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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2006年8月)


□2006年8月30日(水)  戦前と戦後

 中村政則『戦後史』(岩波書店、2005年)を読んでいる。しばらく戦前期の研究書を集中して読んでいるため、合間の気分転換のつもりで読み始めたが、いやいや、なかなか考えさせられた。

 海外の学者が「戦後日本」を扱った研究成果を多く発表しているが、いわゆる「戦後史」という課題に正面から取り組み、読みやすい形で我々読者に提供してくれるものとして、本書の価値は極めて高いと思う。

 特に巻末の参考文献一覧は、折に触れて様々な識者が言及する本が数多く含まれており、有用である。学部の演習などで導入に使うのには最適だろう。戦後の「日本経験」を体系的に紹介できる本として、中国での出版を望む。

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□2006年8月29日(火)  報告依頼

 母校大学院の講座「日本論」での単発の報告を依頼される。詳細はいずれ大学院事務室からお知らせが出ると思うが、大まかなテーマは「外から見た日本」とのことである。私も院生時代に参加していた講座だが、身に余る光栄である。

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□2006年8月24日(木)  東欧便り

 尊敬する先生から暑中見舞いのご返事を頂いた。同封されていた東欧の風景をまとめられたエッセイを拝読し、東欧革命と天安門事件の歴史的評価という問題について考えさせられた。

 1990年代以降の中国社会の劇的な発展を顧みるに、「天安門事件の再評価」という課題はいかなる文脈でなされていくことになるのだろうか。かつて「文革」を歴史決議によって総括した中国共産党が、「天安門事件」と「その後の中国社会の発展」を、いかなるタイミングで、どのように総括するのか。やはり、いずれ到来するであろう本格的な漸進的「民主化」の過程で直面する課題となるのだろうか。

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□2006年8月22日(火)  読書メモ

 6月初旬以降、断続的に続けている戦前期日中関係に関する研究書の乱読。臼井先生のご著書の新・旧両版の比較に始まり、関連する新書の類はほぼ再読を終えた。全体の流れが把握できたところで、少し本格的な研究書の乱読に移ることにした。

 まず秦先生の『日中戦争史』の初版と改訂増補版を読み始めた。また、手頃な値段で姫田・山田編『中国の地域政権と日本の統治』(慶応義塾大学出版会、2006年)、波多野・戸部編『日中戦争の軍事的展開』(同、2006年)も入手することができた。また、じっくり読みたかった軍事史学会編『日中戦争の諸相』(錦正社、1997年)も自宅に届いた。

 ここで細かな分析をする予定はないが、読み始めた本の編著者や書名、さらには出版年などを書き留めて置くのも、脳への「定着」を図る意味で重要な作業といえるだろう。

 また、大部の『延安リポート―アメリカ戦時情報局の対日軍事工作』(岩波書店、2006年)を読み進めているが、新中国による対日「戦犯」処理を考えるうえでも、少し時間をかけて読みたいと思っている。

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□2006年8月21日(月)  レジュメ作り

 秋の日本国際政治学会研究大会用のレジュメ作成にとりかかる。A4用紙1枚で博士論文の概要をまとめるのに苦しむ。加えて部会の時間も2時間半で報告者4名、さらにそれぞれにコメンテーターがつくとなると、多く見積もってもひとり当たりの報告時間は30分、フロアからの質問を想定すると25分を切ることも考えられる。

 通常、駆け足でやって小一時間かかる内容をどうやって25分前後に圧縮するか。分析枠組の説明と経緯の簡単な紹介、そして、その評価と意義を「ゆっくり」話して20分強というところか。大きく話して、小さなところは質問で受ける...。多くを詰め込もうとすれば、無理が出る。当日配布するレジュメの作り方を工夫してみよう。

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□2006年8月18日(金)  久しぶりの投稿

 短い論稿だが、とりあえず投稿。掲載の可否はともかく、11月位まで日本を離れられそうにないので、調査・分析が済んでいるところまでは、ひとまず形にしておきたい。周囲の友人たちも今年の夏は軒並み中国外交部档案館に出かけているようで、新たな情報をいろいろと頂戴している。閲覧や複写の料金も値下げしたらしい。「改革開放」は健在のようだ。

