大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2010年1月)

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□2010年1月30日(土)  三回忌

 父の三回忌。自腹で東京に行くのはこれで2度目。出張では月に1〜2度は出かけているのだが。男はこれぐらいが丁度良いのだろう。

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□2010年1月27日(水)  パンダの不戦勝

 引っ越し業者の選定。東京から熊本に引っ越した時には、ゾウ、パンダ、アヒル、ペリカン、アリ、さらにはドラえもんまで参加した「動物大戦争」となったが、今回は「パンダ」の不戦勝とした。極めて近い距離であり、なおかつ熊本の引越専業が「パンダ」しかないらしく、丁寧な仕事を頼むとするとここしかなかった(引越先が築浅の一戸建てなので)。

 もちろん、東京都内で引っ越した時にもパンダを利用したことがあり、丁寧な仕事ぶりに感心したことも理由のひとつである。とにかく、前回のような「大戦争」を裁く、時間も気力もなくなたというのが正直なところ。

 夕方は学科の「慰労会」。前任の学科長のご苦労を慰める会であった。3次会まで付き合い(付き合わせ?)、午前様となる。研究者として、大学教員として、同じ環境にある場合、抱える悩みは幾つになっても似たようなものであると実感。

 大学院進学を希望しているゼミの学生について良い知らせをもらう。人生が拓けていく瞬間というのはこういうものだろう。

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□2010年1月23日(土)  譲れない線

 朝から定期試験の監督業務。出席率の低かった「木曜朝イチ」「必修」の「国際社会と日本U」の試験がある。秋学期から毎回出席をとるのをやめたため、「やる気のない学生」や「勉強ができるので講義がつまらない学生」、あるいは「朝に弱い学生」などが軒並みこなくなった。結果的に教室の環境が劇的に良くなった。

 当然、「出ない」という選択肢が認められた以上、必然的に試験で結果を出すことが求められよう。春学期は出席でかなり「救済」した部分があったが、今回は実際の出席率も踏まえて、かなりの落選率にせざるを得ないではないかと考えている。「必修」だからこそ「譲れない線」を明確にしたいと思う。

 引っ越し先が決まる。帯山の一戸建て。小学校と中学校に挟まれており、ここなら頗るやんちゃな息子の登下校もひとまず安心。「こども基準」で家庭のなかの重大事が決まっていく歳になったことを実感。

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□2010年1月22日(金)  春から...

 午前は卒業論文の朱入れ。午後は定期試験の監督業務がふたコマ。その合い間に来年度のシラバスの原稿づくり。事務書類もいくつか作る。

 来年度の担当科目は「中国概説」、「海外研修(事前研修および引率)」、「中国近代史」、「中国現代史」、「東洋史概論T」、「東洋史概論U」、「国際社会と日本T」、「国際社会と日本U」、「現代中国の政治」、「現代中国と世界」、「時事中国語基礎」、「時事中国語講読」、「専門演習T」(通年)、「専門演習U」(通年)、「卒業論文指導」となっている。

 これじゃぁとても研究はできません...。許してください。また新たな論文の締め切りが加わった...。

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□2010年1月21日(木)  卒論指導も佳境

 研究室にて終日卒業論文の朱入れ。脳みそがぐちゃぐちゃになりそうである。だが、個人的には卒論執筆の過程で「教員と学生」の本当の信頼関係が築けるのではと考えているので手が抜けない。もうひと踏ん張り。

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□2010年1月20日(水)  家探し

 来年(今年ではない)息子が小学校に入学するので「校区」の関係で引っ越しを考えている。いま住んでいるマンションは家賃も安く、抜群の環境にあるのだが、いかんせん息子が通う小学校や中学校まで離れすぎている。なおかつ通学路が狭いうえに交通量が多く危険なため、とても安心して通学させられそうにない。

 もうすぐ熊本生活も満2年。いま入居しているマンションの更新も迫っている。長期的なことを見据えて家探しをしようと思う。

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□2010年1月19日(火)  研究モード

 本日の中国現代史(東洋史概論U)をもって本年度の講義をすべて終える。卒論の最終指導や定期試験、新年度に向けた諸雑務などさまざまな仕事は山積みだが、とにもかくにも「研究モード」に頭を切り替える。

