大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2009年4月)

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□2009年4月28日(火)  無間地獄

 朝から研究室にてパンフ、入学案内のゲラ校正。無間地獄。合間を縫って、他の先生の講義にお邪魔してパンフ用の写真撮影。なかなか良いのが撮れない。午後はパンフ会議。校正の方針を固める。やはり表紙と裏表紙に厳しい意見が集中する。終了後、再び写真撮影へ。何とか「会心の1枚」を確保する。

 そのまま科研費の説明会に出席。研究代表者、研究分担者、そして連携研究者。自分が研究者であることを思い出す。その後、全力疾走して学部長室にてホームページ会議。やはり本日も広報課分室係長補佐的な仕事に終始する。

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□2009年4月27日(月)  ゼミテーマ

 午前中はゼミ。今年の春学期は中国人研修生問題に焦点を当てて本を読み進めていくこととする。今年のゼミTは合計10名。昨年が3名だったことを考えれば大幅な増員である。ひとりひとりの負担が少なければ、少し無理もきく。これぐらいの人数がいると輪読もやり易い。

 昼休み後は学科パンフの打ち合わせ。業者さんが研究室にゲラを持って来る。とりあえずここではノーコメント。

 午後は東洋史概論の講義。アヘン戦争の部分。講義の内容は良いのだが、どうも合間にくだらないギャクを入れ過ぎる。今年は板書を多用する形式の講義にしたため、学生がノートしている間、少し手持無沙汰になるからか。お口にチャック。

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□2009年4月26日(金)  日曜のドライブ


通潤橋の放水

 同僚の先生と通潤橋へ。石加工に関する技術について、朝鮮の農業経済史を専門とするD先生のレクチャーを受け、熊本の石工集団に思いを馳せるとともに、ダイナミックな放水を堪能する。通潤橋は2度目だが、やはり放水あっての通潤橋と実感。

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□2009年4月25日(土)  「だご武者らしか組」

 昼は新入生歓迎会。土曜なので入学生全員とまではいかないが、かなりの数集まってくれたようである。入学式から3週間余り。ずいぶん慣れてきたようである。結構、積極的な学生が多い。

 そのまま続いて東アジア社会文化研究会。横澤先生が「顧準日記を読む」と題してご報告。大躍進期のある村の惨状を克明に記した『商城日記』と文革期における毛沢東礼賛の『新生日記』。現代中国政治の変転と知識人の苦悩を浮き彫りにする報告。「二人の顧準」か、あるいは「一人の顧準」か。刺激を受ける。

 夜は尚絅大学の先生3名と学園大の先生3名で交流会とする。「だご武者らしか組」と名づける。「だご」は「すごい」、「武者らしか」は「カッコいい」という熊本弁とのこと(去年のゼミ生に教わったが、今年のゼミ生は意味が分からなかった)。

 いずれも大都市圏から熊本に赴任してきた専任講師。研究に学務、教育と話は尽きない。楽しい飲み会となった。

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□2009年4月24日(金)  こちら広報課分室

 学科パンフ、大学入学案内、学部学科ホームページ...。仕事が重なり、大学の教員であることを忘れそうである。自分のホームページの更新も嫌になる。「校正」に追われる日々。無間地獄。

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□2009年4月17日(金)  大澤研究室のある一日

 終日研究室にて論文執筆と授業準備。

 午前中、先月卒業したゼミ生がひょっこり研究室に現れる。平日の昼日中なので、「やっぱり辞めてしまったか」と一瞬思ったが、ことのほか彼はご機嫌な様子。話を聞いてみると、最上級の吉報を知らせに来てくれたとのこと。苦しんだようだが、1年間、彼に語ってきたことは無駄にはなっていなかったようだ。

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□2009年4月16日(木)  科研費

 本年度は昨年度から継続の代表研究者に加え、新規で研究分担者が1件決まっていたのだが、もう1件、「連携研究者」というので名前を連ねさせて頂いていた科研費が当たったとのこと。「教育」のエフォートは百分率の外からひねり出すしかないのだろうか。

 朝イチで「国際社会と日本T」の開講ガイダンス。250名に対して教室が狭すぎ、酸欠状態となる。外国語学部の必修科目となっているため、「全員参加」故の問題もある。講義終了後、即座に教室変更をお願いする。

 午後は「専門演習U」(4年生対象)と「時事中国語基礎」。いずれも履修者が多いのに少し驚く。

 3コマ終えて、学科パンフレット校正、科研の書類づくり、中国語論文の校正、学科ホームページの企画、授業準備、論文執筆などを同時並行で行う。継続作業である論文執筆以外は、すべて帰宅前に片付ける。少し気が楽になる。

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□2009年4月15日(水)  海外事前研修と新任教員歓迎会

