大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2010年2月)

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□2010年2月28日(日) 佐賀日記 その2


大隈重信記念館

 佐賀の2日目。研究打ち合わせなどをこなしつつ、移動の途中で「大隈重信記念館」を訪れる。「日本帝国形成過程」に想いを馳せることも「日本帝国解体過程」研究に大いに関係あろう。この記念館のデザインは大隈の顔をモチーフにしているとのこと。「何となく頭のあたりが」ということだろうか。


将校行李@佐賀護国神社

 午後は解散の予定であったが、急遽、有志によるフィールドワークとなる。昨日の「記念碑(慰霊碑や忠魂碑など)」に関する研究報告を受け、駅へ戻る道すがら佐賀の護国神社を訪れる。お二人の「加藤先生」の粘りのおかげで無理を言って神社の宝物殿を見学させていた。

 宮司さんのご厚意で、数日前に寄贈されたばかりの陸軍少尉の将校行李一式を見せてくださったのだが、保存状態が極めて良く、「これを持って(持たせて?)前線に出かけて行ったのか」と一同そろって感慨にふける。

 また、佐賀県内にある忠魂碑の写真が数多く収集され、展示されていたのだが、日頃我々が「忘却」しているものがあることを改めてつきつけられたような感じであった。


兵隊さんの一刀彫@佐賀護国神社

 今回の研究会議では、先生方の研究報告から勉強させていただいたことも多かったのだが、即席フィールドワークにお伴するなかで、「史料」や「原物」を見るために積極的に行動する「歴史学者魂」の醍醐味を間近で見せていただいたことも大変勉強になった。その意味で私は慎重居士すぎるようだ。

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□2010年2月27日(土) 佐賀日記 その1


本庄うなぎの「せいろ蒸し」

 連携研究者をさせていただいている科研プロジェクト「第二次大戦の終結による日本帝国解体過程の基盤的研究」(研究代表者増田弘先生)の研究会議に参加するため佐賀へ。熊本駅からリレーつばめに小一時間ほど乗り、鳥栖で乗り換え。さらに長崎本線の肥前山口行きで24分。あっという間に佐賀に到着。

 お昼は佐賀で知らない人はいないという鰻料理のお店「本庄うなぎ」で。最近、このページでも熊本の鰻事情については少し書いたが、個人的には「いきなり焼き」よりは「蒸し」で「ほっこら」しているこのお店の調理法のほうが好きである。タレも甘くなく、さっぱりと上品に頂けた。

 今回は増田先生が日本軍の復員過程に関する比較研究について、加藤聖文先生が引揚と記念碑に関する研究についてご報告された。膨大な資料や詳細な現地調査を交えた研究報告に今の自分に足りないものが何かを痛感する。4時間を超える長丁場となったが、大変な刺激になる。

 夜は「炭寅」にて「みつせ鶏」のコース料理を堪能する。小雨の降るなか、二次会まで。「いずれは熊本で馬刺しを」と強いリクエストあり。

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□2010年2月26日(金)  年度末だから...

 購入を先送りしていた書籍を一気に購入する。年度末だからである。また来月出張のための書類を一気に作成する。年度末だからである。購入をお願いしていた書籍が一気に届く。年度末だからである。

 研究費はいつも前倒しで使うようにしているので大した金額は残っていないが、それでも使い切らなければいけないので、右往左往せざるを得なくなる。研究を支えてくださっている方々に対する感謝を新たにする一日となった。

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□2010年2月23日(火)  会議

 心中お察し申し上げます。

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□2010年2月21日(日)  いろいろと


大澤さんちのポスト

 新居に移って一週間。なんとか自宅で研究ができるようにとにかく2階の日当たりの良い部屋に書斎を設けた。窓からの景色が良いのでついつい自宅で仕事をする時間が増えてしまっている。「マツフジ」で可愛いポストを買ったり、「ナフコ」で庭に植えるお花を箱買いするなど、「完全なマイホームパパ」になり下がってしまっている。

