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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2007年9月)


□2007年9月29日(土)  パンダ外交

 このページを訪れる方にナイの「ソフト・パワー」論について改めて説明する必要はないだろう。北京にも「アキバ」ビルは存在する。

 中国のソフトパワーとは何か。社会主義イデオロギー?もとより彼らは革命輸出には思いのほか自制的だ。文化外交。儒教思想。故宮文物。そしてパンダ。

 ある本を手にする。出版されたばかりの金子将史・北野充編著『パブリック・ディプロマシー』(PHP研究所、2007年10月10日)。どこかで耳にしたような研究テーマだが、平易な文章で、一般の読者にもわかり易く「文化浸透」の諸側面が解説されている。

 脚注の振り方から、学術書とするのには若干の躊躇があるが、第5章「中国の対米パブリック・ディプロマシー」では、中国の「熊猫外交」が時系列を追って紹介されており、それなりに読める内容となっている。そうか、パンダ外交は則天武后の時代からあったのか。それも天武天皇へのプレゼントだったとは。

 分量は少なめだが、戦前の対米パンダ外交もカバーしており、ある意味でこのテーマに「つばをつけた」という意味合いはあろう。努々(ゆめゆめ)油断なさるな、という自分への戒め。

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□2007年9月24日(月)  改めて熱海




 今月はすでに2度ほど熱海を訪れているが、勢いで家族と一緒に熱海の温泉へ一泊旅行へ。ロマンスカーに乗れるということあって息子は二、三日前から興奮状態。「あと何回寝たらロマンスカー?あと何回寝たら大きなお風呂?」と部屋中を行ったり来たり。家族旅行は初めてである。

 帰ってきてからばたばたするのは嫌なので、出発前の時間で書評原稿を書く。構想3ヶ月、執筆3時間。書き上げてしまえば、こっちのものである。とにかく評価が難しい本だけに、書き方には慎重を期した。おそらくこれがギリギリの線だろう。

 熱海といえば、「貫一とお宮」。現物を前に息子が「蹴っ飛ばすのはいやだよ〜」と言うので、「違うよお兄さんが『足の裏にご飯粒ついてるっ?』って聞いていて、お姉さんが『付いてないよ、オッケー〜!』って言っているんだよ」と解説すると 、妙に納得したようで、「ちゃんと取れてるかなぁ?」と足の裏をしきりに覗き込んでいた。

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□2007年9月21日(金)  再び熱海会議

 講義終了後、ロマンスカーに飛び乗って熱海へ。某財団支援による戦後日中関係プロジェクトの参加メンバーでのクローズドな研究会議に出席。報告時間25分、質疑応答20分前後という感じだが、参加メンバーが川島先生、劉先生、加藤先生、王先生など、おそろしく実証的な研究をしていらっしゃる先生ばかりなだけに、準備にも気が抜けない。

 報告は無事終了。档案を整理してようやく概要が見えてきたという感じの研究構想だが、まだまだ肉づけが必要である。自らの研究、さらには研究プロジェクト全体のなかでどのような位置づけの論文にするか、より明確にして構想を練る必要がある。締め切りは年明け正月の15日。結構タイト。

 夕食終了後、温泉を堪能するとさらに会議。というよりも浴衣姿での研究談義が止まらない。9時半から始まった研究談義はそんなにお酒が入った訳でもないのに(逆にお酒が入らなかったからどんどん頭が冴えていった?)、研究方法から現状分析、あるいは研究プロジェクトの将来構想にまで及び、気がつけば朝の4時。とにかく「濃い」一日であった。本当に貴重な経験である。

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□2007年9月19日(水)  研究プロジェクト

 もう秋である。嬉しいことに学内外の複数の研究プロジェクトからお誘いを頂き、興奮するのと同時に、強い責任を感じている今日この頃である。新たに中国研究拠点のひとつとなった慶應義塾大学東アジア研究所の現代中国研究センターはもちろんのこと、中央大学の新規日中関係研究プロジェクト、グローバルな活動を展開する財団系の日中関係研究プロジェクトなど、いずれもエキサイティングなものとなりそうだ。

 科研費を使用した在外研究の報告として「中国外交部档案館の歩き方」を執筆。いずれ体系的な所蔵档案目録を含めた本格的な紹介文が出るだろうが、とりあえずネットでは「かゆい所に手が届く」ような感じのものを。ただ 、細かい情報なだけに、変更される点も多いと思うので、できれば最新の情報を逐次お教えいただければ幸いである。

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□2007年9月14日(金)  戦後日中関係における「ヒト」

