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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2008年4月)


□2008年4月28日(月)  『中共党史研究』

 『中共党史研究』編集部より論稿掲載依頼を頂く。先週の周恩来研討会での入選論文を編集部の方が読んだとのころ。光栄であるのと同時に、改めて中国語での情報発信(もちろん英語でも)の必要性を実感する。

 午後は専門演習。連休を前にゼミ生全員に会うことができた。とにかく初年度は日本人戦犯処理問題を中心とする日中関係に関する文献の輪読と卒論指導に注力することにしよう。

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□2008年4月25日(金)  グラント応募書類

 講義の合間に臨時会議。年度初めでもあり、大学全体が慌しい感じ。急な学会報告の依頼も頂く。いかに気持ちを切り替えて研究時間を確保していくかが、目下の課題。とはいえ、誰からも「焦りは禁物」とのご助言を頂く。健康第一。

 科研費の研究者番号も登録が済んだので、とりあえず「さてどうしたものか」と頭をひねる。学振(PD)で獲得した3年分科研費もわずか1年で辞退してしまったので、とりあえず「研究継続」という報告で書類を作成することにする。最終的に応募するかは決めていないが、何もしていないと落ち着かないので、とりあえず準備は進めようと思う。

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□2008年4月21日(月)  天津日記 その3




 天津は引き続き雨。会議2日目なるも、飛行機の都合で中座しなければならない。私が参加している「第4組」は外交や国際関係を中心とする部会だが、やはり中国でもホットなのは中越戦争やニクソンショックあたりようのだ。それにしても李丹慧先生のコメントは厳しいなぁ...。まさに「档案の鬼」である。

 午後は「和諧号」で北京へ。まさにN700系と見間違えるほどの外見だが、シートのつくりなどを見るに、似て非なるものか。外から見れば「新幹線」だが、車内で大音量で音楽を流すのやら(決して「着うた」が鳴りっ放しというわけではない)、相変わらず大声で携帯で話をするのやら、当局の目指す文明生活の実現までには大きな壁がありそうだ(これがありのままの中国だと思うが...)。

 北京に到着。何はともあれ、とりあえず図書大厦で新刊本を物色。半年来ないうちに地下鉄が2元になっていた。自動改札化の準備も着々と進んでいるようだ。『喬冠華伝』やら呉学文氏の書いた『廖承志与日本』などを購入。会議で贈呈された書籍も含め、やはり中国帰りの鞄は岩のように重くなる。

 北京で友人に会う予定だったが、時間が合わず断念。まだまだ若いつもりだが、3月以来の疲労の蓄積もピークに達しているようだ。少し休まなければ。

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□2008年4月20日(日)  天津日記 その2




 天津はあいにくの雨。バイキング形式の朝食。たまたま沈志華先生と隣り合わせたので、熊本赴任の件などを報告。それにしても、国内・国外に限らず国際会議に出席するといつも沈先生と会うな...。

 午前中は全体会議。会議に参加しながら、お隣で冷戦史研究の第一人者が配布された『建国以来周恩来文稿』3冊に付箋を貼り、メモを取りながらものすごい勢いで読み進めていたのをみると、中国国内でもあまりまだ出回っていないということであろうか。

 午後は報告。「周恩来的日本戦犯処理政策」。10分程度の中国語での報告。無事終了。質問も数多く頂き、報告者冥利につきる。このような機会も増えるのだろうか。それにしても中国人研究者による実証研究の深化に改めて驚く。

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□2008年4月19日(土)  天津日記 その1




 ようやく仕事が波に乗ってきたこともあり、少しでも学園大を離れるのは後ろ髪引かれる思いなのだが、かなり以前から招聘を受けていた国際会議だったため、無理をお願いして海外出張させていただいた。周恩来の生誕110周年を記念して開催される第3回周恩来研究国際学術研討会である。南開大学の周恩来政府管理学院などが主催するこの会議は、1988年と1998年に続き、3回目のものとなる。

 九州から中国入りするのは初めてのこと。熊本からの直行は難しいため、福岡から飛ぶこととなった。熊本からはいわゆる「リレーつばめ」に乗って福岡に向かうのだが、ものすごく混んでいた。飛行機の時間もあったため、しかたなくグリーン車を手配(これは自腹である)。わずか1時間20分ほどの旅程であったが、もちろん快適であった。

 福岡空港から国際線を利用するのも初めてである。成田に比べて便が少なく、旅行者の絶対数もずっと少ないはずなのだが、土曜日の午前中だったせいか、荷物検査がひどく混雑しており、飛行機に乗る前に疲れてしまった。

 北京に到着。新しくできた「第三号楼」である。龍の背中をデザインしたような巨大なターミナルビルは、オリンピックの開催を待ち受ける「巨龍」ともいえる威容を誇っていた。とはいえ、まだ工事中の部分も目立つ。

