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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2003年9月)



□2003年9月下旬

 インターヴューを数多く行なった9月。ただ、残念なことは、ある先生のホームページに「ジャパン・オーラル・ヒストリー学会」に関する情報が掲載されていたのにもかかわらず、あまりの忙しさにこれをチェックできず。参加の機会を逃してしまった。残念。発足研究会が後楽園校舎であったとは...もっと情報獲得の触手を伸ばしておかないと...反省の9月。
 嫁さんの修士論文報告会も後楽園校舎で無事終了。あとは執筆あるのみ。某学部長(主査)、某委員長(副査)から大変貴重なアドバイスをいただいていたのには驚いた。さらに質疑応答ではなんとも学問らしい議論をしている。旧梅村合同ゼミの報告会に顔を出せなかったのは残念。先生がいなくても勇気を出して訪ねてみよう!


□2003年9月中旬

 煮詰まっている。研究のテーマ自体、なんら革命史を扱うわけでもなく、巨大な国際社会の変動を扱っているわけでもないため、大きな議論を展開する余地がそんなにもあるわけではないのだが、やはり博士論文(あくまで「課程における博士」ですが)として仕上げる以上、文章にはそれ相当の凝縮感(塊感?)が欲しい。

 だからと言って、「熱い思い」の伝わらない、淡々とした硬い文章も困る。ここ一ヶ月半、書いては破り、また書いては破り(正確にはパソコンなので「作成したデータを消し、また作成しては消し」)の生活を送っている。狭い書斎で、妻が修士論文、私が博士論文を執筆している。二人そろって煮詰まっているようでは救いようがない。簡単でないことは百も承知である。いかに最後の段階でより良く表現することに専心するか。教授からは「本を執筆するつもりで書きなさい」とのアドバイス。出版する、しないは別としても、やはり誰かに読んでもらう以上(それも数十万字に及ぶ文章を)、読むことが「拷問」にならないように細心の注意を払わなければいけない。表現する技術が最終的には一番大切なのかもしれない。現在が後になって活(い)きてくる「訓練」の時期なのだろう。逃げるべからず。


□2003年9月上旬

 序論執筆中.すでに研究対象としている具体的な事例が存在する場合,これを如何なる規律で分析するのか.可能な限り一次史料に基づいて政治過程を分析し,これに「歴史的意義」を付与する.歴史学的だ.あるいは,何らかの基本的な国際関係分析モデルを念頭に置き,これに基づいて事例を分析する.しかし,この場合,モデル理論が先行しすぎると,その事例に潜む重要な歴史的意義を見失う可能性がある.それにモデルを無理に貼りつけようすると,間抜けな論文になってしまうこともあるだろう.または,国際法上の「ある概念」の展開過程(思想史的,あるいは国際法上における実定法制定,慣習法の確立などを含めて)を外交政策決定者の対外イメージ認識に投影させながら,その具体的な政策決定の要因を認定する.1949年10月を境として,人民政府を成立させた中国共産党の対外認識の方法が如何に変化したのか.あるいは変化しなかったのか.連続性の問題.ある特定の視点をもってその変化を追いながら,具体的事例の展開過程を論述することが,比較的クリアな記述の進め方になるだろうか.さて,その特定の視点とは...(企業秘密)

 1928年6月4日の張作霖場爆殺事件を主謀した関東軍高級参謀として有名で,戦中は国策会社の山西産業の社長として,戦後は北西実業の総顧問として中国山西省を中心に力を持った河本大作氏の秘書をされていた方と,その死を看取った日本人医師にインタヴューを行なった.戦後,「河本大作供述書」が人民政府のどのようなシステムの中で聴取されたのかを考える上で大変参考になる話しが多かった.この秘書の方は,人民政府成立後,人民政府公安局に日本人居留民の処遇に関する善後措置を交渉しに出頭した際に河本氏に同行して逮捕された人物である.このような活動を研究論文に反映させるところにまではいってないが,残されている時間がわずかであることも最近は実感するようになってきた.

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