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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2006年5月)


□2006年5月21日(日)  ラーメンと鯛めし

 少し体調が戻ったので、家族みんなで行きつけのラーメン屋さんへ。食事をするために息子を連れて行くのは初めてである。つまり、息子にとっては人生初めてのラーメンとなる。ここのラーメンは高校生の頃に嫁さんとよく一緒に行っていた立川の「あじまる」のとんこつ醤油ラーメンに良く似ていて、いわゆる「一度食べるとまた無性に食べたくなる」味である。

 往年の巨人軍の名投手(?)の名前から店名をとったそうだ。にんにくが効いていて、かなりこってりとした味だが、息子はたいそう気に入った様子で、子供用のどんぶりから元気良く麺をすすっていた。



鯛めしまつり

 夕食は鯛めし。鯛がまるごと一匹入っている、土鍋で炊いて食べる「男鹿 鯛めしまつり」という商品である。「鯛を徹頭徹尾骨まで食べ尽くす」のキャッチ・コピーだけあって、鯛の骨もさくさくと香ばしく、子供でも骨を気にせず食べることができる。ごはんも同封されていて、小一時間浸した後、5分ほど中火で加熱、沸騰したら弱火にして15分、あとは10分間蒸らしてできあがり。簡単である。



炊き上がり

 写真栄えを意識して土鍋で挑戦。なかなかいい感じに仕上がった。大人2人、赤ちゃん1人であっという間に完食。最後にお茶をかけて、おこげを削ぎ落として、香ばしいお茶漬けに。お値段は知らないが、自宅でやるパーティーなんかで、飲んだ最後に「締め」で出てきたら最高だろうな。 

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□2006年5月20日(土)  季節外れの風邪

 「満州国」史研究会の事務局会議に参加。昨日の無理がたたったせいか、季節外れの風邪をこじらせてしまったようだ。会議の着地点を確認して帰宅。若手を中心とした新しい試みだけに何とか軌道に乗ればよいのだが。良い報告が続けば、自然と定着していくだろう。

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□2006年5月20日(金)  書架増設



リビング

 水曜あたりからどうも疲れが取れず、微熱もあったので、「どうしても疲れた時に飲む。インフルエンザに効く」という「牛黄(ゴオウ)」を飲んで昨日の晩は早めに寝た。漢方薬剤師をつとめる義母にもらったものだが、改めてネットで調べてみると、「牛の胆嚢や胆管中に稀に発見する『胆石』を乾燥させたもので、『上薬』(命 を養う薬)に類別されている」ものらしい。これが効いたせいか、朝から身体が軽く、気力が漲っていた。嫁さんに言わせれば、「そんなにいきなり元気になると、後で反動が来るよ」とのこと。それにしても身体が軽い。

 そんなわけで、玄関に山と積まれていた本を整理するため、書架を増設。『日本外交史』や『中国共産党史資料集』を収めたそれは、数多い書架の中でもひときわ格調高い。玄関がすっきりしたので、嫁さんも大満足。漢方だから副作用はないだろう。「牛黄」万歳!?

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□2006年5月18日(木)  新たな研究構想

 優秀な研究者は、夜、寝る前に布団の中で自分の現在進めている研究とは全く異なるテーマの本を読み、次なる研究の課題を思索するそうである。凡庸な私がそれを実践しようとしても難しいが、かねてから暖めていた研究課題を形にして研究助成に応募しようと、新たに申請書の作成に取り組み始めた。締め切り直前なのだが、すでに文面はまとめてあるため、ギリギリで間に合いそうだ。

 詳細は企業(?)秘密なので明かせないが、課題名は「『神話』をめぐる日中市民社会の接合―受け継がれる『撫順の奇蹟』と日中間の『歴史認識』問題」。かねてから取り組まなければならないと考えていた研究課題のひとつである。このような着想は、先だって開かれた中国社会科学研究会のシンポジウムでジョージ・ワシントン大学歴史学部準教授の楊大慶先生が紹介されたポール・A・コーエンの「歴史は事実、体験、そして神話...」という言葉から得たものである。採否はともかく、面白い研究になりそうだ。

