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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2007年7月)


□2007年7月30日(月)  成績

 学生に成績をつけるのがこれほどまでに辛いことだとは知らなかった。

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□2007年7月29日(日)  『北朝鮮へのエクソダス』

 戦後東アジア国際政治研究会出席のため本郷へ。本来ならば先々週終了していたはずの研究会だが、台風のため順延となっていた。

 まずは私の報告。テッサ・モーリス−スズキ氏の『北朝鮮へのエクソダス――「帰国事業」の影をたどる』(朝日新聞社、2007年)を書評。あまりの多忙により活字化する余裕もないので、ここでメモ風に書いておきたい。

 やはり第3章「策略」の描き方、特に「二つの『テストケース』」や「決議二〇」、さらには民族学校教育網の拡充への日赤の「貢献」などを描いた勢いで、「策略」の最後の部分でいきなり1959年2月の「閣議了解」を紹介するのは、読者に間違った印象を与える恐れがあるのではなかろうか。技術的な問題の範疇といえばそれまでだが、やはり1958年半ばの北朝鮮側の政策転換の動きを説明した後に、時系列で日本政府の「閣議決定」を述べるべきだという印象を持った。

 また、論壇雑誌などに掲載していた論稿に比べて「日本側」主導(陰謀)説的な色合いは本書において相当程度まで薄まり、バランスよくまとめられた形になっていたのはさすが「歴史家」であると感心したが、全てのアクターに責任があったとしながらも、「責任」に向かい会うべき「順番」として「日本側」から始めるべきだとしたのはどうか。問われるべきは後先か、あるいは軽重か。全体の構図が見事に描き出されていただけに、この部分はいささか蛇足というような印象を受けた。

 なお、自分の専門に引きつけて感想を述べれば、「自己意思」という問題について考えさせられた。赤十字国際委員会による「自由意思」の確認が結果的に形骸化したことは本書が述べる通りである。だが、ある日本人「戦犯」で、中国で「思想改造」教育を受けた方の手記『洗脳の人生』を思い返す時、この点について何とも釈然としない感じが残った。自己決定の結果を構造的要因に帰するのは簡単である。いわゆる「しいられた」という言説。

 選挙速報を横目に、気の合う友人達としこたま飲んで本郷を後にした。民主躍進、自民大敗の一日。知らぬ間に雷が落ちたらしい。小田急線動かず。ひどく午前様。

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□2007年7月27日(金)  ゼミ懇親会



大澤ゼミ第1期生と友人たち

 「前期試験終了!」「夏休み突入!」ということで、新進気鋭の若手研究者3名を招いて、ゼミ生と一緒に中華料理店で懇親会を開いた。

 場所は立川グランデュオ7階の広東料理「菜香」。円卓の中華料理は初めてという学生さんも多かったので、どちらかといえば「本場っぽい」感じの、しっかりとした味付けのお店を選ぼうとチョイス。いくつかのお店でランチを食べ比べてみたが、比較的味のバランスが良かったと思う(もっとも、小学校低学年の頃からほぼ毎週のペースで「接待」で円卓中華を食べていた私の舌は、もしかすると一般的ではないのかもしれないが)。

 東大でアメリカ外交を専攻する博士院生でシンクタンクの研究員でもある友人、慶応大学で中国外交を専攻する博士院生で官庁や官庁系研究機関で軍事・情勢分析をも手がける友人、中大で戦後日中関係を専攻する博士論文の執筆真っ最中の中国人留学生の友人。いずれも私の素晴らしい友人であり、世界を駆け回って研究活動を進めているやんちゃな仲間である。20代に突入したばかりのゼミ生の皆さんは、色々な意味で感銘を受けたのではないかと思う。

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□2007年7月25日(水)  書評

 書評の初稿が完成。もっとも「書評」ではなく、2600字前後の「紹介」なので、大部分は内容紹介に割かざるをえない。論稿10本が収録される論文集という形になっているため、この分量でまとめるのは難しいのだが、とにかく「全ての論稿を紹介しよう」という目標を立て、何とか押し込んでみた。

 悩み多き今日この頃ではあるが、やはり私は史料をしっかり読んでいく研究スタイルに徹しようと改めて心に決めた。 

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□2007年7月23日(火)  某研究室にて

 本年度でご退職なされる某先生の研究室にお邪魔した。誠に恐縮だが、貴重な蔵書を多数譲り受けるという幸運に恵まれた。私自身、本格的に研究を始めて7年余り。日夜鋭意蔵書を増やしているが、貴重な海外発行の定期刊行物のバックナンバーなどは極めて入手が困難である。また、日本の定期刊行物でも、完全にまとまった形で入手するのは不可能に近い。

