大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2009年3月)

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□2009年3月28日(土)  『1945年の歴史認識』

 今日はオープンキャンパスだが、役回りがないので終日研究室にて原稿執筆。当然単著の一部なのだが、書き下ろしよりも「小品」として形にする方が「まとまり」が良くなるので、とりあえず論文として書き始める。今日は「はじめに」のみ。日々少しずつ単著の原稿執筆は進めているのだが、単発の論文とは勝手が違い、本当に苦しんでいる。

 そんななか研究棟受付のメールボックスに本が届く。劉傑・川島真編『1945年の歴史認識―<終戦>をめぐる日中対話の試み』(東京大学出版会、2009年3月)。

 一昨年の秋以来、数回の研究合宿を重ねて刊行に至った、終戦直後の「ヒト」の移動をテーマにした研究論文集である。特定のテーマが明確に設定されている研究書の出版に参加させていただいたのは今回が初めてだったので、いろいろと勉強させて頂くことが多かった。

 目次は以下の通り。

はしがき 劉傑・川島真

第T部 <終戦>という時代
 1章 終戦と日本の責任認識問題―蒋介石政府と汪兆銘政府をめぐって 劉傑
 2章 過去の浄化と未来の選択―中国人・台湾人留学生 川島真
 3章 満洲体験の精神史―引揚の記憶と歴史認識 加藤聖文

第U部 <終戦>とねじれる歴史感覚
 4章 虹口集中区の日本人たち―上海日本人居留民の送還と処置 陳祖恩
 5章 中国に留まる日本人技術者―政治と技術のあいだ 楊大慶

第V部 <終戦>と遺された人々
 6章 「ヒト」の移動と国家の論理―後期集団引揚の本質と限界 大澤武司
 7章 中国残留日本人―自国本位の歴史認識を超えて 呉万虹
 8章 留日学生の選択―<愛国>と<歴史> 王雪萍

第W部 歴史認識問題の現在―日中米からの提案
 9章 国境を越え、同時に歴史を研究するということ ジョシュア・フォーゲル
 10章 中日歴史認識問題の多元性―中国学者の思考と模索 帰泳濤
 11章 歴史認識の現在:2008 三谷博

あとがき 劉傑・川島真

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□2009年3月26日(木)  星が降ってくる


こんな感じに見えました(加工画像)

 終日研究室にてデータ整理。単調な作業なので少し疲れ気味。

 どこで聞いてきたのか朝から息子が「土星が見たい」と言っていかない。日頃から宇宙や星座に関する分厚い図鑑を読んでいるようで、興味があるようだ。調べてみると今年は15年に1度、土星の輪が一直線に見える年らしい。

 自宅から車で1時間半ほどかかるのだが、午後6時半、熊本でも有数の天文台である山都町の「清和高原天文台」に向う。4歳になったばかりの息子がどう感じるのか皆目見当もつかなかったが、とにかく真っ暗闇の山道をひたすら東へ。到着はキッカリ8時。

 強烈に冷え込む標高700メートルの高原。車から降りたとたん、私も息子もいまにも落ちてきそうな「満天の星空」に圧倒される。息子を抱き上げて360度回転して、強烈な光を放つ夜空の星々に二人してしばし釘づけになる。

 天文台の屋上にのぼり、天体観測スタッフのお兄さんに「息子が朝から土星を見たいと言ってきかないので」と説明すると、巨大な望遠鏡を操作して土星の方角へ向けてくれた。覗き込むと一直線になった土星の輪がくっきりと見える。私自身もこんなにはっきり土星を見たのは初めてである。

 帰りの車のなか。息子は興奮冷めやらぬようで、しきりに土星や宇宙の話ばかりしている。来る時は隣りで眠りこけていたくせに、帰り道は興奮しすぎて、演説を一向にやめる気配がない。自宅到着は10時。

 こんな体験は東京では決してできないだろう。人生の豊かさとは何かを改めて考えさせられる一日だった。こんな星空を見たのは、台湾の墾丁海岸で臨海教室の時に寝っ転がって一晩中星空を見上げた時以来である。もう24年も経った...。

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□2009年3月24日(火)  動画の貼り付けは難しいのか



動く大澤娘。(再生を2回クリックしてね!)

 学部・学科ホームページの業者選定も無事終わり、午後は大学で先方と本格的な打ち合わせをする。

 一見して明らかなように、現在の外国語学部のホームページは、デザインをはじめとして、両学科がまったく別々に管理・運営してきていたのだが、両学科のみならず、学部としての魅力をより効果的に対外宣伝する意味からも、デザイン統一を含めた大幅なリニューアルが必要との判断があった。

 それにしてもホームページ製作の相場というのは難しい。例えば「ちょっとページに動画を貼り付けたい」と思ってGoogleで検索をかけても、「素人には無理」とか、「35万円以上かかる」とか、「脅しの文句」が並んでいる。業者さんの見積もりは時にすごく怖いこともある。