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□2006年5月17日(水)  学会報告決定

 秋に予定されている国際政治学会の自由論題部会で報告することが正式に決定した。

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□2006年5月16日(火)  三田から多摩へ

 午前中は元駐ロシア大使渡邊幸治氏をゲストに招いて開かれた慶應義塾大学の国分先生の院ゼミに参加させていただいた。本年度は1980年代から90年代にかけての日中関係を集中的に研究されていくとのこと。中国の改革開放の進展とこれに対する日本のコミットメントの拡大という大きな枠組みのなかで、日中関係が基本的には改善に向かっていった時期であったといえようか。1981年から84年にかけて中国公使を務められていた渡邊氏からは、「日中青年3000人交流計画」の裏話や「国慶節パレードにおける学生の行動がケ小平氏に与えた衝撃」など、数多くの興味深い話をうかがうことができた。

 翻って多摩。今日は修論指導の院ゼミである。報告者は事前にレジュメの配布があった1名。彼は修士であるにもかからわず、すでに中国や台湾で数多くの档案調査を実施しており、史料的な面ではすでに相当のアドバンテージを持っている。構想も昨年度に比べて随分とコンパクトに紹介できるようになってきた。油断せずに着実に作業を進めていけば、いい修論が書けるだろう。

 修論構想報告をめぐる白熱した意見交換の後、今度はいま旬の「学振」の申請書の書き方などについて意見交換。私学に在籍している院生が採用される可能性は極めて低いが、新年度が始まって間もないこの時期に、申請書にある大量の記入項目を埋めるべく、自分の研究計画を練ることは、例えそれが採用につながらなかったとしても、その後の一年間を過ごすうえできっと力になるはずだ。締め切りは間近だが、諦めずに最後まで追って欲しい。

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□2006年5月14日(日)  母の日



鉄道会社設立

 雨降りが続くと息子の機嫌が悪くなるので、家の中でも遊べるようにと、貯まりに貯まっていたビックカメラのポイントを使ってプラレールを大人買いした。基本のレールセットに、江ノ電セット(小田急バス付き)、最新型ロマンスカーのVSE、江ノ島駅などを購入。両手で持てないぐらい買ったのだが、随分と安いものだ。

 今日は母の日。夕食は手巻き寿司にした。近くのスーパーまで出かけた道すがら、小田急の和泉多摩川駅にある小田急グッズショップで「8000形」を購入。小田急三兄弟を揃えることに成功した。

 帰宅後、部屋いっぱいに作り上げた大澤電鉄を見て息子は大興奮。それも「自動切換えポイント」などを導入して三兄弟を一度に走らせたものだから、部屋中をぐるぐる回って大絶叫。もちろん、興奮しすぎて、その晩寝つきが非常に悪かったことは言うまでもない。

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□2006年5月12日(金)  世界政治研究会

 世界政治研究会参加のため本郷へ。今日は戦後東アジア国際政治研で一緒の佐橋さんによる「ジョンソン政権と台湾海峡両岸―信頼性と自己抑制」なる報告。中国の核開発、ヴェトナム戦争、そして「大陸反攻」をあくまで叫び続ける台湾に対する拘束の強化。これらの問題についてジョンソン政権期の米国外交がいかに対応したのか。その政策はそれ以前の米国外交と連続性を持つのか。あるいは断絶するものなのか。このような課題について「信頼性」と「自己抑制」という概念を使って説明しようとする試みであったと理解。『日本台湾学会報』第8号(2006年5月)に掲載予定とのこと。

 現代中国外交を研究する私としては、米国外交に観察されるという「自己抑制」の起源という問題に関連して、新中国建国直後に発生した朝鮮戦争における米中衝突とその結果が米国外交にもたらした「対中心理的外傷(トラウマ)」という点を指摘した。私の研究に引き寄せれば、1950年代半ば、米中大使級会談開始と前後して、日本政府が「頭越し」の米中接近の可能性、つまり米国の対中不承認政策の電撃的変更に恐怖した最大の原因が 、戦前の独ソ不可侵条約締結という歴史的経験による「トラウマ」にあったように、米国外交にも同様の「トラウマ」があったのではないのかという点である。過去の事件が原因で最後の引き金が引けない西部時代劇に登場する悲劇の保安官。評価の分岐点は「強いアメリカ」に対する憧憬の有無にあるのかもしれない。

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□2006年5月11日(木)  中国外交部档案の新規公開

 昨日、中国外交部档案館が25651件の公文書を新たに公開した。対象期間は1956年から1960年。5月上旬の公開については、すでに関係者より早い時期から情報を得ていたが、予定通りの公開にひとまず安心。この期間には、日本人「戦犯」帰国問題に関する天津会議(1956年6月)や第二次ジュネーヴ日中政府間交渉、第二次李徳全訪日、第四次日中民間貿易協定交渉、劉連仁事件、さらには長崎国旗事件やこれを契機とする日中交流全面断絶など、興味深い案件が数多く存在している。

