大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2010年10月)

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□2010年10月31日(日) 北京日記 その5

 終日市内で書籍調査。劉建平先生の『戦後中日関係―「不正常」歴史的過程与結構』(社会科学文献出版社、2009年)をようやく入手する。建国初期中国の対日外交を「人民外交」というキーワードを軸に分析した研究成果。劉先生の論文はすべてチェックしているだけにいろいろな意味で感無量。いや、いろいろな意味で刺激を受ける。書評を書かねば。

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□2010年10月30日(土) 北京日記 その4

 天津にて南開大学の副教授と研究交流活動。『阿Q外伝』について議論。公に開いているページなのでこれぐらいでご勘弁を。二人で小さめの白酒を3本あける。もちろんぐでんぐでん。動車組に乗って無事に北京に帰れたのが不思議なぐらい。本来ならば異国でこんなに酔ってはいけない。

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□2010年10月29日(金) 北京日記 その3

 終日档案館にて。高碕達之助がらみの档案を読むも、断片的なものばかりで眠くなる。単純作業が身にこたえる。細かい史料の海に入りすぎて、全体像を見失っている感じ。いけどもいけども続く荒野かな。まずは己の勉強不足を呪うべき。

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□2010年10月28日(木) 北京日記 その2


「新」外交档案館@朝陽門

 朝、いつものように外交部档案館へ。と思ったが、いきなり「閉館」の貼り紙。でもよく読めば「南楼に移転」とのこと。詳細は「中国外交部档案館の歩き方2010秋」にて。

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□2010年10月27日(水) 北京日記 その1

 自宅前のバス停から福岡国際空港行きのリムジンバスに乗る。いつものように空港で「カツとじ定食」を食べ、機上の人となる。7時前に北京空港着。少し高速道路が混んでおり、8時過ぎにホテルにチェックインする。「李先生」で生ビールと「加州鶏」、そして「牛肉面」を食べ、夕食とする。思ったよりも気温が高いので安心する。

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□2010年10月26日(火) 熊学病...

 午前に卒論ゼミ、午後は講義2コマ。学園祭直前でもあり、また急に気温が下がったこともあり、毎年のことながら「熊学病」が流行し始めたようだ。具体的な症状としては講義の設定時限にかかわらず受講者が激減するというものである。おそらくこれがうちの学生たちの最大の弱点だろう。企業の採用担当者はこうした本性を鋭く嗅ぎわけるのが仕事である。

 講義の合間、中国の友人から頼まれた『阿Q外伝』の脚本を熊本市内の古本屋に買いにでる。愛車をオープンにして走らせること10分足らず。どこに行くにもすぐ着くのが熊本の良いところ。ネット通販主体の無店舗型の古書店であったが、気さくな店主が出迎えてくれ、無事お目当てのものがゲットできた。

 時事中国語の講義で「蟻族」という新語を解説。「城中村」で蟻のように蠢く彼らだが、蟻は集団となり堅固な建築物をも倒す。「80后」のカリスマ韓寒氏による「反日デモ」批判の発言をどのように評価するかはともかく、少なくとも「尖閣」事件以降、日中関係のみならず、中国社会も新たな段階に入ったのではないかと思われる。

 「中国的特色のある民主主義」でも掲げるのか...。

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□2010年10月25日(月) 出張前に

 たまりにたまっていた細かい仕事を一気に片づける。講義、学会、組合、紀要編集、フィールドワーク手配、研究会手配、番組製作協力、中国出張、その他諸々...。週末の出張が続き、風邪も長引いていたので、ずいぶんと先送りしてしまった。まぁ、フルで回転すれば1日で片づくのだから普段から大した仕事をしていないということだろう。

 夕方、ひとつ会議。このままでは...。

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□2010年10月20日(水) 出前講座

 熊本市の企画で「出前講座」というのがあるらしく、私は「現代中国と日本」というテーマで登録されていたのだが、「出前」の依頼があったので「配達」となる。会場は先日熊本近代史研究会でうかがった県民交流館パレアで、熊本の印刷・出版関係の親睦団体(?)である緑友会さんの定例会での講演せよとのこと。