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□2006年8月16日(水)  北京リポート

 北京にいる友人から、昨日の北京の表情を伝えるレポートを頂いた。いわゆる「織り込み済み」の終戦記念日靖国参拝に対して、過激な抗議行動はなかったようである。靖国参拝までの一週間に中国政府が行なった「世論抑制工作」が奏功した結果、比較的安静なまま当日を終えることができたのではないか、との分析であった。

 しかし、今回の中国政府の対応について、個人的には憂慮している。つまり、「任期終了間近になった首相は敗戦記念日に靖国を参拝しても、この程度で中韓の批判をかわせる」という前例になってしまったのではないかということである。その意味で、いわゆる「二分論」という大原則を掲げながらも、現実問題として「次期政権に期待」という形で落とし所とした中国政府の「柔軟」な対応に、どこまで中国人民の賛同が得られるのかという点も含めて、注意深く観察を続けて行きたい。煽るつもりは毛頭ないが、このような「柔軟」な対応は、結局のところ問題を先送りするだけなのではないか...。

 いずれにせよ日中関係の新たな転換点になることは間違いないところだろう。

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□2006年8月15日(火)  終戦記念日

 「撃つな撃つな」と言っても撃ち、「掘るな掘るな」と言っても掘り、「行くな行くな」と言っても行く。歴史的発展の段階を問わず、「認識」は常に自己中心的である。

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□2006年8月14日(月)  NHKスペシャル



番組最後の紹介テロップ

 取材協力させていただいたNHKスペシャル「日中は歴史とどう向き合えばいいのか」が放映された。経緯を紹介する前半部分と専門家が議論を展開する後半部分という二部から構成されたプログラムは、いわゆる日中間における「歴史認識」問題の「前史」をあまり知らない視聴者にも、後半部分の高度な議論を理解させるに十分なものだったのではないかと思う。

 もっとも、いわゆる「軍国主義者と日本人民を二分する」考え方である「二分論」をめぐる議論については、極めて重要な前提が共有されていないようにも思われた。つまり、日中関係は単なる同質の国民国家の間の関係ではなく、社会制度の異なる隣国の関係でもある、という視角である。その意味で、「二分論」を提起した中国側が「中国的特色を持つ社会主義国家」であることを前提に、その理論的根拠を再認識し、かかる根拠に依拠して導き出される「二分論」に対して、自由主義国家である日本がいかにこれを理解し、あるいは「受容」できるのか、できないのかを明確にする必要があっただろう。

 その意味で、日本が資本主義国家として、「戦争責任」問題、あるいは「歴史認識」問題にどう向き合うべきなのか、改めて「定式」を議論する段階に至っているのではないかと思う。「中国的特色を持つ社会主義国家」が社会変動の真っ只中にあり、その社会制度が資本主義国家のそれに接近しつつある今日、日中市民社会の接合の進展という文脈からも、感情を出発点としない相互理解の醸成に向け、知的交流を積極化する必要があるだろう。

 質の高い番組の製作に協力でき、研究者冥利に尽きる。番組最後の「取材協力」のテロップで、石井先生と朱先生という戦後日中関係研究者の最高峰のお二人に続いて名前をご紹介いただいたのは、身に余る光栄であった。  

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□2006年8月8日(火)  『蟻の兵隊』

 池谷監督とお会いしたのは確か『日本と中国』の編集長をされていた島田先生の告別式の帰りだったと思う。地下鉄の席の隣で防研所蔵の『第一軍来簡文書綴』や『第一軍発翰文書綴』などから抜粋された「特務団」編成命令書(第一軍参謀長発の「徴用」命令書)などのリストをお読みになっていたのが日本軍山西残留問題を取り上げたドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』の監督池谷氏だった。

 ちょうどその頃、私も学位論文で取り上げた「太原組」と「西陵組」の残留過程について史料分析を行なっていた最中だったので、告別式の会場で見かけていた監督に思わず声を掛けて名刺を交換させていただいた。きっと監督はお忘れになっているだろうが、「これらか本格的な撮影ですが、資金が大変で」という言葉が今も耳の奥に残っている。

 普段ほとんど映画館で映画を見ることはないのだが、上映開始という情報を聞きつけて渋谷へ。国連大学近くのイメージシアターという可愛らしい映画館での上映だが、平日の昼間にもかかわらず、入場時には随分と混雑していた。

 映画のなかでは詳しく説明されなかったが、少し解説を加えると、主人公である奥村氏が「1954年に日本に帰って...」と回想されるくだりがあったから、いわゆる「西陵組」として軍事委員会命令により釈放されたことがわかる。

