大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2010年3月)

................................................................................................................................................................
□2010年3月31日(水) 息抜き


薪ストーブと揺り椅子とコーヒー@内牧温泉「入船」

 3月は出張と会議と宴会の連続で家族とどこにも行けなかった。私自身、至極日々の仕事は充実しているのだが、それでも気分転換の必要を感じていた。スケジュール的には極めてタイトなのだが、近場の温泉宿にでかけることにした。

 あいにくの雨ではあったが、阿蘇の観光スポットをまわるわけでもなく、「温泉」と「お食事」と「お酒」が目当てなので気楽なものである。もっとも、急遽前日にネット経由で予約した宿なので、若干の不安がなかったといえばウソになる。3月下旬にリニューアル・オープンしたばかりの内牧温泉の「入船」さんに今回はお邪魔した。「じゃらん」の口コミで好評だったのが予約の決め手だが、これもネット情報なので全面的に信頼できるわけではない。

 結論。本当に素晴らしいお宿でした。手の込んだレトロ・モダンな部屋作りや木のぬくもりを大切にした高級家具に囲まれた空間は、まさにくつろぎの極地といった感じ。特に岩をくりぬいた家族風呂(5つもある!)に入った後、そのまま薪ストーブのロビーで座り心地の良い椅子に揺られながら娘を抱っこし、入れたてのコーヒーを飲むひと時は、まさに魂が「ず〜ん」と地面に落ちていくような安らぎを感じた。流れている音楽の選択も音量も絶妙である

 料理もメリハリが効いていてよかった。特に印象に残ったのは「イワナの姿揚げ」。しっかり下味をつけて二度揚げ(?)したイワナは、頭から「サックリ」食べられ、香りが大変良かった(時期的には少し早いが)。また、肥後牛の岩盤焼きはあまりの美味しさに息子が全部食べてしまった。

 また、スタッフの方々の心配りが本当に良かった。大人用の懐石の小鍋にに少しだけ出てきた少量の「うどん」を息子がいたく気に入り、息子が「うどんいっぱい食べた〜い」(バカ息子)とごねると、スタッフの方が「料理長に聞いてきますね」といって下がり、その後、すごく自然な流れで上品な出汁で煮たうどんを出してくださった。こちらが恐縮してしまうようなおもてなしであった。

 思いがけず素晴らしい宿でひと晩を過ごすことができ、新年度に向けて心身ともにリフレッシュすることができた。熊本おそるべし。

コメントトップ



□2010年3月28日(日) 大阪日記 その2


「くくる」のたこ焼き@道頓堀

 午前より自由論題の部。「漢奸研究」や「マンション管理組合問題と基層統治研究(居民委や社区との比較検討?)」など。仕事の都合上、会場の外で聞かせていただいた部分もあったのだが、「漢奸」問題における「思想の分岐」という視角は、いわゆる「戦犯」問題を考えるうえでも大きな示唆を与えてくれるものといえよう。新幹線の関係で昼食会までの参加となる。


お好み焼き@道頓堀

 せっかくの「大阪初体験」なので、新幹線出発の時間をにらみながら「超速道頓堀ツアー」を敢行する。お店を探している時間はないので、「とにかく大阪人が並んでいるお店」に並ぶ。いままで食べてきた「たこ焼き」と「お好み焼き」は何だったのかと思う。もちろん「雰囲気」もあるのだろうが、「粉モノ」の奥深さを思い知らされる。


串揚げとヱビスビール@新大阪駅

 新幹線出発直前、やはり「大阪といえば串カツだろう」ということで、迷わず食べる。「初大阪」で驚いたのは、日曜日とはいえ、道頓堀でも(Winsの前ということもあるが)、新大阪駅地下でも、「昼間っからがっつり」飲んでいる人たちが多いということ。「赤信号みんなで渡れば...」ではないが、ついつい引きずられてしまう。