 これではいけないと思い、とにかく今日は心理的プレッシャーを少しでも軽減するために、新学期の東洋史概論のレジュメづくりを進めることにした。最近これは「休日」の仕事になってしまっている。何とか半期分すべて作り終える。残るは「国際社会と日本」と「現代中国の政治」が各15回分。とはいえ、パワーポイントは別途作成しなければいけないので、作業的にはようやく6分の1が終わったといった感じ。

 報告準備はようやく档案読みの前段階までたどり着く。「『人民外交』という経験」なるテーマでお話しさせていただくのだが、1950年代の「人民外交」はそもそも「断絶したのか」という問題そのものが争点になっているような昨今、なかなか着地点を見出すのは難しい。

 ストレスがあるせいか、数年ぶりに偏頭痛に苦しむ。酒を飲む機会も増えているからだろう。五令散を飲まねば。

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□2010年2月20日(土)  送別会

 引越の疲れが抜けず。研究が進まず焦りが募る。

 夜は街で横澤先生の送別会。去年の卒業生がセッティングしてくれた。大澤ゼミの第1期生であり、横澤先生にとっては最後のゼミ生ということになる。会場はシャワー通り近くの「福蔵」。プレミアムモルツの生が飲め、料理は創作的な多国籍といった感じ。二次会まで。「焼き白子」が絶品だったという記憶が残っている。

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□2010年2月18日(木)  終日会議

 午前中は教授会。この時期はどこもそうだろうが、入試の合格判定が主な議題。さまざまなことを考えながら粛々と議事の進行を見守る。

 続く午後は学科会議。短い休憩を挟んで4時間超えの会議となった。新年度の方針をはじめ、いろいろと議論するため、どうしても長くなってしまう。もっとも、「大躍進」よりは「穏歩漸進」が求められる局面だろう。

 会議後も諸方面と情報交換。もちろん、かかわるもよし、かかわらざるもまたよしなのだが、いかんせん中国政治を専攻していると...。

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□2010年2月17日(水)  無線LAN

 新居3日目。午前中、電話屋さんがあっという間に「光ネクスト」の開通工事を完了。工事車両を4台連ねて家の前に横づけしたので「なにごとか!?」と慌てたが、実際の作業をしたのは一人だけで、あとは「屋外待機」であった。

 書斎を2階にしたので、さすがに15メートルのLANケーブルを這わせたのでは階段が危ない(おそらく洗濯ものを干すために2階にあがるお嫁さまが滑って転ぶだろう)。これを機に無線LANを導入することにする。あっという間につながる。きっと「Windows7」がかしこいのだろう。

 午後は卒業生の留学打ち合せと写真撮影。我ながらなかなか素敵なのが撮れた。続いて旅行会社で中国出張の最終確認。やはり何だかんだいっていつもながらワクワクする時間。夕方は労働組合の立候補届け出の開票作業。むろん、届け出箱は空っぽ。例年通り選挙となる。さて、大澤の運命や如何に?

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□2010年2月15日(月)  すわ帯山へ

 来熊以来もうすぐ2年。来年の息子の小学校入学をにらんで引っ越しを敢行。これまでは龍神橋のたもとに住んでいたが、いかんせん指定の小学校や中学校まで遠く、通学路もあまりに危険であった。とにかく「ふらふら」している息子の身の安全を第一に考えての決断。大事な跡取り息子である。

 今度のお家はいわゆる「帯山校区」である(これまでもそうだったが)。小学校と中学校までいずれも徒歩3分。築浅の一戸建てがあった。いずれは息子と娘(まだ1歳なったばかりだが)もそれぞれ部屋を欲しがるだろう。ずいぶんと気が早いが、いろいろな意味で自分自身に気合を入れ直す意味でも、少し大きく踏み出してみた。

