大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2011年12月)

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□2011年12月日27日(火) 高松日記 その2

 午前は引き続き研究報告。中国での史料調査やインタビュー調査の進行状況に関する情報共有などを中心に。結局、総括をどうするかが最大の焦点に。


金毘羅宮@高松

 研究会終了後、せっかくの高松のなので車を出していただき金毘羅さんへ。宮司さんの筆による「笑顔元気くん」にやられる。お守りの裏にも金糸で刺繍されているので大真面目のようだ。ある意味でディープな感じ。「ゆるキャラ」の着ぐるみあるのかしら...。


栗林公園@高松

 帰途、無理を言って「栗林公園」を散策させていただく。熊本の水前寺公園とはまた異なる趣の大名庭園。やはり譜代(?)だからだろうか、熊本の「剛」とは異なる、「凛」とした余裕が感じられる。


漫遊弁当@新幹線さくら

 帰りは新幹線「さくら」にてのんびり。乗り換えがないのは本当にありがたい。アナゴがいっぱい「漫遊弁当」をお供に。車窓から見える徳山のコンビナートのライトアップが綺麗。いずれにせよ「腰を据えて」仕事をしなければと再確認させられる1泊2日となった。

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□2011年12月日26日(月) 高松日記 その1

 2011年は高松で始まり、高松で終わることとなった。朝一番、タクシーで「さかえだ」にのりつけ、うどんを食べたのは今年1月。まだ熊本まで新幹線が通っておらず、岡山まで行くのにも3時間以上、高松まで4時間半という旅路だった。

 もっとも、今回も雪による倒木のせいで「米原―岐阜羽島」間の上下線が不通となり、結局、岡山到着は40分遅れ。マリンライナーにも飛び乗った結果、駅弁すら食べられずに四国上陸。もともと苦手な新幹線がさらに苦手になった感じ。


えび鍋うどん@さぬき麺業兵庫町本店

 ご飯の計画が狂ったため、とにかく街中心部の兵庫町アーケードでこぎれいな感じのうどん屋さん「さぬき麺業」さんに飛び込む。冷たい風が吹くなか、あったか〜い讃岐うどんの鍋焼き。身体にしみわたる出汁。まさに最高の瞬間。昔から鍋焼きうどんが大好きなお嫁様に食べさせてあげたいなぁとしみじみ想う。


刺身盛り@寿司「中川」

 午後は香川大学の法学部棟会議室で研究打ち合わせ。いつもの廖承志研究会だが、新年度の動きや共著の執筆分担も含め、いろいろと細かい議論となる。若手だけのグループなので、けっこうきわどい意見の衝突もあるのだが、こうしたプロセスを経て信頼関係が深めていければ、きっと将来につながっていくにちがいない。

 会議終了後、夕食は高松随一の寿司の名店「中川」さんへ。店構えからすでに「ただものではない」雰囲気。もちろんお料理はまったくスキがない構成。赤酢のシャリが映え、すべての「細工」に必然が感じられる仕事。随分と美味しいものを食べ歩いているつもりだが、今夜は本当に良い経験をさせていただく(本当にご馳走様です!)。


徳島ラーメン@高松駅前「麺王」

 美味に舌鼓を打った後、少し冷え込む高松の街を散歩しつつ宿へ。せっかくの高松、このまま寝てしまうのももったいないので、宿のすぐ近くにあった「徳島ラーメン」のお店「麺王」へ。美味しいものを食べ、楽しいお酒を飲んだからこそ、しっかり「シメ」もしたくなる。

 画像から一目瞭然、かなりガッつりな豚骨醤油。麺は博多ラーメン的な細麺。基本は生卵を入れるようだが、時計も12時をまわっているので、健康を気遣いそのままいただく(本末転倒!)。全身、ほかほかになり、そのままゆっくり就寝させていただく。