 『人民網』の記事によれば、日本人「戦犯」釈放に関する外交文書の公開が確認できる。「戦犯」問題については、天津会議をめぐる中国外交部と中国紅十字会連絡組の事務連絡、さらには周恩来の訓令などがどれほど公開されているのかが私の最大の関心事であるが、前回の公開状況から勘案するに、大いに期待している。また、細かい話だが、1956年3月の日中両国赤十字による「北京了解」をめぐる中国側の思惑がうかがえる史料があれば、まさに文句無しである。問題は、いつ行くかだ。

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□2006年5月9日(火)  院ゼミ参加 〜王嚼カを読む〜

 院ゼミに参加。本年度は戦前の名著・王嚼カ『六十年来中国與日本(中日外交六十年史)』を輪読するとのこと。満州事変勃発後、『大広報』で同氏が連載していた日清修好条規以来の60年間の日中関係史に関する論述をまとめた長編の著作である。

 戦後、龍溪書舎から出版された復刻版(戦前に波多野乾一・長野勳両先生が翻訳されたもの)に付された大畑先生の解題によれば、本書は、満州事変に至る近代日中関係史を回顧し、「中国民族の覚醒」と「日本民族に対しても歴史への反省、覚醒を間接的に促す」ものであるという。時代性もあるが、目次をざっと見る限りでも、本書は明治以来の日本の計画的対中侵略戦争史観が色濃く反映されたものとなっている。

 本書の歴史的意義を考える場合、中共党史の展開などにも関心がある私としては、抗日戦争時期の中国共産党の歴史認識、さらには戦後の中国政府の歴史認識に本書が与えた影響がどのようなものであったのかと言う点に興味を持つ。いわゆる「侵略史観」の系譜と言う問題である。勿論、歴史の評価は立場が異なれば、見方も異なる。中国側から見た場合、近代日本による一連の対外拡張政策とその結果を「侵略」と評価することは至極当然のことだろう。「侵略」という特定の視角から、一連の歴史的事件を評価し、これをもって近代日中関係史の全体像を評価する本書は、その是非はともかく、現在の日中間における歴史認識問題にも多大な影響を与えているといえよう。

 もっとも、戦前の中共党史に関する修正が進みつつある今日、「実事求是」という科学的な歴史研究姿勢が本書の提示する近代日中関係史の枠組みを打破できるのかどうかと言う問題は、中共党史の修正とはまた異なる政治的問題が関連してくることは改めて指摘するまでもない。

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□2006年5月4日(木)



一面の緑と息子〜多摩川のかわらにて〜

 何ら報酬があるわけではないが、仕事は山積みである。学部の頃だったか、ある人に「資金が獲得できない研究なんて単なる趣味にすぎないよ」と言われたことがあるが、確かにその通りかも知れない。とはいえ、報酬の有無にかかわらずスケジュールをこなさなければ前へ進むことも叶わないし、なにより気持ちが落ち着かないので、相変わらずのペースで仕事をしている。日々こなさなければならないワークがあるだけ幸運である。

 ただ、いくら私が研究好きでも気分転換は必要である。狭い書斎で史料とにらめっこばかりしていては息が詰まる。今日は朝からお弁当を作って家族で近くの公園へ出かけた。公園とは言っても、某鉄道会社の整備所の屋上にある広大な緑地公園だが、犬や猫を散歩させる人もおらず、電柱や電線もなく、のんびりとゴザを広げて息子の遊ぶ姿を堪能しながらビールが飲める。もう少しすると一面にポピーの花が咲き乱れ、「お花の公園」に早変わりする。今年も常連になりそうだ。

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□2006年5月3日(水)

 ゴールデン・ウィーク。とはいえ、他の大学院生やポス・ドク同様、この時期は「学振」の申請書作成に追われ、気持ち的には「休み」を楽しむ余裕は無い。採否はともかく、昨年度の研究活動の反省を踏まえて今後の自分の研究の方向性や意義などを真剣に考えるこの作業は、苦しいながらも極めて重要なプロセスである。

 寄稿していた「『戦後日中民間人道外交』と岸信介内閣」の再校原稿が届いた。翻訳はいくつかあるが、執筆論文が「本」に収録されるのは初めてである。暗中模索が続くなかで、久しぶりの明るいニュース。5月末には刊行予定とのこと。執筆者には著名な研究者が並ぶ。身に余る光栄であり、これをバネにさらなる奮起を図りたい。

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