 卒論の個別指導をいくつかはさみながら、「人民外交」に関する最新の論文を読み込み、中国人研究者が新たに提示してきている「建国初期中国の対日外交」像について検討作業を進める。正直、かなり緻密化された実証研究である。

 確かに「中国側」から史料を読み込めばそうなるのかもしれない。また、最近発表されたばかりの日本人研究者による中国外交档案を用いた実証研究もこれをある意味では裏付けるものとなっている。だが、それをこのまま受け入れてしまっては、相手の歴史認識に飲み込まれてしまう感じがしないでもない。「こちら側」の「像」をいかに提示できるかがいま問われている。

 その意味でも、これまで事例研究として取り組んできた「戦後日中民間人道外交」を最終的に総括するにあたって、いま一番の正念場にさしかかっている感じ。「単著の校正作業を進めています」との某先生のメールに心が揺れるが、ここでの焦りは禁物であろう。

 もとより小さな小さな研究テーマであるが、もう少し時間をかけて熟成させるべきなのではないかと考えるようになってきている。

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□2010年1月18日(月)  「ゼミT」のクロージング

 外国人研修生・技能実習生問題を中心に多文化共生や労働問題について勉強してきた3年生向けの「専門演習T」。最後は非正規社員問題や「ワーキング・プア」問題などを扱うに至り、これから就職活動に突入する3年生にとってはいろいろな意味で刺激的な機会となったようだ。

 本人たちも認めているように、「最初はどうなることか」と思うほど元気一杯のメンバーが集まった「男くさい」ゼミであったが、最後の最後で「本当に勉強になった」「ものすごく面白かった」との感想をもらえたのは何とも嬉しい誤算であった。

 手前味噌だが、毛沢東の「根拠地」概念にあやかって、「負けたと思わなければ負けではない」のであり、「勝ったと思わなければ勝ちではない」という言葉で締めさせてもらった。

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□2010年1月17日(日)  試験監督2日目

 終日試験監督。朝8時から夜6時30時までやはり分刻みのスケジュールで拘束される。

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□2010年1月16日(土)  試験監督1日目

 終日試験監督。朝8時から夜7時まで分刻みのスケジュールで拘束される。

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□2010年1月15日(金)  刀削麺@熊本八代


熊本・八代の刀削麺のお店「○新」さん

 週末に備えて終日自宅にて研修。いまさらながら古川万太郎先生の『日中戦後関係史』(原書房、1981年)をきちんと読み返す。いろいろな意味でこの本が出発点になるというのが、現在の戦後日中関係史研究の現実である。

 昨日のシャラ倶楽部の総集編で紹介されていた熊本で食べられる「刀削麺」のお店。東京でも新橋や三田の「西安刀削麺」に行ったり、中国でも「刀削麺 」の看板を見るとところ構わず試してしまうほど「刀削麺」好きの私だが、愛するお嫁さまはまだ食したことがないとのことである。

 しゃっきり感とぺなぺな感が複雑に交錯する至福の麺である「刀削麺」を食したことがないのはあまりにも「不幸」なので、研究の合間に昼食は八代の「○新」さんに出かけることにした。

 熊本から3号線を南に小一時間。工場の煙がもくもくとたなびく八代に到着。八代港付近をぐるぐるまわるも、なかなか目当てのお店は見つからず、諦めかけたところで小さな黄色い「刀削麺」の看板を発見。住宅地の真ん中にあるため、よほどの常連さんじゃないと見落としてしまう感じ。

 とにかく「刀削麺」を食べさせようと思っただけなので本当は期待していなかったのだが、いやいやここは本物。なおかつ、中国大陸では真っ赤なスープに浸っていることが多い「刀削麺」だが、ここのはさっぱりとしたお魚系のお出汁で、麺そのものの旨さを堪能させてくれる作品に仕上がっている。正直これまで食べてきた数多くの「刀削麺」のなかでも一番旨いと断言できるものである。