 お嫁さまのお土産は「あなご寿司」とする。

コメントトップ



□2010年3月27日(土) 大阪日記 その1


ドクター・イエロー@新大阪駅

 中国現代史研究会の総会・研究合宿参加のため大阪へ。熊本から新大阪までは、「リレーつばめ」で博多まで1時間20分、「のぞみ」で博多から大阪まで2時間半で合計4時間近くかかる。

 新幹線から降りるとすれ違うひとがほとんど大阪弁で(当然だが)、「なんでやねん」とか、「ほな」とか言っている。不思議な感じ。御堂筋線にて会場のある西中島南方へ。なかなか「猥雑」な感じの街並み。


と〜れとれぴ〜ちぴちカニ料理

 今回は「1950年代の東アジアと中華人民共和国」というシンポジウムでの報告が任務。報告は前座である私の「『人民外交』という経験―建国初期中国の対日外交を中心に」につづき、服部隆行先生による「『兄弟』党・国家認識と建国初期の中国外交―中国の駐ベトナム民主共和国大使着任をめぐって」、そしてトリとして石井明先生による「1950年代の中国外交再考―革命支援・平和共存・ハンガリー事件」。

 1950年代における「民間外交」と「人民外交」という概念について簡単に整理した後、最近の研究動向を紹介し、最後に「人民外交」を軸とした建国初期中国外交の展開についてお話するという内容。1950年代における「人民外交」の経験が1960年代にどうつながっていったのかについて試論を行ってみた。

 「革命外交」と「国益外交」との関係、そして、そのそれぞれにおける「国家利益」がいかなる内実を持つものなのかなど、さまざま議論が展開し、なかなか楽しい時間となった。ようやく少しだけ「現代中国外交研究も専門です」といえるような報告が出来た感じか。貴重な経験となった。

 懇親会。続けて二次会まで。久し振りに戦後満州史研究会の先生がたとゆっくり話すことができた。生ビールが350円とか(発泡酒ではない)、10人ほどで随分と飲んで15000円ぐらいとか、大阪の「安くて旨い文化」に驚く。

コメントトップ



□2010年3月25日(木)  とりあえずひと区切り...

 午前、九州中国学会の大会準備。なんとか『大会要項』の最終校正が終わり、スケジュール通りに発出できそう。西川印刷さんの岩下さんがフットワーク軽く、臨機応変に動いてくれるので本当に助かる。きっと「鍛えられている」のだろう。感心する。これからもいろいろとお願いしよう。

 午後は臨時教授会と学科会議。新年度も我が東アジア学科は新入生の大幅な定員超過が見込めそうでひと安心する。諸々の情勢や条件を勘案するに大健闘だろう。「若いのが入ってきても何にもならなかった」と言われないようにしなければ。新入生は私が学級主任となる。ご覚悟あれ。

 夜は学部主催の教員送別会。幹事。昨年、9時間余り飲み続けた「橙」の姉妹店「あかり」にて。忘年会、新年会といずれも予約できなかった人気店。安心して使えるお店がひとつ増えた。

 少し冷え込んだので二次会は「鍋や」にてもつ鍋とする。午前様を大きく回ってからおひらき。でも、最近はそんなに無茶な飲み方はしなくなった。

コメントトップ



□2010年3月23日(火)  もうすぐ新年度

 午前、学会準備。『大会要項』の初校など。同時並行で新年度から始まる新しい科目「現代中国の政治」の講義準備をする。東アジア学科の3・4年次配当の応用科目。履修人数も読めないのでどうしたものか。とはいえ、多くても20名程度の少人数講義なので、いろいろできそうかとも思っている。ゼミで『毛沢東語録』を読むので、それも意識しつつレジュメづくりを進める。

 夜は学生主催の横澤先生送別会に出席。少人数「東(ひが)アジの絆」を改めて感じる時間。2年生から4年生まで参加者がある。もちろん、横澤先生のご人徳によるものなのだが、「教員冥利につきる」とはまさにこのことだろう。

 お開き後、一旦は集団から離れたのだが、飲み足りず再び合流。学生15名程度とカラオケができる居酒屋へ。残念ながら午前様となる。

コメントトップ



□2010年3月19日(金) 卒業式


大澤ゼミ第2期生@卒業式

 卒業式。いろいろあったが、とにかく無事卒業させることができてひと安心。ひとりは卒業を待たずに2月下旬から清華大学へ留学、もうひとりは今日も仕事ということで卒業式に参加できなかったのは残念だったが、すでに次の道に踏み出しているということだから、それはそれで良いだろう。この不況のなか、驚異的な進路決定率が達成できたのも、ひとえに学生ひとりひとりの今年一年間の努力の賜物だろう。厳しいことを言い過ぎたと反省しているが...。


両手いっぱいの花束と...

