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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2006年3月)


□2006年3月28日(火)

 知人から案内を頂いていた日中若手歴史研究者会議に参加。現在問題となっている日中間における「歴史認識」問題の起源、展開、さらには解決の方法論をシンポジウム形式で議論するというものであった。戦前、戦中、さらには戦後とそれぞれの時期を専門とする新進気鋭の若手研究者による自らの専門を踏まえた報告ならびに問題提起は、歴史学者ならではの底のあるものであり、普段参加する国際政治系の国際シンポジウムとは一味違う印象を受けた。

 個別の報告については、東大出版会から2006年5月中旬に『国境を越える歴史認識――日中対話の試み』という形で出版されるとのことなので改めて触れようと思うが、ふたつほど勉強になったことを書き留めておきたい。

 ひとつ目はジョージワシントン大学歴史学部の楊準教授が引用された歴史学者ポール・A・コーエンの言葉。

「歴史は出来事、体験、そして神話...」

 不十分な理解かもしれないが、「総合的な歴史学研究とは、出来事としての歴史的事実を究明すると同時に、現場でその歴史的事実を体験した当事者がどのようにそれを認識し、記憶したのかを明らかにし、さらにその歴史的事実や当事者の体験が後にどのように語られているのかを明らかにすることである」というような意味であろうか。

 自分の研究課題である「戦後日中民間人道外交」という事例に引き寄せて考えてみると、確かにそれはひとつの歴史的事実ではあるが、それを体験した数多くの当事者が今なおそれを「記憶」し、「語り」続けているものでもあり、それはある意味で「神話」化され、今日において数多くの人々の行動に影響を与えている。このように考えると、私の研究はまだ始まったばかりなのだと思わざるを得ない。楊先生とは以前、東京で個人的に意見交換の機会を頂いたことがあったが、いつも次の研究につながるインスピレーションを与えてくださる。

 もうひとつは、中京大学教養学部の浅野先生による「台湾」をめぐる日中認識の相克に関する報告。私にとって「台湾」は現在の仕事の原点ともいえる地だけに、それを研究対象とすることの「難しさ」については人一倍理解してきたつもりである。その難しさを端的に表現された浅野報告は、私に台湾研究の学術的意義を再認識させてくださるものであり、ふと、台湾研究にかけた石田先生の情熱が思い出された。

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□2006年3月27日(月)

 今日は息子が通っている保育室のお別れ遠足に参加。捻挫した左足がまだ痛むが、自宅から歩いて15分ぐらいの世田谷・次太夫堀公園へ。桜はすでに七分咲き。土まみれ、草まみれになって我武者羅に遊ぶ息子の姿に、子供の成長の早さを実感。先生方が用意してくださった沢山の美味しい料理を楽しみながら、ぽかぽか陽気の春の日を満喫した。

 今週末は満開の仙川の桜を楽しむ予定だ。

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□2006年3月25日(土)

 今日は修了祝賀会が予定されていたが、午前中に不注意で左足首をしこたま捻挫。痛くて歩行も困難な状態に。泣く泣く参加を諦めた。日頃の行ないが悪いからかしら...。

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□2006年3月23日(木)

 学位授与式に参加。文系5研究科で今年は34名が博士号を授与された。このうち30歳前後の授与者は私を入れて3〜4名。「出るようになった」とはいえ、やはり授与者の大半が40代から50代に集中している。そう考えると私はまだまだ貫禄不足。なんだか妙にくすぐったい感じ。

 嬉しかったのは、博士の学位記が全て毛筆の手書きで書かれていたこと。修士の学位記は本文が印刷だった。また、金屏風の前で授与者が一人ずつ、家族ともども記念撮影してもらえるのも最高学位ならではと言えようか。

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□2006年3月22日(水)

 学生研究室の荷物を搬出。教授から譲り受けた『日本外交史』全34巻+αは想像以上の重さであった。ガランとした研究室の書棚は何となく寂しい気もするが、これ以上取得する学位もないので、ひとまず学生生活を終えるしかない。

 学部時代を含めると中央大学には通算10年間お世話になったことになる。もっとも、春から研究環境が特段変わるというわけではないが、気持ちの切り替えはしっかりやりたい。

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□2006年3月17日(金)

 日中関係発展研究センターの研究会に参加。南京大学の陳教授による戦前期における日本の対中投資に関する報告。全編中国語での報告だったが、大変聞き取り易かった。

 とりあえず大学研究所の客員研究員として登録申請することができ、新年度も中央図書館をこれまで通り使えそうだ。研究そのものは何とかなるだろう。

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□2006年3月15日(水)

