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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)

 


研 究 日 記
(2008年2月)


□2008年2月26日(火)  最後の「中国通」

 戦後日本の対中外交に携わられた元外交官岡田晃先生にインタヴュー。私が研究対象としている1950年代後半にアジア局中国課長を務められた先生は、まさに戦後初期日本の対中外交の生き証人といえる存在である。御歳90歳。戦前東亜同文書院で徹底的に中国語を学ばれた先生は、最後の「中国通」ともいえる迫力をもってインタヴューに応じてくださった。

 とりまとめ最中のため、詳細は紹介できないが、今回は先生の生い立ちから1950年代末までのお話を伺った。個人的に興味深かったのは、新中国の対日外交実務を掌握していた廖承志氏と先生との関係。当然、オフレコの部分も多いのだが、いわゆる「裏面史」を知ることで、考察の幅と深さが格段に増すことを改めて思い知らされた。オーラルの醍醐味である。

 今回は私以外にも4名の研究仲間にご同行いただいたが、それぞれに貴重な衝撃を受けたようだ。きっと今後の研究に活かされるに違いない。

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□2008年2月25日(月)  動物大戦争

 最近研究関係の日記が少なくて恐縮だが、もちろん日々研究は進めている。最近は「一個不殺」に興味がある。

 ところで引越である。ネットの「口コミ」などを検索すると、どこの引越業者さんも似たり寄ったりである。「嫌な思い」をした人ほどネットに書き込みたがるのか、ネット情報だけでイメージを作ろうとすると、引越しをお願いするのが怖くなるほどである。とはいえ、私自身「営業」には思い入れがあるだけに、もちろん「あいみつ」で、可能な限り経済的に引っ越すべく、いろいろ戦略を練った。

 面白かったのが、営業さんのトーク。「鳩と黒猫とドラえもんと蟻が絡んでいますが、パンダは落ちました」とか、「黒猫は長距離は...」とか、「あひるは...」とか、「象は何て言っています?」とか。「最終的にはアヒルとの戦いですね」ともなると、まさに動物大戦争である。アヒルと鳩の戦いは結局どちらに軍配をあげるべきか...。

 それにしても営業さんの力量というのばらつきがあるものだ。決して、戦略的な営業トークが心象を良くするとは限らない。個人的には「心配り」ができ、自分の意見をきちんと言える人がやはり好感が持てた。特に決め手となったのは、極めて大量の本をすべて数えてダンボール数の目安を提示してくれた営業さん。文系の研究者は本こそが命であるだけに、2度も本の概数を自分で数えてくれた営業さんは、ずばぬけて心象が良かった。

 もっとも、当日来る搬送は別の方だけに、心配は尽きないが、少なくとも「政策決定」した時点では「最善」であったという確信は持っておきたいものである。

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□2008年2月21日(木)  再び同窓会

 同窓会とは言っても、丸の内で台湾時代の男友達3人でランチを囲むという趣向。いずれも男34歳妻子持ち。

 一人は超メガバンク本社勤務の3人のお子さんを持つお父さん。もう一人は某東大の医学系研究室の助教で、二児のお父さん。そして、私。二人は誰もが羨む人生の成功者だが、決してギラギラせず、肩の力を自然に抜きながら、良い仕事と良い家庭をバランス良く両立させようとしている素晴らしい同学である。本当に素敵な男に成長したなぁ...。他方、私はどうだろう。見習おうと思う。

 その後は三田へ。塾長先生の公印が押された「辞退届」を受領。後は郵送するだけである。後は引越しの手配か...。

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□2008年2月20日(水)  熊本日記 その3

 熊本から東京へ。羽田からそのまま四谷の上智大学に向かう。埼玉時代にお世話になった先生の下へご挨拶にうかがった。もちろん、お土産は熊本直送「辛子れんこん」である。入試シーズンということもあるが、相変わらずお忙しそうだ。

 四ッ谷駅近くのイタリア料理店にてランチをいただく。可愛らしいお店で、大変繁盛しており、焼きたてのパンとしっかりとした肉料理、そして少しの白ワインを堪能しながら昔話に花が咲いた。

 先生曰く「社会人から大学に戻ってきて、大学教員にそう簡単になれるものじゃないと思っていた」。編入した学部2年、修士2年、博士4年、ポスドク2年の合計10年。まぁ、社会人だった2年間と編入した学部の2年間は他の若手研究者に比べて少し遠回りとなったが、結果的にその経験が大事だったように思う。

