トップログイン




大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2007年11月)


□2007年11月30日(金)  初稿脱稿

 なんとか脱稿するも、もう少し練りたい。

コメントトップ



□2007年11月21日(水)  中国土産




 終日論文執筆。月末の完成が見えてきたが、それでもギリギリである。

 上の写真は友人の奥様が買い求めてくださった中国土産。中国研究者で息子がいれば、一度はこれをはかせたいと思うのではなかろうか。念願が叶いました。呉さん、ありがとう!

コメントトップ



□2007年11月18日(日)  箱根会議

 なんとかレジュメを作り終えロマンスカーに飛び乗る。箱根湯本のコンビニでレジュメをコピーして残り10分。あじさい橋の上で「鰻わっぱご飯」をかっ込む。強風のため錦糸卵が吹き飛ぶ。なんとか集合時間3分前に箱根湯本富士屋ホテルに飛び込めた。とはいえ、今回は中国からの先生も多い。案の定の「中国時間」で安心する。

 今回の報告者は8名。早稲田の劉傑先生、中国社会科学院日本研究所の呉万虹先生、北京大学の帰泳涛先生、上海東華大学の陳租恩先生、加藤聖文先生、王雪萍先生、川島真先生、そして私。今回のテーマは「終戦とその後の日中間の人の移動」。残留日本人問題あり、方法論あり、上海日本人居留民あり、引揚者の記憶の諸相あり、留学生あり、「人の移動」研究も様々である。

 私にとっては新しいタイプの仕事でもある。編者の先生方の問題意識が極めて明確なこともあり、論文の書き方もおのずと異なってくる。まさに勉強である。何を通底させるかを多分に意識しなければならない。「人の移動」というものは、その空間(あるいは空間と空間の関係性)の特性を如実に表す。その意味で「帝国」後における「日本の形」を考えるうえで、不可欠な論点といえよう。ようやくこれまでの「カット・サラミ」のような事例研究が広がりを持ち始めた感じである。

 ひとつひとつしっかりと仕込まれた料理に舌鼓を打ち、広々とした露天につかり、計7時間に及ぶ真剣な討議に多くの研究のヒントを頂き、研究合宿の醍醐味ここにありという感じであった。笹川平和財団の皆さんやお誘いくださった先生方にただただ感謝。

コメントトップ



□2007年11月17日(土)  報告準備

 前回熱海で合宿があった研究プロジェクト。まだ先かと思っていたら、もう明日である。別の原稿執筆に追われていたこともあり、「心の中では研究が著しく進展」していたが、形にはなっていなかった。

 とにかく、気合を入れてこれまで調査・収集してきた档案すべてにようやく目を通し終わる(目を通すといっても、自分用の史料集を作る翻訳も含めた作業となる。私の研究活動の大部分はこのルーティーンワークに当てられている)。

 夜9時過ぎ、ようやくレジュメ作りにとりかかる。日中両国の外交文書をあわせて体系的に読み込んでいくと、改めてこれまで見えてこなかったものが見えてきた。振り返ってみれば、博士論文では、事実の確定はともかく、事実の評価という点において、自分自身不満な点が残った。

 とにかく大切な機会である。丁寧な仕事ができればと思う。

コメントトップ



□2007年11月14日(木)  超速宅急便

 先延ばしにしていた事務作業。気が付けば明日が締め切り。何とか朝一番で書類は仕上げたが、いざネットで検索してみるとどんなに急いでも到着は明後日になりそう。仕方がないので自宅近くの「黒猫大和」さんの事業所へ駆け込む。

 私:何か方法はありますか?
 従:ちょっと待ってください。調べてみましょう。
 私:やっぱり無理ですよね。海を渡って今日の明日では。
 従:明日の午前中大丈夫ですね。
 私:うそ!
 従:いや、ばっちりです。「超速宅急便」で800円増しですが。
 私:お〜。

 当たるも八卦、当たらぬも八卦。「不戦敗は避けるように」との助言も頂いた。無論「不戦勝」はないだろう...。やはりオリンピックで金メダルを獲るぐらいの意気込みが必要か。

コメントトップ



□2007年11月11日(日)  再び多摩川戦隊コマレンジャー




 お昼前には雨も止んだ。今日は楽しみにしていた狛江市民祭りの日である。夫婦二人だけのときもそれなりに市内のイベントは楽しんでいたが、息子が人格を持ち始めてからは、その楽しみ方も広がった。彼の最近の楽しみは「戦隊ものごっこ」のようである。ひまがあれば「ゲキレンジャー!」「ゲキ・レッド!」と叫んでポーズをきめている。カエルの子はカエルか。

 夕方は研究会のため本郷へ。研究会「三人小組」のうち2人が欠ける形となったが、議論は白熱し、いい研究会であった。地域研究者(深くやっている人)と国際政治研究者の交流の必要性を改めて痛感。この研究会の存在意義を改めて強く感じた。締めはもちろん「あかかぶ」で。珍しく泡盛のロックを楽しむ。

コメントトップ



□2007年11月10日(土)  ホームパーティー

 欧米人ではないが、弟がお嫁さんと息子を連れて我が家を訪問。豪勢にも、北海道(お嫁さんの実家は旭川である)から毛蟹を我が家に送ったので、ホームパーティーをしようや、ということであった。

 いつもであればおおよそ全て私が料理から掃除まで準備をするのだが、今回は買い物から料理まで全て我がお嫁様に任せることにした。精神衛生上良くないのだが、仕事が立て込んでいることもあり、仕方ない。

 もっとも、調理師免許も持っているし、洋菓子店でパティシェ修行もしたことあるし、いま現在も全国展開している料理教室で企画・営業・運営・現場手伝いまでやっている経歴の持ち主なのだから、何とかしてくれなければ困る。