 いうまでもなく、これほどまで日中関係が盛り上がっているので、当然質疑応答も熱が入る。二国間関係のみならず、東南アジアも視野に入れた安全保障の問題や中国の「チベット」「南沙」、そして「尖閣」という「蛙飛び戦略」にまでおよぶ幅広いものとなった。

 最近、随分と学生の間で私のマスプロ講義の「導入」が好評のようだが、それはおそらく「時事ネタ」に重点を置いて話しているからであろう。ただ、現状分析を行うためには最低限の「基礎知識」が必要であり、そうした「基礎知識」を積み上げていくのが「たいくつな授業」といえよう。

 そんな意味でも、とりあえず学生の間は「たいくつな授業が俺たちのすべて」であっても良いのではないかと思う今日この頃である。要は「活かそう」として聴くかどうかの問題である。

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□2010年10月18日(月) 松村でも岡崎でもなく...

 午前中は浜松町にて2時間ほど国営放送局の方々の取材を受ける。来年5月に放映予定の「外交」モノについて。前回、「引揚」モノでご一緒した方が責任者なのでまたお役にたてるのは嬉しい限り。話を進めるなかでプロフェッショナルが持つ「鋭い嗅覚」に衝撃を受ける。いい勉強になった。

 今度の档案調査はせっかくなので「高碕」に照準を合わせてみようかと思う。

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□2010年10月17日(日) 日本現代中国学会 その2

 学会2日目。午前はゼミの後輩である杜崎群傑(中央大学大学院)氏の「中華人民共和国成立前夜華北臨時人民代表大会的研究」と愛知大学大学院の馮偉強氏の「国際出稼ぎ労働者の体験―中国人研修生・技能実習生を事例として」の両報告で構成される自由論題部会に参加。後輩の著しい成長にとにかく驚くと同時に、「外国人研修生・技能実習生」問題は熊本の「名物」なので、いろいろと事例を紹介する。

 午後はコメンテイターのお仕事。姫田先生による司会のもと、湯原健一氏(愛知大学大学院)の「関東州統治初期における台湾総督府の人材『流入』―石本竭セ郎をてがかりとして」と堀井弘一郎氏の「甘粛省天水に留用された人びと」という二つの報告にコメント。若干時間がタイトだったが、いずれも手堅い実証研究だったので、大きな質問をひとつ、ふたつする。

 それにしてもどの学会でもそうだが、フロアからの質疑の時間に、企業などをリタイアされた初老の「自称研究者」が、時間制限おかまいなしで自分の「体験」や「調べたこと」を延々としゃべりちらすのだけはいただけない。本人はさぞかし気持ちいいのだろうが、それは別に単なる「ひとつの事例」にすぎないのであって、史料批判を経た「文書」を積み重ねた論証を「否定」する根拠とはなりえない。

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□2010年10月16日(土) 日本現代中国学会 その1


「唐揚げ弁当」@中央大学

 赴熊以来初めての母校訪問。月に1〜2回は東京出張しているが、「多摩」にはとんと御縁がない。いつも三田か本郷である。なんとも複雑な気持ち。今回は母校開催の日本現代中国学会の全国学術大会ということで、コメンテイターのお仕事を申しつかった。

 学生として10年間、兼任講師としてもしばらくいたので、「唐揚げ弁当」を食べるベンチも指定席がある。秋の穏やかな日差しのなか、母校の味を堪能する。唐揚げ3個とポテトサラダ、ピンク色のダイコンの漬物、そしてご飯に「ゆかり」がまぶしてあるだけなのだが(350円)、熊本にいても無性に食べたくなる時がある。

 共通論題は丸川先生、青山先生、川島先生、そして中村先生のご報告。現代中国の光と影ということで、「裏返しの視角」がなかなか面白かった。途中、成都と西安のにおける大規模な反日デモの情報が続々と入る。事件「終息」後の「爆発」には不自然さを感じる。

