大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2009年10月)

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□2009年10月30日(金)  北京日記 その11


劉教授と私

 午前は外交部档案館へ。お昼は再び中央文献出版社を訪れる。喬冠華関係の文献を数点購入する。

 午後は清華大学日本研究センター主催の研究会に出席する。劉建平教授(中国伝播大学)による「新中国対日政策的源流与演変」という報告。以前、劉先生が早稲田大学に留学されていた際に「院生フォーラム」で何度かご一緒させていただいたことがあった。

 最近、劉先生は「中国“人民外交”的挫折:過程研究与結構分析」(『開放時代』2009年第2期)や「戦後中日関係的“賠償問題”史」(『中国図書評論』2009年第3期)などを立て続けに発表されている。もともと文献研究室にいらっしゃっこともあり、いわゆる「中央档案」を詳細まで把握されており、なかなか我々「外」の研究者から見れば「心憎い」研究をされている。

 今回も先日ご逝去された張香山氏が紹介された1955年3月の対日政策に関する「中央文件」について、さまざまな「裏事情」を教えていただいた。

 もとより「越えられない壁」(史料へのアクセスという意味で)があるのは承知のうえだが、改めて「慎重」な史料批判を必要とすべきと肝に銘じた。宴席でも研究論議は尽きず、極めて刺激的な調査旅行のしめくくりとなった。

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□2009年10月29日(木)  北京日記 その10

 今日も引き続き外交部档案館にて史料調査。愛機がほぼご臨終なので、ひたすら必要な档案の筆写にいそしむ。修士の時に外交史料館でやっていたこととほとんど変わりない。どうせいずれこれらの档案もCD-ROMにされて1枚1000元ぐらいで売られるのだろう。そのほうが儲かるだろう。まだまだ若いのだが、やはり筆写作業は腕にくる。

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□2009年10月28日(水)  北京日記 その9

 終日外交部档案館にて史料調査。多数の複写申請をするも、ことごとくはね退けられる。档案館窓口の「ぬし」である某氏が介入したのかしら?1960年代の国務院外事弁公室の「絶密」外事簡報も、昨日は「サクサク」と複写できたものが、今日はどうも「印不了」になってしまう。やはり「中国」なのかしら...。

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□2009年10月27日(火)  北京日記 その8

 終日外交部档案館にて史料調査。引き続き大量に複写申請する。

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□2009年10月26日(月)  北京日記 その7

 終日外交部档案館にて史料調査。少し多めに電子複写申請を出す。今回は少し大きめの網を広げて、「人道外交」にこだわらず、いろいろと申請する。外交部作成の档案も思いのほか複写が通り、「絶密」となっていても、「電報」以外は結構、応じてくれた。

 もっとも、今回は新たに追加投入された若手の「服務員 」の男性が「批」を担当してくれたため、これまでの某氏の「批」よりも若干、審査が甘いような感じを受けた。対日講和条約関係のものと在外公館における「日中」接触のものを中心にとる。「配慮貿易」関係の档案もなかなか面白い。

 ところで、訪中以降、パソコンの調子が極めて悪い。少し前からハードディスクが「ギリギリ」鳴り始めていたため、すべてデータを日本にバックアップしてきてあるのだが、ほとんど言うことを聞かない。「(応答なし)」が続く。

 私はFUJITSUのLOOXシリーズが大好きで、T9/80M、T70X、そして現在のR70Yと三代使い続けているのだが、今回のR70は様々な点で脆弱性が目につく。まず、ディスプレイ大型化に蓋の強度が追い付いていないらしく、使用後1年半にして早くもディスプレイ中央が縦にドット落ちしてしまった。

 もともとVISTA自体、自動更新にしておくと夜中に変なプログラムを勝手に落としてきて、翌日Wordがハングアップするトラブルが月に1度ぐらい発生するなど、使用開始当初から複数回の再インストールを余儀なくされていたが、ここに来てハードディスクが「ギリギリ」とは。