 今回の主菜はもちろん蟹さんだが、お嫁様が作った和風スペアリブや香草控えめ生春巻きなど、大変評判が良く、1歳3ヶ月の甥っ子(息子の従弟にあたる)が骨付きスペアリブにむしゃぶりついている姿は、その美味しさの偽りのない証といえよう。

 次も全部任せよう。楽である。

コメントトップ



□2007年11月9日(金)  基礎演習

 手堅くまとめてくる学生や大きな難問にチャレンジする学生、あるいは自分の問題意識をあぶりだそうとする学生。少人数だからこそ可能なことがある。比べることなく、それぞれが問題意識を醸成させ、仲間に刺激を与えていく。ようやくゼミらしい形になり始めた感のある基礎演習である。学生の皆さんに感謝。

 張歴歴氏の『外交決策』(世界知識出版社、2007年6月)を読む。建国初期中国の対日政策決定過程に研究の照準を合わせている私としては、勉強になるところが多かった。たとえば、中国の対外政策決定を人体に例えて「神経抹消触動型(ボトムアッ型)」、「神経中枢刺激型(ダイレクトキャッチ対応モデル?)」、「最高決策層発動型(トップダウン型)」に分けて論じているのは、面白かった。これを踏まえると私が現在、政策決定モデルを構築すべく実証研究を加えている某事例は、「神経抹消触動型」と「最高決策層発動型」の二つが衝突した事例となろうか。

 もっとも多少気になる点もあった。例えば105頁にある「国際活動指導委員会」に関する記述だが、本書では「新中国成立後、従来の中共中央外事組は廃止されたが、各方面の対外活動を強調させるため、国際活動指導員会が設立された(1950年から1958年まで)」となっている。

 だが、『中国共産党組織史資料』(第5巻)や台湾発行の楊勝春氏の『中国最高領導班子的左右手』(永業出版社、2000年)などを見ても、同委員会は1953年春に設立された「民間外交」(人民団体を通じた外交)を統括した中共中央の機関とあり、また『王稼祥選集』(人民出版社、1989年)424頁を見ても、外事組に代わるほど中核的な存在であったいうのは難しいのではないかと思う。

 いずれにせよ、政策決定に関する諸論にも丁寧に目を通して、しっかりとした原稿を仕上げたいと思う。

コメントトップ



□2007年11月7日(水)  档案整理

 終日档案の読み込み。片手間にネットを泳いでいると、似たような研究テーマに取り組んでいる院生が学振(PD)にまた落ちたとブログに書き込みしていた。DCはともかく、PDはますます採用率が下がっているようである。今年はまだ採用内定(面接免除)になったという人の話を身近では聞いていない。

 中央大学法学部で担当している基礎演習の来年度の演習要項を提出する。本年度は初めての演習ということもあり戸惑うところも多かったが、優秀かつ責任感の強い4名のゼミ生に支えられ、何とか形になってきている。

 「打てば確実に響く」中央大学法学部の学生さんたちに期待を寄せ、来年度は直球勝負の演習テーマを設定しようと思っている。ずばり「なぜ中華人民共和国は日本人戦犯を処刑しなかったのか――『和解』の法政治学」。政治学科の学生さんだけでなく、国際法や国際関係論にも興味がある法律学科の学生さんも取り込むべく、また私自身の「挑戦」も反映させて、プログラムを組んでみた。

 私だって多少は「平和学」的な志向を持っているのである。

コメントトップ



□2007年11月6日(火)  日中間における相互理解の難しさ

 院ゼミ参加のため三田へ。春日神社でおみくじ。再び女難の兆しありと出る。たいへん気になる。その後、大手町にて企業関係者と研究ミーティング。日中双方の主張と態度はいずれも明確であるため、その間に立つ人間の苦労は困難である。いずれからも非難される。薩長同盟を成し遂げた坂本龍馬の苦労にふと思いを馳せる。

コメントトップ



□2007年11月5日(月)  再び「中共情報」

 再び外交史料館へ。とりあえず研究対象としている時期について読み終える。

コメントトップ



□2007年11月2日(金)  「中共情報」

 午前中、保育園での父母面談を終えた後、ふと『中共情報』が確認したくなったので外交史料館へ。それにしても便利になった。とにかくマイクロフィルムがその場でプリントアウトできるようになったのは、大変な進歩だろう。確かにリールを購入して、大学図書館のリーダーでプリントアウトすれば「マイクロ代+1枚10円×枚数」で済むのだが、外交史料館で内容を確認した後に購入して、郵送で現物が届いた後にそれを再び確認してプリントアウトするのは二度手間である(もちろん、中身を見ずに買えば良いのだが、そんな無駄もできない)。たとえ1枚40円でも、その場で、その日のうちに手に入れられるのは、精神衛生上大変良い。ましてや中国外交部の1枚120円に比べれば...。

コメントトップ



□2007年11月1日(木)  档案分析

 終日档案分析。幸せな時間。やはりじっくり読み込むのにはどうしても時間が必要である。友人が執筆した中国外交部档案館紹介の原稿を読み直す。共有できる情報は、共有すべき。日本の中国研究が生き残ってくためには、持ち前の詳細な実証分析をさらに「組織化して」進めていくことが必要だ。専任になって科研費が獲れれば、もっとシステマチックに史料の調査・収集を仲間と共に進められるのに...。しばし悶々とする。

コメントトップ


Copyright(C)1995- OSAWA Takeshi. All Rights Reserved.
(ポップアップ・メールのアドレスは@が#に変更してあります)