 かねてから強く意識していたある財団の日中関係のプロジェクトにお誘いいただいた。「ヒト」の移動という問題について、一次資料を利用して実証的に取り組もうとする研究者も増えてきたが、ただ単に事実関係を整理するだけでは、今日的な学術的ニーズに応えることはできない。研究者の個性が求められよう。「大澤らしい」切り口で新たな問題設定をすることで 、合目的的な昨今の言説に対して何らかの問題提起ができればと考えている。

 いろいろと本が出ている。ここ半年で本棚を3本増やしたのだが、玄関には次から次へと新しい本が山積みになっていく。読み始めた本をメモ。

・牛軍『冷戦期中国外交の政策決定』(千倉書房、2007年)
・川島真編『中国の外交―自己認識と課題』(山川出版社、2007年)
・西村・田中編『現代中国地域研究の新たな視圏』(世界思想社、2007年)

 そして、寝しなに読んでいるのが、金鐘編(松田州二・訳)『人間★周恩来―紅朝宰相の真実』(原書房。2007年8月)。周恩来を再評価した「香港」系論稿を編集したものであるが、周恩来の「二重人格性」や「役者性」、あるいは「残忍性」、さらには女性遍歴などが紹介される。

 もとより革命家が「残忍」でなく、「二重人格」でなく、「役者」としての才能も持たず、女性にももてないようであれば、革命の成功はおぼつかないのではないかとも思うが...。いずれにせよ、「裏切り者」の一族を「見せしめ」的に粛清したとされる顧順章事件、あるいは「文革」の長期化を「能吏」としての周恩来の責任に帰する点など、限られた点に批判が集中しているのは、「ためにする批判」という印象を与えるのではないかとも思うが、いかがだろうか。

 ちなみに最近読んだ本で感激したのは、加藤陽子先生の『戦争を読む』(勁草書房、2007年)。北京での3週間、寝しなに何度も読み返した。書評斯くあるべき。小気味良さがたまらない。

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□2007年9月13日(木)  建国初期中国における「民主」

 現在執筆中の論文で、建国初期中国における「民主」について触れる部分がある。中国における「民主」そのもの自体が極めて大きなテーマだけに、どこまで先行研究などをカバーして「ひとこと」触れるか悩ましいところなのだが、今後の新たな研究テーマと関連させていく必要もあるため、できるだけ広く文献収集を始めようと思う。もっとも、政治思想史的なアプローチには能力的な限界があるので、政策決定における「民主」を考えてみようかと思っている。

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□2007年9月10日(木)  本を忘れる

 締め切りが迫っている書評の「元本(書評対象の本)」を飛行機の中に忘れたのに気づく。いろいろと書き込みがしてあっただけに惜しい気もするが、気持ちも新たにネットで古本を購入。全体の書評構想をメモしてから読み直すのもまた良いだろう。

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□2007年9月9日(日)  熱海会議

 帰国後、溜まっている事務仕事などを片付ける余裕もなく熱海へ。中国研究拠点のひとつとして始動した慶應義塾大学のプロジェクトの全体会議である。プロジェクトの詳細はHPに譲るが、私は「外交」班のメンバーに加えていただいている。

 これほどまで大規模な研究プロジェクトに参加させていただくのは初めてなので、自分のポジショニング(どのようにすれば全体の研究目標と「和諧」してより良く貢献できるのか)などあれこれと考える。全体会議を通じて、これまでの自分の研究内容にこだわらず、新たなテーマに挑戦する貴重なチャンスとしなければならないと改めて気づかされた。

 夜の宴会後、みんなでNHKスペシャルの「激流中国」を宿の部屋で見る。中国の地方当局による土地収用の強行とこれに対する住民の抵抗を描いたものだ。仕事で数多くの中国語論文を翻訳するなかで、土地収用をめぐる問題や物権法導入の意義などについて基本的な知識は持っていたが、やはり映像の持つ力を再確認。周囲の中国研究者の誰もが無言だったのが印象的だった。

 連れだって熱海の夜景と海が一望できる坂道の途中にある落ち着いた雰囲気のスナックへ。ほぼ貸切の状態。楽しい時間の最後に国分先生とご一緒させていただいた井上陽水・玉置浩二「夏の終わりのハーモニー」は熱海会議を締めくくるのに相応しい、落ち着いたハーモニーとなり、本当に素晴らしい夏の思い出となった。北京の疲れは温泉と楽しい時間のおかげてほぼ吹っ飛んだ。

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□2007年9月8日(土)  北京日記(21)

 今日朝一番の任務はゼミの学生へのモーニングコールから。ユースホステルではモーニングコールが無いらしく、なおかつ携帯も目覚ましも持ってきていないとのことで、断固慣行。何せ彼は朝一番のNW、私は朝早めのCA。ついでなので一緒にタクシーで空港に行く約束をしていたのだ。彼が来なければ、職業倫理上一人だけ空港に向かうわけにはいかないだろ。

 朝5時50分無事合流。二人で空港に向かう。何ともすいている...。20分強で到着してしまった。搭乗登録も5分とかからず終了。まだ6時40分。とりあえず改めてきちんと朝食を採り直し、彼を見送る。大使館で仕事をするスタッフの方々や若手研究者と円卓を囲んでじっくり話ができるのは、北京ならではの楽しみであろう。きっと良い経験になったのではないかと思う。

 明日は研究会議のため、熱海で一泊の予定である。論文の締め切り迫る!