 ゼミ生一同から卒業生よりも数倍大きな花束と素敵な寄せ書きをもらう。大学教員生活の「もうひとつ」の醍醐味はまさにここにあるのだろう。今後のさらなる活躍を祈る。

コメントトップ



□2010年3月18日(木) 東京日記 その2


初春の東館@慶應三田

 研究会議出席のため慶應三田キャンパスへ。予想に反して参加者が少なく、なかなか充実した構想発表会になる。私のは突貫工事ということもあり、また「研究ノート」的なということもあり、特に厳しい「つっこみ」もなく質疑応答も無事終了。でも、きちんとまとめられれば、それはそれで戦後日中関係研究の重要な「パーツ」になると思う。

コメントトップ



□2010年3月17日(水) 東京日記 その1


ながさき龍馬くん@SNA

 ばたばたしつつもとりあえず東京出張。慶應の中国研究拠点プロジェクトの研究会議参加のため。昨年秋の合宿で「毛沢東の戦犯政策」というテーマで執筆宣言をしたのだが、その直後の『党的文献』にほとんど同じような内容の論文が出てしまい、年末以来、「やられた」感に包まれていた。

 研究拠点は5年にわたり研究助成をもらう形になる重要なプロジェクト。たいしたことはできないが、何かしら貢献しなければと思い、突貫工事で作った執筆構想を持って馳せ参じることとした(うちの大学の出張旅費は自由度が高いので、こういう時に本当に助かる)。テーマは「建国初期中国の対日戦後処理構想」なるもの。

 時間的な制約もあり、どこまで深められるかわからないが、申請中の新しい研究計画の「最初の最初」にもつながる部分なので、「勉強」という意味のほうが強いかもしれない。とにかく、関連する史料が出てきているので、コマ切れの時間を見つけて「档案」に向きあうモチベーションになればと思う。

 いきなり「ながさき龍馬くん」に乗れたのは幸運としかいいようがないだろう。

コメントトップ



□2010年3月14日(日) ちょっとお散歩


鶏カツ丼@コッコファーム

 講義や報告、学会大会の準備、入試改革やカリキュラム改編、学科パンフやホームページづくり、各種宴会の幹事、労働組合、そして研究など、仕事(?)にきりがないので、とりあえず愛車を駆ってストレス解消。

 息子の「卵を拾いたい」というリクエストに応え、「コッコファーム」に。健食館にて鶏カツ丼を食べる。「バナナもちょっぴり実っている」大好きなスポットだが、できれば味的にはもう少しひねり欲しいかな。「素材を活かす」というのはよく分かるが、母が月イチぐらいで送ってくれる東京の「桂ファーム」の卵と比べるとちょっと「力不足」な感じがしなくもない。


初春の菊池渓谷

 その後、「菊池渓谷 14q」という道路標識を見つけたので、ついでに足をのばす。途中の「水の駅」も面白かった。いきなりの行動だったので、案の定「オフ・シーズン」な感じ。売店も自動販売機も営業しておらず、水量もまだまだ少ない。よく目にする写真のイメージとはちょっと違った。

 ただ、さすが「菊池渓谷」だけあって絶景ポイントも多く、これからもっと楽しませてくれそうな「しぶい」スポットとなりそう。広角レンズが欲しくなる。

コメントトップ



□2010年3月13日(土)  まだ会員ではないが...

