トップログイン




大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2005年11月)


□2005年11月30日(水)

 出張のため天津へ。南開大学日本研究院にて研究交流。中国における日本研究の有力な拠点である同院を視察したことで、現在取り組んでいる仕事の「完成像」の一端を自分の脳裏に明確に描くことができた。

コメントトップ



□2005年11月26日(土)

 研究会に参加。博士論文を著作として刊行するまでの間に成すべき事についてH先生から数多くの重要なご助言を頂いた。無論、論文審査の結果如何だが、もうそろそろ心の準備と具体的なプラン策定に動かなければいけない段階に入りつつあるようだ。「学位+著書」という就職の条件は、越えなければならないハードルと言われるが、そう簡単ではないようだ。

コメントトップ



□2005年11月25日(木)

もしもし健伸くん
 年末も近づき、公募も随分と多くなってきた。最近はパソコンで作成した履歴書でも受け付けれくれるそうだが、やはり「履歴書」は手書きが原則だろう。「〜修了見込み」まで書くのに12行。冗談ではなく、果たして「いざ」と言う時に民間には戻れるのだろうか...。

コメントトップ



□2005年11月24日(木)

 免許の更新をすっかり忘れていた。結婚して独立してからは、車が実家にあることもあり、月に1、2度ぐらいしか運転していない。ドライブとスポーツ・カラオケが何よりのストレス解消法である私としては辛いところであるが、あいにく現在住んでいる場所では車に「実用性」は見出せない。徒歩と電車で充分ストレス無く移動できる。再びゴールド免許で5年間有効。次の更新は37歳か...。

コメントトップ



□2005年11月23日(水)

 誕生日。32歳になった。最初の大学卒業から10年。もうそろそろ学生生活から卒業したいものだ。

コメントトップ



□2005年11月22日(火)

 「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」とのT田先生のお言葉。まさにその通りである。

コメントトップ



□2005年11月21日(月)

 ご依頼を頂いていた日中関係論文集への寄稿小論を脱稿。論題は「『戦後日中民間人道外交』と岸信介内閣」。これまで公表してきた関係論文の岸内閣期部分をまとめ直したものだが、日中関係の今日的な課題を考えるうえで示唆の多い時期だと考えている。副題は「『政冷経熱』の起源をめぐって」...。大上段に構えた感じだが、数多く存在する「要因」のひとつを実証を踏まえて指摘しておくことも無駄ではないだろう。

 午後は終日会議。

コメントトップ



□2005年11月20日(日)

 中国有名大学の教授を囲んでの歓迎会に参加。宴席における日中交流がいかにあるべきかを大いに学ばせて頂いた。もとより奥ゆかしさを美徳とする日本人ではあるが、これからはそうも言っていられない。来年以降の中国滞在に向けた「鍛錬」が少しばかり必要だろう。集中的なヒアリング特訓の成果も徐々にあらわれているような、いないような…。

 今後の研究活動について大変貴重なご助言を頂くことができた。高橋選手の復活劇は私の今後の短期計画を策定するうえで大きな刺激となった。

コメントトップ



□2005年11月19日(土)

 久しぶりに総合政策研究科のセミナーUに参加。報告者は修士論文提出予定者の4名。4時間半以上におよぶ長丁場であった。いろいろな意味でよい勉強になった。恩師とも久しぶりに話し込むことができた。ふと気がつくと電車は終了。水道橋から自宅まで夜中のドライブを楽しんだ(思ったよりタクシー代は安かった)。

コメントトップ



□2005年11月18日(金)

 自分の研究の社会的影響について。「三団体方式」による日中民間「人道問題」解決交渉の展開過程の解明を目指した私の研究は、今日各地で行なわれている数多くの国賠請求訴訟と密接に関連している。この点については論文序論の冒頭でも触れさせて頂いた。学会や研究会などでもフロアからは必ずと言って良いほど「国家の不作為責任」に関する質問が投げかけられる。

 今日は10名近い法曹の方々を前に研究報告をさせて頂いた。訴訟における技術的問題は皆目検討もつかず、おそらく的外れな応答に終始したと想定されるが、事実関係については私の能力の範囲内で再構成することができた全体像をご案内させていただいた。訴訟のゆくえには今後も注目し続けたい。

コメントトップ



□2005年11月17日(木)

 ご依頼頂いていた日中関係論文集への寄稿。締め切り5日前に暫定稿の確認をお願いしていたが、字数制限が緩和されたとの連絡を頂き、幸いにも大幅に省略せざるを得なかった脚注を復活させることができそうだ。

 大学院事務室から学位申請論文の追加提出を依頼される。すでにハードカバー製本した論文を3冊提出してあるが、審査の先生が論文を読み込むために書き込み可能な打ち出し原稿が必要とのこと。稚拙で冗長な論文を丁寧に読み込んでくださる先生に感謝の想いで一杯になる。一昨日ちょうどソフトカバー製本した論文が自宅に到着。打ち出し原稿を綴じたものよりはずっと扱い易そう(重量は同じだが...)。さっそく事務室へ届けよう。

コメントトップ



□2005年11月16日(水)

 気分転換も含めてHPをリニューアル。今流行りの「ブログ風」にしてみました。とはいえ、コメントなどの機能はありません。掲示板などを介した議論は神経が擦り減るだけですからね。

コメントトップ



□2005年11月4日(金)

 忙しい1週間だった。来春以降の身の振り方を考えるべく、いろいろと動きまわった。腰の重い私としては、在外研究を本格的に実施するための準備を始める良いきっかけになったのではないかと思っている。すべては論文審査、最終試験などが終わってからの話だが、いくつかの可能性を残しながら、ワーストケースに備えなければ...。一番忙しくなるはずの半年間に、新たな懸案が加わったことは残念だが、研究を続けるということがどういうことなのか、真剣に考えることができた1週間だったと思う。

 今朝、大学院事務室に一通のファックスを頂いた。1950年代の日中関係を研究しているならば誰もが知っている、あの「T商事」のS氏のご家族からのものだ。新中国と第1号バーター契約を結ばれたS氏も91歳でご健在とのこと。一介の学生に過ぎない私に玉稿を託された。戦後、国交不在の時期に身を賭して日中友好を追い求めた「井戸掘り人」たちは現在の日中関係を極めて憂いている。私自身が日中関係研究を志す意味を改めて気づかせて頂いた。

コメントトップ


Copyright(C)1995- OSAWA Takeshi. All Rights Reserved.
(ポップアップ・メールのアドレスは@が#に変更してあります)