 空港からはバスで天津へ。ターミナルの前から直行便があるのはありがたいのだが、来たのは小さなマイクロバス。70元と値段は安いが、もちろんトイレもなく、所要予定時間は2時間半か3時間とのことであった。

 3時半「第三号楼」出発。旧ターミナルの「第1号」「第2号」ターミナルをまわってお客を拾う。満員になるまで出発しない。4時過ぎ、ようやく出発。いまさらながら「人」を「荷物」だと思って運転をする「司機」。途中でトイレに困ったおじさんが、料金所が混んでいて、なかなか車が進まないのを見計らって、高速道路の上でバスを降り、道端に用を済ましにいくなど、微笑ましい(下手すると命にかかわる)場面もあった。

 渋滞する道路。それでなくても3時間以上狭い車内にすし詰めなのに、途中でガソリンを入れにいく「司機」。慣れているとはいえ中国人も我々と同じ人間。3時間を過ぎたあたりから車内がそわそわし出し、文句も噴出し始めた。「途中でおろせ」「おろさない」のやりとりが続くも、絶対的な権力者は「司機」。乗車してから3時間半後、ようやく天津の街角で無事「解放」された。

 タクシーで南開大学へ。なんとか明珠園へ到着。会議事務局での登録を終え、宿泊所へ。想像以上に良い部屋だった。その日の疲れはその日のうちに解決しないと...。




 と思っていたが、事務局から渡された重たい「留念バッグ」のなかにはなにやら怪しげな本が。なんと『建国以来周恩来文稿』である。刊行準備が進んでいるとは聞いていたが、このような形で対面するとは。

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□2008年4月18日(金)  講義本格化

 大教室の講義がいずれも2回目に入り、学生さんたちとの距離感もつかめてきた。初回のガイダンスは「様子見」の学生さんが多かったせいか、ざわつくことも多かったが、具体的な講義をはじめた今回は、極一部の例外を除けば、ほとんどおしゃべりもなく、安心して講義に集中できた。出席数もこなれてきたので、しばらくこれでいけるだろう。体系的かつ高水準の講義を提供できればと思う。

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□2008年4月16日(水)  ようこそ東アジア学科へ

 午前中は東洋史概説の講義。ありがたいことに私の似顔絵を書いてくれた学生さんもいたようだが、学籍番号と名前が書いてあれば、「A」をあげたいぐらい良く似ていた。なによりの愛情表現と受け取ってよいだろう。

 午後は学科会議。夕方からは我らが東アジア学科に入学された新入生の歓迎会。長さについていえば、私自身も「学園大」で過ごしている時間は新入生と変わらないのだが、そうは言っていられない。「先生」である。とにかく、在学生も含めて、新入生も顔と名前を一致させたい。

 面白かったのは、パーティーの後、若干残ったオードブルを持ち帰る段に至った時。我らが東アジア学科は、中国と韓国・朝鮮を勉強する学生さんたちがいるのだが、「お土産」を持って帰ったのは「中国組」ばかり。やはり「打包」の文化は中国独特のものなのだろうか。異文化を我がものにしている「中国組」の学生さんたちに乾杯!!

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□2008年4月15日(火)  研究本格化

 講義始めから一週間。生活や講義のペースもつかめてきたので、早速研究を本格化。締め切りが設定されている論文が半年先までの間に3本。学会報告の依頼もちらほら。前進あるのみ。

 図書館へ。70万を越える蔵書は、先達の積み重ねの賜物といえよう。首都圏でもなかなかない規模である。改めて「引揚」や「移民」など、「ヒト」の移動について、少し範囲を広げて読み直すことにした。

 あれ、「熊本」と「移民」で国会図書館の論文検索をかけると、蘭先生のお名前が。主な著作は読んでいたが、かつて熊本大学にいらっしゃったことには気づかなかった。「黒髪」といえば、竜神橋を越えて、向かい側である。私の自宅は白川のほとり。熊本大学から徒歩5分。運命的な出会いを感じながらも、ここで自分が何をできるのか考える。偶然ではあるまい。やはり「縁」があったのだ。

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□2008年4月14日(水)  2008年度大澤ゼミ



学園大百景 其の二 入園式を終えた息子と図書館

 熊本学園大学大澤ゼミ第1期生と対面。もとより学科が少数精鋭なだけに、少人数でゼミが開けるのは何よりである。海のものとも、山のものともわからない新任教員のゼミを選択したゼミ生の勇気と挑戦心にまずは拍手。

 昨年、母校で担当したゼミは少人数だったが、本当に楽しかった。最後にある学生さんが「大澤先生のゼミに参加して、中国のことを面白いと思いました。もっと勉強しなきゃいけないと本当に思いました。」とポツリと言ってくれた一言は、学部教育における「中国」という課題を考えるうえで、私にとって自信を与えてくれるものとなった。北京でも学生と楽しい時間を過ごした。