 午前中は研究室にて史料の確認作業。ひとつ終わればまたひとつといった感じ。中国研究拠点関連の研究会議で「執筆決意表明」をするために論文の構想を考えなければならない。大きな仕事はできないので、勉強を兼ねつつ、少し原点に戻って史料を時系列に沿って読み直してみようかと思っている。

 午後は私用を処理しつつ、九州中国学会の大会要項の原版を作る。

コメントトップ



□2010年3月12日(金)  とりあえず

 終日研究室にてレジュメづくり。なんとか形になる。気分的にもかなり楽になった。最近、友人が新たに始めたブログを読むと、私はすごく暇なのだということが良く分かった。でもこれでいいや。

コメントトップ



□2010年3月11日(木)  再び日常へ

 なぜか朝早く目が覚めたので家族の朝食を作る。お嫁さまは娘の「断乳」が成功したようで、久し振りに少し長めに眠れたようだ。「断乳」の効果かどうかは定かでないが、娘が私のほうに「抱っこして」とニコニコと笑いながら近寄ってくるようになった。北京行き前とは大違いである。

 息子を幼稚園に送った後、そのまま大学へ(いや、大学のなかに附属幼稚園がある)。朝一番で臨時教授会。続けてカリキュラム改革に関する臨時会議。いろいろな構想が出され、俄然議論が盛り上がる。こうした時の団結は「東アジア」ならではのものだと思う。とにかく勉強になる。

 午後は5月に学園大で開催される九州中国学会の大会準備に関する打ち合せ。いわゆる「ロジ」は私のお仕事。でも、昨年始めにシンポジウム「戦後東アジア国際政治史の研究展望」の「ロジ」をほぼすべてひとりでやったこともあり、「粛々と」といった感じ。

 送別会の幹事関係の仕事が数件。3月後半はかなりのペースで送別会や懇親会が予定されている。いずれも大事な方の送別会なのでもちろん外せない。

 報告準備をひとまず横に置きつつ、新年度の講義レジュメづくりにもとりかかる。さすがに「少しは進めておかないと」と強迫観念に駆られ始めた。今日書いたメール11通。自宅の前の道路を家族みんなで掃除。

 息子と二人でドライブがてらDVD屋さんで「けろっこデメタン」と「一休さん」を借りる。最近、息子はタツノコプロの作品にやられているらしい。今日は暖かかったのがせめてもの救い。

コメントトップ



□2010年3月10日(水)  北京日記 その7

 早朝の飛行機で帰国。中国語の環境に慣れ、「あご」が動き始めるとだいたい「お時間」となる。路面が凍結している高速をぶっとばすタクシーには困ったが、、まったく滑らないのだからスタッドレスタイヤみたいなものを履いているのだろう。

 機内では最後の「燕京」を飲みつつ、引き続き「ひとひねり」を考える。どうしても外交部档案に依拠して中国外交を検討するとその「理性的側面」にばかり目を奪われてしまう。これは大きな問題。

 何だかんだ言っても彼らのなかではある意味で「完結」しているので、日本側からの視点を入れないと档案に引きずられ過ぎる結果になる。「日本人研究者」としての視点を敢えて出すことも課題となってくる。

 やっと「暖かい日本」に帰れたと思ったら、福岡空港の外はすごい吹雪。やっぱり「東アジア」は同じ寒気団の影響下にあることを実感。寒い!

コメントトップ



□2010年3月9日(火) 北京日記 その6


ひとり「北京ダック」

 史料調査最終日。やはり朝から席の争奪戦。あぶれた5、6名は失望の表情を隠せない。なんとか私は5番手ぐらいですべりこむことができた。研究会でご一緒している先生方の姿もちらほらあったが、いずれも無事に席をゲットできたようだ。

 少なくとも今回は1962年の松村と高碕の訪中に関する『外事簡報』(国務院外事弁公室編集の通報)を採録し終えたいのだが、いかんせん分量が多すぎる。また、外務省外交史料館のマイクロとは異なり、1頁あたりの字数もずっと多い。それに経済的な問題に関するものなので数字が多く、目もチカチカする。もうそろそろ「スマイル40」かしら。

