大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2010年12月)

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□2010年12月29日(水) 上海日記 その3


リニアモーターカー@上海

 はやくも帰国となる。「おもちゃ」と揶揄される上海リニアモーターカーで浦東国際空港に向かう。いやいや、龍陽站から10分ほどで浦東に着けるのはやはりありがたい。高速で並走するトラックが時速20キロぐらいに見えた。

 すでに37歳で「おじさん」の私だが、あまりの速さにわくわくドキドキである。なんだかんだいっても、営業運転していることを考えれば、軍配がどちらにあがるかはいわずもがなである。専門的な技術はわからないが、とにかく「便利」である。


431q/h@リニアモーターカー

 浦東国際空港から福岡国際空港へ。まさか1時間15分で到着するとは。11時50分に出発して、日本時間の2時5分に着いた。下手すれば熊本―東京間よりも近いかも。東アジア経済圏の可能性を体感するフライトとなった。友人とじっくり語り合える、良い出張となった。

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□2010年12月28日(火) 上海日記 その2


私@外灘

 終日、上海市档案館にて档案調査。ずっと追い求めてきた1959年5月の国務院通知の原文を獲得。地方档案館調査の醍醐味を味わう一日となる。ずっとつかえていたもやもやが晴れた感じ。やはり読みは間違っていなかった。「個別帰国」に対する中国政府の方針が明らかに。


ココイチのロースカツカレー@上海

 ホテルに戻る際、対面にあるファミマで「雪花」でも買おうとふらふらしていたら、2軒隣りに見慣れた看板が。上海に11軒ある「ココイチ」のうち、そのひとつが私の目の前に。「ロースカツ、チキン煮込みミックス、2辛でご飯普通、追加ポークソース」でお馴染みの私が、これを味合わずにはいられない。

 基本を確かめるべく、ロースカツの中辛(日本でいう3辛)、ご飯普通でオーダー。感心したのは、きちんと揚げ物は日本同様にオーダーを受けてから揚げていたこと。もっとも、ルーの煮詰め時の「エアー」の巻き込みには若干不満があったが、それでもおそらく名古屋の工場から空輸(?)されるであろう「ココイチ・ルー」の味はそのままで、遠く上海で愛しの恋人に邂逅でき、档案調査の疲れも吹っ飛んだ。

 笑ってしまったのは、店内のお客がほとんど日本人であったこと。1階には5人ほどの日本人ビジネスマン(いずれもピンの客)。2階から降りてきて会計をしていた二人も日本人。服務員に「いつもこんな感じで日本人ばっかりか?」と聞くと、「今夜は異常に日本人が多い」との答え。9時半過ぎると、無性に「ココイチ」が食べたくなるのは、我々日本男児の哀しき性か。なぜかすごく嬉しくなる。

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□2010年12月27日(月) 上海日記 その1


閲覧電脳@上海市档案館

 午前の便で上海に移動。3年ぶりの上海だが、「世博」開催がもあり、さらに劇的な変化を遂げていた。到着した虹橋機場からは地下鉄2号線が市の中心部に直接乗り入れており、極めて利便性が高い。今回は中山公園站近くの「新世界飯店」を利用した。外灘からは少し距離があるものの、地下鉄で15分ぐらいなので、特に不便はない。

 さまざまな予定変更があったため、とにかく何かせねばと上海市档案館へ。上海市档案館の外灘新館についてはすでに川島真先生が閲覧指南をネットで公開されているので、おおよその当たりをつけつつ、いきなり訪問する。近況については「上海市档案館の歩き方2010冬」を参照されたい。今日は閉館まで30分しかなかったので、とりあえず服務員のみなさんに顔を売ることに専念。明日が本番。


紅焼肉@圓苑

 夜は地下鉄2号線の南京西路站近く、伊勢丹のビルに入っている「圓苑」で夕食。全中国最高といわれる「紅焼肉(豚の角煮)」をつつきつつ、研究談義に花が咲く。研究者としての至福のひととき。翌日の档案調査を考え、とりあえず「黄酒」は我慢する。なんと自制的な!