 私自身、これまで動画を貼り付けるなんてことは考えていなかったのだが、公的な機関のページ製作に関与する必要が出てきた手前、「本当に素人ではできないのか」も確認しておかなければならないだろう(英米学科のHPはとにかく動画が多いので...)。

 な〜んだ。簡単にできるじゃん。

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□2009年3月22日(日)  平戸詣で


平戸・瑞運寺より見上げる

 来熊中のお義父さんが飲みながら「熊本から長崎の平戸というのはやっぱり遠いのかな」と言われたので、「いや、高速で2時間、一般道で1時間と見て、僕の運転なら3時間かからずに行けると思いますよ」と答えると、「できれば行ってみたい」とのお話。

 お義父さんの母方の実家が平戸にあり、生まれも平戸であるというのはうかがっていたが、40年ほど前にお墓参りに行って以来、平戸を訪れていないとのこと。ちょうど私も今年は熊本県外をじっくり探索しようと考えていた矢先だったので、二つ返事で平戸詣でのお供を引き受けることとなった。



40年目の邂逅

 お義父さんの妹さんの知人が経営している中華料理店や遠い親戚の呉服店、菩提寺のおかみさんや「剣道の先生」など、いろいろな人から情報を頂き、あるいは道を車で先導していただくことで、お墓参りも生家再訪も実現することができた。「御縁」を感じた一日であった。お義父さんもお義母さんも感慨深げで、多少はお役に立てたようである。



生家の前で

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□2009年3月21日(土)  お宮参り


熊本・藤崎神宮

 東京からお嫁様のご両親が来熊中。天気も申し分ないので、藤崎神宮にて長女のお宮参りとする。東京・狛江の神社でやった長男の時とは違い、神殿のなかも写真撮影OKということだったので、思う存分激写する。

 神主さんの言葉。「上が男のお子さんで、今回が女のお子さん。最高ですね。3人目はもうどうでもいいって感じですね」。確かに。頑張って仕事せねば。

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□2009年3月19日(木)  卒業式


学園大百景 其の七 2008年度卒業式

 学園大の卒業式。怒涛のような一日が過ぎる。結局、朝方6時近くまで卒業生たちと街で飲む。飲み過ぎる。私の信条は「特別な日には最後までつきあう」なのだが、卒業生たちの目には12歳年上である私が社会人の先輩としてどのように映ったのだろうか。とはいえ、この仕事は私の天職だと思う。

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□2009年3月18日(水)  シベリア抑留

 単著執筆を進める。いわゆる「撫順組」日本人戦犯の中共移管に関するくだりを書くため、シベリア抑留関係の研究を改めて確認する。

 1990年代以降、旧ソ連崩壊を受けた史料公開の進展に伴い、「旧ソ連」地域の研究者による研究書がいくつか出版され、これが日本語にも翻訳されている。

 カルポフやクズネツォフによる研究、アメリカ側のニンモによる研究、そして日本側の横手慎二先生や阿部軍治先生による研究など。これらを読み比べるに、シベリア抑留に関する国際共同研究の機は熟してきたという思いを強くする。

 私はロシア語を解さないので、ロシア語の一次史料に依拠してシベリア抑留問題を掘り下げるという研究スタンスは採れないのだが、近々「引揚」問題という文脈から論稿をまとめようと考えている。このあたりで交通整理が必要だと思う。

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□2009年3月17日(火)  模擬授業

 午後は県立大津高校の生徒さん30名弱を前に「熊学中国語“超”初級講座」を開講。1年生とのことだが、この怪しげな響きの言語の魅力(私の「しゃべり」が怪しげなだけか...)に取りつかれた30分間となったのであれば良いが。

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□2009年3月16日(月)  学部ホームページ

 学部ホームページのリニューアル作業を推進中。

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□2009年3月14日(土)  卒業ゼミコンパ

 終日研究室にて全国の大学の入試状況についてリサーチをかける。この時期はどこの大学も「入試情報」の発信に力を入れるので、いい情報がネット上に浮かんでいる。

 ページをプリントアウトする程度だが、外国語学部系の中国語関係学科を中心に30ほどデータを獲る。本格的な分析はまだだが、都市や地方の如何にかかわらず、多くの大学が苦戦している状況がわかる。途中、学部長先生と学食でランチ。

 昨日の教授会にて卒業判定がペンディングになっていたゼミ生もみな卒業が決定したため、夕方は街で卒業ゼミコンパとする。ホワイトデーではあったが、4年生8名全員が無事に出席。『大澤ゼミ論文集 創刊号』を配る。

 卒論組もレポート組も、1年間という短い間ではあったが、学園大の大澤ゼミに所属していたことの記念にしてくれればと思う。予算を奮発したこともあり、なかなか立派なものができたと思う。1冊は本人、もう1冊は親御さんに記念に贈るように。もちろん、私にとっても大切な記念となるものである。

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□2009年3月13日(金)  「会議の嵐」再来

 朝9時半より学科会議。10時より教授会。11時30分より学科会議。短い昼食。午後1時より5時までパンプレット会議。5時からホームページ委員会。7時帰宅。今日は仕事したなぁ〜。

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□2009年3月12日(木)  味方のはずだが...

