大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2008年11月)

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□2008年11月29日(土)  東アジア社会文化研究会

 東アジア学科の研究会に参加。お隣り尚絅大学の和田英穂先生による「漢奸裁判では何が裁かれたのか」という報告。周知の通り、和田先生は中華民国の対日戦犯政策研究の第一人者だが、「漢奸」と「戦犯」の概念、あるいは国民政府と人民政府との間の連続と非連続、あるいは「漢奸」から「反革命分子」への対象の「展開」など、議論すべきテーマが多岐にわたり、刺激的な報告であった。

 やはり政治的な「裁判」を考える場合、当然、その背景にある「政治の流れ」を考えることがその本質を見極めるために重要となろう。東京裁判しかり、中華民国の対日戦犯裁判しかり、そして中華人民共和国の対日戦犯裁判しかりである。最後の決め手はやはり史料の所在といったところか。

 講義準備をしながら研究室を整理する。買い集めてきて山積みになっていた研究書を書棚へ。とうとう書棚はパンク。追加を考えなければいけないが、ちょっと狭苦しくなりそう。使わない雑誌類などを自宅に運ぶか...。

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□2008年11月28日(金)  

 幸い頭は打たなかったが、打ちつけた左半身に少ししびれが残る。学生諸君に心配をかける。とにかく急ぎの校正を仕上げて返送する。

 帰り道、歩きながら来月神戸で開催されるワークショップでのコメントを練る。「井戸掘り人」と「大御所」を前にさてどうしたものか...。戦後の日中『民間外交』と日中関係」というテーマ。「友好」か「浸透」か...。悩みは尽きない。

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□2008年11月27日(木)  いろいろな仕事

 講義準備、マイクロ史料の読み込み、シンポジウムの参加依頼、ポスター作り、コメンテイター原稿の作成、レジュメ印刷、論文校正、ホームページ更新、忘年会打ち合わせ...。どこまでが仕事で、どこからが仕事でないのかよくわからない。自分で決めなければと思う。講義準備の途中で、学部時代に受けた文化大革命に関する東洋史特講のレジュメとノートを見直す。応用科目とはいえ、その水準の高さに改めて感激する。

 雨降りでスリッパが滑り、研究棟で腰から背中にかけて床にしこたま叩きつける。幸い頭は打たなかったが、ちょっとした全身打撲。講義がない日とはいえ、サンダル履きはやめようと思った。

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□2008年11月26日(水)  新しい相棒

 午前は講義。午後は臨時教授会と学科会議。推薦入試の合否判定。来年度が本当に楽しみである。新任教員の人事については、「去年は自分がこんな風に選考されたのか」と変な気分になる。

 12月15日に納品予定だったマイクロフィルムリーダーが研究室にやってきた。この相棒とは長い付き合いになりそうだ。講義準備の忙しさにかまけてはいられない。焦りは禁物だが、とにかくもっともっと研究時間を捻出しなければと思う。来月刊行予定の論文の初校が届く。大至急返送せよとのこと。

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□2008年11月25日(火)  湧水汲み

 終日講義準備。講義科目はいずれも残すところ4〜5回。どのように着地させるか。ともかく初年度である。怒涛のようなレジュメ作りの日々であった。残りについてだが、東洋史概論は新中国時期を紹介、「国際社会と日本」は改革開放以降の日中間における諸問題を扱う予定。思いのほか、研究に時間が使えないのがストレスとなる。

 潮井水源に南阿蘇の湧水を汲みに行く。息子と一緒にサワガニを4匹ほど捕獲。2年以上飼っている東京から連れてきたカタツムリの「でん助」に続く、無言のペット「サワガニ・クインテット」の仲間入りである。

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□2008年11月23日(日)  敬愛祭り

 35歳の誕生日。朝から息子の幼稚園の祭りで焼きそば屋台を手伝う。とりあえず誕生日なので打ち上げは遠慮させていただく。

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□2008年11月22日(土)  大同窓会

 熊本ホテルキャッスルで開かれた学園大志文会の「大同窓会」に参加。いきなり「来賓」の胸飾りをつけられ上座にあげられ恐縮する。とにかく学園大の「地元力」をまざまざと見せつけられたひと時であった。

 散会後は、同僚の中国人の先生とサシにて呑む。歳もほとんど同じで、学位を取って東京から熊本へというのも一緒。本当にいろいろと語り合う。これまで、いま、そしてこれから。あっという間に時間が過ぎ、午前様となる。めでたく35歳を居酒屋にて迎える。「生日快楽!」でお開き。忘れられない日となるだろう。