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□2010年12月26日(日) 北京日記 その4

 午前は資料調査で「旧書市」の「潘家園」に。刊行されて間もない『毛沢東軍事文稿』などを安く入手することができた。生命維持に限界を感じるような寒さのため、同行の友人と今後の研究に関する意見交換などをしつつ過ごす。極めて専門が近いため、今後の中長期の研究計画などを練る。「戦後日中民間人道外交の遺産」という問題も含め 、今後につながる有意義な議論ができた。

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□2010年12月25日(土) 北京日記 その3

 午前から午後にかけ、北京の老舗料理店で舌鼓を打ちつつ、友人の中国人研究者と意見交換。専門が極めて近いだけに、議論にも熱がこもる。午後は資料調査のため書店をめぐる。重い本を背負いつつ、街なかを散策する。顔が凍りそうなほどの寒さ。甘く見ていた...。

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□2010年12月24日(金) 北京日記 その2

 午前は外交部档案館へ。「漁船衝突」事件があったせいか、公開済みの領土問題関係のものを少し整理したような感じを受ける。午後は社会科学院近代史研究所へ。尖閣問題をめぐる中国学界の動きについていろいろとうかがう。

 夜は同行の友人と「安い」北京ダックで晩餐とする。男二人で過ごすクリスマス・イブは物心ついてから初めてのこと。

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□2010年12月23日(祝) 北京日記 その1

 再び北京へ。院生時代や兼任講師時代は年末に档案調査に行くことが多かったのだが(休講しにくかったため)、仙人になってからは初めての年末訪京である。「零下10度」の洗礼にはさすがにまいった。

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□2010年12月22日(水) 健康第一

 若干の「節酒」をすべき以外はいたって健康。ひと安心。

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□2010年12月20日(月) 東京出張 その2

 定宿が赤羽橋近くなので、外交史料館にも近い。先月新規公開された外交記録と「歴史資料としての価値の認められた――」リストにある未確認分の外交記録を調べる。

 「歴史史料としての――」はCD-Rを焼いてくれるので、未購入分などをピックアップして購入を申し込む。改めて読むに、某先生@四国がいかに精力的に情報公開をかけたかがわかる目録である。

 少し時間を割いて読んだのはいわゆる「順次公表分」の中仏国交正常化関係の外交文書。全4巻の現物公開だが、いずれも在外公館からの来電が大部分をしめており、重要な情報はごくわずか。でも、外務当局関係者の慌てようがわかるので、それなりに楽しみながら読ませてもらった。

 いま「対中統一見解」のあたりを勉強中。

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□2010年12月19日(日) 東京出張 その1

 いつものANA942便で東京へ。最近1960年代前半の日中関係を少し勉強しているのだが、中国の対日外交の受け手である日本側の動きについても、もう少し本格的に勉強する必要があるので史資料の集中調査といったところ。

 午後は神保町をまわり、これまで購入を先送りにしてきた研究書の数々を入手する。最新の研究成果も多い。

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□2010年12月18日(土) 師走。走ってはいませんが...

 午後、補講ひとつ。土曜の補講でもあり、寒いので出席も少ないかと思っていたが、思いのほか多く、100名ほど来てくれた。これまで講義してきた中国近現代史を振り返りながら、NHKスペシャルの「上海 百年の物語」を見る。極めてよい雰囲気のまま年内の講義を終える。

 終日、もろもろの残務を集中して処理する。週末の東京出張、来週の北京・上海出張と、熊本でゆっくりしている時間はあまりない。研究時間も情けないほどコマ切れ。これをつなぎ合わせていかなければ前進できない。仲間の大著がぞくぞく刊行されている。遅くとも来年後半にはできるだけ外からの仕事をセーブして、原稿執筆に取り組まなければ。

 学科長と某先生が、来年東アジア学科に入学予定の生徒さんたちの入学前準備講習をされていたので、最後に少しだけのぞかせていただく。定員規模を考えれば、本年度の推薦入試は「激増」といっても良いだろう。混乱が続く東アジアだが、逆に「もっと詳しく学びたい」という生徒さんたちも多いようだ。

 クリスマス・イブもクリスマスも海外出張なので、息子のプレゼント用に「Wii」を買う。ソフト込みで子供のおもちゃに25,000円はいかがなものか。そりゃ、もりろん狂喜乱舞していたが...。

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□2010年12月17日(金) あともうひと息

 午前講義ひとつ、午後講義ふたつ。年内もあともうひと息。

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□2010年12月16日(木) 来年前半は...