 「他の学生とは真剣さが違った。『もう後がない』という迫力があった」と言われたが、やはり力が入っているように見えたのだろうか。研究生活は楽しいことばかりで、先生がおっしゃるほど、「精進」していたわけではなかった。もっとも、これからは健康にさらに留意しながら、じっくりと短期的なものだけでなく、長期的なものも見据えて精進したい。

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□2008年2月19日(火)  熊本日記 その2

 今日は朝からお部屋探し。どれも素晴らしい物件ばかりである。結局、静かな住環境を最優先して、「渡鹿」という場所に決める。白河沿いで、阿蘇の噴煙が綺麗に見える素敵なところである。

 午後は大学構内を散歩しながら、いろいろな先生方にご挨拶。大学の様子や学生さんのことなど、いろいろと伺う。また、これまで中国地域研究をご担当されてきた先生にも運良くお会いすることもでき、史料や書籍など、お譲りくださるという光栄に浴することができた。

 夕食は宿泊先の向かいにあった「菅乃屋」さんで馬刺しのコースを食べる。カウンターで職人さんと会話を楽しみながら、お勧めの焼酎を堪能させていただく。東京などからお客さんを迎えた時には、目新しさよりも、やはり安心感のある、トータルバランスの取れたお店にお連れするのがいいだろう。

 昨日に続き「森以蔵」は惜しくも逃したが、「天使の誘惑」という40度の焼酎は、すっきりした切れ味で、レバ刺しに良く合った。それにしても、一人でコース料理が楽しめるとは、随分と大人になったものだ。

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□2008年2月18日(月)  熊本日記 その1

 再び熊本へ。スムーズにいけば、ドア・トゥー・ドアで熊本市街まで4時間である。8年前、福生の実家からから筑波の某大学に行った時のほうが遠かったような気がする(TXが無い時代です)。

 今回の訪熊の目的はいくつかある。まずはご挨拶。次が家探し。そして、幼稚園など生活情報の収集。とにかく、引越しの日程を決めるためにも、部屋は確実に確保しなければならない。

 11時すぎ目的地に到着。まずは簡単なご挨拶を終え、家探しへ。人事課が手配してくださった不動産屋さんが候補物件を用意してくださっていた。いくつか目星をつけ、車に乗り込む。そもそも自分で家を探すというのが初めてなので、何もかも新鮮である。

 大学付近のマンション相場は、現在住んでいる世田谷通り沿いに比べ、ほぼ半分ぐらいである。つまり、だいたい70uの3LDKで8万ぐらい。住まいというものは贅沢をいえばキリがないのだろうが、逆に貧乏性の私としては、あまり立派なのも落ち着かない。とはいえ、せっかくの機会なので、とにかく大学に近く、静かなところにしようと方針を立てた。

 最終決定は明日に持ち越し。「物件を見れば見るほど悩む」というが、まさにその通り。夜は学部長先生と学科長先生が歓迎の一席を設けてくださった。いろいろな焼酎を堪能させていただく。もうビールは卒業になりそうだ。

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□2008年2月12日(金)  講義準備

 本格的な講義準備を始める。最重点科目は「中国近代史」「中国現代史」「国際社会と日本T」「国際社会と日本U」である。まずは春学期に早速始まる「中国近代史」と「国際社会と日本T」の準備に着手。改めて昔の講義ノートを読み始めたら面白くなってきてしまい、調べものが止まらなくなってきた。

 できるだけ面白く話したいとも思うが、多少は「難しい」内容も取り入れたい。悩ましいところだが、特に導入に近い「伝統的中国社会像」や「近代における中国認識」などのレジュメを作り始めると、どんどん細かくなってしまう。むろん、作っている本人は楽しいのだが、果たして学生さんはどうだろうか。確か学部2年生が対象だったよな...。とはいえ、このような作業を通じて、より幅広く専門を深めていけるのだろう。

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□2008年2月8日(金)  健康診断書

 健康診断書の提出が必要なため、近くの診療所へ。体調はすこぶる良好だが、なんだかんだ言っても34歳。良い仕事をするためには、万全な体調管理が必要だろう。もちろん、無事「健康」のお墨付きを頂いた。

 いまさらながら「周恩来」関連の専論を集中的に読み始める。さて、どうやって「周恩来寄り」の結論をまとめようか...。

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□2008年2月7日(木)  周恩来に関する論文

 正月明け、南開大学に留学している院ゼミの後輩から「周恩来に関する報告ができる人を探しています」と打診があった。そういえば今年は2008年である。ご存知の方も多いと思うが、過去2度にわたって南開大学は周恩来の生誕90周年(1988年)と生誕100周年(1998年)を記念して、大規模な国際会議を行ってきた。そして、そこでの報告はいずれも『中外学者論周恩来』や『中外学者再論周恩来』などとして出版されている。

