大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2011年2月)

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□2011年2月28日(月) 箱根日記 その1

 「プランゲ文庫と東アジア」研究会の研究合宿に参加するため箱根の神奈川大学保養所に。あいにくの雨だったが、箱根路には雨が良く似合う。

報告者(敬称略):テーマ

 大澤武司:東西冷戦の深化とソ連引揚
 泉水英計:ジョージ・H・カーと沖縄人移民―台湾 引揚からボリビア植民へ
 小林聡明:朝鮮人の移動をめぐる政治学−戦後米軍占領下の日本と南朝鮮

 あいかわらずの自転車操業報告であったが、加藤聖文先生がコメンテイターを務めてくださるので、自分が勉強する気持ちで報告。少し「照準」が外れた感もあったが、プランゲ文庫を駆使した研究成果を報告できるはずもなく、「最近の研究紹介」ということでとりあえず「おつとめ」を果たす。

 研究会がみっちり4時間、その後も夕食を経て研究会の今後の運営に関する議論など12時近くまで。特にじっくり加藤先生と「今後の私の研究方向」についてご相談させていただけたのは、本当に大きな収穫となった。焦る必要はないはず。まず「邪念」を捨てなければ...。

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□2011年2月27日(日) 東京日記

 移動の都合上、前日入りとする。自分の「再出発の地」を確認できた。

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□2011年2月26日(土) しぶしぶの会

 午前中はレジュメの印刷など。午後は息子が入学式で着るスーツを買いに行く。夕方は幼稚園の保護者(父)の飲み会「しぶしぶの会」に参加。お店は下通りの「くうわ」。肉料理を中心にしたなかなか私好みのお店。

 ここ1年ぐらいずっと幼稚園行事と出張がバッティングしており、何もお手伝いできずにきたので、飲み会だけに参加するのはどうかと思ったが、息子も3年間お世話になり、また大澤娘。が4月から引き続きお世話になるので、とにかく参加することに。

 敬愛幼稚園のパパたちは比較的年齢層が高く、上の子がいる方たちが多いので、熊本の小学校の話題などで盛り上がる。あぁ、もう小学生の父か...。

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□2011年2月25日(金) プランゲ文庫

 月末箱根で行われる研究会の名称は「プランゲ文庫と東アジア」。学園大の図書館に「プランゲ文庫」が入っているので、とりあえず事前に関係しそうなものを見ておくことに。

 原本はアメリカのメリーランド大学に所蔵される「プランゲ文庫」だが、うちに入っているのは「雑誌コレクション」のほうで、マイクロ・フィッシュで6万3000枚に及ぶもの。ネットで調べると880万ぐらいするらしい。

 2階の書誌コーナーでなんとかプランゲ文庫の目録(3分冊)を発見し、3階のマイクロ室へ。ほとんど誰も使っていないらしく、まったくのサラの状態で棚に整然と並べられている膨大なマイクロ・コレクション。

 紙媒体の目録では埒があかないので 、早稲田大学の電子目録索引を利用し、関係ありそうなものを探す。とりあえず「ソ連引揚」などで検索をかけると地方新聞コレクションのなかに関係する記事がちらほら。また、雑誌名で「引揚」など検索してみると『引揚同胞』や『引揚者』などの雑誌いくつかヒット。

 終戦直後の日本人の生活や日本社会を垣間見るのに有用なコレクションと言われているが、「引揚」問題についても、分析視角を少し「ローカル」なものに変えないと「発見」はないのかもしれない。「引揚」からアプローチするよりは、「熊本」から絞っていって、最後に目的達成するほうが良いのかもしれない。

 研究会が良い機会になればよいのだが。

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□2011年2月24日(木) 締め切り迫る!