 「ノーベル平和賞」後における胡錦濤政権の対日宥和政策の急加速に対する「対日強硬派」の掣肘だろうか。日本でのデモを受けての「散歩」としては、あまりにも準備が良すぎる。もちろん、五中全会における「懸案」をにらんでの「揺さぶり」という見方もできよう。

 他方、「日本たたき」を装った「人民」の「自発的」な中共批判の「散歩」であるとすれば、それはそれでやはり「ノーベル平和賞」が火をつけてしまったという見方もできよう。

 ヒルトップにて懇親会。700名近い会員がいる学会の全国大会としてはちょっとさびしい。というか、最近、学会の懇親会参加者がどこも激減しているような印象がある。草食系院生が増えたのか、あるいは懇親会での職探しのための「顔つなぎ」がほとんど期待できない昨今の「日照り」の反映か。

 高幡不動にて二次会。姫田先生とご一緒する。某主席の「舌禍事件」の評価をめぐって、世代間ギャップを痛感されられることに。中国研究者として「六四」を直接的に目撃した世代の中共観と我々「ポスト南巡講話」世代の若手中国研究者の中共観の間には大きな差異があるようだ。我々はどうも中国共産党に「寛容すぎる」ようだ。大きな宿題を頂く。

 学会のニューズレター編集担当を拝命する。

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□2010年10月15日(金) 再び機上の人に...

 熱は抜けたが、咽喉の調子がまだまだ。今日は講義が3コマなので、どうなることかと思ったが、なんとか終えることができた。それにしても、咳止めシロップのせいか、エスカップのせいか、若干興奮状態で迎えた講義は、雄弁なのだが、若干クドイ繰り返しが多かったようにも思う。体調管理は大事である。

 中国出張の手配が終わる。「上海万博へ」とも考えたが、「最終週」の人の海にのまれに行くのもいたずらに体力を奪われるだけだろう。それにしても、「ノーベル平和賞受賞」後における急速な中国の対日軟化には驚いた。欧米による「人権干渉」への対応までも視野に入れての「釈放」「再招待」「防衛協議」だろうか。第二次天安門事件後の「日本の姿」が脳裏をかすめたか。

 3コマ完遂後、機上の人となる。なんとも慌ただしい。

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□2010年10月14日(木) 仕事の後の一杯がどうしても断てません...

 午前は講義、午後はゼミ。熱は上昇と下降を繰り返している。なかなか治らないのはビール断ちをしないせいだからだろうか。咳止めシロップが効いたのか、ゆっくり休む。

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□2010年10月13日(水) 自宅研修

 終日、自宅研修。今日でこの風邪を治してしまわないと、木曜2コマ、金曜3コマ、週末学会参加という地獄のロードが待っている。もっとも、逆に風邪なので観念して布団のなかでじっくり書籍を読むことができるので、これはこれでありがたかった。

 引き続き長井魁一郎氏の『大東亜戦争BC級戦犯 熊本県昭和殉難者銘録』を読み進める。50余名の熊本関係BC級戦犯の生家や実家、お墓を訪ねて長井氏が県内を縦横無尽に行脚するという内容である。

 刊行は1997年であり、長井氏もすでに物故されているが、熊本で日中関係を研究する人間である私にとっては「ずしり」と重いものを肩にのせられたような衝撃を受けた。齢70代半ばの筆者が握り飯と缶ビールを片手に、ほぼ公共交通機関のみで県内を行脚する姿は、わが身の甘さを痛感されされるものであった。

 フィールドワークの真髄に触れさせてくれる名著といえよう。

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□2010年10月12(火) 風邪っぴき

 夏からの疲れが出たのか、連休初日から風邪っぴきとなる。まだまだ本調子ではないのだが、今日は3コマあるので休めない。微熱としつこい咳が残っており、「また肋骨折れるかしら」といった感じ。「前科」があるので、本当は大事をとるべきなのだが...。