 院ゼミの後輩2人がお祝いをしてくれた。生のヱビスを片手に、マスターのこだわりの料理を堪能しながら楽しい時間を過ごした。参考にはならないかも知れないが、やはり後輩向けに簡単な大澤版「博士号取得への道」を書いておいたほうがいいのかなぁと感じた。彼らのとりあえずの目標はそこにあるのだから...。スケジュール感を持って数多くのイヴェントをこなして行かなければ、決してゴールには辿り着けないのである(もちろんゴールはあくまで通過点に過ぎず、その後がもっと大変なのだが...)。

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□2006年3月12日(日)

 実家からとんぼ返りをして休む間もなく本郷へ。戦後東アジア国際政治研究会に参加。

 報告者は二人。東大院生の林さんによる1970年代後半の日中関係、それも対中経済援助の開始決定過程に関する研究報告と慶応大学院生の吉田さんによる1970年代における国際構造変動と日本の防衛政策の連関に関する研究構想報告。いずれもほとんど手をつけていない1970年代に関する報告だったが、1950年代や1960年代の日中関係との比較という点から、大変興味深く議論に参加することができた。吉田さんが扱った防衛政策問題と関連して、少し兵器関連の本を読んでみようとも思った。

 終了後の懇親会では、研究計画作成のために自分の問題意識を深める目的もあり、現代中国外交における毛・周関係を如何に捉えるかという問題について、友人にアドバルーン的な問題提起を試みた。最高政策決定者と政策執行者の関係。最高政策決定者の認識と政策執行者が直面する国際社会の現実の乖離。1970年代における中国外交の「転換」を考える前提として、それ以前の時期の中国外交の内実についてもう少し緻密な実証研究ができれば...などと考えている。

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□2006年3月11日(土)

 なぜこの卵はこんなに美味しいのだろうか。両親が実家から来る度に、あるいは家族で実家に帰るたびに、父や私が車を飛ばして入間にある「○ファーム」さんに卵を買いに行く。お世辞にも良いとは言えないロケーションにあるが、みんなここの卵を求めて次から次へと車でやってきては、両手いっぱいに手提げ袋を抱えて再び車に乗り込んでいく。

 こんもりと盛り上がる黄身、それを支える白身の力強さ。まるで透明の砂丘に立つピラミッドである。あまり贅沢を覚えるのは良くないが、息子はここの卵で作った厚焼き玉子が大好きである。運悪く卵が切れてしまって、近くのスーパーなどで一番高い卵を買ってきて作っても、あまり食べてくれない。嫁さんもここの卵でしか卵かけご飯をしない。でも、それはそれで良いことだと思う。

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□2006年3月10日(金)

 かねてより欲しがっていた「ドゥ!レミパン」を、学位取得のお祝いとして妻がプレゼントしてくれた。結婚以来使い込んできたフライパンがもうそろそろお役御免になりかけていたこともあり、少し深手で、蓋が凛々しくスタンディングし、なおかつ蓋をしたまま差し水ができるこのフライパンは、陽気な黄色のボディカラーとも相俟って、台所に立つ私の男心を常にくすぐってきた。それが今この手に...。息子の大好物である「トマト煮込みハンバーグ」を大量に作る際にもきっと役立ってくれるだろう。揃えておきたい男の必須アイテムである。

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□2006年3月9日(木)

 某政府機関にて面接試験。「博士なのに研究調査以外に雑巾掛けみたいな仕事もできますか?」との質問。文系博士の就職難という状況を受け、私だけでなく、周囲も皆大変である。とはいえ、博士と言う学位は決して自分だけのものではなく、大学そのものの評価にも関わってくるものだと改めて自覚する。「あの大学の博士は...」などという事態は母校の為にも絶対に避けなければならない。厳しい時だからこそ自尊心を保たなければ...と反省。今後につながる前向きな作業として、講義計画とレジュメ作りに取り組もうと思った。面接官の方々の率直な助言に感謝。

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□2006年3月6日(月)

 1月下旬、某学会の2006年度研究大会での研究報告を実現すべく、報告趣旨を添付して報告希望を出しておいた。報告希望者が多いようで、改めて報告趣旨の展開版を送るようご指示を頂いていた。A4で2枚。できるだけ読みやすい、わかりやすい文章で端的にまとめたいと思うのだが、博論の概要紹介だけに要約するのも、展開するのも難しい。何とか、書き上げてメール。

 実際の報告では「戦後日中民間人道外交」における中国政府の理念と戦略について、事例研究に基づき問題提起したいのだが、中国側公文書の利用を含め、どの部分を強調するか、もう少し練り込みが必要。時間内でいかに面白く、フロアーの興味を引くように報告するか。今後は「見せ方」にも気を配ることが求められよう。もう「学生」という言い訳はできないのだ。