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□2008年11月21日(金)  「留用」の再検討

 そのまま書き進めても良いのだが、「無難にまとめる」ということがどうもできない(いつまでたっても1冊書き上げられないのでは...)。体系的な事例研究を進めるほどの余裕はないのだが、「何か」がひっかかる。今週は図書館にこもって二次文献をひたすらテーク・ノート。がむしゃらに前に進むことだけ考えていた院生時代には見えなかったところが数多くあったことに気づかされる。オーラルでない体系的な「留用」研究を本格的にやりたいと思う今日この頃。

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□2008年11月14日(日)  博多にて「うまかばい」



ハイアットにてふかひれスープを堪能する息子

 福岡へ。中華料理と劇団四季ミュージカル「ライオン・キング」鑑賞というイベント。家族揃って楽しむ。私自身は父の仕事の関係もあり、8歳ぐらいから嫌と言うほど台湾で高級な中華料理を食べてきたが(いわゆる取引先企業の家族同伴接待である)、さすがに3歳でこれはなかった。やはり美味しいものは分かるらしい。良い経験になったと思う。

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□2008年11月14日(土)  嘉島町を楽しむ



熊本・嘉島町の晩秋ひまわり

 昨日、帰りがけに学生から「先生、嘉島町でヒマワリがすごいことになっているそうですよ」との情報をもらったので、早速家族で出かける。肌寒いぐらいの気候なので「まさか」と思っていたが、写真のとおりである。確かに空は秋の感じだが、何とも変な感じである。なぜか元気になる。

 お土産にヒマワリをいただき、そのまま近くにあるサントリーのビール工場へ。ほとんどビールしか飲まない私はずっとヱビス信奉者であったが、プレミアム・モルツがでてからは完全にサントリーに乗り換えた。来週末の誕生日で35歳となり、名実ともに「中年」の仲間入りすることが確定しているため、ビールは控えているるのだが、出来たてのプレミアムの「生」を試飲できるとあってはすこしばかりリミッターを外してもよかろう。

 阿蘇、馬刺し、辛子れんこん、一文字ぐるぐる、生ビール...。これでこそ教育と研究に力が入るというものである。

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□2008年11月13日(木)  秋の東京

 すっきり晴れ上がった東京の秋空。熊本に比べると空が狭い。疲れている訳ではないのだが、少し朝寝坊したため駅の吉野家で朝食として並盛をかっ込む。向かいのカウンターにはフリーターとおぼしき20代前半の男性が3名。犬食いやら肘つきやら。家庭における躾の不行き届きと勤労意欲について考える。

 その足で電車に飛び乗り、高円寺にて会葬。半年前の自分を重ねる。正直、私自身まだ夢のなかにいるような感覚である。散会後「閣下」とともに慶応の恩師に昼食を御馳走になる。恐縮する。

  訪京中、林祐一『日中外交交流回想録』(日本僑報社、2008年)を読み終える。林氏といえば、1953年に行われた中国残留日本人引揚交渉の日本側民間三団体の随員(通訳)として活躍した外交官であり、日中国交正常化直後に初代駐華公使を務められた中国通である。

 氏の二つの「憶測」、すなわち「文革煙幕論」と「日本『殺身成仁』論」についてはコメントを差し控えるが、それにしても北京交渉の林氏が御齢92歳で「和諧社会」や「迎春の旅」などについて現状分析されているのにはもはや脱帽。直接の引用は難しいが、背景や当時の雰囲気を知るのに参考になろう。

 フライト変更ができず羽田空港にて4時間ほど原稿を執筆(不真面目な「同志」ですみません)。途中小腹がすいたのでラーメン屋に入るが、となりの初老のスーツの男性が大声で電話をしながら、肘をついてラーメンを食べていた。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだが、どうも周囲を見渡すに「いたたまれない光景」が多すぎると感じるのは、私が歳をとったからなのだろうか。

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□2008年11月12日(水)  「東アジア」で学ぶ

 午前中は東洋史概論。日中戦争ということでNHKスペシャルを見る。少し尺が長かったか。昼休みは学科会議。昨日は推薦入試の出願締め切り。詳細は書けないが、とにかく嬉しい悲鳴である。日本語教員養成課程、カリキュラム改編、若手(?)教員の投入、中国語スピーチコンテスト、韓国語語劇、そして学園大プレゼンツの特番...。

 もちろん日々の教育活動の賜物であろうが、「何はともあれ東アジアを知りたい」という学生さんが増えていることは確かなようだ。いろいろな意味で「中国」は注目されている。先週、このページへのアクセスが多かったのも、何か関係しているのだろうか(解析はしていない)。来春が楽しみである。

 会議後、機上の人となる。東京へ向かう。

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□2008年11月10日(月)  卒業論文

 専門演習Uは卒業論文の中間報告。ようやく形になってきた。これから1か月半。どんな踏ん張りを見せてくれるのか楽しみである。チベットと歴史教科書と...。とにかく最後まで頑張ってほしい。