 「宝の山」を前に年甲斐も無く張り切ってしまい、しばらくの筋肉痛は避けられそうにもないが、それと同時に「受け継ぐ」ことの責任の重さを痛感する一日となった。

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□2007年7月20日(金)  前期講義終了

 中国語の試験を終え、前期の講義が無事に終了した。さて採点だ。

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□2007年7月17日(日)  研究会

 米国レイクフォーレスト大学准教授の陳時偉氏を招いての研究会に参加。

 最初の報告は「朝鮮戦争期の生物化学兵器問題に関する再検討――中・外外交資料に基づいて」。いわゆる建国初期の中国が、朝鮮戦争における米国の生物化学兵器使用をめぐって西側諸国に対して展開した「宣伝外交」、あるいは「人民外交」について考察したものである。

 1952年、中国は戦場における生物化学兵器の使用の有無を確認するため、フランスやイギリスの研究者や科学者の招聘・調査を計画。最終的にイギリスのジョセフ=ニーダムを中心とする調査団を招請し、調査報告書を作成させることに成功した。西側の科学者を中心とする調査団による本ミッションが、中国に政治外交的資本を与えたことは言うまでもない。

 裏話として、中国科学院史料の使用をニーダムに対して中国政府が約束し、その史料に基づきニーダムの大著『中国科学技術史』が完成を見た、というのは周恩来外交の一面を考察するうえでも大変興味深い部分であった。

 なお、本報告が朝鮮戦争における生物化学兵器使用の有無を検討したものでなかったことを確認しておきたい。

 続けて陳氏は「中国の近代研究院制度の生成・発展ならびに展開・変容」という報告をされた。中国の教育・研究機関の歴史について概観したうえで、蒋介石による「四・一二」クーデタ(寧漢分裂)と「中央研究院」の設立との関連を論じられた。そして、南京国民政府が政府機構の「実体」を確立していく過程で同院が持った意義を考察すると同時に、かかる政治主導により設立された同院が、西欧における「自生的」なそれと大きく性質を異にする背景を述べられた。

 最後に、研究の方法論について議論。「原文書」を読むこと。「比較」の視点を大事にすること。そして、「歴史研究において『小さな問題』というものは存在しない」ということ。つまり、「大きな問題」を議論する場合でも、その出発点は極めて「小さい」ということ。そして何より「自らの事例研究がどのような形で『他者』の研究に貢献することができるのか」という視点の重要性。さらに「全てを一人でやることは絶対に不可能である」とのこと。なるほど...。

  以浅持博 以一持萬 自知者明 自勝者強

                          梁啓超

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□2007年7月15日(日)  台風直撃

 台風直撃のため研究会を順延する。開催予定の時間にはすでに台風は通過し、小雨が降っている程度だったが、安全第一である。

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□2007年7月14日(土)  同窓会の日程調整

 台湾に在住していた頃に通っていた日本人学校の同窓会を計画している。同級生も33歳。男性は仕事に忙しく、女性も仕事や家庭の中核として活躍しているため、なかなか日程の調整が難しい。最大公約数を探るしかないようだ。

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□2007年7月13日(金)  誕生日

 橋は62回目の父の誕生日である。講義を終えて実家へ向かう。

 年初めに大手術を行い、大げさではなく、「今年の誕生日は迎えられそうにもないな」という想いもあったので、何よりである。個人的には、手術直後から腸管に漢方の煎じ薬を投入するという決断をし、放射線治療と抗がん剤治療が開始できるまでの免疫力向上や体力向上、さらには幾許かの抗がん処置を行えたことが、その後の経過に良い影響を与えているのではないかと考えている。

 これも妻と義母、そして漢方の投与を快く受け入れてくれた主治医の先生のおかげである。依然として楽観はできないが、「ひと時ひと時」、そして「一歩一歩」という感じでやっていくことが何よりも大事なのだろう

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□2007年7月8日(日)  スパム・メール

 1日に200件近く来ていたスパム・メールがほとんどと言ってよいほど来なくなった。「全世界のスパム・メールは4人の男によって出されている」というような話を聞いたことがあるが、何か動きがあったのだろうか。逆の意味で怖い。

