大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2009年1月)

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□2009年1月31日(土)  「戦後東アジア国際政治史の研究展望」初日


学園大円形教室でのワークショップ

 午前中は会場設営とレジュメの準備であっという間に過ぎる。

 午後3時より初日のワークショップ「戦後東アジアの政治発展、経済発展におけるアメリカ要因の再検討」。企画・司会・討論は佐橋亮氏(東京大学特任助教)、報告者は、韓国について松田春香氏(東京大学大学院)、台湾について石川誠人氏(立教大学助教)、フィリピンについて高木佑輔氏(慶應義塾大学大学院)、日本について玉置敦彦氏(東京大学大学院)、そして討論者として松村史紀氏(早稲田大学アジア研究機構現代中国研究所客員研究員)。

 極めて挑戦的なセッション。自分の研究対象とがっぷり四つに組んだ報告。質の高い実証研究を踏まえた報告がぶつかり合う緊張感。戦後東アジア国際政治研究会の真骨頂といったところか。

 夜は「いねや」で一次会の後、馬刺しに魅せられたメンバーとともに「菅乃屋」へ。心臓や大動脈の刺身は熊本ならではといえよう。明日の自分の報告のことを忘れて飲み過ぎる。

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□2009年1月30日(金)  感謝


2009年1月30日付『熊本日日新聞』

 朝刊の「短信」でシンポジウムの告知をしてくださった。

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□2009年1月28日(水)  事前準備

 終日シンポジウム準備。会場の最終確認やレジュメの印刷、弁当の手配など。初年度だけに動員できる大学院生もおらず、相変わらず勢いでこなす。もっとも、規模的にはロジはキャパの範囲内か。合間を見て答案の採点を進める。

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□2009年1月26日(月)  三田にて その2


『東北日報』を読む

 朝から慶應の図書館にて資料調査。『東北日報』を改めて読み直す。45年11月分から46年12月分まで。目的は中国東北地域の中国共産党支配地区における日本人引揚の経緯を新聞資料で再確認することであったが、思いのほか『東北日報』が閻錫山による日本軍残留工作を詳細に報じていることに気づく。宣伝工作的な色合いが極めて強いが、当時からこの問題は一般に知られていたようだ。

 とりあえず4時30分に三田での作業を切り上げ、そのままタクシーで外務省外交史料館へ。マイクロのリールを数本注文。昔は一日中史料を筆写したものだが、注文するだけなら5分で終わる。随分と効率が良くなった。

 夜は新宿にて師匠と久し振りに食事。3軒梯子して、挙句の果てに師匠のお宅に泊めていただく。

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□2009年1月23日(金)  三田にて その1

 午前は神保町。午後は慶應の図書館にて資料調査。夜はまだご挨拶していなかった義弟夫婦と新宿にて会食。「円相」というなかなか洒落たお店。蟹味噌の殻焼きや牛肉の朴葉味噌焼きが良かった。昨年3月まで私が住んでいたマンションにて新婚生活中とのこと。「地元」の話題で盛り上がる。

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□2009年1月23日(金)  東京出張

 午前は卒論の確認。午後は学期末試験の監督。夜、調査のため東京に飛ぶ。

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□2009年1月21日(水)  山西省日本軍残留問題

 戦後、米国主導により日本の勢力の「排除」という観点から日本人の総引揚が行われた。留用日本人技術者やその家族、中国残留日本人孤児や婦人以外にも、中国山西省の閻錫山軍とともに中国共産党軍と闘うために「残留」した日本軍将兵がいた。最終的に北支那方面軍第1軍将兵をはじめとする約2600名余りの日本人が「残留」したのだが、これを山西省日本軍残留問題と呼ぶ。

 近年、映画監督の池谷薫氏の手によって本問題を題材にした「蟻の兵隊」というドキュメンタリー映画が作成された。氏は新潮社から2007年に『蟻の兵隊―日本兵2600人山西残留の真相』という著書も出している。また、昨年には米濱泰英氏が『日本軍「山西残」』(オーラル・ヒストリー企画)という専著を出された。

 本問題は、日本軍残留に際しての「軍命」の有無、すなわち残留が自願であったのか否かという点をめぐって1950年代以来、幾度となく議論の俎上にのぼってきた。「軍命」による残留であれば、当然「公務」であり、恩給の支給問題が生じてくる。また、死亡者の補償についてもしかりである。

 だが、最大の問題は残留者について「現地除隊」処理が行われたことであった。日本政府の公式見解としては、残留者は「自願」により「残留」し、「現地除隊」されたとされる。もちろん、「軍命」により「残留」させられたとする「残留者」たちは、「自願」を否定し、「現地除隊」の事実も知らなかったと主張する。

 「自願」と「命令」の交錯と国家の責任。これは「自願」と「棄民」が交錯したとされる中国残留日本人婦人問題と極めて構図が似通っている。いや、むしろ「残留」のプロセスにおいては軍上層部による「命令」や「命令の撤回」が恣意的に行われた面も多分にあったと思われるため、より権力機関の作為・不作為が直接的に問題とされるケースといえよう。

