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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2007年12月)


□2007年12月21日(金)  本年度の講義終了

 わずか週1日、3コマだが、本年度の講義が終了した。語学、基礎演習とも少し優しくしすぎたかなと反省しながら、1年間を振り返る。ともかく、いい学生さんたちに恵まれ、大きな問題はなくクロージングすることができたと思う。

 来年度に向けての要検討事項は次の通り。まず、語学の最初に毎回行ってきた小テスト。「出席の確認」という点を強調しすぎたせいか、学生さんの取り組み姿勢にかなりバラつきがあった。来年度は「成績にも反映する」とはっきり確認したうえで、粛々とこなす必要があると思う。

 また、基礎が終了している2年生はともかく、1年生については、後期の発音練習を少しおろそかにしてしまったのではないかと反省する。前期、かなりしつこく発音練習をしたのだが、後期は定着の確認が十分でなかったように思う。ある程度のスピードをもって講義を進めようと思うと、しかたのないところもあるが、反省としたい。

 基礎演習は、楽しかった反面、自分の勉強不足を痛感させられる1年間となった。基礎演習であるため、日中関係全般を扱ってみたが、やはり論点が拡散しすぎた感があった。後期は、履修者がそれぞれテーマを設定して、理解を深めていく形式をとったが、個人差も若干でたようだ。まぁ、興味の度合いもそれぞれなので、それはそれで良いのかも知れないが...。

 ともかく、基礎演習は初年度は少人数での開講となったが、来年度はじっくり応募期間を設けたいと思う。「先生、僕の周りにもこのゼミを受けようと思った学生が3名ほどいました。でも、応募締め切りが早すぎて、応募しようと思ったときにはもう終わっていたそうです」。中国への興味が高まる2008年、受講希望者が増えてくれることを祈る。

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□2007年12月19日(水)  試験づくり

 午前は中国語の学年末試験を作る。前期試験が簡単すぎたため(とはいっても、平均点はいずれも75点前後なので、とりたてて出来が良かったわけではない)、今度はもう少し時間がかかりそうな質と量にする。後期は自作の練習問題プリントも随分と配布した。

 今年は授業の最初に毎回10問のヒアリングテストを実施してきた。前週のテキストの単語と本文をざっと確認すればできるはずのレベルであるが、点数が「行進」をしているような学生さんもちらほらいる一方で、すべて満点という学生さんもいる。

 「やる気」とか、「姿勢」とかおこがましいことはもちろん言わない。でも、おそらく社会に出る時や出た後で一番大切なのは日常生活の中で淡々と「帳尻を合わせていく」ことなのかなとも最近考えている。テストは前日に準備すればできる。その意味で、すべて満点だった彼女は、本当にすごいと思う。

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□2007年12月18日(火)  いずれも佳境か...。

 正月明けが締め切りの論文執筆も佳境に入る。ようやく書き上がりが見えてきた。午前中は父の治療のための再入院に付き添う。随分痩せたものだ。

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□2007年12月16日(日)  曾祖母

 思いのほか天気が良かったので、浦和に住む祖母に会いに行く。息子にとっては曾祖母にあたる。今年で満92歳。息子が生まれてすぐの時に行ったっきりになっていたので、気分が良いのに任せて勢いで車を飛ばす。

 久し振りだったが、相変わらず元気なようだ。歯もほとんど自分のものが残っており、何でも良く食べる。人間にとって食べることが何よりも大事だと痛感。

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□2007年12月14日(金)  師走

 本年度の大学での講義も残すところ来週のみ。語学は復習問題、基礎演習は総括を残すのみとなった。しばらく研究に集中できるかしら...。

 息子が満3歳になる。ご近所の方々からプレゼントを頂く。誰にでも話しかける陽気な性格が功を奏しているのか、年上に可愛がられるタイプのようだ。

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□2007年12月12日(水)  インタヴュー




 日中友好会館にて元中国駐日大使の楊振亜先生とその奥様韓秋芳女史に単独インタヴューを行う。楊先生が天皇訪中の際に駐日大使をされていたことは周知であろう。

 1950年代を中心に研究する私としては、1954年10月の第一次李徳全訪日ミッションに若き日の楊先生が代表団員として参加されたお話などがやはり興味深かった。廖承志や趙安博を中心とする建国初期中国の対日政策機関の内部の雰囲気などは、やはり直接お話を聞かないとわからないところが多い。1950年代の日中関係を身近に感じることができた4時間であった。

 また、まったくの偶然だが、ケ小平来日時に通訳も務められ、新幹線に乗車したケ小平の横で写真に写っていらっしゃった楊先生の奥様、すなわち韓秋芳女史が、1953年3月に再開された在華日本人の後期集団引揚の際、上海の日本人居留民の帰国支援業務の現場で働かれていたことがお話の途中で判明。1950年代半ば、天津、上海、そして秦皇島から日本人帰国船が計21次出港したが、現場の雰囲気をリアルにおうかがいすることができ、これまた収穫の多い時間となった。

 「若いんだから全部食べなさい!」と、中華料理をたらふくご馳走になり、恐縮しつつも楽しい時間となった。

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□2007年12月8日(土)  日中関係発展研究センター国際シンポジウム

 午前中は論文執筆。午後は中央大学の日中関係発展研究センター主催の国際シンポジウム「近隣から見た日本」参加のため日中友好会館へ。4時間にわたる9名の報告。色々な意味で、色々と考えさえられる時間となった。多くは語るまい。

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□2007年12月4日(火)  演習での報告

 国分先生の院ゼミにて報告。一次史料でガチガチに固める論文なので、多少問題設定で冒険してみたのだが、やはり限界があるようだ。やはり自分の土俵で相撲をとるほうが良いようだ。感触は良かったと思う。初稿は完成していたが、有る程度の書き直しが必要であることが確認できた。寄稿を辞退させていただいて良かったと安心。もう少し練ってから直球勝負することにしよう。さて、投稿先をどうするか。

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□2007年12月3日(月)  査読

 某公立大学紀要の論文査読を依頼される。専門に近い内容なので特に問題はないのだが、それにしても「読む側」にまわるとは...。光栄である。

 似たようなテーマを研究している西の方の院生のブログに「学振(PD)に内定した」とあった。分野や方法論こそ違うけれど、それだけ注目されているテーマということであろう。なんとも嬉しいものである。

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□2007年12月2日(日)  仮面ライダー「電王」




 近くのスーパーで仮面ライダー「電王」ショーがあるとのこと。息子はどちらかというとゲキレンジャーの方が好きなようだが、とりあえず家族揃って出かける。

 さすが全国区のヒーローだけあって、会場は大変な人混み。時間ギリギリに着いたので、息子を肩車して見ることに。すでに15キロを超えたので、肩がつりそうになる。お決まりの「みんなで電王を呼んでみよ〜」というMCお姉さんの掛け声に応えて子供たちが絶叫。

 帰りがけに「電王」のソフビ人形を買ってやる。すこぶるご満悦。「研究日記」なのに最近家族ネタが多いな...。

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