 日本にあまり周恩来を専門に研究する学者がいないこともあるのかもしれないが、最近「周恩来」を論題にいれた論稿を発表していることもあり、私に声がかかったようだ。とはいえ、投稿の締め切りがかなりタイトである。すでに公表した論稿を大幅に改変して提出する方法もあるが、やはり会議が会議なだけに、できれば質の高いものを出したい。もちろん、「周恩来礼賛」の終始するのは癪である(まぁ、下手をするとフロアから集中砲火にさらされるリスクはあるが)。

 引越の準備や講義の準備などがあるなかで、どこまでできるかはさだかでないが、じっくり研究だけに取り組んでいればいい「季節」(「季節」と書いて「とき」と読む)はもう終わるのかしら、と少しセンチな気持ちになった。

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□2008年2月6日(水)  大掃除とプレゼント

 「研究室の大掃除をしたら学術雑誌のバックナンバーが大量に出てきました。大澤さんいりますか?」と友人からの嬉しいお誘い。「もちろん」と二つ返事をしておいたのだが、早速自宅に送ってくれた。ちょうど買い集めていた雑誌だったので、本当に嬉しいプレゼントとなった。研究室の本棚もにぎやかになりそうだ。

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□2008年2月4日(月)  『日本・中共交流年誌』

 どうしても手許に置いておきたかった『日本・中共交流年誌』(1945年〜1972年全冊揃)を購入する。なかなか注文する勇気がなかったのだが、公費が確実に使える本年度に購入することを決定。資料購入について、だんだん悩んでいる暇もなくなってきた。

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□2008年2月3日(日)  雪と馬刺し

 降り積もる雪。例年喜多見氷川神社の節分には欠かさず行っているのだが、息子が風邪気味なこともあって今年は断念。昨日、お嫁さんがご両親に「節分見に来る?」と電話を入れておいたのだが、まさかここまで雪が降り積もれば、いらっしゃらないだろうと思っていた。

 ところがどっこいお二人とも北陸生まれの北陸育ち。こんな雪など屁でもないようで、元気一杯遊びに来てくださった(実は今日は下北沢のライブハウスで午後嫁さんの弟のライブがあり、それを見に行くという予定もあった)。もちろん息子は大喜び。朝5時に起きてハイテンション。私も嬉しくなって、馬刺しやらお寿司やら買い込んできた。

 「熊本」の馬刺しは好評だったようで、あっという間に売り切れた。赴任先からのお歳暮やお中元は決定である。

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□2008年2月2日(土)  現代中国研究拠点シンポジウム

 今日は朝から早稲田で開催された現代中国拠点シンポジウム「現代中国研究――現段階と展望」に参加。入試と関係しているのかは不明だが、なぜか研究会や国際シンポジウムが多い。仕事は立て込んでいるが、少しだけ関係させていただいているので、時間が許す限り参加する。

 個人的に興味深かったのは、京都大学の石川先生の報告「近現代史研究と現代中国政治」。張国Zと毛沢東の路線対立を象徴する事件であった「西路軍事件」の歴史評価が、「党史」という枠組みのなかで、どのように変容してきたのか、あるいはしていないのかという事例の紹介を通じて、新たな研究の視角を提起された。スマートなご報告だったと思う。

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□2008年2月1日(金)  『2015年の中国』




 2004年春以来お手伝いしてきた清華大学との共同研究プロジェクト。中国側の先生方の論文をいくつか翻訳させていただく機会があったのだが、このたびその共同研究の成果が野村総合研究所より出版された。その名も、野村総合研究所此本臣吾編著『2015年の中国――胡錦濤政権は何を目指すのか』(東洋経済新報社、2008年2月)。

 最も特筆すべきは、いわゆる「和諧社会」の実現という政策が、決して単なる「スローガン」ではなく、個別具体的かつ体系的な政策実施プログラムの総体として描かれている点であろうか。これは本書が中国の最高政策決定に強く関与している清華大学との共同研究の成果であることの何よりの証であり、現代中国の政策立案能力の深さと幅を考えるうえで、極めて示唆的なものといえよう。

 学術書ではないため、文章も平易であり、学部の現代中国事情の講義などで利用するのも良いのではないだろうか。もっとも個人的には「研究」と「企業」との関係などについて、いろいろ考えされるものでもあった。

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