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□2011年12月24日(土) ご機嫌ななめ

 午前中は研究室で残務整理。いろいろあって終日ご機嫌ななめ。

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□2011年12月23日(祝) 年賀状

 研究室で一気呵成に年賀状を書きあげる。

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□2011年12月22日(木) 講義終了

 東洋史概論と卒論演習をもって今年の講義はすべて終了。あっという間の2011年。やっぱり何もせずじまいだった。年賀状に「腰を落ち着けて書きモノをする」と宣言したのに...。結局、何とか書いたのは日中国交正常化前史と戦犯関連モノ、そして大著の書評とちょぼちょぼ(脳ミソがさらに腐ってしまう... )。もっとも論文はいずれも来年春以降の刊行。

 満洲史辞典の項目執筆を終える。何とか年貢は間に合った。あとは高松出張前に年賀状を書き終えねば...。

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□2011年12月20日(火) 連チャン

 「ハッピー・マンデー法」のせいで、今日も月曜日分講義をやることに。講義の導入や復習を丁寧にやっているため、着任の初年度に組んだカリキュラムだと、14回ギッチリ講義をやっても最後までいかなくなってしまっている。来年度は少し組み直しが必要か。今日は毛沢東の文革発動まで。

  夜は下通りの「菜な」にて忘年会。このお店は二度目だが、料理がしっかりしているので安心。講義同様、こちらも連チャンとなる。飲み会が続いているので酒量を多少セーブ。気兼ねなく飲めるメンバーなので、とにかく楽しい。

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□2011年12月19日(月) 年末の雰囲気

 東洋史概論は「反右派闘争」と「大躍進」。1950年代の中共執政を通じて、どれほどの中国人民が犠牲になったかが議論となる。3年制の中国地域研究ゼミは最終段階。担当者の報告も手慣れてきた。これならば安心して就活に送り出せそう。ようやく年末の雰囲気となる。

 夜は酒場通りの「七福神」にて忘年会。お役に立てているのかどうかわからないが、とりあえず親睦を確認。二次会まで。酒量はほどほどにしなければ...。

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□2011年12月15日(木) 秘密忘年会

 自宅近くの保田窪「いそむら」にて秘密忘年会。どうしても「後ろ向き」の話題が多くなる...。自宅近くで安心感があったのか、すこぶる飲みすぎる。

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□2011年12月12日(月) 結婚満10年

 本来ならば東京で友人の受賞祝賀パーティーに出席しているはずだったのだが、学内選挙の日程などとも重なり、熊本を離れることができず、結果的に結婚記念日に在熊ということになった。

 せっかくの記念日なので、最近ちょくちょく足を運んでいる自宅近くの「りとるきっちん」でお祝いをすることに。ここはバス・ペールエールの生ビールをはじめ、世界のビールが飲めるのが嬉しいが、とにかく料理が丁寧で美味しい。

 一番のお気に入りは「アボガドを抱きしめて」。馬刺し好きにはたまらない逸品である。また「串盛り」なども素材を厳選した丁寧な仕事で、本当に満足度が高い。「きゅうりのピクルス」もはずせない名わき役である。

 家族4人で料理を堪能。みな健康で楽しい記念日となった。

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□2011年12月日11日(日) 札幌日記 その2


赤れんが庁舎@札幌

 朝8時45分、北海道庁の赤煉瓦に集合。樺太関係資料館などを参観。昨日、開拓記念館を参観していることもあり、そのミニチュア版といった感じ。参観者はほとんどが韓国か台湾(若干、大陸の中国語も聞こえる)からの観光客。日露間における領土問題の歴史的経緯を見るに、何を感じるのだろう。


尼港事件殉難者追悼碑@小樽

 資料館参観後は電車で小樽へ。快速で約30分。北前船の交易で栄えた小樽。今回は樺太関連での視察。小樽はかつて樺太開発に密接にかかわっていた土地でもあるため、いろいろと史跡も多い。まずは「尼港事件」の殉難者追悼碑へ。

 タクシーの運転手さんも知らないとのこと。高台にある追悼碑のまわりは20センチ近い積雪。雪をかき分け進む。「尼港事件」はシベリア出兵中の1920年、黒龍江河口の港町ニコラエフスクで発生したパルチザンによる住民虐殺事件。日本人居留民と守備隊などが数百名犠牲になった。殉難者の遺骨が30年前まではこの場所に納められていたとのこと。