 法に抵触する、しないにかかわらず、これから社会に出ようとする学生がこの時期に内定辞退をせざる得ない状況に陥ったことに対して「自己責任」の一言で片付けるとは。無論、「厳しさ」は百も承知だが、土地柄もあるのだろうか。じっくり見ていきたい。

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□2009年3月11日(水)  まさかの落選


誕生1か月

 決戦投票となっていた労働組合の執行委員選挙。おおかたの読みは選挙管理委員であった私が無条件で当選するというものだったが、何と落選。驚きの結果に周囲が唖然。慣例を壊す男。喜んで良いのか、悲しんで良いのか、なんとも複雑な気持ち。

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□2009年3月10日(火)  入試終了

 B日程の一般入試が終了。本年度の入試監督もこれにて終了。東アジア学科を受験してくれた皆さんと4月から一緒に勉強できるのを楽しみにしています。

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□2009年3月5日(木)  尻に火がつく

 終日研究室にてFRUSを読み込む。朝一番、メールで中国研究拠点関係の報告依頼が入る。本来は先月終わらせておくべき仕事だが、プライベートでバタバタしていたため、延期してもらっていたもの。年度初めの4月、それもウィークデイとのこと。幸い講義のない日だが、動けるだろうか。これでようやく尻に火がついた。

 現在の筆債。著書2冊、論文3本。

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□2009年3月4日(水)  会議の嵐

 午前中は学部長室にてホームページ会議。これまでの経緯と今後の方向性について。1995年以降、手打ちながらも、いろいろな形でホームページを作り続けてきた。時には全国紙に連載を持ったり、ビジネス雑誌から取材を受けたり、ブログが炎上したり、熊本での生活を東京にいる家族や友人に紹介したりと、その恩恵に浴してきているだけに、ホームページが広報ツールとしていかに有用であるのかは十分に認識しているつもりである。

 午後の会議は教授会から。特に問題もなくスムーズに終わる。続いて学科会議。さらなる飛躍に向け、入試制度などを議論。今後の学科ホームページの方向性についてもご意見をいただく。

 最後はパンフレット会議。ホームページ同様、学科の顔であるだけに、気が抜けない仕事である。なぜか学科の「クローズ・アップ授業」に私の「中国近現代史」が選ばれる(現時点では承認待ち)。確かに「濃い」授業だとは思うが、どうだろうか。

 合わせて6時間強の会議。とはいえ、これだけ会議が続いてもこの程度の時間でおさまっているうちは、まだまだなのかもしれない。

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□2009年3月3日(火)  人間ドックの予約

 午前は引き続きFRUSを読み込む。さぼっていたせいか、細かい字にかじりついているせいか、このところ肩こりがひどい。勢いついでに人間ドックの予約をする。

 私もすでに35歳。息子と娘がいる身である。父の遺言が「車を熊本に持って行け」と「健康診断はしっかりやれ」だったこともあり、年貢の納め時といった感じ。これまでの不摂生が白日の下にさらされるか...。

 とりあえず1日で終わる「消化器コース」に肝臓がん関係の腫瘍マーカー検査をオプションとする。幸い、私学共済と大学の補助で、自腹はかなり抑えられるのでありがたい。上と下からカメラを入れることになりそうだが、それも良い経験か。

 昼は労働組合関係の仕事。執行委員の開票作業である。定員5名のところ、私は同率5位で決選投票へ。その後は学部長室にて広報関係の会議。新年度はさらに忙しくなりそうだ。研究室に戻り再びFRUSとにらめっこ。細切れの時間をいかにうまく使うかが鍵なのだろう。

 それにしても、買収したばかりの同業他社に管理職待遇で期限付き出向とは。絵に描いたようなエリート街道だな...。

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□2009年3月2日(月)  Foreign Relations of the United States

 午前中は熊本信愛女学院高校の学生さんたちを迎えての模擬授業。「中国語“超”初級講座」と銘打って35分ほど話をする。

 英語と異なり、生徒さんたちは初めて触れる外国語であるだけに、短い時間でどこまでその面白さを伝えられるのかが、思ったより難しい。とはいえ、韓国コースの土井先生とのタッグで「東アジアの特殊性」はアピールできたのではないかと思う。

 柄にもなく、終日FRUSを読み込む。1947年から1952年分まで。アメリカ外交の専門家ではないので、すべてを読み通すわけではないが、関連事項について原文書を整理する必要がある。もちろん、シベリア抑留を含めた「Repatriation(引揚)」を中心に追っていく。

 数多くの原文書の公開が進むなか、どこまで読んではじめて論稿とできるのか。いわゆる史料調査の深度に関する見極めの難しさを近頃痛切に感じる。もとより巨大なテーマに挑んでいるわけではないが、それでも切りがない。「ここまでは使う」という自分自身の基準の確立が必要とされよう。

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