 当初、本日は講義なしの予定だったが、急遽代打で海外事前研修を担当することに。北京行きの飛行機のなかで作ったレジュメが役に立った。

 おそらく参加予定の学生たちは夏の「海外研修」を前に、良かれ悪しかれ「落ち着かない」春学期を過ごすのだろうと思うので、少しでも不安を取り除こうと去年の研修の様子を写真スライドにして「たっぷり」とその魅力を紹介させてもらった。もちろん行き先が吉林省長春なので「満洲国」についてもちゃんと講義。

 夜は大学近くの中華料理店にて新任教員歓迎会。幹事なので「司会」兼「会計」ということで縦横無尽の活躍をする。こういう仕事も最近はそつなくこなせるようになった。D先生と2人で3次会(2次会は喫茶店)。学内では似たような立場。もちろん話は尽きない。久し振りに呑み過ぎる。

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□2009年4月14日(火)  学科パンフレット

 学科パンフレット製作に関する業者さんとの打ち合わせも佳境に入る。本年度から携わった仕事だが、ホームページ作り同様、どちらかと言えば「広報系」の仕事は好きなので力が入る。出来上がりが楽しみである。楽しみながらやることが何より肝要。

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□2009年4月13日(月)  本年度の初講義

 帰国早々だが、本日は本年度の初講義となる。2年目ということもあり、講義面でもいろいろとチャレンジしようと考えている。

 まずは「専門演習T」。3年生のゼミである。昨年度の春学期は日中関係に関する新書の輪読をしてレジュメの切り方と報告のしかたを練習。秋学期は中華人民共和国の対日戦犯政策に関するさまざまな文献を読み、映像資料を見た。

 本年度は昨年同様の「新中国の対日戦犯政策」以外に、「中国残留日本人問題」と「中国人研修生問題」という3つのテーマを用意し、学生の興味関心を探りながら決めることとした。

 個人的には熊本に来たということもあり、是非とも熊本と中国のかかわりを見据えたテーマを選びたいという気持ちがあった。日々中国語漬けの学生には、少し違った角度の勉強も必要であろう。結局、学生の希望を聞いたうえで、本年度は「中国人研修生問題」について考えていくことに。

 昨年度の春学期は「テクニック」的なものを伝えようとしすぎて結果が得られなかったような気もする。「中国人研修生問題」は私の専門ではないが、日本における多文化共生などを考えるうえでも良いのではないかと思う。私自身も勉強していきたいと思う。

 午後は東洋史概論T(中国近代史)の開講ガイダンス。北京出張の報告と諸連絡。今年はとにかく板書してもらおうと思う。

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□2009年4月12日(日)  北京日記 その4

 早朝、北京発大連経由福岡行きの飛行機で帰国。多忙な時間であったが、今後の中国での史料調査の実施などについても意見交換ができた。時間がないなかでどのように従来のような史料調査を展開するか。大きな問題となってきている。一人の力ではどうにもならない局面も出てきつつある。この壁をいかに突き破っていくのかが今後の課題。当然「まとめる仕事」が先決なのだが、仕事は友達を連れてくるようだ。

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□2009年4月11日(土)  北京日記 その3


「爨底下」の入口

 中国での会合につきものなのは短い観光。これは研究交流活動の一部でもあるので、積極的に参加しなければならない。

 今回訪れたのは、約400年程前の明末清初の住居がそのままの形で残っている北京郊外の名所「爨底下」(Cuan4 di3 xia4)。北京市中心部からマイクロバスで約2時間半。いわゆる「忘れられた秘境」というのにふさわしい場所にある不思議な世界であった。大変貴重な歴史遺産として中国人観光客も数多く訪れているとのこと。


「爨底下」の風景

 「爨」(cuan4)という字は分解すると「興林大火」。@料理を一度にたくさん作って分ける、Aかまど、B姓のひとつ、などの意味があるそうだ。400年以上も前から小さな崖にまるでチベットの「ポダラ宮」のように作られた石積みの町並みは、なぜか懐かしいような雰囲気を漂わせる。


天津「世紀鐘」の夜景

 「爨底下」から戻った後は、強行軍ながらも新幹線「和諧号」で天津の南開大学日本研究院に向かう。もちろん研究交流が目的である。それにしても、昨年試験運行で1時間30分もかかった「北京―天津」間がわずか30分とは。新宿と立川の間ぐらいである。急な訪問であったが、楊先生や宋先生、劉先生ともお会いすることができたのと同時に、激変する天津の「現在」に触れることができ、大変有意義な「4時間」となった。

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□2009年4月10日(金)  北京日記 その2


力強く挨拶される師匠

 2003年に計画書の叩き台の日本語訳を任されてからお手伝いさせていただいてきた清華大学日本研究センター設立準備プロジェクト。小泉氏の靖国参拝問題や反日デモなど、日中関係の変転もありながら、何とか今日の日を迎えることができた。昨年度は熊本に赴任したこともあり、直接的なお手伝いはほとんどできなかったのだが、6年越しの仕事だっただけに、嬉しさもひとしおである。