 なによりシンプルさを追求していることが、すべての面において奏功している感じ。余計なトッピングをせず、生姜の効いた肉団子がみっつ。あとは葱のみ。さっぱりしながらも深みがあるスープで、独特の触感を持つ麺を食べさせる。最初から最後まで口腔全体が魅惑の触感にうっとりする感じ(ちょっと大げさかしら)。

 また店主の心遣いも心にくい。最初、私は「大盛り」を頼んだのだが、「かなり多いので2回目からのほうが」とアドバイス。言葉の通りにお願いし、シンプルな普通盛りを堪能。もちろん、ちょうど良い分量だったのだが、あっという間に完食した私に気をつかってくれたのか、食べ終えたのとほぼ同時に自慢の中華風カレールー(甜麺醤や山椒が効いてる特徴的な旨さ)をトッピングした小盛りのジャージャー麺をサービスしてくださった。

 最後にはしっかりと味の濃い杏仁豆腐。これで500円という価格。「刀削麺」初体験のお嫁さまも「これは美味しい」を連発。ぜひ足を運んで欲しいお店である。とにかく場所がわかりにくいので、店主が帰りがけにくれたお店の地図を載せておきたい。

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□2010年1月13日(水)  熊本の雪は白くて綺麗


雪化粧の熊本

 熊本に来て初めての積雪。朝から息子と45分間かけて幼稚園に向かう。勤務先の付属幼稚園なので「通勤」の片手間ではあるが、息子にとってはもの心ついて初めての大雪(あくまで東京や熊本レベルです)。雪と戯れながら右へ左へするので、いつまでたっても大学にたどり着かない。いつもなら20分弱の道のりなのだが。

 終日、授業準備と卒論の朱入れに追われる。教育の比重が重い。春からはまた新たに2コマ講義科目が増える。報告が間近に迫っているにもかかわらず構想が固まらず。資料の読み込みが決定的に不足しているのが原因。少なくとも1963年ぐらいまでは一気に頭にぶち込まなければならないのだが、時間が断片的すぎて頭に「塊」として入ってこない。

 雪道を帰宅。家に着くと1枚の年賀状。ひとこと「大作、期待しています」。今の私にとって何よりも重い言葉。きっとすべてお見通しなのだろう。精進せねば。このままだと脳みそが動かなくなる(もともとあまり動いていないが)。

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□2010年1月8日(金)  まとめ

 秋学期の1年生向け必修科目「中国概説」の最終講義。年末、現代中国の課題と銘打って「政治問題」を扱ったので、その続きで「零八憲章」と劉暁波氏に対する当局の実刑判決について少し話す。90名弱の講義なので「零八憲章」の邦訳を全文コピーして配布する。やはり現物の資料を一緒に読んでいくことは大事だ。4月から始める「現代中国の政治」も特講形式にしようかしら...。

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□2010年1月5日(火)  仕事始め

 仕事始め。10時半より辞令交付式。准教授へ昇格。ようやく「教育歴2年以上」という内規をクリアできた。これは専任になる前、ほとんど非常勤をやっていなかったためだが、捉えようによっては贅沢な話である。

 午後は研究室にて講義準備のために『ケ小平文選』を読み込む。「四つの原則」に関する講話をレジュメに追加。その合間に出張関係の書類をいくつか作成する。3月から清華大学に留学を予定しているゼミ生の入学許可証が届く。「もうすぐ春か」といった気持になる。

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□2010年1月4日(月)  霊巌堂


「勝ち」にいく?