 これら档案はもともと「複写不可」だったので、遅かれ早かれ打ち込む必要があったのだが、実働2日半の史料調査では限界がある。今回の経費が12万とすれば、随分と高い史料である。こんな時には在外研究も考えるが、担当している講義を見れば一目瞭然。変わりがおらず、絶対に無理である(半期でやったら多分死ぬ)。

 「仕事」が終わった後はとりあえずビール。北京駅前に安くて美味しい北京ダックの店があるので、そこで一杯。一匹の半分に餅やねぎ、甜面醤など一式、さらに鴨のスープ(首のお肉が美味しい)がついて48元は現地ならでは。カロリー・オーバーは気になるが、たまには良いだろう。燕京ビールで流し込む。

 継続革命論に基づく国際情勢認識と「人民外交」という問題についてどう考えるか。「それだけ」で説明することも可能であるが、それではつまらない。シンポジウムなので何かしら問題提起しなければならないのだが、もうひとひねりが必要な段階。

 仕事のメールを処理。やはり年齢構成上、「ロジ」系の仕事が多い。とにかく考えずに処理する。

コメントトップ



□2010年3月8日(月) 北京日記 その5


大混雑@外交部档案館

 終日外交部档案館にて史料の打ち込み。朝から席の争奪戦。なんとか電脳は残っていたが、「旧」目録閲覧用のものなのでとにかく動きが遅い(知っている人は知っている)。まぁ、複写申請をするわけではないので、淡々と相棒として向き合う。

 昼休みに「華普」で安い「手機」を購入する。年に3〜4回出かけるのだがら元は取れるだろう。カメラも付いていない必要最低限のものだが、日本でも家族としかメールをしないような私にはこれで十分。それにしても3980元とか、4980元の端末がずらりと並んでいるとは...。ちなみ私のは198元。中国よ、どこへ行くのか...。

コメントトップ



□2010年3月7日(日)  北京日記 その4

 天津の南開大学へ。旧交を深める。もちろん「研究交流」である。在外調査で来ているので詳細はご勘弁を。

 正式には今日が父の三回忌。

コメントトップ



□2010年3月6日(土)  北京日記 その3

 午前中は中央文献出版社などで史料の調査。午後は清華大学に。とにかく寒い一日であった。元気そうでなにより。

コメントトップ



□2010年3月5日(金) 北京日記 その2


「到家賞」の「13元定食」

 3か月ぶりの外交部档案館だが、史料の複写に関してまた新たな規定が...。詳しくは「中国外交部档案館の歩き方2010春」を参照されたい。

 午前は档案館でひたすら史料の打ち込み作業。まったく複写ができなくなったため、精神的ストレスが重くのしかかる。とにかく限られた時間で史料を収集しなければ研究が進まないので、フルスロットルで手を動かす。

 お昼は華普の地下にある「到家賞」で。いつもカードを日本に忘れてくるので、何度も作る羽目になっている。「押金」がもったいない。おばちゃんにも再び「回来了(おかえり)!」と言ってもらうことができ、なんとか落ち着きを取り戻す。それにしても「13元(200円)定食」はアズナブル、いやリーズナブルである。

 その後、宿でひたすら史料を読み込む。

コメントトップ



□2010年3月4日(木)  北京日記 その1

 バスに乗ってから気づいたのだが、家の真ん前のバス停から福岡直行の高速バスが出ていることが判明。いままでは交通センターまで出る必要があったのだが、今後は大幅に福岡行きの時間が短縮されることに。

 後はいつもの通り。博多駅から地下鉄で福岡空港駅、そしてバスで空港のなかを走って国際線ターミナルへ。4階のレストラン街の「風月」で「カツとじ」を食べて出発。大連まで2時間。入国手続きを経て再び国内線で北京まで1時間20分。相変わらず16元でリムジンバスに乗り、北京駅で降りて近頃お気に入りの「宝辰飯店」に到着。ここはロケーションが抜群に良い。


