他の学会費をちゃんと納めねば」と肝に銘じる3時間半となった。


馬鹿のひとつ覚え参鶏湯@大門・韓国家

 本当に多忙な先生方の集まりなので、会議終了後はすぐさま解散。すぐに新幹線や飛行機でとんぼ返りといったご様子。本来ならば7時10分の便で帰熊するのが「良き父」なのだろうが、体力的に限界に近いので、浜松町泊とする。

 やはり「とことん」というか、先日の参鶏湯の味が忘れられず、ふらふらと吸い込まれるように大門駅前の「韓国家(からくにや)」さんに。夜も参鶏湯はあるのだが、ランチと違い単品で1200円とのこと。とはいえ、いろいろとキムチやらおかずもサービスしてくれるので、値段が高い感じはしない。グツグツ煮えた石焼鍋のおかげで身体はホカホカになったが、初めての宿となる「メルパルク」はベッドが低すぎ、あまり落ち着いて眠れなかった。

 戦後中国共産党に「留用」された看護士・宮下美代子氏の手記『晨なき春秋―八路軍と行動を共にして』(日本看護協会出版会、1979年)を読み終える。

コメントトップ



□2012年2月18日(土) だご武者らしか組

 久し振りの「だご武者らしか組」。メンバーの先生がおひとり転任ということで送別会モードで。お店は最近何度か使わせていただいてる駕町通りの「茂平」さんにて。飲み放題込みで名物の鶏だんご鍋やらお魚の塩釜焼きなど、なかなかコストパフォーマンスが高い。

コメントトップ



□2012年2月17日(金) 「スイちゃん」納車


「スイちゃん」@ネット画像より

 年明けに発注した「スイちゃん」が納車。RSという11月中旬発売のスポーティー仕様なので若干のバックオーダーがあったようだ。ベース車の値段はちょぼちょぼだが、いろいろと快適装備を奢ったので、総額はちょっと予算オーバーとなった。ただ「乗り潰す」派なので、とにかく「気に入ること」が一番大事。その意味では二重丸といった感じ。

 夜は世界のビール「オーデン」にて飲み会。ついつい飲みすぎ、こちらも予算オーバーとなる。

コメントトップ



□2012年2月16日(木) 意見交換会

 大学の対面の空き地を小売業を営む企業が落札されたとのこと。すぐにどうということではないだろうが、地域が活性化するのであれば大歓迎である。

コメントトップ



□2012年2月11日(祝) 東京日記 その1

 可愛い「大澤娘。」3歳の誕生日だが、某学会の常任理事会出席のため再び機上の人に。ニューズレター編集担当の実動部隊なのだが、議論の流れがわからないと後で編集で困るので、いわゆる「オブサーバ参加」である。


再びの刀削坦々麺@羽田空港第2ターミナル

 基本的に「あまり冒険しないタイプ」というか、「一度気に入るととことん」というタイプなので、羽田に着くやいなや再び刀削坦々麺と相成る。値段の手頃感とモノレールに乗る「通り道にある」というのが習慣化の理由だろう

 東文研にて常任理事会。大規模学会の運営に間近で触れることができ(幹事が終わればもう参加することはないのだろうが...)、その苦労が並大抵のものでないことを実感。とにかく「滞納している他の学会費をちゃんと納めねば」と肝に銘じる3時間半となった。


再び参鶏湯@大門・韓国家

 本当に多忙な先生方の集まりなので、会議終了後はすぐさま解散。すぐに新幹線や飛行機でとんぼ返りといったご様子。本来ならば7時10分の便で帰熊するのが「良き父」なのだろうが、体力的に限界に近いので、浜松町泊とする。

 やはり「とことん」というか、先日の参鶏湯の味が忘れられず、ふらふらと吸い込まれるように大門駅前の「韓国家(からくにや)」さんに。夜も参鶏湯はあるのだが、ランチと違い単品で1200円とのこと。とはいえ、いろいろとキムチやらおかずもサービスしてくれるので、値段が高い感じはしない。グツグツ煮えた石焼鍋のおかげで身体はホカホカになったが、初めての宿となる「メルパルク」はベッドが低すぎ、あまり落ち着いて眠れなかった。

 戦後中国共産党に「留用」された看護士・宮下美代子氏の手記『晨なき春秋―八路軍と行動を共にして』(日本看護協会出版会、1979年)を読み終える。

コメントトップ



□2012年2月8日(水) 東京日記 その4


東京タワー@朝5時過ぎ

 昨晩は意見交換会後、虎ノ門プロントにて「反省会」。個人的には反省することばかりで、なかなか意義深い東京出張となった。もっとも週末も来週末もまた東京出張。さすがに疲れもたまる。