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□2006年3月5日(日)

 早稲田で開催された第18回中国社会科学研究会国際シンポジウムに参加。テーマは「多元化する日本と中国」。谷口岩手県立大学学長による基調講演「『東アジア共同体』と日中関係」に続いて、第1セッションは「多元化するアクター」と題して次の報告があった。

 @王南京大学客員教授「日中関係における中国民間アクターの台頭と影響」
 A白石OurPlanet-TV共同代表「日本におけるメディアの多元化と日中関係」
 B田畑神奈川大学教授「日本の右傾化と中国のナショナリズム」

 自分の専門との関連で述べれば、細菌戦問題訴訟を通じた日中民間における「和解」の実現について論じた王客員教授の報告は、国交正常化以前の「戦後日中民間人道外交」がなし得なかった日中対話の今日的な事例を扱ったものといえようか。とはいえ、やはり今日においても、日中関係における「民間」という概念の定義は難しい問題だという感想を持った。中国における「民間」をどのように定義するか。「アクターの多元化」を考えるうえでは重要な論点であろう。

 また、第2セッションは「多元化するファクター」と題して次の報告があった。

 @富士通総研田邊氏「東アジアエネルギー共同体構築へのプログラム」
 A東大院生孫氏「日中『文化交流』再考」
 B津上東亜キャピタル社長「日中経済的相互依存の現状と課題」

 田邊氏と津上氏の報告からは、日中関係が待った無しに「運命共同体」になりつつあることを改めて実感。とはいえ、最後に山田先生は、客観的条件の存在は日中政治関係改善の必要条件に過ぎず、やはり歴史認識や靖国問題などに関する日中双方の共通認識の形成が十分条件として不可欠である、と総括された。加えて、かかる共通認識については、19世紀半ば以降の歴史を世界史的な観点から見直すことで構築し得るのではないかとご指摘。

 期待の孫氏の日中「文化交流」再考は、これまで歴史学的なアプローチで行なわれてきた戦後日中民間外交の研究に対して、ある種「社会学的」、「哲学的」あるいは「心理学的」なアプローチからのものとなっていた。やはり「文化」という問題を扱う以上、原史料の操作だけでは難しく、このような接近方法が必須だと実感した。

 半日の国際シンポジウムではあったが、極めて水準の高い、自分の勉強不足を認識させられる時間となった。お話に付き合ってくださった皆様、ありがとうございました。  

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□2006年3月3日(金)

 研究会に参加。ひとつは南開大学日本研究院の楊教授による研究報告。テーマは東アジア共同体と日中関係に関する分析と展望。もうひとつは清華大学歴史系の劉助教授による報告。自己紹介を兼ねた簡単な報告だったが、いわゆる隋・唐代以前における中国文化(年中行事)の日本移入について報告された。

 春休みということもあり、参加人数は少なかったが、現在話題の「東アジア共同体」に関する問題から、はるか昔の中国の「行事」(「卯杖」や「亥の子」など)の移入時期に関する問題まで、日中関係の長さとつながりを改めて感じさせられる有意義な時間となった。

 東アジア共同体構築過程における日中協力問題に関連して楊教授が提示された「連米帰亜」という、日本外交の目指すべき将来像は、東アジア共同体に対する米国のコミットメントのあり方を規定するものであり、その「連米」の内実とも関連して、今後、中国との対話が必要な問題となろう。とはいえ、教授がご指摘された通り、日中対話の可能性は「現在、客観的な条件はない」。

 本日の教授会で博士号授与が正式に承認されたとのこと。

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□2006年3月1日(水)

 面白そうな研究報告の案内を頂いた。今度の中国社会科学研究会シンポジウムで「日中『文化交流』再考」なる論題で報告する東大の院生がいるらしい。対象時期などに関する副題はないが、セッション・テーマが「多元化するファクター」となっていることから、戦後、あるいは最近の事例を扱うのではなかろうか。戦後日中関係について、「経済外交」や「民間人道外交」のみならず、「戦争交流」なる理解の枠組みが提示される今日、「文化交流」に関する独自の理解の枠組みを提示する研究が登場しても不思議はない。戦後初期の日中関係で考えれば、冷戦下における中国の対日和平攻勢という文脈で実施された、中国による文化紹介事業をいかに評価するのか、という問題になろうか。また、最近の話題で言えば、文化輸出や市民社会の接合などが思い浮かぶ。いずれにせよ、楽しみである。

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