トップログイン




大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2007年2月)


□2007年2月28日(水)  『周恩来秘録』

 高文謙氏の手による『周恩来秘録』(上下巻、文藝春秋社、2007年2月28日)を購入。周知の通り、本書は同氏の原著『晩年周恩来』(明鏡出版社、2006年)の翻訳であるが、直接私の専門とは関係ない周恩来の晩年(特に文革期)を扱った600頁を超えるものだけに、「積読」になっていた。日本語版が出たこの機に、対照しながら一気に読もうと思っている。

 今日は公立保育所の入所面接のため、一日息子が家にいた。ドカドカと書斎に入ってきて、ニコニコしながら「だっこ!だっこ!」と膝に乗ってきて、「新幹線のホームページ見る〜!」と繰り返すものだから、全く仕事にならない。

 仕方なしに机仕事はやめて、『秘録』を読み始めたのだが、お腹の上に乗っかってきては「おもしろい〜?」とやるものだから、やはり集中できない。

 もしも安心して預けられる保育室が近くになかったら、きっと学位論文は完成していなかっただろうなぁ...。

コメントトップ



□2007年2月27日(火)  修正原稿送付

 査読コメントに基づき修正。結局、題名の「遣送」を「送還」に変更して脱稿。「戦後東アジア地域秩序の再編と中国残留日本人の発生―『送還』と『留用』のはざまで」とした。あくまで年度内の仕事。

コメントトップ



□2007年2月22日(木)  「転換期における日中関係の課題と思想」

 豪華なメンバーである。戦後日中関係史研究で数多くの著作を持つ李恩民先生(桜美林)、比較法研究者で、最近日中関係に関する新書『「権力社会」としての中国と「文化社会」としての日本』(集英社、2006年)を出された王雲海先生(一橋)、恥ずかしながら私の3人の個別報告、そして私の師匠李廷江先生(中央大学)による世界史的視点から見た日中関係に関する総括報告、さらには日中関係研究の大御所姫田光義先生(中央大学)による各報告者に対する温かく、示唆に富んだコメント。

 告知等が直前だったため、これだけのメンバーを集めならが、最終的には少人数でのワークショップ的なものとなったが、個人的には本当に良い勉強の機会になった。午後1時から4時間近い長丁場であったが、中弛みなど全くない、新鮮な刺激が波のように次から次へと襲ってくる時間であった。

 「過去」「現在」、そして「未来」の日中関係をどのように考察すべきか、あるいは日本人の中国研究者、あるいは中国人の日本人研究者の「宝地」問題(もちろん、学者である以上、当然誰もがその傾向を持つのだが)。そして、「学問」とは何かという本質的な問題。母校の中国研究の「本流」を感じたひと時。新たに研究に取り組むためのパワーをいただいたような感じがした。

コメントトップ



□2007年2月19日(月)  再び外交史料館

 朝一番、三田で書類を提出。春日神社のおみくじは「大吉」。昨年春、フェローシップの申請書提出後に引いた時に「大吉」が出て以来である。きっとまたスペシャルな良いことがあるだろう。

 赤羽橋をくぐり、東京タワーを右手に見ながら飯倉へ。徒歩15分。ちょうど良い朝の散歩になった。採録漏れしていた史料をパソコンに入力して早々に帰宅。

 夜、奨励費やら翻訳料、講演謝礼、研究員給与などをまとめた確定申告書類を作る。悲しいかな、源泉徴収がほとんど還付される。今年度の苦労がここに出ている。

コメントトップ



□2007年2月17日(土)  保育園

 さすがに生後2ヶ月の息子を大きな公立保育園に入れるのには躊躇したが、家庭的な保育室で2年強鍛えられ、逞しく成長した息子はもうそろそろ広い園庭を走りまわっても大丈夫だろう。

 無事、自宅近くの第一希望の保育園から入所内定通知が来た。さすがに公立は保育料が安いなぁ...。

コメントトップ



□2007年2月16日(金)  史料整理本格化

 原稿執筆を本格的に始めるべく、今週は史料整理に取り組んだ。年末北京で収集した膨大な档案の分析に着手するためにも、改めて日本側外交文書などの基本史料の整理・確認が必要となっている。

 私の研究における基本文書のひとつである戦後日本外交記録を改めて読み直す。論旨には影響しないが、やはり中国側の档案をざっと読んだ後に日本側の外交文書を読み直すと、改めて原文書で確認したい「ニュアンス」や「文脈」などがあることに気づく。

 週末にあたる今日はお手製のお弁当を持って外交史料館へ。相変わらず私を含めて閲覧者は2〜3人しかいないが(他の若手研究者はきっともっと効率良く史料収集をしているのだろう)、集中できるので、それはそれで有難い。

コメントトップ



□2007年2月11日(日)  同窓会

 台湾在住中に通学していた台中日本人学校の同窓会に参加。ひとつ上の先輩にあたる劇団四季俳優寺田氏の呼びかけによるもの。関東圏の同窓生を中心に、先生方2名を含めて15名ほどが旧交を温めた。