 「廖承志時代」前史ともいえる香港時代の彼の統戦活動をどう「対日工作」経験にいれていくか(華僑工作が主ではあるが)。『廖承志伝』を改めて流し読みしつつ、あれこれと空想する。

重要校務があるため、朝8時20分の便で帰熊。緊張の3日間が始まる。

コメントトップ



□2012年2月7日(火) 意見交換会

 霞が関にて終日の意見交換会。ここには何も書けません。極めて貴重な経験をさせていただきました。

コメントトップ



□2012年2月6日(月) 東京日記 その2


参鶏湯@大門・韓国家(からくにや)

 史料調査の合間に大門の「韓国家(からくにや)」にて参鶏湯ランチを食べる。お店の素性はわからないが、開店後10分と経たずにほぼ満席となり、皆が「参鶏湯ランチ」を注文していたので、私の見立ては間違っていなかったようだ。店員さんが厨房で中国語を使っていたのは気になったが...。

 身体が冷え切っていたこともあったのだろうが、本当に美味しい参鶏湯であった。もちろんキムチやナムルも食べ放題。これで880円はお値打ち。身体が芯から温まり、満足の質が違った。大繁盛も納得である。浜松町での楽しみが増えた。やはり自分の直感を信じて常に挑戦してみるものだ。

 夕方は東大駒場で廖承志研究会。すでに5回を数える。今回は劉建平中国伝播大学副教授の ご報告。「廖承志時代」「人民外交時代」の評価について。まさに事例研究を進めていくうえで重要な基礎となる「ロジック」の部分である。一般の研究者が閲覧できない档案を大量に読まれている先生だけに、極めて刺激的な時間となった(苦悩が増した...)。

 結局のところ、どのように時期区分し、どのように理解するのかは、それぞれ学者が仮説を出し、議論を重ねて検討していくべきものだろうが、知らず知らずのうちに「先行研究」に呪縛されている自分に気づかされた。档案調査・収集はもちろんガンガン進めるべきだが、基本史料の読み込みという作業ももうそろそろじっくり腰を据えてやらないと... と実感。

 イデオロギーと実際の外交行動の連関を理路整然と説明するのは極めて困難である。我々はどうしても「一貫した説明」を目指そうとしてしまうが、実証的な研究を行うのであれば、現段階(の史料状況)では「その前」で止めておかなければいけないのかもしれない(それだと単著が書けないのだが...)。

 研究が進めば進むほど身動きが取れなくなっていくような感じ。

コメントトップ



□2012年2月5日(日) 東京日記 その1


刀削坦々麺@羽田空港第2ターミナル

 朝から東京出張。出掛けに車庫証明用の書類をディーラーさんに持っていく。納車が近づいてきた。

 あいにく「ラウンジ阿蘇」は「ANAラウンジ」に改修中のため4月1日まで利用できず(4月以降は少し広くなるらしい)。しかたなくカードラウンジを使う。福岡国際空港のANAラウンジも閉鎖するということで、出張がつまらなくなりそう。福岡はCAとアシアナとの共有だから...。跡地はカードラウンジにでもなるのかしら。

 定刻通り羽田到着。最近は到着階にある「刀削麺」でお昼を済ませてしまうことが多い。大盛りでも850円なのでリーズナブル(中国だと11元(130円)ぐらいですが)。たっぷりラー油をかけまわし、額に汗をかきつついただく。元気百倍!

 ホテルはいつもの浜松町。三田線の芝公園が最寄りなので、予定通り神保町で資料を猟収。日赤関係のものをちょぼちょぼ。「清盛」を見て就寝。 

コメントトップ



□2012年2月2日(土) 「大仕事」終了

 「300(国際社会と日本)+300(東洋史概論)+75(中国概説)=計675」の採点と5名の卒論指導を終える。理想と現実のはざまでいろいろと悩まされることが多いが 、今回は少しでも「頑張っている学生諸君」に応えたいという気持ちが強く、これまでにない新たな方策もいくつか講じてみた。 ハードになりそうな東京出張前に終えられてひと安心。

コメントトップ



□2012年2月1日(金) 大ちゃん

 遅ればせながらの新年会。今回は沖縄料理の「大ちゃん」。ラフテー最高!海ぶどう万歳!生オリオンビール最高!スケジュールが詰まっていることもあり、珍しく一次会で解散。いつもこうであれば、肝臓も喜ぶのだろうが。

コメントトップ


Copyright(C)1995- OSAWA Takeshi. All Rights Reserved.
(ポップアップ・メールのアドレスは@が#に変更してあります)