 これまでの機種と比べて苛めているわけでもないので、これは製品設計上の問題であろう。備品パソコンの修理はどういう保証になっているのだろう。帰国後の最初の仕事になりそうである。

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□2009年10月25日(日)  北京日記 その6


周恩来総理専用機

 档案館がお休みの日曜は天津へ。今後の研究構想を練るために周恩来ケ頴超紀念館を訪れるとともに、南開大学に赴任された陳先生との「研究交流」も兼ねての訪津。9月下旬に地下鉄4号線が開通したので、宿がある北京站からは宣武門乗り換えで30分かからずに「北京南站」に行けるようになった。

 平日はもっと混むのだろうが、次の次ぐらいの新幹線の切符は買えるので、まったくストレスはない。きっちり30分で天津へ。バスで3時間以上かけて行っていた頃に比べれば、まさに天国である。開通直後に比べれば、中国人の車内マナーも随分「文明性」が高まった感じ。


寝ながらも仕事――親愛的総理

 陳先生と無事再開。愛大会館の食堂でたらふく昼食を食べてから紀念館へ。3年ほど前に一度訪れたのだが、スケジュールがタイトだったのでほとんど見ることができなかった。今回は、来年度以降取り組む予定の研究課題の構想をまとめる意味もあり、とにかく「無心」で周恩来の人生を振り返ってみることにする。陳先生のアテンドで紀念館を隅々まで堪能。もっとも、毛主席紀念堂以上の人気ぶりで、ここでも「60周年効果」を実感する。

 天津の街も堪能でき、「兄弟在中国」を確認する一日となった。

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□2009年10月24日(土)  北京日記 その5


10年振りの中国人民抗日戦争紀念館

 北京市内で引き続き文献調査。少し時間に余裕があったので早めの時間に「毛主席記念堂」に行く。建国60周年ということもあるのだろうが、紀念堂に入場するまで約40分間の行列。年寄りが多いのかと思うが、若者も結構目立つ。なんだかんだ言っても毛沢東はやはり「建国の英雄」であることには変わりないようだ。現在の繁栄は紆余曲折の過去も美しく見せるのか。


静かなる盧溝橋

 午後は愛国主義教育の現在に触れるため、いまさらながら盧溝橋の人民抗日戦争記念館に行く。学生が卒論で「盧溝橋事件」に取り組んでいるので、現在を確認する意味でも出かける。かれこれ10年ぶりとなる。

 日本軍の残虐性に関する展示は相変わらずなのだが、いくつか気になった点もあった。例えば「台湾人民抗日闘争」や「国民党軍隊中的抗日将士」など、いわゆる「台湾」関連の展示が以前よりも充実したような感じがする。また、戦後日中感における「平和・友好」の展示もかなり大きなスペースがとられており、なにより「小泉・胡錦濤」両首脳が会見した際の大きなパネルが飾ってあるなど、なかなか興味深い展示内容となっていた。

 自信をつけつつある中国の「余裕」をところどころに感じる一日となった。

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□2009年10月23日(金)  北京日記 その4


日本以上に快適?――地鉄4号線

 午前中は外交部档案館で史料調査。午後は中国軍事書店や中央文献出版社、そして世界知識出版社などをまわる。建国60周年ということもあり、「開国上将」関係の伝記や回顧録が多数刊行されているのが目につく。それにしても地下鉄が増えたので助かる。4号線の平安里や5号線の灯口市で下車すれば、タクシーいらずである。

 世界知識出版社では知人の単著が出版されているのを発見する。改革開放期の留日中国人学生に関する研究だが、自分の単著原稿が進んでいないことに焦りを新たにする。時間を捻り出すしかないか。

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□2009年10月22日(木)  北京日記 その3

 終日外交部档案館にて史料調査。

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□2009年10月21日(水)  北京日記 その2


「華普」地下の13元「套餐」――幹事長懐かしいでしょう!

