第7回

”和”を愛した英国人

 

先に辰野金吾のことを書きましたが、彼のことに関してコンドルを語らなければ辰野金吾のことを浮き彫りにすることができないと思います。

コンドル。本名をジョサイア・コンドルといいます。明治10年、日本の明治政府が、20代の若きイギリス人建築家であるコンドルを日本に招いたのです。明治政府はこれから日本にも西洋建築を広めるためにとのことでした。

来日したコンドルは次々と西洋建築を手がけていき、代表的なのが鹿鳴館とニコライ堂。また上野にある三菱の創始者である岩崎邸をはじめとして著名なかたがたの邸宅や政府の公館など日本各地に300棟ともいわれる建物をつくったといわれています。先に述べた辰野金吾は、コンドルの教え子なのです。

辰野金吾が日本建築にはあまり興味を持たず、西洋建築に傾倒していったのに対し、コンドルは日本建築の美しさに心を奪われ、日本建築にと向かっていったそうです。

日本人が西洋建築に、そしてイギリス人が日本建築にと、この対比はまことに面白いものです。

政府が西洋建築の発展にと迎えたのに日本建築に走るコンドルを、政府は解雇するのです。しかし政府から手を離れたコンドルのもとには次から次へと建築の依頼があり、より日本を知るために日本人と結婚し、日本画を学び、日本舞踊を習い、より日本人になりきろうとしたコンドル。

日本の地に眠るコンドルの残した業績は、今日の日本における西洋建築に反映していると思われます。

 (2003年)

 

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