 なかなか原稿執筆が進まず。原稿料振り込みに関するメールが届く。「北京合宿」で何とかできるだろうか...。

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□2011年2月23日(水) 卒業判定など

 午前中は教授会。卒業判定など。必修科目の受け持ちが多いだけに、胸が痛くなることも多い。でも、こればかりはどうしようもない。結構「蜘蛛の糸」は垂らしたのだが...。

 午後はゼミの卒業論文集の編集作業。その合間に小学校の入学前説明会に参加。小学生に戻ったような感覚。

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□2011年2月22日(火) レジュメづくり

 箱根合宿に向け終日レジュメづくり。とりあえず「前座」ということで、さっぱりと「ソ連引揚」についてまとめる。ロシア側からの研究も結構出ている。また、2009年に抑留者カードがロシア側から引き渡されて以来、いろいろと動きがあるようだ。抑留研に出たいのだが 、どうしてもスケジュールが合わず。残念。ロシア語ができないので、深い研究は無理だが、ちょっとまとめるだけでも良い勉強になる。

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□2011年2月17日(木) 淡々と

 終日「前史」の仕事を進める。ようやく半分まで。旗が引きずりおろされたところ。午前中は臨時教授会と学科会議。入試の合否判定。東アジアは絶好調。お昼は学食。特に何もない一日。ストーブのつけっぱなしで総務に怒られる。

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□2011年2月16日(水) インドカレー

 終日、自宅にて「前史」の仕事を進める。お嫁様と大澤娘。と龍田の「SURYA(スリャ)」というインド料理店にてランチ。お嫁様の「グリーンカレーが食べたい」との要望に答えて。もっとも、グリーンはグリーンでもホウレン草カレーだったが。いずれにせよ、神秘的な味で、エキゾティックな気分になれた。タンドリーチキンもお薦め。

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□2011年2月12日(土) 熊本会議

 戦後東アジア国際政治史研究会の第2回熊本会議。今回は少人数での勉強会形式で集中的に意見交換。新年度に新たに加わる「廖承志」関係の研究プロジェクトのキックオフミーティングとさらに大きな研究プロジェクトの企画打ち合せ。

 杉浦康之防衛研究所教官と王雪萍東京大学専任講師の両先生によるご報告、そして佐橋亮神奈川大学准教授と井上正也香川大学准教授によるコメント。尚絅大学准教授の和田先生と私。昼食を挟んで6名でみっちり5時間以上。みんないずれも学生時代からの付き合いだが、それぞれ「先生」になってしまった。

 来熊まる3年。遠路はるばる足を運んでくれる友情に心より感謝。夜は「佳昇」と「おるげんと」で痛飲。

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□2011年2月3日(木) 閑散としたなかで

 学期末試験も完全に終わり、学内は閑散とした感じ。入試を控えての束の間の静寂。お昼は組合役員選挙の説明。大学分会の仕事は3月の第2回定期大会を残してほぼ終了。ばたばたと過ぎた感じだが、良い勉強になった。

 午後は論文の直し。編者の先生から丁寧なコメントをいただく。確かに、「移行した」と論じつつも、何か変わり、何が変わらなかったのかという点に関する言及が不明瞭であった。

 「二分論」を基礎とする「人民外交」の思想。その継続と調整、そして「政経不可分」原則の一時的溶解。やはり振り子の揺り戻しは必然であった。そんな感じでなんとかまとめてみた。1960年代は何だかんだいってもまだ毛沢東による「革命の時代」。急に「ものわかりが良くなった」わけではないだろう。あくまで仮説。

 夜は「のぶやす」で飲み会。卒業生2人と横澤先生。それにしても若者はよくしゃべり、よく飲む。体力の衰えを感じる。

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□2011年2月2日(水) 本当に大丈夫なのかしら...

 午前は「前史」を書きすすめつつ、メールなどを処理。午後は教授会と学科会議。結局、懸案はそのまま。大丈夫かしら。夜、同僚の先生方と水前寺の「マルショウ」で少し遅めの新年会兼慰労会。飲みすぎる。

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□2011年2月1日(火) 三流の人...

 それにしても困ったものだ...。きっと実証研究なんかできないのだろう。

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