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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2003年11月)



□2003年11月下旬

 最近、早稲田大学のCOEプログラム事務局からの研究会のお知らせが多い。今年6月に開催されたシンポジウムで正式に発足した研究プログラムだ。中国研究院生フォーラムもこのプログラムに発展的に吸収され、さらに活発に活動を行なっている。大きな目的と周到な計画、そして潤沢(?)な資金を以って進んでいるように見えるCOE研究体制は、これに所属する若手研究者にとって大きなチャンスになっているようだ。COE特別研究員やCR、RAとして活動する経験は、研究者としての基礎を確かなものにする人的ネットワークの形成に大きく貢献することになるだろう。なんともうらやましい限りである。

 確かに私自身も学内の研究プロジェクトに所属し、RAとして研究補助活動をさせていただいている。だが、どちらかというと「自由放任主義」的環境にあり(ある意味においてこれは学生にとっては極めて恵まれた環境であるようだ)、また、外部と「強い」関係を持ちながら研究活動を行なっているというわけではない。そのため、人的ネットワークを作るために個人的には外部の研究会にできるだけ積極的に参加するように心がけてはいる。しかし、やはり「お客さん」としての参加ではおのずと限界があるという現実は否めない。とはいえ、単独の「研究者」としてプロジェクトに参加させていただくには実績面においてまだまだである。この問題を如何に解決していくかが来春以降の課題になっていくだろう。院生兼学振特別研究員として研究活動ができる今後ニ年間が勝負となろう。心機一転。


□2003年11月中旬

 先行研究がない部分について、一次史料からその具体像を再構成するのは歴史研究の醍醐味である。とはいえ、そこには大きな不安もつきまとうものだ。可能な限りの資料を収集する。並べる。読み込む。全体像に関する構想を練る。言語化する。全ての資料が収集できるわけではない。加えて、それらの資料も完全なものではないことが多い。しかし、資料が完全でないからといって再構成することを諦めてしまってはそこまでである。

 ページの名称を「研究室」に変更した理由。それは、来年度から「院生」と「研究員」の二足(?)の草鞋を履くことが内定したため。新たな気持ちで日常の研究に向き合うため。


□2003年11月上旬

 風邪をこじらせて1週間ほど寝込んでいる。あまり身動きもとれないため布団の中でFRUSを読んでいる。1945年から47年ぐらまでの極東方面を中心に在華日本軍および日本人居留民の復員・引揚関係の文書を読んでいるが、大変面白い。最近、国民政府の東北接収について、当時の外交部長王世杰の日記や台湾側公開資料を利用した研究が盛んになっているが、これらの過程を復員・引揚の観点から読み直してみるとまた趣がある。1950年代に関する議論の前提として1940年代後半の過程を簡単に整理しようと考えていたが、思いのほか苦労しそうだ。

 取り敢えず嫁さんの修士論文もなんとか「形」になり、ひと安心。提出用のファイルのラベル作りなどを手伝って過ごしている。

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