 もっとも、「残留日本人婦人」問題などと同じく、国家の責任が問われる問題だけに、本問題を扱う諸論は、いずれも日本政府の責任を厳しく追及するものとなっている。つまり、「残留者」側の視点で語られることが多いといことである。訴訟と歴史学という問題を考えるうえでも、極めて示唆的なテーマであるといえる。

 防衛研究所戦史室所蔵の原文書を詳細に検討した場合、やはり軍上層部による「現地除隊」の手続きについては、多くの問題があるようだ。だが、その具体的な過程については、もう少し細かな検討がなされるべきかと思われる。

 「腰を据えて研究する」というのは、安易な引用で行論しないということでもあるのかしらと思う今日この頃。

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□2009年1月19日(月)  最近読んだ本

 年末以来、風呂場などで読んだ本は以下の通り。

三浦展『下流社会―新たな階層集団の出現』(光文社、2005年)
三浦展『下流社会 第2章―なぜ男は女に“負けた”のか』(光文社、2007年)
門倉貴史『ワーキングプア』(宝島社、2006年)
城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社、2006年)
城繁幸『3年で辞めた若者はどこへいったのか』(筑摩書房、2008年)
生田武志『ルポ最底辺―不安定就労と野宿』(筑摩書房、2007年)
橘木俊詔『格差社会―何が問題なのか』(岩波書店、2006年)
須田慎一郎『下流喰らい―消費者金融の実態』(筑摩書房、2006年)

 高校の頃、堀江正規氏編の新書『日本の貧困地帯』(新日本出版社、1969年、全2巻)を読んで衝撃を受けた。だが、衝撃を受けながらも「ふた昔前」のこととして、戦前の東北農村の困窮と同じような「知識」として、読んだことを覚えている。私の高校時代と言えば、いわゆるバブル絶頂期で、日々夕方のニュースが面白おかしく「金あまり日本」を特集している御時世だった。

 思えば今年の正月はなぜか気持ちが晴れなかった。1、2分のテレビ出演のために人生をかける若手お笑いの洪水。お笑い番組の間に流れる「派遣村」の報道。もちろん、報道が切り取る「部分」は断片であり、多分に誇張が含まれることも承知である。だが、分析せずに直感を述べるのは研究者として失格なのだが、この世相にはなぜか言い知れない「不気味さ」を感じる。

 夕方のニュースで、熊本の某自動車工場の前で「派遣切り」反対の抗議行動を行う知り合いのインタヴュー映像が流れた。より身近にこの問題を感じた瞬間であった。3年生の就職活動も始まった。大学が学生の将来の「可能性」を広げるための存在であるならば、大学教員もこのような社会の動向に無関心ではいられないだろう。卒論に朱筆を入れながら、ある先生が「学生が幸せになることがなにより大切」とおっしゃっていた言葉が浮かんできた。失礼ながら「仏の姫ちゃん」はやはり本当に素晴らしいと思う。

 今年はJREC-INの教員公募(政治学、国際関係および史学)も例年より極端に少なかったような気がする。さて...。

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□2009年1月18日(日)  試験監督 その2

 終日試験監督。普段とは使う脳みその部分が違うようだ。久し振りに疲れる。

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□2009年1月17日(土)  試験監督 その1

 今日と明日はセンター試験の監督業務。朝8時から午後7時までという長丁場。もちろん、裁量労働制なので日頃はほとんど24時間研究のことばかり考えているのだが、分刻みで行動が決まっているのは下手すると十数年振りではなかろうか。

 熊本の生徒さんは良い意味で素朴で、素晴らしいと思う。ほぼ全員が黒髪で、化粧もしていない。試験会場に入室する時も監督官にきちんと挨拶できるし、問題冊子と解答用紙を配るごとにほぼ全員がきれいな会釈をすることができる。

 空気と水がきれいで、食べ物が美味しいからだろうか。リスニングの再開試験もなく、大学全体でもスムーズに業務を終えられたようだ。全員の健闘を祈る。

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□2009年1月16日(金)  エクセルの悪戯

 助成応募の件。応募先の事務局よりメール。「本名でお願いします」とのこと。よくよく申請書を確認してみると「大澤」のふり仮名が「ダイザワ」に。どうやらエクセルの自動ふり仮名機能の悪戯らしい。自分で入力した部分はきちんと「オオサワ」となっている。3度ほど確認したつもりだが、「6pt」ほどの極小フォントは「中年」の目にはつらいか。「作業は緻密かつ確実に」と書きながらもこのザマとは。

