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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2003年8月)


□2003年8月下旬

 史料収集にもようやく目鼻がつき,全体的な構想から具体的な章立てへと作業を移行させる段階になった.ここで直面するのが序論で提示すべき方法論的問題である.具体的事例について伝統主義的な手法を基礎に据え論述を進めることは既定のこととしても,その理論化ということになると多くの課題が存在している.勿論,この事例をもとに一般理論を構築できるとまでは考えていないが,これを国民国家体系における国家間外交の特殊事例と捉えるか,あるいはあくまでもひとつの外交手段として捉えるかという点については一定の評価をする必要があろう.日中関係史という「小さな」視座から考えた場合,その「特殊性」をいかに理解するかは重要な課題ではなかろうか.そして,その具体的な展開過程を可能な限り「正確に記述」することは決して小さな仕事ではないと考えている

 8月20日,このページでも紹介している故松井松次氏の奥様が亡くなられた.享年92歳.昨月20日に妻の祖母が亡くなったばかりである.松井氏には私の研究の出発点となる一次史料をご提供いただいた.時の流れは早いものである.これと直接に関係する話ではないが,来月20日には中国帰還者連絡会の創設者である国友俊太郎氏(83歳)のインタヴュー(第2回――シベリア抑留・撫順戦犯管理所時期)を予定している.また,9月2日には河本大作氏の秘書の御息女であり,太原組としてやはり新中国に拘留されていた児玉氏(81歳)のインタヴューも予定している.オーラル・ヒストリーとして,これらのインタヴューをどこまで自分の研究に活かせるか自信はないが,「生きた一次史料」に触れ合える時間が残り僅かであることは事実である.


□2003年8月上旬

 修士論文で提示した「人道交流」の枠組をようやく学会誌で活字化(『アジア研究』第49号第3巻).能力的な問題もあり一年強の期間を費やしてしまった.修士論文では,資料的に随分と詳細なところまで検索して執筆したつもりだったが,いかんせん先行研究がほとんど存在しない領域だけに,今回の公表論文は全体像を提示するだけで終ってしまった.追って,学内の研究所年報で,ある特定の部分について若干詳細化したものを活字化する予定だが(実は今日,その再校原稿が自宅に届いた),自分の論述力の不足に卒倒しそうだ.

 夏休みということもあり,それにしても外交史料館が混んでいる.朝,10時15分を過ぎてしまうと4台あるマイクロ・リーダーが埋まってしまっていて作業ができない.そんな時は近くにある国会図書館の憲政資料室でGHQ/SCAP関連資料を閲覧することにしている.ここは手動式のリーダーが多数あるので,どんなに混んでいても作業ができないということはない.最近,荒敬先生の著書を片手にRepatriation関連(G2及びG3が担当)の資料を検索・筆写しているが,直接的に専門でない場合は「火傷」しそうなほどヘヴィーな資料群である.でも,それがまた嬉しかったりする(これはやはり病気).尊敬するある先生がやっていらっしゃるような「マルチ・アーカイヴ・アプローチ」にこの上なく憧れる今日この頃だが,私の能力では日本国内の資料をきっちり読もうとするだけであっぷあっぷである.

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