大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2011年6月)

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□2011年6月29日(水) 東京日記―日帰り

 日帰りで東京出張。中央大学の日中関係発展研究センターで姫田先生が中帰連に関するご報告。9月末締め切りの論文で、帰国後の「中帰連」についても本格的に扱わなければならないため、最近の動向を確認する意味でも参加。その他もろもろ打ち合せも。

 東京まで行くのはよいのだが、八王子はやはり遠すぎる。都心から往復3時間。京王線の特急は早くてありがたいのだが、疲れは倍増。週の後半、乗り切れるか...。

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□2011年6月28日(火) 関西日記 その2


特急まいづる1号@京都駅

 朝5時過ぎに目が覚める。老化現象だろうか。同僚の先生お薦めの通り、かなり「がっつり」とした新阪急の朝食ビュッフェ。このロケーションで、この朝食付きで1泊7200円はほんま激安といってええやろう。朝食が美味しいと元気満タンになる単純な身体である。

 東海道本線の新快速で大阪から京都まで行くのだが、駅構内に「東海道本線」の案内板は見当たらず。駅員さんに聞いたところ、神戸線だったり、京都線だったりするらしい。約30分で京都へ。無事に「特急まいづる1号」に乗り込み、初夏の京都の緑を楽しみつつ北上する。


ラーゲリ@引揚記念館

 バスが日に5本ぐらいしかないため、仕方なくタクシーを使う。平日にもかかわらず、多数のお年寄りが団体で参観。ボランティアガイドもかなりの数おり、戦争関係の記念館としては随分と盛況だった。 逆にそれだけ「引揚」に関わりを有する日本人がいまにだ如何に多くいるかということだろう。


引揚船接岸@舞鶴港

 湾の形が鶴が舞うようだとか、あるいは鶴が舞い降りたからだとか、いろいろと「いわれ」があるようだが、確かに美しい湾である。かつて日本海軍の鎮守府があり、現在も海上自衛隊の関連施設が多い舞鶴は、引揚研究者にとって、いろいろと考えさせられる場所である。もっとも、若いタクシーの運転手さんは、引揚や葫蘆島の話しより、「肉じゃが発祥地論争」のほうに断然興味があるようだった。


あゝ母なる国 有田八郎 筆

 記念館裏の小高い丘を登ると、どこからともなく「岸壁の母」が流れ出す。舞鶴湾を見下ろせば 、復刻された引揚桟橋がはるか下にみえる。旧援護局関連施設跡地には木材加工の工場がモクモクと煙を上げつつ操業している。全協会長の有田八郎氏による「あゝ母なる国」の石碑。後期集団引揚では微妙な立場にあった有田だが、やはり舞鶴では英雄であることに違いはないようだ。


平引揚桟橋(復刻)@引揚記念館

 丘の上から見下ろした平引揚桟橋。記念館から行くには往復2.5キロ以上、炎天下の山坂道を進まなければならない。あまりの暑さに一瞬躊躇したが、昨年のパプアのジャングル探検に比べれば大したことはなかろう。誰もいない桟橋で鐘を3度鳴らし、平和祈願をする。静かな湾に響き渡る鐘の音が記憶に残る訪問となった。


夕焼けの伊丹空港

 出発前のひととき。明日は朝から日帰りでの東京出張なので、12時間後にはまた機上の人に...。

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□2011年6月27日(月) 関西日記 その1


かっぱ横丁@阪急梅田

 午前中は東洋史の講義。「革命の思想」と題して孫文やら「三序の理論」やら。「軍政」から「訓政」へ、そして、「訓政」から「憲政」へ。今日に至る中国の歩みに照らしながら、その移行の難しさを確認。午後はゼミ。周辺知識をテンコ盛りで講ずるため、輪読は遅々として進まない。学生たちも少し疲れ気味か。

 授業を終え、機上の人に。8月に哈爾濱近辺の満蒙開拓団ゆかりの地や葫蘆島を訪れる予定なので、その前に上陸港のひとつ「舞鶴」に行っておきたかった。舞鶴に宿を取るのもなんなので、前日は大阪泊とする。梅田駅前の新阪急ホテルに投宿。


風月焼き@梅田

 いろいろ美味しそうなお店が並んでいるのだが、なかなか「おひとり様」では入りにくい。CoCo壱で済ませようかとも思ったが、「県民SHOW」を見たばかりなので、意を決してお好み焼き屋に入る(とはいっても、チェーン店の「風月」だが)。