 どうも昨日の『熊日』で大きく私のことが取り上げられたらしく(別に何か事件を起こしたわけではない)、あちらこちらで「先生、読みましたよ」と声をかけられる。尖閣列島問題についてひと言、ふた言。おおよそ中国研究者の意見は同じようなところに着地しているようだが、「熊本的視点」を求められるのは「ならでは」といった感じ。

 何とか休講せずに乗り切る。

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□2010年10月9日(土) 研究会@熊本

 午前は研究室にて。来週、東京で行われる学会で依頼されているコメントをつくる。日本帝国の植民地間における「人材」の移動に関するものと新中国による技術者留用に関するもの。なかなか意欲的な事例研究。

 午後はいろいろな意味で発想の転換を図るべく、熊本近代史研究会の定期研究会に参加してみる。復員研究がらみで「南京事件と第6師団」というタイトルに惹かれてうかがってみた。報告2時間半、質疑応答30分。なかなかの内容で勉強になる。

 途中、古本屋で長井魁一郎氏編著の『大東亜戦争BC級戦犯 熊本県昭和殉難者銘録』という本を入手する。来熊以来、BC級戦犯裁判関連の資料を集めてきたのだが、対象が広く、どこから切り取るかに悩んできた。最近、少しずつだが、点が線に、線が面になりつつある。

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□2010年10月2日(土) 戦後東アジア国際政治研究会

 講義の疲れが残るまま機上の人に。今年何十回目の飛行機だろう。

 空港から直接内山書店へ。その後、悩みに悩んだ挙句、月島で開催された撫順戦犯管理所関係の集会に参加。恩師である姫田光義先生が「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の代表にご就任されたこともあり、しばらく不義理をしていたのだが、いてもたってもいられなくなった。

 久しぶりに会う東京支部の橋本さん、倉田さん。支部長や事務局長の近況を聞き、不義理をしている責任を痛感する。何ができたというわけではないが、何もしなかったことに強い後悔。まずはもう一度足を運んだところから始めよう。満席となった会場に驚く。

 少し遅れたが戦後東アジア国際政治研究会に合流。参加者17名。久しぶりの開催にもかかわらず、新メンバーもちらほら。佐橋先生と杉浦教官の人徳のなせる技か。創立メンバー3名がパーマネントの職について初めての研究会。結構、感慨深いものがあった。相変わらず「最年長」なので「会長」と呼んで頂いているが、恐ろしいほどの頭脳を持った「新世代」が台頭してきており、「自分の位置」を確認する。

 つづく懇親会では尖閣問題についての自分の立ち位置も確認でき、収穫も大きかった。改めて「ここ」が原点なのだなぁと実感できる時間となった。春日神社のおみくじはもちろん「大吉」。すべてがうまくいくとのこと。もうしばらくは大丈夫そうだ。「攻め」でいこう。  

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□2010年10月1日(金) アリナミンV

 終日講義。尖閣問題が動いているので、そのフォローを中心に。「生きた事例」があるのに、「粛々と昔の歴史を講義」というわけにはいかないだろう。ビデオ公開を焦点に、つぎつぎと中国側が対日措置を解除していく様に学生たちも興味津津のようだ。これが「外交」というものである。結構、建国初期中国の「対日外交」の伝統が生きているような感じがする(長老は存命だし...)。

 夏の疲れが残っているのか、朝イチでアリナミンンVを飲んだのだが、逆のその反動で講義終了後はぐったりとなる。もうすこし「淡々」と講義するようにしないときっといずれもたなくなる。静けさのなかに「知的興奮」がある講義が理想なのだが...。

 いくつが取材の申し込みや講演の申し込みがある。東京の国営放送局と地元の新聞。あと、最近の日中関係について話を聞きたいという地元の業界団体のかたがた。「尖閣」効果かしら...。現状分析屋ではないので期待に添えるとは思えないが。

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