 樺太への種々の「労工」の送出港でもあったようで、いろいろな意味で「中継地」だったことがうかがえる。「銭湯」と「もち屋」の話などもうかがう。


旧日本郵船小樽支店

 樺太と小樽の関連をより深く実感すべく、旧日本郵船小樽支店へ。重厚な建築物。地元のボランティアの古老が建物の解説をしてくださる。明治時代における日本郵船の隆盛と「支店長」の権勢が手にとるように実感できる。


樺太日露境界の碑@旧日本郵船小樽支店

 建物2階には樺太の日露国境確定交渉の会場となった会議室が。建物自体、陸軍の要請で会議に間に合うよう完成のスケジュールが急かされたとのこと。会談終了後、隣りの支店長執務室で日露両国交渉代表が「シャンパン」でもてなされるなど、明治の世、庶民の生活とは天と地ほども違いがあったようだ。


鮭のルイベ@小樽の鮨屋

 小樽運河沿いを散策しつつ、市立博物館なども見学。残り時間も少なくなってきたところで待望の昼食。今回伺ったのは少しはずれにある「庄坊番屋」さん。小樽といえば「すし屋通り」だが、市役所近くにあるお店ながら、けっこう有名人も数多くきているようで(色紙いっぱい)、「知る人ぞ知る」といった感じのお店のようだ。あえて何も語らずとも、写真をご覧いただければ充分だろう。


たちポン(鱈の白子のポン酢あえ)@小樽の鮨屋


番屋丼@小樽の鮨屋

 再び小樽散策を経て快速エアポートライナーにて新千歳空港へ。約70分。車内の温かい暖房のせいか不覚にも居眠り。やはりなんだかんだいって疲れてたのかしら。選挙管理委員(学部は委員長)の大役もあったし、何より講義もあともうひと息。とにかく周囲も私自身も落ち着かない。

 いずれにせよ良い論文を書くことでご恩に報いねば。夏のパプア、冬の札幌。最終的には史料による実証の水準を日本近現代史研究に合わせて調整する必要がありそうだ。この緊張感が嬉しい。

 9時半過ぎ、無事帰宅。

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□2011年12月日10日(土) 札幌日記 その1


白樺からの陽射@札幌

 今回の帝国解体研は札幌。樺太引揚研究を専門にされている先生の本務校での研究会。南方の復員・引揚は暑いところで、北方の復員・引揚は寒いところで。その土地土地の風土を体感しながら、諸先生の研究成果を吸収していく。熊本からは羽田乗り継ぎで計3時間ちょっと。乗り継ぎ時間が20分程度なので、そんなにロスは感じないが、国内線の移動としてはやはり長い。


マンモスの骨格標本@開拓記念館


熊本からも...

 本当にわずかな時間だが、合間に北海道開拓村の開拓記念館を参観。アイヌ民族の歴史から今日まで。プロジェクトとの関連でいえば、江戸時代以来の北海道「開拓」が「植民」であったことを改めて再確認させられる内容の展示。「開拓」する側、「植民」する側の論理は単純明快であり、それが「帝国」を創出していったことを実感。国内から国外へ。


夜のサッポロビール園

 研究会を終え、夕食はサッポロビール園へ。7、8年前、川島先生のお力添えで初めて札幌を訪れた時はと試飲を堪能するのみにとどまったのだが、今回は皆さんとの夕食なので「ジンギスカン」を堪能する。もっとも、「北海道」を堪能しつつも話題は今後の研究会に関する意見交換や出版予定の共著の件など。お忙しい先生方ばかりなので、食事の時間も勉強になることばかり。知識・教養の深さときめの細やかさにいつも圧倒される(私自身が勉強不足なだけだが)。


ジン、ジン、ジンギスカ〜ン!

 極めて有益なご助言などをいただきつつ、ジンギスカンもいただく。飲み放題、食べ放題ということもあり、検査明けで全身健康に満ち溢れている身としては、当然いつもよりペースが早くなり、一次会のみで満腹・満足に。明日に備え、早めに宿にて就寝。北海道万歳。

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□2011年12月6日(火) 約10年遅れ...

