大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2009年5月)

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□2009年5月30日(土)  創立記念日

 午前は研究室で雑務処理。誰もいないと思ったら創立記念日だった。実家から送ってもらった冷蔵庫を研究室に運び込む。これも親父の形見。

 東京より電話。空中分解の予感。さて...。

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□2009年5月29日(金)  反面教師

 ある論文集を頂く。まったく先行研究に言及していない論稿に強い憤りを感じる。リサーチ不足なのか、あるいは故意なのか。いずれにせよ研究者としての誠意に欠ける所業だろう。反面教師としたい。

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□2009年5月27日(水)  裁判と歴史学

 史観というのはやっかいなものである。例え史料が歴史事実を語っていても、自らの史観に合わなければその事実すら否定しようとする。もとより冷戦初期の日中関係など、善悪二元論的に語れるほど単純ではないと思うのだが、どうしても一方を「極悪人」にして、一方を「正義の味方」にしたいらしい。学問は裁判における勝訴のためにあるものではないだろう。<正義>とは何か。

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□2009年5月24日(月)  もうひと息

 学科ホームページリニューアル準備も最終段階。確認作業に追われる。

 これと同時並行で私学助成による大型図書購入の申請書類を作る。120万程度のマイクロ。母校には重複して4セットも入っていたマイクロシリーズだが(これも考えものだが)、戦後国際政治史関係の研究者がこれまでいなかったようで、うちの図書館には肝心な部分が所蔵されていなかった。

 授業はゼミと講義がひとコマずつ。さすがに5月も下旬になると、出席も目に見えて減ってくる。きっとみんな新緑の阿蘇へドライブにいっているに違いない。

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□2009年5月24日(日)  普通の日曜日

 午前中は研究室で原稿を執筆。午後は息子と一緒にプールで泳ぐ。夜、多少晩酌が過ぎたが、それも良いだろう。健康的な研究者生活。

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□2009年5月23日(土)  「貯金」

 終日講義準備。いつどんな仕事が舞い込んでくるかわからないため。精神衛生上、1か月先の分まではレジュメを仕上げておきたい。「貯金」の多寡で研究に割ける時間も決まってくる。本当は「同時進行」があるべき姿か...。

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□2009年5月22日(金)  パンフレット完成

 3月以来たずさわってきた学科パンフレットが納品される。残すところは残し、変えるところは変えた感じだが、「過渡期」としては良い出来だと思う。とにかく伝えたいメッセージは前面に出せたのではないかと思う。

 キーワードは「東アジアを学びつくす」。デザインはできるだけシンプルにして、色も白地にワインレッドを効果的に使うものとした。写真は昨年撮りためてきたものが数多くあったので、「貼り混ぜ」風にしてみた。「東アジア」の1年間の濃厚さと楽しさが伝わってくれればよいのだが。

 さて、残りはホームページ・リニューアルである。パンフレットの完成も嬉しいが、個人的にはホームページのほうが何倍も労力がかかっているので、そちらの反響のほうが楽しみである。

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□2009年5月20日(水)  出版祝賀会

 終日研究室にて資料の読み込み。夕方、東アジア学科の石老師の出版祝賀会。こうした会に学科教員のほぼ全員が出席するのがいかにも「東アジア」らしい。終了後、労組の仕事でお疲れのD先生を誘って「十徳や」にて二次会。それぞれ2年目でいろいろと仕事が増えている。

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□2009年5月18日(月)  東京日記 その5

 朝イチの飛行機で帰熊。山手線やモノレール、そして羽田空港も「マスク一色」。物々しい雰囲気。飛行機から新緑の阿蘇山が見えると心底「ほっ」とする。来熊1年ちょっとでこの心境はいかがなものか。この便に乗れば2限のゼミに間に合うので、週末出張の幅が広がる。東京出張中、論文の結論を書くも、週末にあった研究会での議論が気になり、思い切ってボツとする。疲れてはいられない。

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□2009年5月17日(日)  東京日記 その4

 本郷の東大にて戦後東アジア国際政治研究会に参加。いかにも「国際政治」という感じの博士院生による報告が2本。方法論などについて極めて高い議論が交わされる。時期と対象が異なるので、ついていくのが大変だが、やはりみな同じようなことを考えながら、そして悩みながら論文執筆に挑んでいるのだと改めて気づかされる。

 終了後、本郷三丁目の「匯」にて懇親会。「社会人」が増えてきたせいか、みな「月曜日」のことを考えながら飲むようになった。我々も立派に成長しているのだ。

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□2009年5月16日(土)  東京日記 その3

 戦後日中関係オーラルヒストリープロジェクトのインタヴューに参加。政策研究大学院大学にて。東京の地下鉄の路線図が脳みそから消えている。少し立ち止まって考えないと、六本木に行くのに大江戸線の「新宿」だったか、「新宿西口」だったか思い出せなくなっている。

 昨日も丸ノ内線の国会議事堂前駅から永田町駅の平河のほうの出口に行くのに、駅構内の地図を見てしまった。熊本生活1年1か月。ボケたわけではないのだろうが、思ったよりショックが大きい。