 面白いもので、台中校の同窓会の場合、いわゆる「学年」はほとんど意識されない。小学部と中学部を合わせても100名前後という小さな学校であったことがその最大の原因なのだろうが、上から下までがいずれも「不思議な共感性」を持っているような感じがした。

 また、全般的に子供の頃に海外に在住した経験は、それぞれの人生にとって強烈な印象となって残っているようだ。ある意味で、子供時代における「不可抗力的な断絶」(つまり、「日本」から「海外」へ、そして「海外」から「日本」へ)が、良かれ悪しかれその人生を豊かにしているようにも感じられた。

 もっとも、その強烈な経験を引きずりすぎて、日中関係や日台関係を研究する国際政治学者になっている人間は特別なのかもしれないが、いろいろな意味で誰もが「自己実現」を大切にする、充実した人生を送っているように感じたのは、なんとも嬉しい限りである。

コメントトップ



□2007年2月8日(木)  博士学位申請論文公聴会

 古巣である総合政策研究科の博士論文公聴会に参加。今回の「恨の多元的研究」というテーマは、私の研究と直接には関係ないものだが、かねてより興味を持っていた概念なので参加することにした。

 申請者による博士論文の内容紹介が1時間半にまで伸びた(予定は45分間!)のは愛嬌だが、多様な事例を紹介することによって「恨」という概念におぼろげな輪郭を与え、最後に、韓国民主化の過程において民衆結集のための「共有理念」として再定義・再解釈された「恨」の概念を紹介する手法は、オーソドックスではあったが、門外漢の私にとっては楽しめた。

 質問はふたつ。まずは、韓国特有の「恨」の形成要因について。地政学的なものか、伝統的な身分制度によるものか、あるいは儒教社会における「毒抜き」(自虐的な形での)の方便であったのか。もうひとつは、北朝鮮における「恨」認識。韓国における「恨」が、民主化の過程で再定義・再解釈されることによって「顕在化」したのもであるならば、同じような歴史的・文化的土壌を持つ北朝鮮では、どのように認識されているのだろうか。

 回答はともかく、いずれにせよ法華経の問答のように至極難しい課題であることだけは確かなようだ。

 なお、別件だが、どうも私は22日に後楽園キャンパスで「転換期の日中関係の課題と思想」というセミナーで話をすることになっているようだ。「日程を空けておくように」と拝命していたが、オープンな形での意見交換とは...。

コメントトップ



□2007年2月7日(水)  研究計画調書

 午前、科研費申請のための研究計画調書を作る。「心ここにあらず」の日々が続いているが、研究に関しては腰を据えて取り組める環境がしばらくは保障されているため、心の混乱は最小限度で抑えることができている。本当に感謝の気持ちで一杯である。

 档案調査や研究交流の計画をあれこれと考えるのは初めてのことではないが、夢が広がるこの作業は、暗い気持ちに沈む胸の内を一時的にではあるが、明るくしてくれる。

 価値観が180度転換したためか、このところ、これまでになく健康的な食生活を送っている。お嫁様は「いつまで続くことやら」と冷静な分析をよせる。

コメントトップ



□2007年2月6日(火)  論文にも旬がある...

 随分前に投稿した論文だが、ようやく掲載決定の知らせがくる。査読者の改めてのコメントは「括弧が多すぎます」とのこと。確かに多いなぁ...。実際の掲載号は未定の模様。さて...。

コメントトップ



□2007年2月3日(土)  東アジア国際政治研究会

 いろいろな事が立て続けに起こっており、頭の中が混乱しているのだが、とにかく日々の仕事だけは確実に、丁寧にこなしていかなければならない。時間的制約が少ない立場にあることに感謝することしきりである。

 中国社会科学院日本研究所の呉先生による報告「中国の愛国主義教育は『反日教育』なのか」にコメントさせて頂いた。駆け出しの日中関係研究者であるため、このような時事的な問題に関するコメントを求められる機会はまだまだ少ないのだが、できるだけ客観的なコメントができるよう準備を進めてきた。

 具体的には、まず「愛国主義教育実施要綱」が施行された1994年以降の「日本国内における言説動向」を数量的に分析し、続けて「日本国内の中国研究者や日中関係研究者による冷静な分析の進展状況」を紹介、そして最後に質問を行なった。予定通り15分でまとめることができた。

 いわゆる中国共産党に対する「信頼の危機」や「体制の危機」という問題とその執政の正当性の維持という問題。さらには多民族国家の凝集に必要な求心力の維持という問題。当然のことながら、愛国主義教育の目的を「反日」などという極めて狭い範疇で語ることは論外である。

 だが、その一方で中国における愛国主義教育が、「反日」、あるいは「反中」という日中両国における「過激な大衆ナショナリズムの幻影」の徘徊、あるいは「一人歩き」を引き起こしていることも確かである。

 我々日本人としては「理解」に基づく「受忍」というスタンスが理性的なのかもしれないが、二国間関係におけるかかる構図は決して健全とはいえないだろう。

コメントトップ


Copyright(C)1995- OSAWA Takeshi. All Rights Reserved.
(ポップアップ・メールのアドレスは@が#に変更してあります)