 ディスプレイの右端に韓流映画の「ブラザーフッド」(古い!)を流しつつ原稿執筆。戦後東アジア国際政治を専攻する者としては、あまりにも直球すぎてやられる。遺骨の研究もしてるからね。同僚のD先生によれば、「韓流は5作目ぐらいまでは泣けるんやけど...」とのこと。

 ベタベタのお涙頂戴ものなのは百も承知なのだが、年齢のせいか涙腺が緩くなっているのか、いかんいかん。「JSA」にも出演していたソン・ガンホはなかなか良い役者さんだ。私が「韓流」映画の俳優について書くなんて、随分と頭が柔らかくなったものだ。

 次は「シルミド」と「シュリ」、そして誰もが薦める「猟奇的な彼女」でも見るか。

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□2011年12月5日(月) ある視点

 たまたま本屋で手に取った内田樹先生(神戸女学院大学文学部教授)の『下流志向―学ばない子どもたち 働かない若者たち』(講談社、2009年)を通読する。「消費主体」として立ち現れる子どもたち。家庭内部における「不快」の表明合戦。そして「不快と教育サービスの等価交換の場」となる教室。「なるほど」と思わせる展開。

 近年問題となっている学級崩壊など、教育現場における混乱の根本的原因を理解するための有用な視点が提示される。「こういう見方もあるか」「確かに思い当たる節がある」などなど。もとより私自身が受けた「800名」の「座りっぱなしで」「教科書棒読み」のマスプロ講義など論外だが、はたしてどこまで「ニーズ」に応じて取り組むのが「プロ」か。なかなか難しいところである。

 「意識的な逃避」に対して我々がどう向き合うか。結局は「知ること」「学ぶこと」の楽しさを根気強く実践のなかで感じ取ってもらえるようにするしかないのではないか。誰かがやらなければそのままになってしまう。それはあまりにも惜しい。

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□2011年12月4日(日) 社員旅行


「モダン(?)なハコモノ」九州国立博物館

 勤務先の組合レクに家族で参加。着任以来、皆勤賞である。ライオンキング、日田、湯布院ときて、今回は九州国立博物館参観と二日市温泉「大丸別荘」さんにて会食と温泉。ご迷惑をおかけするのは重々承知しながらも、若様と大澤娘。も同伴させていただく。

 博物館はアジア地域の文化交流を軸に据えた展示が中心。いわゆる「金印」など。東京とは違った趣で、シックで落ち着いた4階の常設展示とアミューズメントチックな1階の体験コーナーの対比を楽しむ感じ(子供がいる場合)。子供たちは九大の百年展の巨大ゴキブリの標本が気に入ったようだ。

 お昼は慶応元年創業の「大丸別荘」さんにて。料理もそつなく、温泉は広めで、リフレッシュさせてもらった(もう少し時間にゆとりがほしい感じもしたが)。帰りがけに鳥栖のアウトレットモールに寄り、「銀ダコ」を食べて帰園。12月のわりには気候も穏やかで、のんびりすることができた。

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□2011年12月3日(土) さてさて

 午前中は交換留学生向けの事前研修。

 あと、とりあえず念のため...。

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□2011年12月2日(金) 『熊日』掲載

 地元紙『熊本日日新聞』の辛亥革命100年関係のインタビューシリーズでとりあげられる。1年ぶりの新聞掲載。あちらこちらからいろいろと反響がある。眼鏡を変えたせいもあるのか、記者さんのカメラがうまかったのか、思いもよらぬ「かっこい〜」反応(複数件)。ちょっと嬉しい。

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□2011年12月1日(木) ごたごたごた...

 卒論演習も佳境。それぞれそれなりに問題意識を深めつつ、着々と進めているようだ。もともと粒揃いの学年だが、やはり最後までソツなくこなしてくれそうで安心した。初稿の締め切りは22日。さて、どこまでできるか。楽しみにしています!

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