 拝島の「おおしば」にて母と呑む。本店の方に行ったのは10年ぶりぐらいか。

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□2009年5月15日(金)  東京日記 その2

 午前中は外交史料館で史料「購入」。日長、じっくり筆写できたあの頃が懐かしい...。久し振りにOAZOの「えん」でランチ。そのまま憲政史料館へ。ソ連引揚に関する米ソ交渉関係史料の確認作業。

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□2009年5月14日(木)  東京日記 その1

 朝イチの大教室での必修授業。意識の低い学生も出席しなければいけない制度にしてあるので(要は出席要件を厳しくしてある)、教室後方はざわつきが目立つこともある。起床後3時間ぐらい、つまり10時ぐらいから頭が回り始め、ついついおしゃべりを始めるようだ。真面目に聴いている学生諸君の邪魔になり始めているようなので、このあたりで手を打つ必要があろう。

 3コマ終えて機上の人に。3か月ぶりの東京。

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□2009年5月13日(月)  まずひとつ目

 朝から学科パンフレットの最終校正。特に問題はないようだ。教授会で最終確定した入試関係情報をまとめて裏表紙用の原稿を作る。これにてひとつめの仕事ようやく終了。

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□2009年5月12日(火)  書類作り


3か月の大澤娘。

 朝から書類作りに追われる。科研費の実績報告書や収支報告書。私学助成の図書購入申請書など諸々...。マイクロも100万を超えてくると自分の研究費で出すのは痛い。当たるも八卦、当たらぬも八卦。とりあえず書類を押し込む。そのほか、「宮仕え」としてのいろいろな事務連絡をこなすとあっという間に 1日が終わる...。それはそれで仕事をした気分になるが、研究者としてはどうだろうか。

 とは言いつつ、ちゃっかり週末の出張手配もする。憲政資料室にいかねば...。

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□2009年5月11日(月)  メロンパン


荒尾名物「ふくやまのメロンパン」

 卒業生が研究室を訪ねてきてくれる。彼の実家がある荒尾で有名な「ふくやまのメロンパン」を大量に持ってきてくれた。私とお嫁様は知る人ぞ知るヘビーなパン・ケーキマニアだが、50年の歴史を持つ名物メロンパンは、「サクサク・しっかり」というよりは、「しっかり」とした食べ応えで、ついつい癖になる魅力を持つものであった。玄人ウケする感じ。もちろん、もらったメロンパンはその日のうちに家族一同で完食。ごちそうさまでした。

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□2009年5月10日(日)  スイミング

 息子がスイミングに行きたいというので、とりあえず3日間の体験入学に出かける。私自身、水泳は本当に速かったので、いずれ一緒に泳げればと思っている。続くかどうかわからないが、やりたいだけやらせようと思う。両親に似て、飽きるのも早いかもしれない。それはそれ。何事も経験。

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□2009年5月9日(土)  就職祝い

 午前中はマイクロフィルムを読む。まだ身体が熱っぽく、だるさが残る。一度自宅に戻り、身支度をして少し早めに新市街にでる。銀座通りのモスバーガーで論文の推敲作業。あっという間に時間が過ぎる。

 夕方、連休で熊本に戻ってきている卒業生や就職の決まった卒業生と一緒に上通りで呑む。チェーン展開している「居食屋」さんらしいが、鳥料理を中心にリーズナブルな値段でお酒がすすむ肴を出してくれる。

 それにしても、まだ卒業後1か月というのに名刺を差し出す姿は一端の社会人といった感じ。辛いこともあるだろうが、とにかく前向きな大澤ゼミ第1期生なので大丈夫だろう。

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□2009年5月8日(金)  自宅研修

 一昨日より風邪気味。終日自宅で論文を書き進める。ようやく本論を書き終える。前期集団引揚の後半部分といったところか。なんとかまとまり安心。

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□2009年5月7日(木)  連休明け

 朝から必修の大教室講義。講義の真っ最中に教壇に無言で出席カードを取りに来る無礼な学生。連休ボケなのか、常識がないのか。一喝して教室からつまみ出す。昨年もそうだったが、この時期にはどうしても気合いを入れ直す儀式が必要になる。これは私だけではないようだ。

 昨日、発熱があり、のどに違和感がある。疲れるほど仕事もしていないのだが、誰からも「疲れがたまっているのよ」と言われる。恥ずかしい限り。講義2コマとゼミ1コマを終え、その後は学科ホームページの原稿づくり。最近、自分のブログの更新が滞りがちなのは、過剰な広報関係業務の反動である。

 来週あたり東京出張したいのだが、どうも身体が重い。何度も航空会社の予約ページを開くのだが、どうしてもクリックできない。こういう時はとにかく論文を仕上げてしまおう。マイクロフィルムとにらめっこしながら、1951年5月と6月に吉田が国連事務総長あてに発出した書簡を分析する。吉田の意図は如何。

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