 午前は講義、午後はゼミ。声のかすれも治り、なんとか乗り切る。

 大著の書評を引き受ける。締め切りは5月だが、3月までは重要な原稿の初稿締め切りがあり、これにかかりきりになりそう。来年の前半は少し腰を落ち着けてやらないと大変なことになりそうだ。

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□2010年12月15日(水) 組合活動

 問題に正面から取り組まれた、気迫あふれる真摯な文書に感激する。

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□2010年12月14日(火) 息子6歳

 3歳で熊本に連れてきた息子が6歳に。来年は小学校である。時の経過というのは子供の成長で実感させられるものである。

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□2010年12月12日(日) 10年目の結婚記念日

 大学教職員の親睦団体の忘年会に参加。3年目も終盤に入り、いろいろと思うところがある。

 結婚記念日なので早めに失敬してお嫁様とお祝いをする。息子も大澤娘。も寝てくれていたので、ゆっくりいろいろとこれまでを振り返りつつ話をする。

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□2010年12月8日(水) いざ!

 多少疲れているのか、海外留学をする学生向けの事前研修の講義時間を完全に勘違いする。いろいろと細かい仕事が入ってきているので、それらの諾否を考えるだけでも結構神経をつかう。断ればよいのだが、追い込まれないとやらないタイプなので、できるだけいただける仕事は積んでおくようにしてきたのだが...。

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□2010年12月7日(火) やはり...

 早くも師走も第2週。年内の講義も残すところいずれもあとわずか。予想度通りといえばそれまでだが、やはり本年度から「選択科目」化した専門演習Uの履修辞退希望者が出始めた。演習Uは卒業論文指導も兼ねているため、卒論が書けなければ必然的に演習そのものの単位も難しくなってくる。

 昨年度までは「必修」だったのでそれなりに緊張感があったのだが、「縛り」がなくなれば、さもありなんと言った感じか。

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□2010年12月6日(月) たまには...


気分転換@阿蘇

 いろいろ煮詰まっているので、仕事を片づけて冬の阿蘇へ。わずかばかりの気分転換ぐらい良いだろう。周回しても2時間足らずである。

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□2010年12月5日(日) 組合旅行


金鱗湖@湯布院

 教員組合の旅行。一昨年はライオンキング、昨年は天領日田、そして今年は湯布院となった。昨年はお嫁様と大澤娘。も参加したのだが、今回は少し距離があるので、息子との二人旅となった。


息子@ハーレーダビットソン

 ゆふいん山水館というお宿で昼食。その後は街を散策。温泉地ではあるが「ゲゲゲの・・・」ショップなどもあり、随分とあか抜けた雰囲気。もっとも、大人は楽しめるが、5歳児となるとさすがに...である。まぁしかたないだろう。

 少し歩き疲れたところにちょうど良く九州自動車歴史館を発見。息子は「コペンを探す」と言いながら先に入ってしまった。車好きの私ももちろん吝かではない。もっとゆっくり見たかった...。

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□2010年12月2日(木) ウィキリークス

 午前は東洋史の講義。導入の部分で「尖閣」問題や中朝関係などを題材にしながらWikileaksと国際政治について少し話す。国際政治において「ネット」が直接的に「力」を持ち始めたようだ。講義ではようやく国民政府を追い出して中華人民共和国を成立させた。

 午後は専門演習。「中国の労働事情」を扱った本年度は例年になく順調に進んでいるのだが、何か「もう少しできそう」な物足りなさがある。なぜだろう。

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□2010年12月1日(水) 健闘

 出張手配をいくつか。教授会。東アジア学科は推薦入試志願者数でまさに「健闘」。強い逆風が吹いているのだが...。

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