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□2009年1月12日(祝)  どんどや


託摩原校区・どんどや

 いわゆる「どんど焼き」のことをこちらでは「どんどや」というらしい。高さ約10メートルほどの火柱はさすが「火の国」という豪快さ。もっとも、関東の定番である「だるま」はほとんど見られない。破魔矢もあまり投げ入れられていないようだ。基本的にはお飾りが中心で、その上に円錐状に竹が組まれて、一機に灯油で火をつけて焼いてしまう。

 もちろん、火が回ると竹が「バチッ」「バチッ」というものすごい音を立てて破裂する。観衆はそれがまたたまらないようだ。火が落ち着いたら、それぞれ家から持ち寄ったお餅をかざして、焼き始めた。物干しの先に網をくくりつけてあるものから、単にアルミホイルで餅をくるんだものまで十人十色。地方によってお正月の行事も随分と異なるものである。

 2年生諸君、成人おめでとう。

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□2009年1月9日(金)  講義納め

 本日にて本年度の講義はすべて終了。反省すべき点も多いが、来年度に向けて何かしら掴めたような気もする。いきなり完璧にはこなせまい。少しずつ経験を積んでいくしかなかろう。

 研究分担者にさせていただいた民間財団の研究助成が内定したとのこと。年始めから縁起が良いので、個人研究助成の応募申請書作成にも力が入る。徹夜で草案を書きあげる

 午後、ある大手出版社の編集の方から研究室に電話。年末、単著の執筆依頼を頂いていたのだが、いろいろと考えるところあり、返事が延ばし延ばしになっていた。現在、単著の原稿執筆に追われていることは、HPからも一目瞭然かと思うが、先方の依頼は「その次」のお話である。

 なかなか難しそうな課題を与えられたので、これも「経験を積みながら」ということになるか。先約の出版社の方からも無事諒解を得ることができた。研究の中期的な目標としたい。

 卒論、誰も持ってこず。

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□2009年1月7日(水)  再び申請書

 宝くじは買わなければ当たらないが、それは研究助成も同じ。幸運にも「職業としての研究」をすべき立場になったので、少し大きな研究構想を視野に入れた基礎研究を始めようと思い、民間財団の研究助成に応募することにする。仮説は大胆に、作業は緻密かつ確実に。

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□2009年1月6日(火)  博論の確認

 後輩の博士論文の確認がようやく終わった。本論の確認はすでに昨年終えていたので、今年は序章と終章である。戦後初期日中民間外交の立役者である「経済」の村田省蔵、「人道」の有田八郎、そして「国民運動」の風見章という三氏を扱ったものだが、彼らの戦前と戦後の連続と非連続や三者の類似点と差異、さらには日中関係のなかにおける三者など、特に終章は掛け値なしに良かった。

 日本に留学して9年近く。彼が修士1年生の頃からずっと一緒で、相当厳しいことも言ってきたが、とにかく初志を貫徹した彼に敬意を表したい。後は査読と口頭試問である。吉報が楽しみである。

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□2009年1月4日(日)  正月のドライブ その2


山都町・通潤橋

 お嫁様が「通潤橋に行ってみたい」というので、朝からドライブにでかける。あいにくお正月ということもあり、名物の「放水」は拝めなかったが、それでも「道の駅」に売っていた焼きおにぎりとお汁粉が美味しく、大満足する。

 熊本国府高等学校パソコン同好会さんが作成されている紹介ページを拝見するに、四季折々の美しさが楽しめるようなので、また春になったら出かけたいと思う。今年も熊本を堪能したいと思う。

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□2009年1月2日(金)  正月のドライブ その1


天草・有明たこ街道

 だらだらしているのが嫌いなので、朝から家族そろって天草へ。自宅から40分も走れば、天草街道を有明海沿いに走ることができる。前回は三角半島の先端で折り返し、不知火のほうへ抜けてしまったが、今回は天草五橋を制覇。きれいな海に囲まれたのどかな島を愛車で駆け抜けるのは何よりの気分転換である。

 平日に比べれば若干混んでいたが、東京に比べれば気にならない程度である。「有明たこ街道」を進み、「四郎ケ浜」の道の駅・有明で少し遅い昼食とする。再び「タコ尽くし」。明石に対抗して有明のタコをブレイクさせたい模様である。

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□2009年1月1日(祝)  謹賀新年


初めてのおせち料理

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます

 例年であれば正月は両家の実家で過ごすのだが、ここは熊本。帰省(上京するのに帰省とは...)するのも大仕事なので、今年は熊本にて越年とする。思えば、結婚して以降、毎年実家で年越しをしていたので、自宅でおせち料理というものをこしらえたことがなかった。息子に「正月」の雰囲気を教え込むべく、とりあえずお嫁様に頑張っていただいた。

 お年玉も「あげる側」となり、近くの神社でお払いもしてもらい、御神籤も「小吉」「中吉」「末吉」と、家族揃ってそれなり。これぞ日本の正月!近く家族がもう一人増えることもあり、今年も引き続き良い年になってくれればと思う。

 目標は何としても単著原稿を脱稿すること!!

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