 息子曰く「ただふらふらとドライブ」。

 久し振りに車が洗えたので、ついつい走りたくなった。今日も直6のRB25DEがうなりをあげる。熊本港で海を見た後は金峰山方面へとハンドルをきる。「霊巌堂」「五百羅漢」という文字が目に入ったのでさらにハンドルを左へきる。

 周知の通り、熊本藩は宮本武蔵が最後に仕え、霊巌堂は武蔵が晩年に『五輪の書』を著した地。佐々木小次郎を倒した木刀の現物を拝みつつ、五百羅漢ににらまれながら武蔵が瞑想した霊巌堂を訪れる。

 「勝つ」ために祈願する場所であるだけに、参拝者もみな真剣である。小さな武蔵に5円玉を あげて、「勝ち続けられる」ことをひたすら祈るのみである。

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□2010年1月3日(日)  龍馬伝

 「直江兼続」という素材から当初に予想していたところではあったが、昨年の大河ドラマにおける後半の「ばっばっばっ」とした展開と最期の「こてっ」とした感じには正直「やられて」しまった。途中で降りるのも何なので最後まで見たという感じ。昨年の日曜はけっこう暇だったということか。

 他方、今年は坂本龍馬である。小学校の3年生ぐらいから龍馬に関する歴史本を「鱈腹」読んできた私としては、「龍馬史」については細部の細部まで心得ているだけに、初回から「ばくばく」しながら見ている感じである。

 中学生の文集には「坂本龍馬になる」と書き、高校の京都への修学旅行では勝手に計画を変更して霊山護国神社に墓参りに行ったぐらいである。番組に関する細かい論評は立場上(?)避けるが、そこかしこに「龍馬グッズ」が並ぶ状況に、「何をいまさら」といった感じになるのは、龍馬ファン共通の感覚だろう。

 思えば、龍馬の享年からもう3年も生きている。が、まだなにもしていない...。

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□2010年1月2日(土)  初当たり


5000円の商品券

 年末に「郷土のデパート」こと「鶴屋」さんで買い物をした際にもらった「空くじなし」の抽選券。「6666」のぞろ目なんぞ絶対に当たらないと思っていたのだが、今年の私はとにかくついているらしい。見事に5000円の商品券をゲット。今年はきっと飛躍の年になるのだろう。

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□2010年1月1日(金)  新たな10年のスタート

 思えば私が大学院の修士課程に進んだのが2000年でちょうど10年前だった。その後、修士課程に2年、博士課程に4年、客員研究員として1年、ポスドクとして1年、そして専任として2年といった流れだった。会社員を経験した後、大学3年次編入を経ているので通常の若手研究者に比べるともともと4年ほどのまわり道をしている計算になる。そう考えれば34歳で定食、いや定職に就けたのは奇跡に近いのかもしれない。

 少し遅くなったが、水月昭道氏の新著『アカデミア・サバイバル―「高学歴ワーキングプア」から抜け出す』(中公新書クラレ、2009年9月)を読んだ。前著『高学歴ワーキングプア―「フリーター生産工場」としての大学院』(光文社新書、2007年10月)を読んだのは現職の内定を頂いた後だったが、いろいろな意味で衝撃を受けた(背筋が凍った)のを覚えている。同書に従えば、私などは「大学院重点化」の流れに「まさに飲み込まれた」「ロスジェネ」そのものといったところだろうか。

 教員の年齢構成に関する「驚きの逆三角構造」などのくだりは、正直なところ現在の立場からは「はて」と首をかしげてしまうのだが、一方で「チカラを持っている先生との出会い」や「下働きと『イエス・アイ・キャン』」、あるいは「学振特別研究員」のくだりなどは、「私の10年間」をそのまま描いているようで、「ロスジェネ=重点化」世代の典型的存在(?)の私としては、面白く読ませていただいた。

 さて、問題はこれからの10年である。一昨月36歳になった。10年経てば40代も半ばである。やはり「研究」を中心に新たな10年計画を立てる必要があろう。とはいえ、年末年始さえも寒い研究室で秋に収集してきた中国外交部档案を整理しながら読み込むという「目の前の作業」に追われている状況では、「じっくり腰を据えて考える」などということは難しいのかもしれない。ひとりで「文豪」を気取って温泉宿でも行ってみるかしら。「熊本」でできること、やるべきことを「動きながら考える」正月にしようと思う。

 義兄弟の陳老師から年賀メールが届く。お互い頑張ろう!

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