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□2007年7月6日(金)  弁当考

 小学生の時からずっとお弁当を持っていくのが習慣になっていたせいか、今でも時間的に余裕がないと思われる日には、何処へでもお弁当を持参するようにしている。今はウサギの模様があしらわれた、洒落た和風のお弁当箱を使っていて、分量や雰囲気などなかなか気に入っている。

 ふと見渡してみると、大学でも結構自分のお弁当を持参している学生さんもいるようだ。大部分の学生さんは学食を利用しているようだが、昼休みの教室には、結構、ひとり本を読みながら黙々とお弁当を食べている学生さんもいる。友人とお話しするもの良し、またひとり静かにひとり時間を楽しむのも良し。天邪鬼(あまのじゃく)な私は、その日の気分次第である。

 冷たいお弁当を中国人は食べないということをよく耳にする。私が台湾に住んでいた時、台湾の人々もそうだった。しかし、経済が発展し、日々の仕事が忙しくなる中で、少なくとも台湾でも温かくない弁当は「絶対」食べないというような雰囲気はなくなっていったようにも思われる。また 、台湾独特の「コンビニ」文化もあるだろう。とはいえ、冷めた「排骨飯」弁当と温かい味噌汁というのもなかなか旨いものである。

 日本人は冷や飯も好きである。「冷めても美味しい」ではなく、「温かくないご飯」の美味しさ、そして楽しみ方も知っている。これも一重に先達の品種改良のおかげなのだろうが、これは食の芸術ともいえる「寿司」をどう評価するのかという問題とも関わってくると思う。

 私の弟は某コンビにチェーンの本社で商品開発に携わっている。「海苔が巻かれたおにぎりを中国人は食べない」。中国に日本のコンビニが進出を検討していた時、「おにぎり」を試食した中国人がインタヴューで答えていた。確かに「おにぎり」を「チン」するサービスは独特だが(もちろん日本にも「温めて!」というお客さんはいる)、最近は「海苔巻きおにぎり」も浸透してきたようだ。

 今後の社会発展の過程で中国における食文化はどのような変容を遂げるのだろうか。もっとも、「ラーメン屋」と「チェーン展開している食べ物屋」が主流を占める日本とは全く異なる、「小吃」という独特の形態の「食堂」が街に散在する中国の特殊性は当然考慮すべきだろうが、このような業態もおそらく今後さらに変容が進んでいくのだろう。

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□2007年7月5日(木)  本業の研究、そして書評・書評・書評

 最初に請け負った書評は、全て読み終え、論点も整理し終えた。レジュメもおおよそ完成し、残す仕事は先行研究を改めて吟味したうえで、本書の評価を着地させるだけである。とはいえ、「人道」と「外交」という国際政治上の論点について深く考えさせられる作品だった。

 次に請け負った書評は、昨週末、著者との議論の機会を得たこともあり、書評の方針がある程度見えてきた感じである。字数の制限があるため、詳細には踏み込めそうもない。「意義」と「評価」に重点を置いた書評になりそうだ。

 最後の書評は、論文集である。専門は近いのだが、また違った意味で「学術的」なものだけに、どう着地させるか迷っている。できれば 、たとえひと言でも寄稿者の各論稿に触れたうえで、まとめたいと考えている。

 本業の研究に関する論文について、締め切りが来た。著作完成のためには、中国外交部档案を吸収した形で、最低あと2本は「構想」を論文レベルにまで具体化させておかなければならない。秋の学会でも、できればどちらかひとつぐらいは報告のレベルまでは持って行きたい。

 昨日の翻訳は急ぎの仕事だった...。明日の授業準備の確認もしなければ...。

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□2007年7月4日(水)  翻訳

 短い会議録の翻訳。中国の極めて著名な国際政治学者による日中関係に関する最新の議論だが、大変興味深く読んだ。特に江沢民政権と胡錦濤政権の対日政策に関する見方は、日本人の考えるそれとは少し異なるようだ。この先は守秘義務。

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□2007年7月1日(日)  筆債

 ある先生のブログで「筆債」という単語をよく見かけていたのだが、分量や程度の差こそあれ、いざ自分の身に降りかかってみると、結構厳しいものだ。もっとも、まだ作業のプロセスとスケジュールが逆算できるようでは、大したことないのかもしれない。

 とはいえ、「仕事」に適度の負荷が出てきたことは、大変良いことである。「研究」は無論楽しいのだが、成長するためには適度の負荷が不可欠である。このように書いて、この現実を少しでも第三者的な視点から見ることができるならば、しめたものである。

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