 外交部档案館へ。朝8時半から臨戦態勢の中国人院生が5人ほど。大学は講義期間だが、「研究生」は無関係のようだ。自分も院生の頃は学生研究室には行かずひたすら飯倉に通ったものだ。それにしても、この勢いで現地で档案収集を進められると海外の研究者はきつい。

 華普の地下食堂のおばさんが「あらあんた帰ってきたの?」と声をかけてくれた。一年ぶりだが、やはり私の顔は覚えやすいのだろうか。嬉しいものである。

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□2009年10月20日(火)  北京日記 その1

 恒例の秋の史料調査。夏季休暇は引率やら何やらでばたばたしているので、「自分」に帰る意味からもこの時期は黙々と档案と向き合うことに。

 平日なので甘く見ていたのだが、福岡発大連経由の北京行きは満席。どうも「高齢者のツアー客」が多いようだ。あまり詳しくは書きたくないが、恐らくCAから見れば、酔っ払ったセクハラおやじも嫌だろうが、海外慣れしていないやたらと舞い上がった年寄り客の「わがまま」も嫌だろうな。

 飛行時間は計3時間ちょっと。リムジンバスで北京駅前へ。宿はいつもの崇文門近辺をやめて、北京駅前の「宝辰」を手配してもらった。4つ星ホテルだが、リッチなバイキングの朝食付で1泊6000円はお得だろう。とにかく交通の便が良い。

 もっとも、今回は「スタンダード」で予約したのだが、前回学生引率で泊まった9000円の部屋と同じ部屋だったのはどういうことだろう。あっ、ここが旅行社の儲けか... 。

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□2009年10月19日(月)  ゼミ

 3年生のゼミも佳境に入ってきた。今年は外国人研修生・技能実習生問題をテーマとして取りあげ、少しずつ調べものをしながらテキストを読んでいる。「労働力不足=外国人労働者の導入」なのではなく、「日本人がやらない労働=外国人労働力の導入」という図式と、その背後にある「日本人がやらない労働=過酷な労働条件」という現実も見えてきたようだ。

 20代の若者の半数が非正規雇用の状況に置かれている昨今、出席し続けてくれた学生たちは「明日は我が身」という一番大事な点に気づき始めてくれたようだ。もっとも、猫なで声で声掛けをしても一向に出てこない学生については、このあたりで結論を出す必要があろう。ゼミは「必修」であり、大学における学習活動において最も重要な時間である。私は妥協するつもりはない。

 午後は中国現代史。ようやく「東北易幟」まで。とはいえ、秋学期はパワーポイントを導入したせいか、「話すこと」に集中でき、時間的な配分にも余裕が生まれ、「がつがつ」しなくなった。こちらにゆとりが出てくると、学生の私語に対する注意ひとつにもメリハリがつき、効果的かもしれない。もっとも、最近は「蒋介石物語」のようになっているが...。

 来年のゼミは少し固く、『ケ小平の政治的伝記』でもやろうかと考えている。勉強しない奴は願い下げである。

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□2009年10月17日(土)  中国外交部档案

 東京のある大学院生から丁寧なお礼のメールを頂く。どうも私がこのページで紹介してきた「中国外交部档案館の歩き方」を読まれて、史料調査が順調に進んでいることについてどうしてもお礼をということであった。徒然なるままに書きつけている「自己顕示欲丸出し」のこのページだが、少しはお役に立てているようである。

 私自身、東大の川島先生の「档案館紹介」や「ホームページ」の情報を参考にさせていただきながらいろいろな史料館を回らせて頂いてきた。情報化が進む昨今、「史料を持っているか否か」というところで研究の成否が決まるべきではなく、「情報の共有」を自ら率先して行うことで逆に「情報」を呼び込み、より高い水準での研究競争をすることが必要不可欠であろう。

 現在、修士あるいは博士院生レベルの研究でも、現在は「ひとり」で世界各国に散在する「史料」を網羅的に獲得することが要求される。最初から「協業」が必要とされているのである。研究者にとって、「コミュニケーション能力」こそが重要だと思う。