「李先生」の「加州鶏」

  夜は駅前の「李先生」で「扣肉飯」と「加州鶏」、そして生ビールで済ます。1杯8元(日本円で120円ぐらい)なので、ついつい飲みすぎてしまう。メールの処理をしつつ、史料の読み込みを進める。報告の輪郭がようやくできてきた。

コメントトップ



□2010年3月3日(水)  再び「年度末だから...」

 出張前は慌ただしい。午前中は档案目録の更新と収集済み史料の整理。日頃怠けているから出発直前にこういうことになる。

 これと平行して大学の『入学案内』や学科のパンフレットの記事や写真を準備。そしてさらに平行して5月開催予定の九州中国学会の報告希望申請をとりまとめつつ、業界の厳しい現実を強く実感する。途中、天津の兄弟からメールが入り、いくつか映像資料を頼まれ、即座に手配する。あっという間にお昼になる。

 午後は教授会と学科会議。もめるかと思っていたが、案外すんなり終わる。思いのほか数字が悪くなかったためか(基本、楽観主義です)。入学金払込締め切り直前の2日間はこのページのアクセス数がふだんの倍近くに跳ね上がっていた。「こんな先生もいるんだ」が決め手になってくれると良いのだが(そのための情報発信)。最後まで気を抜けないが、昨年同様を願いつつ、出張準備を進める。早めに帰宅して娘のひな祭りを祝う。大澤娘。ちらし寿司が気に入ったようだ。

 送別会の幹事を依頼される。随分と手慣れてきた。これにて3月のスケジュールはすべて埋まる。

コメントトップ



□2008年3月2日(火)  労働組合

 昨年は決選投票で辛くも「救われた」が、今年は「年貢の納め時」ということでトップ当選となった。とにかく「粛々」と臨みたい。

コメントトップ



□2010年3月1日(月)  お勉強

 終日研究室。月末にお話する予定の「1950年代」「民間外交」「東アジアと中国」という三題噺を考える。要するに「長崎国旗事件」とその後の日中関係を「民間外交」という観点から端的にお話せよという感じか。ただ、中国側の档案が開いて間もない部分であり、もとより1960年代は「これから勉強」といった感じなので苦戦している。


 最新の研究は「第二次浅沼訪中(1959年春)」あたりまでカバーしてくれているのだが、いかんせん重要な「日中貿易三原則」から「LT貿易」にかけての中国の対日政策決定過程についてはまだ出ていない。「教官」だけが頼りなのだが、おそらくいまは研究どころではないだろう。自分でやるしかない...。

論点となるのは「人民外交」の「断絶」に関する評価、つまり「断而不絶」の評価と1960年代の中国の対日外交評価となろうか。何が変わり、何が変わらなかったのか。時間が30分前後なので、研究動向を踏まえ今後の研究展望をお話するぐらいになろうか。


  中央大学総合政策学部の服部龍二先生より御著書を賜わる。『日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相剋1927-2010』(東大出版会、2010年)。恥ずかしながら、出版前に一度原稿を拝読させていただいたからか、あとがきで謝辞を賜わる。内容に圧倒され、ただ「面白かったです」というコメントしかお送りできなかったのだが...。ただただ恐縮するばかりである。

 「歴史に教訓を強引に求めようとすれば、歴史の誤用という危険を冒しかねない」(337頁)、「日本人であれ中国人であれ、自国を愛して将来を憂えることと、過去の歩みを謙虚に顧みることは、本来的に矛盾するものではない」(338頁)という言葉にうなる。


 続けて森田一著・服部龍二、昇亜美子、中島琢磨編『心の一燈―回想の大平正芳 その人と外交』(第一法規出版、2010年)も賜わる。これも服部先生の財団研究助成プロジェクトの成果。私も一応は研究分担者なのだが、「遠方」ということもあり、ほとんどお手伝いできずに来ている。お仕事の確実さと早さにため息をつく。「研究する人生」について考える。

コメントトップ


Copyright(C)1995- OSAWA Takeshi. All Rights Reserved.
(ポップアップ・メールのアドレスは@が#に変更してあります)