 朝8時半に始まった引っ越しはパンダの「きっちり」な仕事のおかげもあり12時半過ぎには終了。新生活には出費がつきもので、いろいろと買いそろえるとあっという間に月給ほどの出費に。最近ちょっと出費グセがついている。可愛いポストに一目惚れをして買ってしまった私を見たお嫁さまは「ずいぶん変ったわね」と一言。もちろん、お褒めの言葉をして受け取った。

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□2010年2月13日(土)  送別会

 入試関連業務も終わり、街でゼミの送別会をする。学生がひとり、春節明けから中国の清華大学に行くことになっている。卒業式に出席できないのは残念だが、大きな一歩を踏み出すことを考えればそれも良いだろう。

 参加してくれたのは4名。そのうち一人は北京へ。有難いことに残りの3名いずれもすでに内定を獲得済み。もちろん美味しい祝いのお酒となった。調子に乗って1次会のみならず、2次会の男3人でのカラオケも全部おごってしまった。「この時期はしかたない... 」と言いながら、結構これが楽しみである。

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□2010年2月11日(祝)  再び休日出勤

 午前は研究室にて先行研究の読み込み。午後も先行研究の読み込み。建国初期中国の対日情報関連組織の情報分析と政策決定に関するものだが、水準の高さに改めてうなる。まさに「本流」といった感じにしびれる。

 夜は用意された「ほっともっと」の弁当を食べつつ入試関連業務。う〜む。

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□2010年2月10日(水)  脳みそぐちゃぐちゃ

 卒業論文の最終確認作業を進める。頑張ってA4(1200字)で20枚以上「自分の言葉」で書いてくれたのだが、最後まですべて確認し終えた頃には、脳みそのなかに手を突っ込まれて思い切りかき混ぜられたような、痺れた感じになってしまった。とにかく、すべて確認し終えたので、あとは「亀井さん」のところに持っていくだけである。

 午後は講義準備など。大学教員というのはあまり時間や空間で拘束されないので、息子のスイミングに付き添いながら、ノートパソコンで講義レジュメの準備など進めても「仕事」になるのがありがたい。なぜか十数年ぶりに鷲田小彌太氏の『大学教授になる方法』(PHP文庫、1991年)を読む。引越準備で家のなかを整理しているため。立場が変われば読み方も変わる。

 明日の祝日は入試関連業務で夜まで出勤のため、娘の1歳の誕生パーティーを前倒しでする。まさに「光陰矢のごとし」、時間がものすごい勢いで過ぎてしまっている。何もできていない。『中国政治外交の転換点』が楽しみ。

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□2010年2月9日(火)  普通の日

 午前は研究室にて先行研究の読み込み。午後は入試関連業務。

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□2010年2月8日(月)  苦行?

 午前は研究室にて論文整理。合間に学内にある美容院で髪を短くカットしてもらう。入試期間中は関係者以外は入構禁止なので、すぐにやってもらえた。午後は昨日に続いて入試関連業務。無事に終わる。

 講義が終わって2週間余り。1kgほど体重が増えた。やはり90分間しゃべり続けるというのは良いカロリー消費になっているのだと実感。はやく講義が始まらないかしら。通年6コマ分(全部内容が違う!)の講義準備は一種の苦行ではあるが、まだまだ前向きである。

 帰宅後、夜中まで卒業論文の最終確認作業を続ける。気合いが入っている学生の論文ほど文章を整えるのに時間がかかる。コピペや剽窃であればそれなりに文体が整っていて、整えやすいのだが、「自分の文章」で書いてくれると、時に恐ろしいほどの「言語不明瞭、意味不明瞭」に直面することになる。でも、それが嬉しい。

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□2010年2月7日(日)  休日出勤

 入試関連業務のため休日出勤。昨年とは異なる立場で臨んだ業務であったが、とにかくいろいろと考えさせられる一日となった。今の高校生は中国に全く興味がないようだ。

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□2010年2月6日(土)  鰻@熊本

 午前は自宅にて報告準備。もとより私は前座なので、自分の事例研究についてちまちまと話すより、日中両国における最新の研究動向をざっくりお話しするほうが良いのではないかと思い、少しばかり方針を転換する。档案が公開され始めたばかりの部分でもあるため、具体的分析を披歴するほど研究が煮詰まっていないというのもある。