 幸い私の中国外交部档案調査には力強い「パートナー」がいるので(ご迷惑ばかりかけているが)、険しい道程も楽しみながら進むことができている。感謝。

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□2009年10月16日(金)  明日への活力


マッサージチェアと息子

 東京時代にはリビングにマッサージチェアがあったのだが、来熊する時に持ってこなかったので新たに購入。30万も40万もするやつはとても買えないので、ネット通販で安いのを探す。この値段でこの性能とは。10年前に買った「アーバン」よりも値段は3分の1で機能はずっと上の「くつろぎ指定席」。私にはこれぐらいで十分。とはいえ、息子にはまだ早いか。

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□2009年10月14日(水)  海外研修反省会

 終日講義準備と申請書づくり。本年度新たに「研究分担者」と「連携研究者」として参加させて頂いる昨年度の「当たり」の申請書(いずれも基盤研究B)を参考にしながら、文案を煮詰めていく。最近は図表を入れるのがはやっているようだが、社会科学系や人文系の場合は「必須」でもないようだ。とにかく「わかりやすさ」を意識する。

 夕方、夏の海外研修の反省会。夏に「長春日記」でも書いたように、今年の学生たちは極めて自己管理に長けていたので、教員としてはこれといった反省もなく、逆に今年の良かった点を来年以降も踏襲していくことを確認。

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□2009年10月13日(火)  研究費申請

 朝から研究費の申請書類を書く。もともと主流派ではないので、何が功を奏してこれまでいくつか当たってきたのかわからないのだが、とにかく毎回出し続けることが大事かと思う。

 今回はこれまでの事例研究を踏まえ、少し野心的な研究計画にしてみた。いわゆる「描き直し」である。それも日中国交正常化そのものに照準を合わせたもの。特に中国学界の若手研究者の最新の研究動向を意識しつつ、「日本人研究者」としての強みを最大限に活かしたチャレンジをしたいと考えている。

 当然 当たるも八卦、当たらぬも八卦。研究費の当たり外れは様々な要因が絡み合うので、野心と実現可能性をうまくバランスさせ、求められている事項をしっかり書きこんでいくことに専念。

 夕方、高度学術研究支援センターによる科研費説明会に参加。細かい制度的な変更点の説明に関する説明の後、科研費獲得の記録的な実績を持たれる先生から応募上のアドバイスを拝聴する。技術的な面については、おおよそ私自身がこれまで意識してきた項目と一致するようで、やはる「当たる秘訣」は間違いなくあるようだ。もっとも、これを申請書類にうまく反映させるのはすごく難しいのだが...。

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□2009年10月11日(日)  東京日記 その2

 学会2日目。午前は特別分科会3「日中関係のプロセスとメカニズム―1980年代から」に出席。「ケ小平」の改革開放と日本要因に関する益尾先生のご報告、21世紀における日中関係の「構造変化」に関する三船先生のご報告、そして「中華振興」外交と東アジア共同体に関する趙先生のご報告。

 いずれも興味深い内容だが、やはり档案(史料)的な面での苦しさは何ともしがたいようであった。昨日の「中国共産党の再評価」のセッションとも並べてみるに、私個人としてはやはり1950年代、60年代の建国初期中国研究の重要性を再確認する場となった。

 久し振りにゼミの後輩とも会うことができ、また最後の最後に師匠のお顔も拝することができ、良きにつけ悪しきにつけ、とにかくいろいろ考えさせられる学会参加となった。

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□2009年10月10日(土)  東京日記 その1

 学会参加のため東京出張。さすがに秋学期最初の「フル講義」の一週間だったこともあり若干の疲れが残る。涼しくなったのがせめてもの救い。

 国際セッション「中国共産党の再評価―深まる闇、あるいは新たな曙光?」に参加。最近、講義の関係上、改革開放以降の中国政治や中国外交に関する文献を読みまくっていることもあり、少し勉強させてもらうことに。