 鉄板を前にどうなることかと思ったが、お店のスタッフさんが最初から最後まで焼いてくれるとのことでひと安心。それにしてもお好み焼きって焼き上げるのに20分以上かかるのね。合わせて「焼きそば」と「牛すじ煮込み」をたのみ、生ビールを飲みつつ、焼き上がりを楽しみに待つ。

 外は「カリッ」、中は「ふわっ」というのはこういうことか。汗だくになりながら、大阪の味を堪能。宿に戻ると「困った内容のメール」が来ていて気分を害したが、「他人は他人、自分は自分」と気を取り直して、原稿の最終修正作業を進める。それにしても、よりによってこのタイミングでどうしたものか...。

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□2011年6月24日(金) 玉ねぎ


たまねぎのおひたし

 講義2コマ。「国際社会と日本」は日米関係史からの発展テーマ。朝イチで扱う素材としては重いが、「ソンミ事件」のドキュメンタリー(前半)を見る。学生諸君はかなり衝撃を受けたようだ。午後の「現代中国の政治」では中台関係を少し。

 研究棟受付前で玉ねぎとジャガイモが配られる。時々、「配給」があるのが面白い。新鮮な「サラたま」だったので、お嫁様がおひたしにしてくれた。

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□2011年6月22日(水) お役ご免

 学内紀要の編集会議総会。無事に任期終了。

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□2011年6月19日(日) 父の日


恵比寿麦酒弁当箱@マルショク

 出張戻り。終日自宅にて休息。夕方、近くのスーパーへ買い物に。店頭でビール販売のキャンペーンをやっていた。せっかくの「父の日」なので、エビスビールを6本買ってもらう。売り子さんの誘導で、無事「B賞」のお弁当箱をゲット。良い「父の日」となった。

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□2011年6月18日(土) 廖研

 東大駒場にて「廖承志集団」研究会改め廖承志研究会を開催。第3回目となる今回は少し開いた形で告知を行ったため、メンバー以外にも5名ほどの参加者があり、極めて「狭い」テーマながらも、なかなか盛況であった。

 まずプロジェクト・リーダーである東京大学の王雪萍先生より改めての趣旨説明があり、それぞれが個別の課題について報告。大澤は「民間人道外交と廖承志集団」というお題だったのだが、せっかくの档案史料なので、1950年代なかばの「廖承志集団」の実像について、若干仮説めいたものをお話させていただいた。

 夜は渋谷にて懇親会。出版や学会報告、さらには今後のインタビュー等に関する打ち合せが続く。これぞ「共同研究」といった感じ。調子に乗って飲み過ぎる。

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□2011年6月15日(水) 儀式

 終日研究室にて档案読み直し。午後、科研費説明会。ほぼいつものメンバー。普通の事務連絡なのだが、学内で科研を採っているヒトが参加できる一種の「儀式」なのかもしれない。出られなくなったら、はい、それまで...。

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□2011年6月14日(火) 廖研準備

 ようやく無講義日にたどりついた。とはいえ、仕事は山積み。「ここまで私がやるのか」という雑務の火の粉を振り払いつつ、外交部档案の読み直しを進める。ファイル20冊にもおよぶ档案コレクションは目を通すだけでもひと苦労。ここから出発して関連する文献をまたひっくり返さなければならない。

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□2011年6月12日(日) 着陸強行

 朝イチの熊本行き。機内で「福岡か宮崎、あるいは羽田に引き返すことも...」というアナウンス。日曜日だし、どこに降りてもご当地の名物でも楽しんで帰熊しようと腹をくくる。熊本空港はドシャ降り。ほとんど諦めかけたのだが、霧の晴れた合間を縫って見事着陸強行。無事、時間通りに「よかとこ」熊本に帰着。

 スケジュールの乱れは37歳の身体にかなりこたえた。

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□2011年6月11日(土) 帰熊のはずが...


30品目バランス弁当@羽田空港

 「会議参加+資料調査」で出張許可をいただいているため、朝から国会図書館へ。本務校の図書館は地方私学としては本当に充実しているが(学園大ラブ)、やはりマニアックな戦争責任関係の論文となると、最後には国会図書館にネット経由で頼むか、直接行くかしかない。今回はついでなので「直接行く」を選ばせていただいた。

 中華人民共和国の対日戦犯処理に関する論稿がいくつか出ているので、網羅的に調査・収集。ただ、戦争責任論の視点が強すぎるためか、「革命中国」あるいは「革命中共」という「大前提」への配慮に欠け、「人道」や「和解」を過度に強調し過ぎているきらいがある。平和研究だからかしら。「何のためのそれ」なのかをきちんと見据える必要があろう。