 昼は家族で外食。家族そろって少し風邪気味なので精力をつけようと「鰻」とする。「江戸」に住んでいた時から「鰻」には目がなく、狛江にいた時も近所の名店「浜名っ子」に足繁く通っていたのだが、どうもこちらの「鰻」は口に合わない。

 来熊直後、大学近くの専門店で「お重」を頂いたのだが、「洗練」の「せ」の字もない味にうんざり。もちろん、「背」か「腹」か、「蒸し」か「焼き」かという調理法の違い、あるいは「醤油」の地域的差異を十分に理解しての挑戦だが、どうしても駄目。今回もやはり「優雅さ」のかけらもない。甘いタレをつけたただの「焼き魚」といったもの。

 来熊以来、ほぼ2年ぶりに「鰻」を食べたお嫁さまは「まぁこれはこれ」という感じの反応だったが、私としては「ラーメンと鰻についてはさしもの熊本も...」といった印象。「鰻」は東京出張の楽しみにするのがよいようだ。

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□2010年2月5日(金)  再び選挙管理委員

 昨年に続き労働組合執行委員の選挙管理委員に選出されたため、午前中は組合員室にて選挙日程の協議。幸か不幸か、昨年は辛くも執行委員の本選挙には「落選」したため、諸事務が一度に集中するという事態は避けることができ、若干のゆとりをもって2年目を迎えることができた。ばたばたしながらも若干の論文を書き、複数回の海外出張をし、最後に昇格申請などを行えたのもこれによるところが大きかったと思う。

 午後は仕事の合間にお嫁さまと息子と娘を空港に迎えに行く。大学から車で20分足らずなので本当に便利。息子に「東京と熊本どっちが好き?」と聞くと、「どっちも大好き!」という優等生的な答えが返ってきたので安心する。お嫁さまは「断然熊本!」といった感じだろうか。付き合って20年を迎えたが、彼女には本当に熊本が合っていると思う。

 出張手続きで少しばたつく。私が慢心しているせいに違いないと反省する。

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□2010年2月4日(木)  再び「東アジアを学びつくす」?

 午前中は研究室にて档案整理。二人のゼミ生がなんとか卒業論文を提出。あと残るはひとり。だが、あまり心配はしていない。きっと良いものを仕上げてくれるだろう。

 午後はただひたすら「パンフレット・ホームページ会議」。今年もまた始まった。

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□2010年2月3日(水)  真夜中の会議

 午前中は事務処理。来月の佐賀出張と3月の北京、大阪出張などの書類づくり。あっという間にお昼。午後は教授会と学科会議。重い議題が続く。

 夜は年末に退任された前学部長、前学科長の「慰労会」兼「新年会」。もちろん幹事。新市街の「菜な」というお店。落ち着いた雰囲気の店内。料理も旨い。年末の「佳昇」に続いて「大正解」であった。

 「はや川」にて二次会。いつの間にか午前1時になる。ここ1週間ほど少し酒量が増え気味。報告や講義などの準備が進んでいないのが原因か。それにしても新年度は天地がひっくり返るほどの激動の年になりそうだ。

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□2010年2月2日(火)  久しぶりの弁当づくり


お弁当@研究室

 お嫁さまと大澤息子。、大澤娘。が東京に里帰りしているため、ひとりでの熊本生活となる。毎食「おこめ」を食べないと駄目な私は朝からごはんを炊くこともあり、少し多めに炊いて久しぶりに弁当を作ることにした。

 熊本に来る前は「主夫」だったので手慣れたものである。片手間で洗濯をしつつ、朝食を作り、弁当を詰める。とはいえ、来熊以降はすべてお嫁さまがやってくれているので、「日頃ずいぶん楽しているんだなぁ」と反省。新居での生活を前に良い機会となった。

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