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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2006年6月)


□2006年6月28日(水)  インタビュー

 某公共放送のインタビュー撮影に同行。快くインタビューを引き受けてくださったのは、バンドン会議の際に実現した周恩来・高碕会談で通訳をされ、『水鳥外交秘話』(中央公論社、1983年)を刊行されたことでも知られる元外交官の方である。御歳88歳になられているが、矍鑠(かくしゃく)としてお迎えくださった。

 インタビューの内容は近く番組で放送されるので、ここでは触れないが、私が一番聞きたかったのは、外務省内における「日中民間人道外交」に対する認識やいわゆるアジア局第二課(中国課)における中国認識と日本政府の実際の台中政策へのその影響、さらには「二つの中国」政策に関する日本政府首脳部(吉田・鳩山・岸首相ならびに岡崎・重光・藤山外相)の実際の認識についてであった。いずれの問題についても氏は丁寧にご説明くださった。

 興味がある方には、研究会後の飲み会などでご紹介できればと思う。お話をうかがえただけでも幸運だったのに、帰り際に皮蛋などをお土産に頂き、恐縮してしまった。

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□2006年6月23日(金)  引き続き日中戦争関係研究

 臼井先生の『日中戦争―和平か戦線拡大か』の旧版と新版の比較検討を終えた。新版で強調されている、「満州国」承認という、いわゆる日本外交の「ポイント・オブ・ノー・リターン」をどのように評価するのか。問題関心は尽きない。

 「日中戦争」像の再検討という課題は、中国や台湾における研究成果の吸収や公開が進む史料の体系的な利用をも実現して、より立体的になされていくことになるだろう。これは、継続的な「対話」を通じて日中間における「歴史認識」問題をめぐる摩擦を少しでも緩和するために現在とりうるひとつの有効な手段である。かかる視点から見れば、慶応義塾大学出版会から刊行が進む一連の「日中戦争の国際共同研究」シリーズは、このような試みの第一歩といえよう。

 いま読み進めている大杉一雄氏の『日中十五年戦争史―なぜ戦争は長期化したか』(中央公論社、1996年)を読み終えたら、まず『日中戦争の軍事的展開』を手に取りたい。早く読みたいのはやまやまだが、しばらくは残念ながら余裕がない。

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□2006年6月20日(火)  院ゼミ

 院ゼミ参加のため多摩へ。今日は修士院生3名の修論構想報告、博士院生3名の博論構想・研究計画報告だった。修士院生は各20分、博士院生は各15分。3時間以上の長丁場であったが、時には負荷をかけることも必要だろう。

 博士院生は所詮「自己責任」の世界であるが、修士院生については提出期限まで半年を残すのみなので、今の時期に「問題関心―命題・仮説―史料・データ―結論の着地点」が描けていないようだと、この後どんどん厳しくなってくる。その意味で、この時期に「研究構想の全体像」についてチェックをいれ、しかるべき軌道修正をしておくことは重要であろう。

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□2006年6月18日(日)  父の日



去年の手と今年の手

 息子も1歳半になった。とりあえず自分の父親を「パパ」と認識しているようである。それにしても随分と手も大きくなった。

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□2006年6月16日(金)  日中戦争関係研究を読み返す

 気分転換を図る意味もあり、今日は北先生の『日中開戦―軍法務局文書からみた挙国一致体制への道』(中央公論社、1994年)と臼井先生の『新版 日中戦争―和平か戦線拡大か』(中央公論新社、2000年)を読んだ。

 前者は「事変」という概念と「日中戦争」の現実との「乖離」という問題について、海軍の法務関係者がどのように認識していたのかを海軍法務局文書に依拠しながら丹念に跡づけたものであった。周知の通り、後者はかつて臼井先生がお書きになられた同名の著作(中央公論社、1967年)を書き改められたものであり、時間が限られたなかで日中戦争の全体像を把握するには格好の書籍といえるだろう。

 途中まで読んでいて、先に旧版を読んでからこちらを読んだ方が良かったことに気がついた。とはいえ、すでに自宅前のバス停から渋谷まで行く、小雨そぼ降るバスの中。書斎に取りに帰るわけにもいかない。とりあえず読み進めた。

 佐藤尚武外交の部分に大変興味を持った。

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□2006年6月14日(水)  髭鬚張魯肉飯

 某公共放送局で打ち合わせのため渋谷へ。放送局の中に入るのは大学生の時に同局の番組出演して以来のことだ。番組放送日までちょうど2ヶ月。できる限りの協力ができればと思う。

 せっかく渋谷に来たので台湾料理「髭鬚張魯肉飯」で遅めのお昼を食べた。魯肉飯は台湾の屋台料理で、豚挽き肉の柔らか煮込みぶっかけご飯という表現が妥当だろうか。甘辛い味付けは日本人にもなじみ易く、いわゆる「クセになる味」である。台湾だと屋台ごとに味が違うので、いろいろな屋台の味を楽しむのが台湾に行った時の私の楽しみとなる。今日は排骨と青菜とがセットになった「お肉たっぷりセット」を堪能した。

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□2006年6月12日(月)  紫陽花



あじさい

 息子が通っている保育室に行く途中には様々な花が咲いている。そのなかでも6月といえば紫陽花。何軒か庭中に紫陽花を植えている家があるのだが、その中でも一軒だけずば抜けて色鮮やかな紫陽花が咲いている家がある。どうやら庭に古くなって、錆が浮いている電化製品などが置いているせいか、土壌に鉄分が多く含まれているようだ。息子も前を通るたびに「きれい!きれい!なっ!」(「な」は「はな」の最後の字を表現している)と喜んでいる。それとも猫が庭にたくさんいるので、肥料が豊富なのだろうか...?