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□2007年9月7日(金)  北京日記(20)

 仕事もひと段落したため、午前中は軍事博物館へ。8月下旬に一度訪れたが、改装工事中のため入れなかった。9月1日に再開ということであった。

 軍事博物館というだけに、兵器マニアは楽しめる展示だろう。大量の戦車や戦闘機、大型のマシンガンから拳銃まで、ありとあらゆる世界の「武器」が綺麗に展示されていた。もっとも私の関心は「抗日戦争館」や「全国解放戦争館」だったのだが、まだ「改装」の真っ最中で参観不能だった。とはいえ、一階にある「中共党史館(?)」は土地改革時代から新中国建国までの中国共産党の歴史を簡便(?)にまとめてあり、楽しめた。

 ひとつ気になったのは「古代戦争館」の展示。原人の時代からの「戦争」を時系列で紹介し、やはり中国も有史以前から戦争に明け暮れていたことを教えてくれるものであった。だが、そこで描かれる戦争は内戦か海外からの侵略の歴史が主で、自ら外に出かけていった歴史については、ほとんど記述がなかったように思う。

 具体的に挙げれば、秀吉の朝鮮出兵がひとつのブースを割いて紹介されているのに対して、いわゆる「元寇」についてはその存在にすら触れていない展示の構成は、やはり日本人としては違和感を感じざるを得なかった。全面的再開までには当分かかりそうだが、抗日戦争館や全国解放戦争館が再開した際には再び訪れたいと思った。

 夕食は慶応の同学である呉さんご夫妻に「望京西」近くの南米肉料理店「金漢斯」でご馳走になる。次から次へとスタッフが長い串に刺して炙ったあらゆる種類の肉を回って来てはお皿にお肉をどんどん置いていってくれる。また、本格的なドイツ風の生ビールも飲み放題。

 ピルスナーから始めて 、ペール・エール、そして締めは黒ビール。別に先輩ぶるわけではないが、いろいろと結婚生活についても意見交換。これから学位論文に取り組む彼にとって、この時期の結婚はなによりのモチベーションになるだろう。もっとも、あまりに話が盛り上がったために飲み過ぎ、地下鉄を乗り継いで帰るところが、ホテルまで40分ほどタクシーで北京をナイトクルーズしてしまった。果たして明日4時50分に起きられるか...。

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□2007年9月6日(木)  北京日記(19)

 終日档案館。夕食は長虹橋の「大董」へ。ゼミの学生と一緒に直接餐庁に行く予定だったが、約束の時間になっても来ないので、とりあえず行き先を書いたメモを彼の部屋のドアに挟んでおく。今日は北京大学や清華大学のキャンパス探検をすると言っていたが、大丈夫だろうか。若干不安になる。

 「名店」といわれるだけに、店内の雰囲気も良く、お値段も手ごろなので、料理に対する期待が高まる。あぁ○○君(ゼミの学生)かわいそうに。あんなに食べたがっていた「北京ダック」、それも「大董」に並ばずに入れたのに...。友人が揃い、「点菜」を始めようとしたその時!「遅くなりました!」バックパッカーの登場である。

 どうやら大学からバスで帰ろうとしたようだが、まったく検討もつかないところにバスが走っていってしまったらしく、結局タクシーで宿まで戻ったとのこと。残しておいたメモが奏功して、何とか間に合った。彼は運が強い。

 料理はほぼ「ダック尽くし」でオーダー。酸辣湯ベースにダックの「四宝」(主に内臓の色々な部位を丁寧に処理したものだろう)が入ったスープ、ダックのハツ(心臓)の炒め物(素晴らしく新鮮な素材を丁寧に処理してある。これは絶品)、そして黒田君待望の「北京ダック」。服務員さんが食べ方を伝授してくれるのも楽しい。

 やはり「ダック」の回転が良いだけに、最高の焼き頃で供されるため、皮の焼き上がりは「サクッ」としており、これまで食べたもののなかでもかなり高い評価ができるものである。家族で来たいお店である。○○君も満足してくれたようだ。

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□2007年9月5日(水)  北京日記(18)

 終日档案館にて写経。とはいえ、档案館に通っていた日本の研究仲間もすべて帰国してしまい、今日は閲覧室に私一人。いささか寂しい時間となっている。もちろん集中はできるが...。