 午前中はオープンセレモニーに参加。支援企業のひとつであるキヤノンの御手洗経団連会長や宮本駐中国大使をはじめ、豪華な顔ぶれがそろうセレモニーとなった。セレモニーはおごそかに進んだが、ここに至るまでの日中双方関係者の丁々発止のぶつかり合いは、知る人のみぞ知るものであり、こうしたプロセスこそが本当の日中相互理解につながるのだと勉強させて頂いた。


修復が進む北京の「胡同」

 李肇星元外交部長もご出席された昼のレセプションを終えた後は、サッと抜け出させて頂き、資料調査に向かう。時間は短かったが、目当ての資料を入手することができ、まずはひと安心。夕方は母校の先生方をアテンドし、「老北京」が残る「胡同」めぐりをご堪能いただく。夕食も「点菜」がうまくいったようで、皆さんご満足いただけたようだ。

 夜は先生方と五道口を1時間半ほど散歩。「奥運后」の北京の雰囲気を肌で感じる時間となった。

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□2009年4月9日(木)  北京日記 その1

 年度初めだが、どうしても出席しなければならない会合と急ぎの資料収集があっため北京に向かう。福岡から北京への直行便はなく、大連で中継ぎをしての旅となる。夜、清華大学の甲所(ゲストハウス)に到着。中央大学の先生方と合流させて頂き食事にありつく。半分招待ということもあってか、宿は五道口の「文津国際酒店」に入る。高級ホテルの「商務」ルームは、さすがに調度品も贅沢である。

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□2009年4月某日(―)  人間ドック初体験

 「入院」(大学院のこと)生活が長く、暴飲暴食など無茶が祟ったせいか、昨年の健康診断では「肝機能」が大変なことになっていた。もとより小心者の私は「こりゃすぐ死ぬ」と思い、この1年間はビールをノンアルコールに変え、涙ぐましいまでの「節酒生活」を送ってきた。おそらくアルコール量は5分の1以下ぐらいに抑えたと思う(研究者に完全禁酒は無理)。もちろん食生活も野菜中心に変えた。

 35歳になり、同僚の勧めもあり、意を決して人生初の人間ドックへ。大学や共済から補助がでるということもあり、標準コースではなく、消化器コースに登録。そして、念のため肝臓がんの腫瘍マーカーAFPもオプションでつけてもらった。もちろん、消化器コースというだけに、上からも下からも「カメラ」を入れられるという、これまでにない貴重な経験をさせてもらった。

 結果。「あなた様の内臓年齢は35歳です。このまま若さをキープしてください」とのこと。γ-GTPも5分の1以下に減った(もとがどのぐらいあったのかはヒミツ)。胃も「きれいな胃のひだがたくさんありますね。あなたストレスないでしょ」とのこと。加えて「ピロリ菌がいませんね」「善玉コレステロールが倍ぐらいありますね」とのオマケつき。よくわからないが、とりあえず「年相応」ということだろう。

 それにしても人間ドックの大切さを実感した。確かに受けるのは「怖い」のだが、隅々まで検査してもらって「健康」という太鼓判なり、「ここに気をつけて」という助言なり、きちんと頂くことは、精神衛生上、本当に良い。正直、この1年間はこれまでになく健康に不安を抱いていたが、生活改善をすれば、結果もついてくるということが確認できた。逆に医者からは「あまり極端に節酒や食生活抑制をし過ぎるのは考えもの」とも言われたぐらいである(「A型」の性格が強いそうである)。

 心機一転、もう少しアクセルをふかせそうである。

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□2009年4月4日(土)  新年度

 終日研究室にて論文執筆。履修ガイダンスがあるためか、キャンパス内に学生が溢れている。さすがにサークルに勧誘されることはなくなった。

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□2009年4月3日(金)  入学式


学園大百景 其の八 2009年度入学式

 午前中は入学式と新入生ガイダンス。今年は学級主任ではないのだが、今年の新入生は秋学期に中国概説を担当することもあり、顔ぶれを確認しておきたかった。入学予定者全員が開始時間前にきっちり揃い、素晴らしい新年度のスタートとなった。

 夜は新任教員歓迎会。ニュースカイホテルの25階から夜景を眺めながらの会食。「あっという間の1年間だった」という感じ。二次会は世界のビールが飲める「オーデン」にて。レーベンブロイとバス・ペールエールの生を頂く。朝から食べたかったアイスバインにもありつけ大満足。

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□2009年4月1日(水)  新年度

 終日研究室にて論文執筆。夕方より学科会議。年度初めはいろいろと確認事項が多い。会議後に立ち話が盛り上がり、そのまま同僚と夕食へ。大学付近のお店をまわったのだが、あいにくどこも満席。せっかくなので街に出て馬料理の名店で「森伊蔵」片手に随分と話し込む。こういう時間は本当に大切である。

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