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□2006年6月9日(金)  改めて平井さんの「でんでこ棒」

 水曜日、平井さんの「でんでこ棒」の「揺れ」について論じたが、どうやら新たに発注していた「ニューでんでこ棒」が到着したらしく、今日の番組ではトップの丸い素材が「汚れないゴム状のものになり」なおかつ「柄が長くなった」真黄色の「でんでこ棒」に変わっていた。

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□2006年6月8日(木)  増刷注文と「男前」豆腐

 博論の在庫が底をついてしまったのでソフトカバー製本のものを10冊追加注文した。製本代は手頃なのだが、1部あたり372枚もコピーしなければならないので、コピー代が馬鹿にならない。皆さんは薄い博論を目指しましょう!今回も前回同様、神保町の日本文書さんにお願いした。火曜日の午前中には納品とのこと。確実なうえに極めてスピーディーな仕事に感謝。

 柄にもなくテレビ番組につられて男前(?)の私が「男前」豆腐を買ってしまった。近くのスーパーはお豆腐コーナーが充実しているのだが、昨日の今日ということもあり、「男前」豆腐の棚はもう最後の一個という状況になっていた。土地柄、近所に数多く昔ながらのお豆腐屋さんがあり、なおかつ一時期話題にもなった若いお兄さんがラッパを吹いて、のぼりを立てて、リアカーを引いてお豆腐を売りに来る地域(世田谷周辺)なだけに、様々なお豆腐を食べる機会に恵まれているが、その中でも「男前」は美味しいほうに入るんじゃないかなぁ...。

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□2006年6月7日(水)  平井さんの「でんでこ棒」

 夕方のNHKニュースのお天気コーナーを担当する平井さんの黄色い「でんでこ棒」の汚れが目立ってきたのは周知の通りだが、5月末だったか、突然登場した柄がピンク、先の玉が真っ黒の派手な「でんでこ棒」はその後全く登場しなくなってしまった。あれから一週間。新しい「でんでこ棒」は発注されたのか。しばらくは黄色で行くのか。気になって仕方ない。それにしても、その日の気分が声から読み取れる平井さんのお天気解説はいつ見ても楽しい。

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□2006年6月6日(火)  休講

 今日は大学で院ゼミの予定であったが、修士課程の院生が体調不良などにより欠席したため、仕方なく休講となった。おかげで妻の誕生日を家族でお祝いすることができた。

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□2006年6月4日(日)  戦後東アジア国際政治研究会

 戦後東アジア国際政治研究会に参加するため本郷へ。日曜日にもかかわらず20名近い院生が集まり、合計4時間近くに及ぶ研究会は盛況であった。

 第一報告は、早稲田の研究生となった張さん。米中接近と中越関係に関する報告。米中接近とベトナム戦争における中国の対越支援問題。中ソ対立とソ連による対越関与の強化。米国のベトナムからの「名誉ある撤退」。最近、米中接近と国交正常化の政治過程について少し勉強を始めたので大変参考になった。

 第二報告は、神戸の井上さん。台湾学会でコメンテイターをされるために上京されていた機会を捉えてご報告をお願いしたものだ。今週中にも米国留学へと出発されるという。1960年代の国連における中国代表権問題をめぐる日本政府の対中国政策に関する報告。いわゆる「二つの中国」実現の戦略手段として、中国代表権問題を利用しようと試みた日本政府の思惑に関する実証的な研究は、1950年代における日本政府の「二つの中国」政策問題に取り組む立場にある私にとっても大変刺激的であった。

 「政策として実際に存在したこと」をどのように実証するのかという問題は、「立案―決定―執行―(結果)―評価」という政策過程のどこまでを考察の対象とするのかにもよるのだろうが、少なくとも1950年代については、まだまだ議論の余地が残されているといえよう。

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□2006年6月3日(土)  日本台湾学会

 台湾学会の大会参加のため一橋大学へ。台湾大好きな私だが、諸事情によりこれまで入会は先延ばしとなっていた。国分先生、松田先生にご推薦のサインを頂き、ようやく入会がかないそうである。

 お昼の休憩が少し長めだったので、立川まで足をのばし、昔よく通っていたラーメン屋さんに行った。都市整備が進む立川駅周辺だが、私が高校生だった15年前と比べ、南口は随分と雰囲気が悪くなっていた。さらに残念なことに「スペシャル中華」の味も変わっており(酢が入っている?酸味が強くなったような...)、かつての名ゼリフ「ニンニク少なめ」と指定しても、店員が不思議そうな顔をしてこちらを見ている。

 昔の記憶はよく美化されると言うが、食べ物に関する記憶と言うのは本能的なもので、結構強く残っているものではないかと思う。その意味で、最近行きつけているラーメン屋さんの味に親しみすぎたという理由もあるのだろうが、目の前にある一杯のラーメンとして評価したとしても、「もう一度行きたい」と感じるものではなかったな...。記憶の美化という問題ではないようだ。

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□2006年6月1日(木)  戦後日中関係を振り返る

 久し振りの更新。奨学金関連書類の提出を終え、取り敢えず次の仕事にとりかかれる状況になった。

 今日は渋谷で某公共放送局の方と戦後日中関係について意見交換。ジュネーヴ交渉をはじめ、知られているようで知られていない1950年代の日中関係の展開について、私の専門である「人道問題」解決交渉と絡めながら、2時間弱でご紹介させていただいた。もちろん、番組制作という目的があってのことだが、冗長な説明を真剣に聞いてくださり感激。現状の日中関係を打開するためにも、何かお手伝いできればと思う。

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