 ゼミ生に「北京ダック」をご馳走しようとしていたところに北京駐在中の友人からメールがはいる。ベストタイミングで「木曜の夜、食事をしませんか」。さすがに二人で北京ダックを黙々と食べるのもあれだし、二つ返事で「ご一緒させてください」と返信。次いで、学生と二人で並んででも入ろうと思っていた「大董」の予約が取れましたとの嬉しいメール。さすがプロである。

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□2007年9月4日(火)  北京日記(17)

 やはり終日档案館にて写経。夕食はゼミの学生に「麻辣誘惑」でご馳走する。来京初日に友人に連れて行ってもらった四川料理のお店だ。宿から歩いて5分前後で、そんなに辛くない料理も多く、また黒と赤を基調にした店内の雰囲気もなかなか良く、辛いものが苦手な日本人でも楽しめるだろう。日本語に餓えているせいか、少し喋り過ぎてしまった。

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□2007年9月3日(月)  北京日記(16)

 終日档案館にて写経。宿に帰ってからは論文の執筆。ゼミの学生から「無事に宿も決まり、故宮に行ってきました」との電話。ひとまず安心。

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□2007年9月2日(日)  北京日記(15)

 昨日連れて行ってもらった「報国寺」は、午後だったこともあり、すでに店を閉めてしまっていたところも多かった。あまりにも気になっていたので、連チャンとなるが、午前中に再訪。特に買ったものはなかったが、気になっていた店の様子が分かりひとまず安心。

 私のゼミの学生が、バックパッカーとして、この時期に宿に予約を入れず北京に来るうえ、初日は空港で夜を明かすとのメールが来ていたので、「ツイン部屋だから、とにかく直接私のホテルに来なさい」と「指導」。ビールを冷やして、日本と遜色ない品質の焼きたてパンを軽食として買っておいて、「到着」の時を今か今かと待つ。午後8時半(日本時間9時半)に電話が入る。

 「ようこそ北京へ!」「先生、それが話せば長くなりまして」「北京のどこにいるの」「まだ日本です」「えっ?」「乗る予定のNW便が欠航になってしまい、いま空港の近くのホテルに連行されました」「おぉ...」「明日の朝6時に出発だそうです」(これが北京発朝9時の便になるのかしら。杉浦さんの乗る便ね。準備のため「Delay」しそうね)「とにかく明日晩飯食べよう」「はい...(ちょっと力ない声)」

 彼のエキサイティングな旅の始まりに乾杯!

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□2007年9月1日(土)  北京日記(14)

 今日の予定は古本市巡り。午前中は「潘家園」へ。あらゆる「掘り出し物」が並んでいる骨董市。長く滞在する場合には毎週通いたい場所である。兎にも角にも値切り交渉が面白い。狙いが専門書や貴重資料なだけに、値段に関しては一概に言えないが、周りの現地の「プロ」の交渉方法を観察して実践してみたところ、だいたい以下の目安で楽しく交渉できるだろう。

 (1)興味を示しながらも3度まで立ち去る(何気なく興味を示せば相手も本気で交渉してくる)、(2)相手の言い値の3割までは最低限値切れる(?)、(3)値段の交渉が成立したら、あらかじめ目をつけておいた別の本(こちらが本命の場合でもよい)を「抱き合わせ」で交渉する。(4)でも、長い付き合いになる場合は、有る程度情報料として上乗せした値段で手を打つ、など。叩き売りされている一般本が2元なので、これを基準に自分の価値体系に基づき値段の落としどころをつけると良いだろう。貴重な本でも、粘って交渉すれば4掛けまでは持っていける。

 午後は「長椿街」から歩いて30分弱の「報国寺」へ。ここもあらゆる「掘り出し物」が並んでいる骨董市である。「潘家園」に比べれば量は少ないが、ストライクゾーンに来るものが見つかりそうな、独特の雰囲気を持つ空間である。午前と午後合わせて相当歩き回ったが、全く疲れていないのは「楽しい時間」だからだろうか。

 夕食は北京大学の「薬膳」にて、友人お勧めの烏骨鶏のスープなどを堪能して楽しい時間を過ごす。留学生として海外に在住したことはないのだが、今回は北京大学の客員研究員として訪中していることもあり、今後のためにも北京大学の留学生楼などを詳しく見せていただく。

 研究会の仲間が安排された「勺園」(番号の若いほうの留学生楼です)、その向うに見える「空調」付きの「スーパー勺園」(6号館とかのことです)、そして「ポスドク」や「訪問研究員」用の新しいゲストハウス。う〜ん、「勺園」は凄いな。小学校の時に台湾で行った懇丁の臨海学校の宿を思い出した。

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