 山西残留日本軍については、1953年10月に「日本人居留民」として帰国した罪状軽微な一部の者以外に、1954年月に「戦犯」として免訴釈放された「西陵組」、さらに1956年6月以降、「戦犯」として主席令に基づき免訴釈放された「太原組」、あるいは有期徒刑判決を受けて刑期満了後に帰国した「太原組」とさまざまである。もっとも、中国の対日「戦犯」処理の過渡的な段階で「戦犯」として免訴釈放された「西陵組」の位置づけは、建国初期中国の対日外交との関連でも改めて検討すべき問題であると私は考えている。

 在華米軍も最終的に「完全抽出」を断念した山西残留日本軍であったが、終戦後における在華邦人の「遣送」過程を研究する者として、本映画にも登場された宮崎参謀の「無念」は想像するに余りある。一般の方々は、事前にパンフレットの「日本軍山西省残留問題とは」の項目を熟読され、宮崎参謀による「復員督促」のくだりを頭の片隅に置きながら鑑賞して欲しい。

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□2006年8月5日(土)  休日

 今日は妻が出勤したため、息子と近くの次太夫堀公園でランチ。直射日光は強いが、日陰は涼しい。冷たいビールを片手に、青々とした田んぼを見ながら、トンボをみたり、鳩にパンくずをやったり、蝶々を追いかけたり、平和な時間を過ごした。

 夕方は息子が通っている保育室のイベントに参加。他愛もない断片的な会話ではあったが、教育方針や他者との関わり方など、価値観の違いについていろいろと考えさせられる。息子には小さなコミュニティーの中で縮こまって育って欲しくないなぁと思う。世界は広いのだから。そのためには、まず両親が自分の価値観を信じ、それについて息子と議論を重ね、できる限り共有しながら、進んでいかなければなぁと思う。とはいえ、まだ1歳半だが...。

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□2006年8月4日(金)  うなぎの蒲焼

 仕事も多忙。研究も多忙。まとめるべき論文3本、準備する学会報告2本。とりあえずの公募出願の準備など。早く腰を落ち着けて仕事に集中したいものだ。午前中、六本木の某社幹部の方との打ち合わせで大きな感銘を受ける。

 お嫁様と可愛い息子のために、近所の鰻店で蒲焼をお土産にする。土用の丑の日だけに、人気店である同店の電話は鳴りっぱなしである。行き付けの店なので「お坊ちゃんももう一匹食べちゃうの?」と声を掛けられる。さすがにひと串は無理だろうと思っていたが、美味しいものに目がないのは両親譲り。ふんわり柔らかいながらも、しっかり焼きの入った香ばしい鰻は、数多くの高級店で食してきた鰻とはまた違った、本当の鰻の美味しさを改めて実感させてくれる。案の定、鰻はあっという間に小さなお腹の中へ。その後、遅くまで目が爛々と輝いていたのは、鰻パワーのなせる業か。

 「戦犯」釈放計画に関する研究ノート完成。連休突入なるも来週早々投稿へ。

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□2006年8月1日(水)  博論構想

 某プロジェクトの事務打ち合せのため、永田町の星稜会館で昼食。永田町といえば、普段国会図書館の憲政資料室での史料調査のために訪れることが多いが(研究で行く場合、昼食はもちろん6階の食堂でカツカレーを食べる)、師匠のお供をする場合には、数々の未知の体験をさせていただくことができる。

 永田町のひっそりとした坂下。少しレトロながらも良き重厚な昭和の面影を残したその会館はひっそりとあるが、お肉系の充実した昼食のバイキングは「食べ盛り」の私にとっては本当に嬉しい。初老のご夫婦が平日のお昼を楽しんでいる姿も、いわゆる丸の内あたりの尖った感じの忙しいランチ風景とは異なり、ゆっくりとした時間の流れが楽しめる。

 打ち合わせ後、後輩と地下鉄に乗りながら、彼の博士論文の構想について相談。来年10月がとりあえずの提出目標である。「産婆法」ではないが、井の頭線が下北沢に着く頃には、良い感じの全体構想に着地することができた。あとは、史料を丹念に追って、ひとつずつ作業をこなしていくことが肝要である。途中迷いは出るだろうが、最後までとにかくたどり着くことが大事である。たどり着いたことのない人にはうかがい知る由もない達成感と充実感を彼が来年秋に実感できるよう影ながら応援したい。

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