 ただ、質疑応答でもあったように「仮説なき『アンケート』の結果報告」はなんとも。最近 、査読も「アンケートもの」の依頼が多いが、どうも「アンケート頑張ってとりました」で終わってるものが多く、読後感が悪いものが多い(もちろん、「史料頑張って集めました」もなんだが...)。

 懇親会は思いのほか参加者も少なく、いつものメンバーと「楽しく歓談」といった感じ。院生時代やポスドク時代と異なり、「就活」を意識せずに懇親会に出席できるのは精神衛生上、本当に良い。また、このホームページで紹介している「中国外交部档案館の歩き方」がいろいろとお役に立っているとのお声かけもいただき、ちょっと嬉しくなる。

 それにしても院生の参加者が少なくなっているのが気になる。「なかなか食えない」という現実が周知され、「研究」を志す院生が激減したことの反映だろうか。

 ちょっと厳しい感想になったか。

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□2009年10月9日(金)  「トロイの木馬」作戦

 秋学期から担当することになった中国概説。東アジア学科の1年生を対象とする導入科目だけに、とにかく楽しくできればと考えているが、再履修者も含めて90名近い学生が相手であるので、250名以上の大規模マスプロ講義や20名以下の小規模講義・ゼミとは違った講義運営を迫られることになる。

 東アジア学科の必修である以上、出席は確実にとっていきたい。90名前後なので「点呼」という方法もあろう。だが、顔写真と照合しながらの「点呼」はとにかく時間がかかるし、「代返」の危険も皆無とはいえない。それに、「点呼」した後に教室から出て行かれた場合、結局最後にもう一度カードで出席をとって確認しなければならない。また、自分の学科の学生だが、すべて名前と顔が一致しているわけではないので、私語の多い学生や授業態度に問題がある学生など、特定するのにひと苦労である。

 そこで考えたのが「トロイの木馬」作戦。詳しくは紹介できないが、最初から出席していた学生は確実に把握でき、途中で退室することもできず、授業態度に問題があれば即座に学籍番号と氏名が判明してしまい、時間も「点呼」の4分の1以下、あまりにも目に余る場合は、出席停止も可能なシステム。「一石三鳥」とはまさにこのこと。これでしゃべりに集中できるかもしれない。

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□2009年10月3日(土)  東アジア学科の語劇コンテスト


中国語劇「終結者(ターミネーター)U」――T1000に襲われるサラ

 大学はオープンキャンパス。学生会館では東アジア学科主催の「2009東アジア語劇コンテスト」が開催され、私も写真撮影がてら参観。

 私と中国語劇との出会いは、小学3年生で台湾に渡った直後に学校の学芸会でやった「赤頭巾」であった。30年近く経ったいまでも「路上要小心。到了婆婆家,要説什麼?」という最初のセリフからほとんど最後まで暗唱しているのは、それだけ衝撃が大きかったということだろう。

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□2009年10月1日(木)  パワポで講義

 やはり250名近い大教室で「レジュメ」と「板書」を用いて90分間「聞かせ」て大量に「ノートテイク」させるというのは無理があったようだ。当然、90分間「板書」と「しゃべり」をやれば、こちらの集中力も落ちてくるし、お互いに「苦行」になってしまう。

 いまさらながらだが、講義は「レジュメ」と「パワーポイント」をうまく使って「プレゼン」の形ですることに変更。私自身のなかにパワポを使うことに大変な抵抗があったのだが、大教室は私ひとりの「空間」ではない。相手があってのことである。少しでも彼(女)らの「意識」を「手もと」から「教壇」に向けてもらうには、致し方ないことである。

 「つまらない」マスプロ講義の辛さは私も十分すぎるぐらい分かっているつもり。母校ではほとんどが300〜800名のマスプロ講義。教授が自分の「体系書」 を「そのまま棒読み」するなか、学生たちが各自耳栓をして「答練」をするという状況。いくらなんでもあぁはしたくない。まだまだ若いので「率先改善」でいこうと思う。

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