 いろいろとやりたいことはあるが、学生さんたちとじっくり話し合いながら、楽しい時間を過ごしたいと思う。

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□2008年4月13日(日)  こむらさき

 テレビで特集していた熊本ラーメンというものを食べるため上通りへ。昨年秋、学会で福岡に行った時、屋台を含め3〜4軒でとんこつラーメンを食したが、東京生まれの私にとっては、味に深みというか、しっかり感のある熊本ラーメンのほうが好みである。

 とりあえずアーケードを散歩するたびに見かけていた「こむらさき」を訪れてみた。焦がしニンニクも含め、過不足なく、純粋に「熊本ラーメン」を楽しめる味だと思った。息子も気に入ったようだ。少しずついろいろなお店を開拓できればと思う。

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□2008年4月9日(水)  講義初日



学園大百景 其の一 弁当と本棚

 私にとっての講義初日。東洋史概論(中国近代史・東アジア史)は、一般教養科目でもあり、専門科目でもあるので、講義水準の設定が難しいうえに、受講者も300名を軽く越える。初日となる今日は講義ガイダンス。宮崎滔天と日中関係について触れた。学園大のある大江には、徳富蘇峰の大江義塾がある。滔天が学んだ私塾だ。

 午後は教授会。慌しい日々が始まった。

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□2008年4月7日(月)  書籍搬入

 午前は研究室にて講義準備。午後は研究室への書籍搬入。さすがに書籍入りのダンボール60箱は赤帽さんもきつかったようだ(まだまだ少ないが)。とりあえず研究室の体裁が整う。本の引越は本当に大変である。

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□2008年4月5日(土)  東京出張

 来熊して2週間。早速の東京出張。熊本の雰囲気のおかげだろうか、東京にいたときより饒舌になったような気がする。「水が合う」とはこのことだろうか。東京に「帰る」という感覚はすでになく、「出かける」という感覚になっている(もちろん、家族がいるからであり、「全学一家」だからである)。思いのほか、適応能力は高いようだ。

 今日は朝から論文検討会。8本の論文について、それぞれ報告20分、質疑応答20分というハードスケジュールである。ましてや、テーマを設定しての出版著作の研究会議。それぞれ議論に絡めるだけの学術的背景を備えているため、いや応なしに盛りあがる。無論、議論は白熱。あしかけ8時間の長丁場となったが、充実したひとときとなった。

 飲みながら加藤先生のご指導を賜る。憧れの「ヒト」の前では「ヒト」は従順である。歴史家として「語る」ことの難しさを学ばせて頂いた。日々是精進。

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□2008年4月3日(木)  入学式と歓迎会

 今日は大学の入学式。大学に隣接する県立劇場へ向かう。新入生約1600名。桜がほころぶなか、天気にも恵まれた。月並みな言葉だが、私にとってもまさに「入学式」であった。

 午後は研究室で授業準備。合間を見て、メールアカウントや科研費番号の申請手続きをする。わからないことは「新入」のうちにつぶすことが肝要だと思う。とくかく皆さん優しく、恐縮していしまうぐらいに丁寧に教えてくださる。

 夕方は全学の新任教職員歓迎パーティーに参加。桜咲く夕暮れの熊本城を眺めながら、散歩がてら会場に向かう。熊本(西日本地域?)の飲み会は、お酒が入ってからテンションがあがるまでの時間が極めて短く、いきなりフルスロットルで歓談が始まるので、見ていて気持ち良い。

 周りの環境が変わるたびに書いているような気がするが、とにかく楽しくお酒が飲めることが「良い仕事をする」ための重要な基盤だと思う。

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□2008年4月2日(水)  右も左も...

 午前中は会議。午後は授業準備。出張の旅券を手配する。

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□2008年4月1日(火)  初日

 熊本学園大学初日。辞令を頂き、気持ちも高ぶる。今日は在校生の登校日になっているため、キャンパスに学生さんたちが溢れる。桜は8分咲きぐらいだろうか。このなかには、来週から私の講義を受講する学生さんもいるのだろう。

 他の人より8年間長く大学で勉強した蓄積がどこまで学生さんたちの将来に役立つのかわからないが、人生にはいろいろな可能性があることを知ってもらいたいと思う。いくつかの新任教員オリエンテーションを終えて、早速の会議。様々なご助言も数多くいただき、肝に銘ずる。

 今日嬉しかったこと。たくさんの学生さんが演習の履修を希望してくれた。知らない先生を卒論指導に選ぶのは「挑戦」である。グローバルな時代、環境の変化は人生につきものである。通算20年以上も海外で暮らした亡き父を想うと、最後に必要なのは「人間力」なのだと思う。何より人生を楽しんで欲しい。

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