 話はそれるが、最近、国会図書館の6階の食堂のチャーシューメン(醤油)がどんどん美味しくなっているように感じる(業者もどんどん変わっているみたい)。こだわりの専門店でもないのに、魚介系のどっしりとした感じのラーメンが、スチュエーション的なギャップもあって楽しめる。個人的には好き。

 食べ物の話ばかりだが、30代後半なので最近は空港で「30品目バランス弁当」を食べることにしている。値段も850円と手ごろで、いろどり鮮やかですごく楽しめる。ラウンジでプレミアム生をいただきながら、離着陸する全日空機を眺めるのは至福の時である。

 昼過ぎにお嫁様から「熊本はどしゃぶり」というメールがあったので心配していたのだが、悪い予感は的中。熊本空港「濃霧」のため、搭乗予定の最終便はキャンセル。時間も遅いので福岡まわりも現実的でなく、結局、明朝の便に振り替え。もっとも「悪天候」が原因では延泊料金も出ない。科研出張だが、こういうときはどういう処理になるるのだろう。

 浜松町の定宿に戻り、フライト・キャンセルの話をすると、休日前なのに「ネット経由割引」の一番安い値段で手配してくれた。多分、2000円以上の割引きである。3週連続で泊まっているのが奏功したか。

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□2011年6月10日(金) 帝国解体研

 朝イチの必修「国際社会と日本」と午後イチの選択必修「現代中国の政治」を終え、阿蘇くまもと空港へ。講義はだんだん終わりが見えてきた。夜の「帝国解体研」に参加するため東京へ。

 愛車を駆って急いで空港へ行ったのだが、機材の到着遅れで(SNAだからしかたないか)、1時間半待ち。とはいえ、やっぱり外国人機長がガンガンに飛ばしてくれたので6時15分には羽田に到着。浜松町からタクシーを飛ばして7時15分過ぎには六本木の東洋英和へ。

 加藤聖文先生のご報告。終戦直後における日本政府の「現地定着」方針をより深く分析しようとする試み。拙稿でも少し検討したことがあった部分なだけに、いろいろと勉強になる。

 質疑応答終了後は出版に向けた打ち合せ。次回の研究会、すなわち10月1日が締め切りとなる。論文の「深度」をどうするか、ご助言をいただく。「引揚・復員・慰霊・賠償」研究はやはり奥深い。

 「戦犯」の帰還...でいくか。「敗者の帰還」にみんな影響を受けてるのかしら。言葉の選び方がうまいんだよなぁ〜。

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□2011年6月4日(土) 22周年

 私の「六四」は忙しい。朝、研究室に出動。档案を読みつつ、合間を見て息子の授業参観に出没(大学のすぐ裏)。蒸し風呂のような小学校の廊下での授業参観を終えると、お嫁様と「大澤娘。」とともにちょっとおしゃれなレストランで昼食。自宅に戻り、片手間で档案を読み進めつつ、息子を校門前で拾い、「子ども将棋」へ連行。

 その間、お嫁様がPTAのバレーボール大会に駆り出され出奔。昼寝する「大澤娘。」の子守りをしつつ、档案を読み進めるも、時間が来たので眠たがる「大澤娘。」をたたき起して、ファンタグレープで懐柔しながら、息子のお迎えへ。

 自宅へ戻り、東京行きの準備。予定の時間より30分近く遅れてお嫁様がお戻りになられたので、愛車に乗り込み、エンジンをふかしながら待機。姿を確認するや否や、急いであそ熊本空港へ。

 今回は私的な東京行きなので自分のポイントでUGしようとしたが、あいにく満席。まさか「熊本で...」と思ったが、ありがたいことに空席待ちの順番が「A−2」だったので、無事に座席を確保。ゆったりと空の旅を楽しむことができた。

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□2011年6月3日(金) 少しは腰を落ち着けて...

 「国際社会と日本」は日米関係史シリーズに突入。昨年は6月最初の講義で「鳩山退陣」を論じたが、「菅退陣」はもう少しばかり先延ばしになったようである。とにかく「何かがおかしい」ということに気づいてくれればそれで十分。「なか弛み」の私語には「トロイの木馬」発動で...。

 学科パンフの色校正が終了。いろいろな戦略があってあのような形になった。乞うご期待。マーケティングは「賭け」ではない。とっぴょうしもないことをするのが良いのではない。しっかりと本質を見据え、丁寧に作り込むことが大事だ。極端に振り過ぎていないだろうか。

 コツコツと档案の読み直しを進める。どうもいわゆる「外弁日本組」という概念を再検討する必要がありそうだ。

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