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□2008年11月5日(水)  後輩からのメール

 1限目の講義を終えると後は終日会議。講義の時間が楽しみになりつつある。帰宅すると大学院の後輩からメールで吉報が届く。「学振(DC2)通りました」とのこと。まずはめでたし。とはいえ、PDは「博士号」がほぼ必要最低条件になっている模様。いまのうちから長期戦に備えてもらいたい。

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□2008年11月3日(祝)  中国語スピーチコンテスト

 飛行機にて帰熊。そのまま学園大へ。朝から熊本県日中友好協会主催の中国語スピーチコンテストが開催されているとのこと。尚絅大学の和田先生も学生応援のために来学くださっているとのことなので顔を出す。せっかくの歴史ある発表の場なので、学内のスピーチコンテストともっとうまく結びつけられないものかと考える。それにしても日本人の中国語の発音はなぜ「響き」がないのだろう。

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□2008年11月2日(日)  「杉研」30回記念

 昼過ぎより本郷にて打ち合わせ。来年早々に予定している「熊本シンポ」の戦後日中関係セッションに関する企画協議。平たく言えば「歴史を書き換える」という挑戦だが、「どこまで言えるのか」は慎重な見極めが必要だと思う。「形だけのマルチ・アーカイブ」に陥らないためにも、明確な目的意識を持つ必要があろう。

 夕刻は東大にて戦後東アジア国際政治研究会。記念すべき30回目を迎えた。2004年の訪台団からもうすぐ4年。ML登録者数は70名を超え、3連休の中日であるにもかかわらず今回も16名の参加。なかなか盛況である。報告者も力が入っている。国際政治学会の学会賞を受賞された井上正也氏による博論報告は、戦後日中関係史研究の新時代の幕開けを告げるものとなろう。

 本当に良い仲間にめぐりあえたと思う。

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□2008年11月1日(土)  上海自然科学研究所と「ご迷惑」発言

 午前は新宿で上海からいらっしゃっている中国人研究者と研究交流。中央大学総合政策研究科の関係で来日されており、戦前ならびに戦中の外務省の東方文化事業(対支文化事業)のひとつであった上海自然科学研究所の研究を進めておられるとのこと。京都大学の新城文庫(新城氏は研究所所長)をはじめ、関係資料の積極的な調査・収集に挑まれているとのお話である。

 上海自然科学研究所といえば、私の妻の祖父(つまり、私の義理の祖父)にあたる千田勘太郎氏が戦前研究員を務めていた研究機関である。千田氏は京都大学つながりで新城氏の右腕的な存在であったと考えられる。佐伯修一『』(宝島社、  年)頁でも紹介されているが、新城所長が亡くなった際、いろいろと事後処理にあたったのが千田氏であった。

 同研究所の評価についてだが、特に中国本土ではいわゆる日本による対中「文化侵略」の執行機関として位置づけられており、現在でもこのような後ろ向きな評価はなかなか動かしがたいようだ。だが、李老師はこのような評価に「より幅を持たせよう」と挑まれている。つまり、私の研究関心とも極めて近い、「友好」と「浸透」という点に着目されているようである。

 ちなみに戦前の上海における「対支文化事業」を考える場合、忘れてはならないのは、本ページでも紹介している「上海日本近代科学図書館」である。上海自然科学研究所は日中両国の研究者が共同研究を行い、その成果が新中国のさまざまな事業に活用されるなど、積極的な側面が皆無であったとはいえない。

 また、上海日本近代科学図書館も日本の書籍を中国人読者に紹介することを目的とし、実際、閲覧者の大多数が中国人であったなど(『松井松次文書』より)、単なる対中「文化侵略」機関としての側面のみ強調しすぎるのは、一面的すぎる嫌いもなきにしもあらずである(このあたりの評価は慎重にしたいが...)。

 いずれにせよ、問題が問題であるだけに、比較対象があったほうがより深い考察が可能だろう。もちろん規模も意義も研究所のほうが大きいのだが、その本質が類似しているだけに、配慮する価値は十分にあるだろう。

 午後は政策研究大学院大学にて戦後日中関係オーラルヒストリープロジェクトのインタビューに参加。標題からも明らかなように、今回のインタヴュー対象は日中国交正常化当時、外務省アジア局中国課長を務められていた橋本恕大使である。詳細は書けないが、「私と一緒に墓場まで持っていかなければならない事がある」という発言は大変迫力があり、間近でこのような歴史的証言をうかがえるのは研究者冥利に尽きるといえよう。とくかく密度の濃い一日となった。

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